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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第7章 祖霊の都 下
26/28

愛する貴方に別れの歌を 上

正化8年8月15日

王都 市街地区

「上手くやったものだな…」

「でしょ?」

王都中を駆け回る近衛卿配下の傭兵達を宿の窓から見下ろしながら、私達はのんびりと朝食を摂っていた。

どうやらエディは上手くやってくれたようだ。

何をか…といえば、工作員としての役割を、だ。

信頼の出来る相手には誇張した真実を、それ以外には偽りの情報を流す。独楽のように良く回る口を持つエディには最適の仕事だと言えるだろう。

見当違いの場所を捜索する者、嘘の目撃情報を触れ回る者…まさに大混乱といった様子である。

更にそこに王都警衛の部隊も混ざって、いるのだから大変な状態だ。

「たった一つの嘘でここまで状況を掻き乱せるものなんですね」

「相手が良かったんだって、これがエリーのとこの人達相手だったらこうはいかなかったと思うよ?」

近衛卿の屋敷に潜入した時にも思ったが、ずぶの素人の私にも分かる程あの傭兵達は文字通りの烏合の衆だ。

情報の保全は日本の一般企業未満、同じ様な臨時雇いの人員でも、イベント会場の学生バイトさん達の方が統制がとれている。

とはいえ、油断は出来ない。何しろ殺人事件の捜査に王都警衛も動いているのだ。

今のところエディの散蒔いてくれた偽情報と、エリーと国王の会談の準備で混乱してこそいるが、流石に王室直属の組織だけあって着実にその包囲を縮めてきている。

エリー達の到着まで概ね五時間程度…如何に凌ぐかにかかっている。


王都 市街地区

「失礼、王都警衛だ。少し話を聞きたい」

「あら、何かしら?」

かけられた声にジナイーダは笑顔で応じる。

軽装の王都警衛は、恐らく警備部隊では無く捜査部隊だろう。

軽く二、三言身元の確認が続き、本題として不審な人物を見なかったかとの質問が始まる。

「不審…そう言われても人が多いから…」

そう答えはしたものの、実際の所彼女は警衛達の探している相手が誰なのかという見当はついていた。

「赤黒い粗末な服を着た集団だ。見ていないか?」

(成る程…上手くやったものね)

街中を駆け回る近衛卿配下の傭兵部隊の統制が崩れたのは、彼女も気が付いている。

推測だが、何らかの手段で偽の情報を散蒔いたのだろう。

それによって王都警衛、近衛卿、そして白雪の魔女の信者達の動きを封じようという腹積もりなのだろう。

「そういえば、近衛卿のお屋敷にそういう風体の人達が出入りしているって噂を聞いたわ…まあ、あくまで噂なのだけれど」

「ふむ…やはり近衛卿か…」

警衛が苦々しい表情を浮かべる。どうやら彼等も騒動の中心に近衛卿がいることには気が付いているのだろう。

それでも王家の直属の軍である近衛軍の長が相手である。同じく王家の直属である王都警衛といえども軽々に踏み込む事の出来ぬ相手なのだろう。

「済まない、手間を取らせたな」

「ふふっ、構わないわ」

恐らく彼等は近衛卿配下の傭兵部隊への警戒を強めるだろうし、対する傭兵達も軽々に動けない状況に陥るだろう。

会談の襲撃に備えて既に街の中に浸透している愚かな迷子達からすればさして問題にはならないだろうが、それでも三分の二の敵の動きを封じたのだから大したものだ。

策源地たる一人の女性の姿を思い浮かべて、ジナイーダは胸が躍る心地だった。

(ふふふ、ああ…なんて楽しいのかしら…)

躍る心そのままの足取りで、彼女は歩き出した。

きっと今日はもっと面白いことがおきるだろう。それは予感では無く確信として、彼女の心を華やがせていた。


王都 王宮

エリザベートの入城が決定し元老院の混乱は一旦収まったとはいえ、それでもこの王都に横たわる問題は多い。

先程も近衛卿と警衛総監が議会そっちのけで口論をしており、アレクサンダーとしては頭の痛くなる思いであった。

結局近衛卿の派閥と警衛総監の派閥が乱闘を始めてしまい、またもや一時閉会となってしまった。

(もうエリザベートが王都に入城するというのに…全く暢気なものだ)

昨日までの恐慌もどこへやら、直ぐに政争に熱をあげる様は元老院の日常とはいえ、なんともお気楽なものだとも思う。

実際王国の実務はそれぞれを所掌する官僚組織と当該地域の領主が担っている以上、元老院が国政に対して他人事の様な顔をしているのも仕方が無い事とはいえ、自分達の身に降りかかる危機が過ぎ去った途端にこれというのは、些か厚顔に過ぎるのでは無いかと思う。

「怖いお顔をなさっていますわ」

かけられた声にアレクサンダーは我に返る。

「折角のお茶が台無しですわよ?」

向き合うイリアナは、常のように余裕を湛えた笑みを浮かべている。張り付いた様な笑顔の裏に何の感情すら見透かせない。

(どこまで勘付いているものか…)

エリザベートから齎された情報…飽くまで証拠の無い迷信だとの前置きを経ての事ではあれ、彼女がこの騒動に一枚噛んでいるとの噂を確かめに来たアレクサンダーは、しかし少々ここに来た事を後悔してすらいた。

万能の天才と称されるアレクサンダーではあるが、しかしそれでも若い頃から近衛軍に身を置いてきた比較的武偏の男である。それでも並大抵の相手であれば、政治闘争であれ、権謀術数であれ遅れを取ることは無いが、相手はこと謀略にかけては今世に並ぶ者は無いとさえいわれるイリアナである。

(はてさて、私がどれ程の事を出来るか…)

「そうだな…ふむ…良い香りだ。これはどこのお茶かな?」

「東方交易路から入ってきたものですわ、とても良い香りでお気に入りなのです」

「東方か…最近はエリザベートのお陰で比較的治安も安定してきていると聞くな」

「ええ、それにリチャードお兄様が草原の蛮族と取引して下さっているお陰で交易路の安全も確保出来て…私もおいしいお茶を頂けますわ」

カップを置いたイリアナは、それでと続ける。

「いったい今日はどうなさったのでしょう?何かお聞きになりたい事があるのでは?」

(さあ、これは...どっちだ?)

かまをかけているのか、それとも此方の目的を察しているのか...アレクサンダーは頬がひきつるのを堪えて考える。

「さて...兄妹で話すのに理由が必要かな?」

「ふふっ、必要ありませんわ...ただのお茶のお誘いでしたら、ね?」

成る程これは察していると、アレクサンダーは観念して大きく溜め息をついた。

「敵わんな...何処まで知っているんだ?」

「さて何の事でしょう...私など所詮は世間知らずな小娘ですわ」

思い返してみればイリアナの情報網に関しては不明瞭な点が多い。いつも『親切な方に教えていただきました』等と言ってはいるが、それで近衛軍の機密や敵国の内情まで知っているのだ。

「よろしい、単刀直入に聞こう。エリザベートに刺客を放ったな?」

「私がお姉様を殺そうとしているなどと...あり得ませんわ」

「ふむ...確かにそうだな...」

一切表情を崩さないイリアナである。しかし、アレクサンダー自身彼女の嘘を見抜けるとは思っていない。

「殺そうとはしていないようだが...伝家の宝物と引き換えに生け捕りにしようとしているのだったか?」

ピクリと、イリアナの眉が動く。

「どなたがそのようなことを?」

「なに、『親切な方に』教えていただいたまでさ」


王都 旧市街地区

王都は広大な領域を誇ってはいるものの、その市街地は幾度も幾度も増改築を重ね、古い時代の建物の上に幾重にも新たな建物が重なって今の姿になっている。

正に迷宮の様な広大な地下空間には魔物が棲むとも言われているが、そもそも下水の管路の大まかな場所すら曖昧なこの場所に何が居たところで興味は無いと言うのが、王都の住人の総意でさえあると言えた。

そもそも、人が出入り出来るのが汚水管路や深井戸くらいしか無いとされているうえに、それらも堅牢な鉄格子で塞がれているので魔物がいたところで外には出てこられないと言うのも、人々の興味を遠ざける原因にもなっている。

そんな忘れ去られた地下の古い大路をジナイーダはみすぼらしい衣を纏った男とともに歩いていた。

「わざわざ道案内なんてしてもらわなくても大丈夫なのだけれど」

「いえ、総領からの指図です。どうぞお気になさらず」

総領と言うのはいつものあの男の事だろうかと、ジナイーダはあたりをつける。

(随分偉そうだとは思ってはいたけれど...)

反面それもそうかとも彼女は思う。彼らからすれば古代ノルディアの生き残りであり、白雪の魔女の友人でもあるのだ。そんな彼女との折衝役に半端な相手を送ることも出来ないと言うことだろう。

加えて彼らの計画にはジナイーダにしか用意できないエリクサーが必要とあれば尚更だ。

今回迎えに来たのは初めて見る若者だが、おそらくそもそも人手が無いのだろう。なにせこのすぐ後に大勝負が控えているのだ。

「こちらでございます」

「ええ、有り難う」

案内されたのは大きな建物だ。2000年ほど前にこの街の商工ギルドとして使われていた石造りの建物である。一部は土に埋もれてはいるものの、それでも往時の壮麗な面影を残している。

現在ここは白雪の魔女を信奉する一団の策源地の一つとなっていた。

ジナイーダはその中のかつて組合長の執務室として使われていた部屋に通された。

「これはこれは王女様、お久しぶりね」

部屋の中にはいつもの男と、第二王女イリアナの姿があった。

「ふふふっ、そんなに怯えられては悲しいわ」

顔を合わせた瞬間に怯えの色が見えた第二王女にジナイーダは明るく言う。強烈な第一印象が彼女の中に大分深く刻まれているようだ。

「我々の元に来ていただけるとは...どういった風のふきまわしで?」

「風の吹き回しもなにも、これが必要なのではなくって?」

ジナイーダはペンダントを外す。

「これが...」

「正確にはこの中身が、ね」

ペンダントの中にはエリクサーが入っている。数日前に抽出したばかりの新鮮なものだ。

「まだ開けない方がいいわよ」

中を改めようとした男をジナイーダは制する。

「この街にいる魔女さんに、この場所を知られたく無ければ...ね?」

魔女、と聞いて男はその手を止めた。

彼らが秘術と呼ぶ外法の業は、白雪の魔女が生み出した魔導技術と、錬金術を組み合わせたものである。

そもそも魔法の下位互換である魔導技術が基礎にある以上、魔女は彼らの天敵と言っても過言では無い。現状彼らが見つかっていないのも王都の周辺領域内での外法の利用を極力避けているためである。

外法の対抗策を魔女が知っているかは分からないが、そもそも優秀な魔女であれば体系化された対抗策を取らずとも、正面からのぶつかり合いでも彼女らに分がある、

「もう地上ではお祭りが始まっている頃かしら...のんびり待ちましょう?」

「そうですな...」

国王と第一王女の会談は始まっているだろう。であればそこに対する襲撃も直ぐにはじまる。どの程度食い下がれるかは分からないまでも、態々この最終局面において危険を侵してこの場所を敵に察知される必要は無いし、何よりここに残った面々は白雪の魔女の遺体を無事に持ち帰り復活の為の儀式を行うと言う使命を帯びている。

「それで、お茶の一つも出ないのかしら」

「これは失礼」

男は楽しげに茶を入れる。

その態度に違和感を覚えるジナイーダであったが、しかしそれも当然かとも思う。彼らもジナイーダ程で無いにしろ長い時を待ってきたのだから。

「あら、有り難う」

「いやいや...こちらこそ」

どんっという衝撃が腹部にはしり、ジナイーダはカップを取り落とす。

(あら...予想外ね)

腹に突き刺さった短剣を見下ろしてジナイーダは小さく微笑を浮かべた。しかし

「それで...これがなにか?」

腹部を刺されたとて、血の一滴すら流れない。

(そもそも人間ですら...いえ、生き物ですらないのだから)

男の楽しげな態度の理由が此だとすれば、何とも哀れな物だとも思う。こちらの正体も分からぬまま、人間と思い込んで殺そうとして、結局それを成せぬのだから...

哀れみを込めた視線を男に向けるジナイーダであったが、男の表情に奇妙な違和感を感じた。

刺殺しようとして、しかしそれを成せなかった者の表情ではない。

むしろ、これさえも折り込みずみであるかのような表情...

そこに気づいたとき、ジナイーダは自分が膝を着いている事に気がついた。

「...え?」

事態を飲み込めぬまま地に伏せるジナイーダは、短刀を中心に全身に拡がっていく感じたことの無い感覚に包まれながら、ああ...成る程と納得する。

過不足の無い完全な賢者の石...彼女の体の核となっているそれに対して本来有るべきではない総量の増大...完全性の破綻を狙った異物の流入...

殺す...ではなく、破壊する。その選択は彼らがジナイーダの正体を独力で見抜いた事を示唆している。

「ふふっ...ふふふ...一体...何人を使ったの...かしら...」

ジナイーダの母国においてすらただ提唱されただけであった世界を完全に殺しうる技術である。

「ああ...なんて楽しいのでしょう...」

彼女は予想を裏切り続けるこの世界に、心底からそう呟く。

自らを形作る無数の歯車に幾つもの異物が挟まったかのように、体が、意識が、その機能を停止していく。

「マダム!!」

閉じていく意識と感覚の中、最後に聞いたその声が幻聴だったのか、現実だったのかは彼女に判断することは出来なかった。


王都 市街地区

名目はたかが戒厳の奏上である。

しかし、物々しい警備の中市民を立会人として行われるこの会談がただ事ではないことは、薄々ながら子の場にいる全ての人々が気がついていた。

互いの幕下の軍は後方200mの位置に偉容を整えて整列し、国王とエリザベートは一名の随員をその脇に置いて向かい合う。

(まさか...叙任早々こんな大舞台に立つことになるとは...)

表情は引き締めたまま、オドゥオールは心中に苦笑を噛み殺していた。

元々がノードベイスンにおいて騎士の叙任を目指していた彼はある程度騎士としての作法を身に付けているとはいえ、予定ではとりあえず騎士団の末席に名を連ねる事を目標にしていたのだ。まさか公爵と国王の会談における公爵側の随員に選ばれるなど予定外も甚だしい。

それでも、この場においてエリザベートの配下で最上位なのがオドゥオールである。王国の直参である近衛騎士団に属する側衞騎馬大隊の騎士達の方が騎士としての格は上であるとはいえ、彼らは名目上あくまで与力である。

相手方の随員は高名な側衞騎士だろうか...中年の女性だが、その立ち居振舞いには一分の隙もない。もし彼女が襲いかかってきたら、恐らくオドゥオールは成す術も無く殺されてしまうだろう。疑い無くそう思える程の実力の差がここにはある。

(気迫だけで言えば少なくともエリザベートの嬢ちゃんと互角か...)

そうは思うものの、幸いにも会談は恙無く進んでいる。

戒厳の奏上を終え、近衛卿によって曲げられたエリザベートの政治的な思想について、そして古代ノルディア帝国の残党についての説明を、国王は目を閉じて噛み締める様に聞く。

伝えるべき全てを、一切の駆け引き無く伝え終えたエリザベートは、国王の返答を待つ。

「成る程...そうか...」

目を開け、ゆっくりと口を開く国王

「納得は出来る話だ。充分理に敵ってはいるだろう」

「では...!」

「だが、あくまでそれは卿の主張に過ぎぬであろう」

(まあ...そうなるだろうな)

国王の言葉はオドゥオールにとっても、エリザベートにとっても想定の範囲内である。

ちらりとエリザベートはオドゥオールを見る。

それを受けてそれとなく周囲を見回したオドゥオールは小さく首を横に降った。

本来であれば先行して潜入したモノミ・ユーコの一行が合流し、近衛卿の屋敷から集めた証拠を持ってくる予定だったのだが、今のところ彼女らの姿はない。

だが...別の気配はある。

どうやらエリザベートも側衞騎士も察知したようである。

「恐れながら陛下...」

「申せ」

「何やらよくない気配が...」

側衞騎士が国王に告げる。

「陛下、恐らく先程申し上げた刺客の一団かと...」

そういって立ち上がろうとしたエリザベートを国王は手をあげて制する。

「よい、会談の最中であろう?」

国王の言葉に三人は一瞬ぎょっとしたような表情を浮かべる。

もう一度椅子に座り直したエリザベートは、オドゥオールをちらりと見やる。

(無理だ...とは言えないな...)

恐らく国王はこの会談を強行する腹積もりなのだろう。そこにどの様な意図があるにせよ、オドゥオールのやるべきことは一つだ。

「お任せください」

一言そう言ったオドゥオールは背負った長柄斧を下ろして地にたてた。


近衛卿配下の傭兵に追われながら、市街地を逃げ回るミシェルは、件の刺客達の気配を感じた。場所は彼女らの目的地である王とエリザベートの会談の場のすぐ近く...

「ミシェル!!」

ヴァニカもそれに気がついた様である。

「お母さんも居なくなっちゃったし...どうしよう...」

彼女達を纏めているモノミ・ユーコとはぐれて暫く経つ。

捜しに行きたいところではあるが、そもそも彼女らも追われているのである。

(こんなことなら、予めユーコさんに種を渡しておくべきでした...)

完全に油断していた自分の不甲斐なさを責めるミシェルは、覚悟を決める。

「ヴァニカちゃん...一人ならあの人達を振り切れますか?」

「え...うん、大丈夫だけど...」

「それじゃあ、あの人達を振り切ってユーコさんを捜しに行ってください」

「ミシェル達は大丈夫?」

「はい、安心してください!私は篝火の魔女です」

「わかった。気を付けてね!」

そう言って飛び上がったヴァニカは建物の屋根の上を走り去った。

「...規格外だな」

「エリーさんのところだと普通ですよ」

「...俺の前のボスは喧嘩を売る相手を間違えた様だな」

カールは噛み締める様に言った。しかしその言葉はどこか楽しげでさえある。

呑気な...とは思うものの、しかし彼の受けていた仕打ちを考えればそれも無理は無いとミシェルは思う。

ミシェルは彼の事を好ましく思っていない。だが、信用してもいいのでは無いかとも思い始めている。そもそも彼女の抱く悪感情が只の嫉妬に由来する物だと言うことは彼女自身も理解しているのだ。

ここまでの窮地にあっても裏切ること無く付いてくるカールは、付く相手を間違えただけの普通の騎士なのだ。仮に物心付く前の自分を引き取ったのが雪冠の魔女ではなく賢者だったら...そう思えば本心からカールを憎む事は、彼女にも出来ないのが事実であった。

(ユーコさんならどうするでしょうか...)

ミシェルは自問する。

(考える迄もないですね)

彼女の思い人である異界人であれば、無茶であれ無謀であれ、きっとやるべき事をやり遂げるだろう。仲間と認めた相手に裏切られる事なんて欠片も考えずに...

(ユーコさんは彼を信じるべき相手として見ていました)

あくまで捕虜として一定の距離を置いてこそいたが、しかしその言動は確実に信頼を示していた。

(なら...私も信じて全力を尽くすだけです)

ミシェルは箒に跨がる。

「お...おい...!」

カールが慌てたような顔で声を出す。

王都においては、箒で3m以上の高度を飛ぶことは禁止されている。建物の壁に引かれた3mを示す線を少しでも越えたら城壁や櫓の弩で撃ち落とされても文句は言えない。

「乗ってください!」

しかしそんなことは篝火の魔女たるミシェルも重々承知している。

有無を言わさぬ口調のミシェルに、カールは渋々といった体で従う。

「ぐぬっ...け...けつが...」

「死にたくなかったら我慢してください!」

どうして皆跨がろうとするのだろうかと呆れながら、ミシェルは高度を上げた。

「おいっ!撃ち落とされるぞ!!」

「黙って頭下げてて下さい!」

ギリギリの高度を最大速度で飛ぶ。

人々の頭に掠りながら、店の看板をかわしながらも頭が高度3mを越えることの無いように、並みの魔女であれば成し得ない芸当...どころか彼女の師である雪冠の魔女にだってこれ程の飛行は出来ないであろう。

マナの流れに乗り、箒に宿った風の精霊の力を細かく調整し、自らの体内を流れる莫大なマナを流し込む。本来であれば莫大な量のマナによって大きくぶれてしまう軌道は、しかしマナの流れを素早く繊細に調整することで、ブレを打ち消していく。

微細な、魔女ですら...それこそ精霊達ですら気付かぬほどの弱いマナすらもハッキリと認知する高いマナへの感受性、そしてそれを反射的かつ本能的に調整してのける天性の才能があって初めて成しうる神業である。

「一気に行きます!」

放たれた矢のごとき速さで彼女らが向かうのは、友の待つ会談の場である。


王都 旧市街地区

「マダム!!」

飛び出し、駆け寄ってから気づく...ヤバイ...

敵の目の前...しかも敵の真っ只中である。

こちら側で無い傭兵に見つかって、逃げる途中で皆とはぐれた先でマダムをみつけて後を付けてきたらこれだ...なんというか、我ながら非常に残念な奴だと思う。

「...どなた?」

困惑した様子で聞かれる。第二王女イリアナ...シスコンでレズの大分ヤバイやつだ。

「エリザベートの仲間の異界人...モノミ・ユーコか...」

マダムを刺した男はどうやら私の事をご存じな様子だ。それでも、彼も現在のこの状況を理解していない様だ。当の本人である私自身いまいちよくわかっていない。

完全に成り行きでこうなったとしか言えないだろう。

「ここまでの侵入を許すとは...賢者の巨大な気配に隠れていたか...」

「さて、どうだろうね...そうやって日本の科学技術をなめていると痛い目みるよ?」

完全なハッタリをかます私を、男は一瞥して鼻で笑った。失礼な...。とはいえ、効果が無かったのは分かった。

「ところでイリアナ王女様?」

「あら、何でしょう」

刺客の方は無理っぽいので第二王女の方に照準を切り替える。

「こんなことしてるとエリー...お姉さんに嫌われちゃいますよ?お姉さんが大好きだからこんなことしちゃったんですよね?仲直り出来るように私からも説得しますから...もう止めません?」

「あら、そんな事までご存じですのね...」

ずっと余裕の態度だ。さすが権謀術数で有名な第二王女...本来なら恥ずかしくて顔が真っ赤に成ってしまいそうな話だが、ずっと涼しい顔をしている。

「でも大丈夫ですわ...これからお姉様は私以外の誰とも会う事は無くなるのですから」

ああ...そう言えば五体満足である必要すら無いとかそう言うあれだった。シスコンはまあ可愛らしいとも言えるだろうし、両方行ける私からすればレズも大した話ではない。

問題はこのおサイコさんっぷりである。経営者や指導者はおサイコさんが多いとは聞いた事はあるが...性癖が歪みきっているというのはどうなのだろう?

「ちなみになんだけど...賢者を殺しちゃって大丈夫なの?白雪の魔女が怒るんじゃない?」

「...どこまで知っている」

おや...?反応が変わったな

「さあ...どう思う?」

今できるのは時間稼ぎだけだ。ミシェルが異変を察知して何かしら手を打ってくれればまだ活路は有るだろう。

木の種を持っていないので魔法で居場所を探し当てる事が出来なかったとしても、ヴァニカの鼻があればここに辿り着く事も可能だろう。大丈夫、まだ希望はある。

「...余り時間も無い。素直に話せば楽に殺してやろう」

「私はまだまだ時間あるけ―へ?」

肩にナイフが突き刺さっている事に気がつき、一拍遅れて痛みを感じる。

「いっ...!」

声になら無い苦悶のうめきが漏れる。

此方に来てから何度も酷い目に遭ってきたが、それでも痛いものは痛い。

「んあ”ぁっ!!」

ナイフが引き抜かれて血が流れ出す。

「次はどこがいい?」

「嘘でしょ...やめて...」

完全に躊躇がない。痛め付けて情報を引き出し、多分そのまま殺される。

今までのように頼れる仲間が近くにいる訳でも無く、交渉の余地が有るわけでも無い。

「痛いのが嫌なら早くお前達の持っている情報を話してもらおうか」

「...分かったから...もうやめて」

「ふんっ...他愛無いな」

死ぬほど肩が痛い。でも心が死ぬほどの痛みじゃない。

まだやれる筈だ。私にしかできないことが...大切な仲間の為に、私にしか出来ないことはまだある。

そう...全てを話そう。白雪の魔女が私たちに託した言葉の全てを...!!


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