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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第7章 祖霊の都 下
27/28

愛する貴方に別れの歌を 下

王都 市街地区

それは異様な光景だった。

斬り倒された警衛と逃げ惑う群衆

遠巻きに包囲する刺客とそれに向き合う二人の戦士

更に距離をとって武器を構える大勢の兵士たち

その渦の中心で向かい合って会談を続ける王と王女

「おいおい...どういう状況なんだこれは...」

ミシェルの箒の後ろでカールが小さく呟く。

奇妙な均衡を保った戦いの渦は、群衆の悲鳴とは対照的に静かな空間を作り出していた。

「おーいっ!カール!!」

地上から声をかけてくるエドワードの元に二人は降り立つ。

会談が始まったらそのすぐ近くで味方を集めて待機するようにとの指示に素直にしたがっているらしく、40人程の傭兵が周囲を固めてくれていた。

「おい...これは一体どうなってるんだ?」

会談の一部始終を見ていたエドワードは現状を二人に話始める。

会談の途中で起きた襲撃は予め予想された通りであるが、王が会談を強行するという事態によってこの状況は引き起こされたものなのだという。

オドゥオールと側衞騎士の二人以外は配置を崩さぬようにと大声をもって伝えた王と王女の指示に従って其々の軍は敵を目の前にその場に釘付けとなり、刺客は随員たる側衞騎士とオドゥオールを前に攻めあぐねているのだという。

「...分かりました」

ミシェルは小さく答えながら考える。

(ユーコさんなら...どうするでしょう...)

ただ現地に突っ込んでいけば、この均衡を崩す事に繋がりかねない。かといって行かないという選択肢はそもそも無い。

(味方になってくれた彼らも救い、私たちの目的も果たす方法...)

一つだけある。あくまで可能性が...という話ではあるのだが...

「皆さん...とても難しいですが...提案が有ります!」


周囲を包囲する刺客は大体200人程度...襲いかかられればひとたまりも無いような数だ。

それでも彼らが攻めあぐねているのは一重にすぐ横にて剣を構える側衞騎士の発する威圧感が故だろう。

味方として横にいるだけでも押し潰されそうなその圧は、オドゥオールをしても感じたことの無いほどのものだった。

しかし、である。敵はジリジリとその包囲の輪を縮めて来る。

いざ戦いとなったとき、果たしてエリザベートを守り抜く事が出来るのか...恐らく無理だ。それはオドゥオールが初めから感じている事であり、自らの実力を鑑みれば厳然とした事実である。だが、無理矢理にでも会談を中断させて落ち延びさせる事は出来るだろう。

(どのみち会談が終わら無いことには嬢ちゃんはこの場を動かないだろうな...)

己の主の気性を思い、彼は心中にため息を噛み殺す。

ふと、なにやら包囲の外から声が聞こえてきた。

(祝詞...?)

故郷で聞いた精霊への祝詞に似た響きが耳に届き、彼は今日初めての安堵を感じていた。

(漸くの到着か...)


「万象五属遍く萬に広がりたる精霊よ、広き恵みを持って我らを照らし給う祖なる源流よ」

木々の多い王都においても、強大な魔法を行使するには祝詞は必要になる。

(これで道を拓けなければ...)

頭を過った後ろ向きな考えを、ミシェルは否と振り払う。

(私は篝火の魔女...皆の行く道を照らすのは私の役目!)

改めて己の名を噛み締めて、ミシェルはその意識を深く世界に沈める。

「木々よ来たれ、林よ来たれ、森よ来たれ...繁れ繁れや精霊よ...」

近くから、遠くから...まるで篝火に虫が寄ってくるかの如くミシェルの周囲に木の精霊達が集まり、常人の目にすら輝く光をもってそのすがたを見せていく。

「染まれ染まれや深緑に...篝火たる我が名の元にこの地を染めよ!」


美しく響く祝詞は、友の訪れを示す鈴の音の如くエリザベートの耳に届いた。

パパパパパパンッ!!

幾つもの破裂音と共に視界が茶と緑に染まる。

驚愕した様子の彼女の父とその護衛である側衞騎士のボナンザ隊長に対して、彼女とその腹心であるオドゥオールは揃って安堵の表情を浮かべていた。

周囲を見回してみればまるで森に迷い混んだかの様に木々が生い茂っている。

その木々の一本一本が、根を足のようにして動き始め、まるでエリザベート達を守る壁になるように刺客たちとの間に立ちふさがった。

「陛下、ご安心下さい。味方です」

「まったく...アレクサンダーから聞いてはいたが、とんでもない友を得たようだな」

刺客達を押し潰したエント達が道を作るように両脇にずれる。

その道を通って悠々と進んでくる見知らぬ傭兵の一団と、その先頭で目と鼻から血を流しながら、傭兵の肩に寄りかかりながら進んでくるミシェル

「お...お待たせ...しました...」

「ミシェル...大丈夫かい?」

「えへへ...ちょっと張り切り過ぎちゃいました...」

弱々しく笑った彼女は覚束ない足取りで王に向き合うと、膝を曲げて恭しく頭を下げる。

「お初お目に掛かります...私は篝火の魔女ミシェルともうします...近衛卿の悪行の証拠をお持ちいたしました。どうぞお納め下さいませ」

鞄を背負った男が前に出る。

(ん...?あの男どこかで...ああ!あの時の!)

かつてミズナラの街でミシェルの命を狙ってきた軍の指揮官である。

「ミシェル...その男は?」

「近衛卿の元で私兵長を務めていたカール・ラスヴィエットです。証人として来てもらいました」

「それは、捕虜ということかい?」

「まあ、そんなところです。ユーコさんのお陰で私達に協力してくれる事になりました」

「そうか...ユーコが...」

全くとんでもない事を当たり前の様にやってのけるものだと、エリザベートは思う。

「それと...彼らは近衛卿に雇われていた傭兵なんですが、ユーコさんが事情を説明したらこちらに協力してくれる事になりました」

数で言えばそれなりのものだが...果たして...

「陛下...彼等は私達が証拠を確保するのを命がけで手助けしてくれました。どうか寛大な御心でのご処置をお願い致します」

恐らくこれもユーコの策だろうとエリザベートは思う。情の深い彼女のやりそうな事である。

(まったく...これではミズナラの仕返しも出来ないな...)

「お、王様、王女様!お願いが御座います!」

そんなことを彼女が思っていると、傭兵の一人が彼女と国王の間にひれ伏した。

「ちょっ...エディさん?!」

「陛下、殿下、申し訳ございません…下賤の傭兵故どうか御容赦を」

「構わぬ…申してみよ。エリザベートも構わぬな?」

「もちろんです」

慌てた様子の周囲に対して、国王に何らかの嘆願をしようとするエディという男は口調こそ緊張している様子ではあるものの、その目は落ち着いているように見える。

(何らかの企み...これもユーコの入れ知恵だろうか...?)

エリザベートと同じく、国王もそんなエディの様子には気がついているようだ。

「はいっ!俺たちを雇い入れて下さい!」

「ふむ...どういうことだ?」

エディの説明を聞いて、エリザベートは笑い出しそうになるのを堪えるのに苦労した。

今回の会談の形式は戦場における軍司令官同士の交渉の慣例にのっとって行われている。

双方の軍を後方に置き、その中心において総司令官同士が交渉するというものであり、会談の場所は完全に軍事的な空白地点となる。

そのため現在この地点に兵士は随員二名以外には存在せず、結果として刺客たちに対抗する手段もない。

エディが提言したのは、国王とエリザベートが共同で傭兵達を雇い入れる事で、完全に中立の兵力として二人を護衛せしめようというものだ。

「ふむ...面白い事を考えるものよ...」

泰然とした態度こそ崩さないものの、国王の表情が笑みに崩れる。

「余としては構わんが...」

「私も構いません。ただ...一つ聞きたい事が」

「は...はぁ...」

「これは...君の発案ではなく、私たちの共通の友人の発案ではないかな?」

正直傭兵に此のような突飛な策を考えられるとはエリザベートにはどうしても思えなかった。

戦場における慣例や不文律を意図的に無視することも多い傭兵ではあるものの、基本的にその行動原理は戦における勝利や自己の生存を目的としたものである。それ故に、慣例を無視することこそあれ、今回の様に工夫を凝らしてルールの隙間を突いてくる様な事はない。

彼女の知る限り、こんな事を仕出かす相手はそう多くはない。

「それは遠い所から来た旅人...ってことでしょうか?」

「その様子だと...私の想像の通りの様だな」

ならば信じても構わないだろうと、エリザベートは確信する。

「ふむ...ならば会談の続きと参ろうか」

潮目は有利になった。あとは此方の全てを出しきるだけだと、彼女は再び会談に臨む。

今此処にいない友が自分の為にお膳立てをしてくれているのだ。そう思えば、失敗の二文字は彼女の中からは自然と消え去っていくのだった。


王都 地下旧市街地区

よく時代劇で脚の健を切られるという表現があるが、実際自分がやられる事になるなんて思っても見なかった。

ただ相手を歩けない様にする...みたいな表現だけど、そんな生易しい物じゃない。死ぬほど痛いじゃんかよぉ...。

「貴様は我々を愚弄した...楽には殺さぬぞ」

「うぐぅ...はぁ、はぁ...大人しく話せば...苦しくないようにするって...」

約束は守って欲しい。死ぬのも痛いのも御免だ。

彼らの怒りの理由は分かる。そもそも白雪の魔女の思いをそのまま伝えるというのは、とどのつまり彼らの一族が数千年に渡って信じて来たことを否定するということなのだ。

「もう黙れ!貴様の戯言など聞きたくはない!!」

「おごっ...!おえぇ...」

腹を蹴られて胃の中身を撒き散らす。

「ふう...私はそろそろ王宮に戻りますわ」

退屈そうにしていた第二王女がいう。本来の私だったら皮肉や嫌みの一つでも言ってやる所だが、正直全身が痛すぎてそれどころじゃない。

「...約定を忘れるない事だ」

「貴方達が成功すれば...ということもどうかお忘れなき様に」

去っていく第二王女は、最早私に対してなんの興味も抱いていないといった様子だ。

武官であるエリーやその兄の第一王子とは違い、宮廷での政治に携わる才媛だと聞いてはいたが、人が目の前でぼっこぼこにされているのに表情ひとつ変えないとは...この世界の常識が可笑しいのか、それとも彼女が異常なのか...。

話している内に...と這って男から距離を取る。が...

「うああぁっ!」

先程傷付けられた脚を踏みつけられた。

ああ...もう無理だ...

痛みに思考が遮られ、もう諦めてしまいたくなる。

ヴァニカ...最後に一目会いたかった...

両目から涙が流れる。

「お願い...します...もう、やめて...下さい...」

涙を流して惨めに命乞いをしたところで刺客は返事すら返してこない。

逆にそれが刺客の嗜虐心を刺激してしまったのか、私を襲う暴力が勢いを増していく。

私の髪を掴んで無理矢理に引き起こした刺客は、しかし次の瞬間にはその手を話して部屋の入り口を振り向いた。

入り口の方に目を向けると、そこには煌々と燃え盛る三対の炎の翼を広げたヴァニカの姿があった。


王都 王宮

「殿下!動いてはなりません!すぐに医官が参りますゆえ」

衛兵に制止されるも、アレクサンダーは足を止める事はない。

「私のことは構わん!動ける者は武器をもって付いてこい!!」

第二王女に化けた刺客を打ち払った彼はそのあとを追っていく。

手傷こそ負わされたものの、それは相手も同じことである。残った血痕を追ってたどり着いたのは王宮の地下の空間だった。

「殿下...ここは...?」

「分からん...だが気を付けろよ...」

着いてきた衛兵はおよそ10人程度だ。王宮に浸透している刺客が単独であるとは思えない。

(どうにかなる程度の人数であってくれよ...?)

そう祈りながら、彼らは踏み込んでいく。

そうしてたどり着いたのは古代の宮殿の遺構であろうか、石造りの荘厳な扉の並ぶ空間であった。

その内の一つの扉が音を立てて開く。

「誰か来るぞ!」

一行は武器を構えて扉の方を向く。

そこにいたのは第二王女イリアナ...少なくとも見た目はその様に見える何者かだった。

彼女の目が驚愕に見開かれる。

「...イリアナか?」

「お兄様...?」

視線と共に交差した言葉は、しかし彼女の背後から飛び出した影によって切られる。

イリアナの顔をした手負いの刺客がアレクサンダーに斬りかかるが、その起こりを捉えた彼によって壁に叩きつけられた。

気を失ってその場に倒れる刺客を拘束するように衛兵たちに命じて、彼はイリアナの元に歩み寄る。

「お...お兄様!怖かったでー」

「動くな!」

「え...何を...」

イリアナの姿をした某かの喉元に切っ先をむけて彼は命じる。

「その手に持っているものを足元に置け!」

彼女が本物であれ偽物であれ、その胸に抱える物はどうしても奪い取らねばならない。

この状況は不本意ではあるが、一面として彼にとっては好都合ですらあった。

交渉によって彼女の尻尾を掴む事は彼には難しいとは言え、状況としては刺客達と何らかの関係を疑わざるを得ない状況である。近衛騎士の職責として振る舞えば良いと言うのは交渉事よりも彼にとっては気が楽である。

(少なくとも...白雪の魔女の遺体は確保出来たのだ)

地面に置かれた包みをひろいあげた。

「お兄様...どうなさったのですか...?」

イリアナは不審な連中に拐われ、命からがら逃げ出したのだと語る。

しかし彼女の企みをエリザベートから聞いている彼からすると、ただの言い逃れの様にしか聞こえない。

しかし...である。

おそらく、彼女を投獄するには至らないであろう。

物的証拠はこの遺体のみであり、残りはエリザベートの証言のみだ。それも、彼女の仲間の魔女が超常の力を持って死者である白雪の魔女から聞き出したという胡散臭いものなのだ。

(いっそここで...)

とは思うものの、彼はそこまで非情に徹することも出来ない己をよくわかっていた。

そしてそれはイリアナも分かっているのだろう。その目は表情とは裏腹に一切の怯えの色の見えないものだった。

「...偽物かも知れん...拘束しろ」

今の段階で彼に出来るのは状況的に許される身柄の拘束までだ。

(父上には辛い判断を押し付ける事になってしまうな...)

実の娘の大逆の疑い...エリザベートとの会談を終えた国王に全て伝え、その判断に従うしか彼に出来ることはない。

胸の奥にもやを残しながら、アレクサンダーと衛兵たちは来た道を引き返していった。


「お兄様...お姉様...」

イリアナと刺客を拘束して王宮に戻ったアレクサンダー一行を出迎えたクロエは、複雑そうな表情を二人に向ける。

「クロエ...済まないがまだ詳しいことは話せない...」

「安心して大丈夫ですよ?お兄様はただ念のために私を拘束しているだけですもの」

鼻につく...とは彼が事情を知っているが故に感じるものであり、傍目にはイリアナの姿は気丈に振る舞う健気な王女として映るだろう。

王宮の留守居部隊に、地下遺跡への入り口を封鎖するように命じたアレクサンダーは儘ならぬ物だと思う。

当代の王位継承者は稀代の傑物揃いと謳われ、揚々たる王国の前途は希望に満ちた物として臣民達には写っていると言うのに...その中国王の信任が篤い彼女が国を乱すような行いに走り、王国にとって脅威となるとされたエリザベートが数々の陰謀を打ち砕こうというのだ。

そんなことを思いながら廊下を歩いていた彼の耳に、鋭い半鐘の音が届いた。

「何事だ...?」

もう勘弁して欲しい...そんな思いを噛み殺しながら、彼は王宮の留守居部隊を纏めるために走り出していった。


王都 地下旧市街地区

ああ...ヴァニカ...

「お母さん!ああ...どうしよう...お母さん!」

私の娘は凄い。刺客を一瞬で消し炭にしてくれた。

「...ヴァ...二カ...」

駄目だ...上手く声が出せない。

あの刺客が最後に私の胸に突き刺したナイフのせいで、喉の奥から血が込み上げてくる...

愛しい愛しい私の娘に...最後のお別れを言いたいのに...

石造りの床から大勢の足音が伝わってくる。多分刺客の仲間たちが駆けつけて来たんだろう。

「にげ...て...」

別れの言葉より、何よりも彼女に伝えなくてはならないだろう言葉...生き残って欲しいから...幸せになって欲しいから...

「やだよ...お母さん...あたしを...あたしを一人にしないで...おいてかないでよ...」

もう感覚の無くなってきた腕をもちあげて、ヴァニカの涙を拭う。

「...お願...い...生きて...」

結局この子には辛い思いしかさせていない...きっと私は母親失格だ。

それでもヴァニカの母として、どうしても彼女には生き抜いて欲しい。幸せな人生を送って欲しい。

「エ...リー...の...言う...事を...聞いて...幸せに...なって...」

大切な友達と出会って、沢山の人々と出会ったこの旅で得た縁は、きっとこの子の行く末を照してくれるだろう。

「...わかった」

ヴァニカは立ち上がり炎を纏う

「皆を連れて直ぐに帰って来るから...待ってて!」

駆け出す彼女の背中を見送る。

「さよ...なら...ヴァニカ...」

これで...もう...安心して......


王都 市街地区

エントが大きな音をたてて倒れる。

残りのエントは二つ...

「嬢ちゃん!!下がってろ!!」

ミシェルに斬りかかった刺客をオドゥオールが長柄斧をもって両断する。

刺客達の数は恐らく残り50人...味方の傭兵はもう残り十人を切っている...

(もう...持たない...)

彼女が諦めかけた時、王とエリーが固い握手を交わし、後方の部隊に其々合図を送った。

「皆、待たせて済まない!!」

エリザベートの声が聞こえた時には既に彼女はミシェルとオドゥオールを囲む刺客に躍り込んでいた。

後方から響く雄叫びと馬蹄の音...王都に集った精鋭達によって残敵が掃討されていく。

だけではない。周辺の民家の窓からは刺客たちに向けて石や刃物が投げつけられていく。

「はぁ...お、終わりましたぁ...」

両軍の閧の声を聞きながら、ミシェルはその場にへたりこんだ。

「ま...魔女様...大丈夫ですか...?」

「ええ...安心したら腰が抜けてしまって」

「いや...目から血が...」

「へっ?!」

そういえば、視界が赤く染まっている事にミシェルは気づく。

「ああ...魔法を使いすぎちゃったみたいです」

体内に強力なマナを高圧で長時間流した結果、目、耳、鼻、口等の粘膜が耐えきれずに出血してしまったのだろう。

「あまり無理はしないでくれよ?」

「勝てたんだから結果おーらいです!」

「まったく...ユーコに似てきたな...だが助かったよ、ありがとう」

エリザベートはミシェルにハンカチを手渡した。

「そういえば...ユーコとヴァニカは?」

「それが...」

はぐれてしまった旨を話す

「そうか...しかしもう心配も無いだろう」

「そうですね、もう追っかけられる心配も無いですから...ん?なんか騒がしく無いですか?」

なにやら揉めているような騒がしさだ。

「ったく...めでてえ席で...ん?ありゃあ...ヴァニカか?!」

炎を纏って飛び上がり、此方に飛び込んできたヴァニカは、その顔を涙でグシャグシャにしながらミシェルにしがみついてきた。

「お母さんが!...お母さんがぁ...!」

よく見てみれば彼女の服は大量の血で真っ赤に染まっている事にミシェルは気がついた。

「お...落ち着いて...何があったんですか...?」

「お母さんを...助けて...」

「ヴァニカちゃん、案内出来ますか?」

ヴァニカは頷いた。

何があったのかは分からないが、しかし友人の危機であることは理解できる。ミシェルは箒に跨がる。

「ミシェル、私たちも一緒に行こう」

エリザベートと側衛騎馬大隊の面々も様子を見ていた様だ。

「それじゃあ...案内をー」

ミシェルはその場に倒れ混んだ。

「ミシェル?!」

全身が恐怖に痙攣し、意識が飛びそうになるのを必死で堪えた彼女は、その感覚に覚えがあった。

「賢...者...?」

「賢者というのは...あの賢者の事かい?」

エリザベートの言葉に彼女は頷く。

「詳しい事は...向かいながら...話します」

賢者がいるのならば、危険だ...

ミシェルは震える体を無理矢理に引き起こし、再び箒に跨がった。


ヴァニカの案内に従って一団は王都の地下に広がる空間にいた。

松明やランタンの灯りを頼りにたどり着いたのは、遺跡の中でも一際大きい建物だった。

堪えられなくなったのか、駆け出そうとしたヴァニカをエリザベートは抱えあげた。

「エリー!離して!!」

「ヴァニカ!一緒にだ!」

置いていくわけでは無いという旨を伝えて落ちついたヴァニカを地面に下ろす。

「ミシェル、刺客の気配は?」

「...多分誰も居ないです」

「賢者も?」

ミシェルは頷いた。

彼女の言葉は敵がここに居ないということだけでは無く、誰も居ないと伝える。

(誰も...か...)

エリザベートは剣を抜く。

彼女を先頭に室内に踏み込んだ一行は、異様な光景に息を呑んだ。

「これは...血...?」

エリザベートは壁にこびりつく赤黒い汚れを見やる。

まるで血を入れた水風船を壁にぶつけたかのようなそれは、しかしよくよくみるとただの血液ではない。

「人...」

「まさか...嘘だろう...」

同じく見聞していたオドゥオールは信じられないといった様子で絶句する。

まるで人が虫を潰すかのように、とんでもない力で壁に叩きつけられたのだろうか...しかしそれにしては壁はほぼ無傷で、ただ無惨な死体と思われるそれが転々と続いている。

後ろで数名の側衛騎馬大隊の隊員が堪えきれずに吐き出す。

場馴れしている彼らですら、今まで見たことも聞いたことも無いような、正しく悪夢のような光景であった。

「ヴァニカ...これは...最初から...?」

彼女は無言で首を横に振る。

ここに充満する濃厚な死の香りは、彼女の鼻には恐らく苦痛でしかないだろう。

「いけるかい?」

しかし、その問いに彼女は力強く頷く。

周囲を警戒しながら建物の奥深くに進み、辿り着いた部屋

「そんな...うそ...」

「くそっ...!」

一体の焼死体と血の海に沈む彼女らの友人である異界人の旅人

「そんな...お母さん...」

ヴァニカがその場にへたり込んだ。

それを見ていた自分の視界も、涙でボヤけていることにエリザベートは気がつく。

あまりにも呆気ない友との別れ...たったひとつの別れの言葉を交わすこと無く訪れたそれは、余りにも悲しい彼女らの旅の終わりを告げていた。

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