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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第6章 祖霊の都 上
23/28

求めるままに

最早こうなってしまえば指揮も糞も無くなる。正規兵の様に統制のとれた部隊ではないのだ。隊長としてこの場にあってもアブレーゴはもう成り行きに身を任せることしかできない。

後方から襲来した部隊に対応するために急行してきた彼は、柄にもなく運命というものが自分に味方してくれるよう祈っていた。

長槍部隊と弓隊を配して対騎兵の陣形を整えた彼は、本来であればエリザベートを追撃する筈であった。しかし追撃は前方の部隊に任せて敵主力に対応している。それは一重に部隊の指揮官として対応できる人員の不足に起因している。

この場に集められた傭兵は確かに個々の武勇に関してはこの国でも有数の者達だ。しかし、それは集団戦における連携能力の不足も意味している。唯一集団戦にまともに対応出来るのはアブレーゴ配下の部隊位のものであり、敵主力への対応は必然的に彼らが担当することになった。

この場で彼らが踏み留まっている間に他の部隊がエリザベートを討てればよし、逃げられれば彼らの敗北である。

陣形の正面にはフェアラインヒルの農騎兵連隊が横隊に展開してその距離を縮めてくる。

「側面に警戒しろ!回り込んでくるぞ!!」

騎兵の突撃は縦隊で行われるのが基本だ。恐らく横隊で接近した後に、左右どちらかに変進して側面を襲撃してくるという腹積もりだろう。

「だ...大丈夫なんだろうな?!」

不安げなロドリゴが語気強く言ってくるが、そもそも襲撃を強行させたのは自分だろうにと、彼は心中に呆れる思いだった。とはいっても、たかだか軽装の騎兵部隊の騎馬襲撃などが陣形を整えた部隊の前に於いては無力だ。

「そう心配しなくてもすぐに終わりますよ」

所詮は偵察や追撃が主任務の軽装騎兵だ。

「弓隊、構え!」

馬の足でもう数歩で弓の射程に入る。

「放て!!」

雨の様に敵騎兵に殺到する矢の雨。敵騎兵は陣形をそのままに襲歩に移る。

(焦ったか、素人め...)

突撃するにしても間隔が開きすぎているし、そもそも歩兵の密集陣形に対して横隊では衝撃力が足りない。

(エリザベート王女の配下であっても所詮は農兵か...)

そう思った瞬間に、彼の横を風切り音が通りすぎた。

「うぐっ...」

小さい苦悶の声を残してロドリゴが地に倒れる。

「は...?」

その喉には弩のボルトが深々と突き刺さっている。

視線を前に戻せば最前に展開していた長槍部隊も次々に射倒されていく。

「クロスボウ...だと...」

農騎兵は最前の部隊と接触する寸前に左右に散っていく。

そのすぐ後ろには、槍を手にした側衛騎馬大隊の突撃縦隊の姿があった。


「全隊、突撃に進めぇっ!」

中央を突破する突撃縦隊の先頭で、リカルドが叫ぶ。

突撃ラッパが高らかに鳴り響き、敵陣へと突入する騎兵達は、敵の防御陣形を薄紙を破るが如く引き裂いていく。

引き裂かれぼろぼろになった陣形に対して農騎兵連隊が騎射攻撃を継続して行い、唯一組織的な防御を敢行していた部隊を突き崩して行く。

リカルド達は敵陣地を抜けると、そのまま南へ南へと進出する。彼らの進む先には、柔らかな背中を晒した傭兵達の姿があった。


遊軍の突撃を受けて浮き足だった敵の姿を受けて、エリザベートは部隊を反転させる。

現状のところ重症3、死者は無し。

(流石は私の自慢の兵達だ)

統制のとの字も無いような、ただ獣が襲いかかる様な追撃を行う傭兵達に対して、彼女らは突撃を敢行する。数が多いとはいえ、熱狂と言う魔法の解けた烏合の衆など相手にもならない。

エリザベートの企図は、包囲攻撃である。

彼我の兵力差は大きいが、ここは関所の目の前である。街道の両脇には小山、そして正面には王都北方防衛線の柵があり、エリザベート達は敵をその場に追い込むだけで包囲が完了するという目論みだ。

現在味方の騎馬襲撃によって敵後方の陣形は引き裂かれているが、そのあと間髪入れずに歩兵部隊による突撃によって敵を撃滅する。

本来であればもっと大規模で激しい戦闘になると彼女は予測していたのだが、しかし実際のところは藪を切り払うかのような一方的な蹂躙である。

「いやいや、これはギルバートもがっかりしていそうですね」

「私としては味方の被害が少なく済みそうで何よりなのだがな」

追撃部隊を反復して襲撃しながら敵兵力を削っていくエリザベート達は拍子抜けしていた。最早こうなってしまえば、歴戦の彼女達からすれば戦いではなく作業でしか無い。

(さっさと終わらせてしまわなければな...)


「まさか我々を利用してくるとはな」

楽しそうに言ってくるアレクサンダーに対して、エルヴィンは大きなため息をついた。

「どうした?腹でも痛いのか?」

「どうしたもこうしたも...これでは王女殿下に荷担させられた様なものでは無いですか!」

関所の後方に置かれた前線指揮所に二人はいた。エリザベートに追いたてられた傭兵が関を破るのを防ぐ為である。

「何を言っているんだ。私たちはあくまで関所破りを追い払っているだけだろう?」

倍の人数の敵を打ち破るだけではなく、おそらくその殲滅を狙っているのだろうエリザベート達は、大胆にも包囲の一翼としてこの関所を使っている。

「そうは言いますが...」

「まあ、練兵の一環に位はなるだろう」

柵を乗り越えてくる傭兵を捕獲、抵抗された時は殺害する。崩れた傭兵達である。味方の被害も大したものにはならないはずだ。

エリザベート達と傭兵との間で戦端が開かれてから一時間とたっていないが、最早組織的戦闘は終了しているようだ。柵を越えてくる傭兵の数も少し増えてきたような気がしている。

「閣下、エリザベート殿下がいらっしゃいました」

「エリザベートが?通してやってくれ」

エリザベート本人が...一体今度は何を企んでいるのだろうかと思う彼は、しかし少し楽しみでもあった。

「失礼いたします兄上」

先の軍使であったオーク族の騎士を伴って指揮所に入ってきたエリザベートの姿は、彼の覚えている妹とは大分違っていた。

なるほど、背の高さや髪の色、面影に関してはエリザベートそのものだ。しかし、かつては王国のために、民のためにと、どこか張り詰めた雰囲気のあった彼女だったが、今のエリザベートは肩の力が抜けたような、それでいてその芯はより一層強くなったようにさえ感じられる。

「随分久しぶりだな、息災そうで何よりだよ」

「兄上もお元気そうで安心しました」

穏やかな兄妹の再会であるが、当の二人を除くこの場の全員が張り詰めた空気を纏っていた。現状敵ではないとはいえ、互いにとって潜在的な敵の指揮官と自軍の指揮官が顔を付き合わせているのだから当然と言えば当然なのだが...

「それで...どうしたんだ?」

「兄上には、話しておこうと思いまして...我々の目的を」

「目的?」

エリザベートからの説明を受けて、アレクサンダーはあらゆる事に合点が行く思いだった。

近衛卿の息がかかっているとされる傭兵部隊も、ミズナラの街を襲った傭兵もきっとエリザベートを王都に近づけまいとするために集めたとすれば納得が行く。彼女自身は未だ傭兵を送った現況を掴み切れていないようだが、近衛騎士団本部の対応や、噂を聞いているアレクサンダーの中では最早確信になっている。

「近衛卿が…まさか奴にそれ程の気骨が残っているとは思ってもみませんでした」

彼の考えを聞いたエリザベートは、その様に言ってはいるものの、心中の怒りを抑えきれない様子だ。

(無理も無い。これでは英雄等では無く、物扱いではないか…)

それに、ミズナラの攻城戦では近衛騎士である側衛騎馬大隊の隊員にも十数名の死者が出たとも聞く。

「分かった!エリザベートの上洛について、私は全面的に支持しよう。この後王都の部隊と戦闘になったとしても、我々は中立を保とう」

「で…殿下?!」

狼狽えるエルヴィンの言葉を手で制して、アレクサンダーは続ける。

「周辺の各軍団にも、詳細は伏せた上で我々の方針を伝える。幸いな事に近衛騎士にはエリザベートの事を神の如く崇める者も多い。全てを、とは言えなくとも同じ様な選択をとる部隊も出て来るだろう」

「宜しいんですか…?兄上のお立場も危うくなってしまうのでは…?」

エリザベートの言葉を、アレクサンダーは首を振って否定した。

「私は法と信念に背くような男では無いと、信じてくれている妹がいる様なのでね」

「兄上…」

老獪な近衛卿の事だ。何かにつけてエリザベートの妨害を行うであろう事は十分に予測できる。普遍のエリザベートに、それを撥ね除けるだけの能力は無いだろう。であればこそ、自分が助けを出すべきだと、アレクサンダーは思う。

兄妹であるからという情の話ではない。いや、兄妹の情が全く介在していない訳では無いが、それ以上にウェスタリアという国家の体制に対する王族としての責任感が、彼にこの決断をさせたのだ。

「議会にも、私の方から可能な限り働きかけておこう…」

狂乱の極みにある元老院を説得する事は難しくとも、多少なり軍事行動を足止めする事くらいは出来るだろう。

「まったく…大きくなったな、エリザベート」

「ええ、十年以上になりますから…」


王都 中央市街地区

ボナンザさんの言っていた通りだ。

傭兵達に屋敷の一室へと連れ込まれた私は、心中に自分の油断を後悔していた。

睡眠薬入りの食事の片付けが終わり、少し時間を潰そうかと庭を散歩しようなどと思ったのがそもそもの間違いだったのだ。

ミシェル達に助けを求めるべきだろうかとも思ったが、今騒ぎを起こしてしまえば今日一日の働きが全て無駄になってしまう。幸い傭兵達はただ性欲任せで行動しているらしく、大人しくしてさえいれば、乱暴にされることも無い。

ミシェルには遠回しに問題ないと伝えておいたし、そろそろ薬も回ってくる頃だろう。

代わる代わる傭兵の相手をするというのも中々体力がいるので、出来れば早く寝こけて欲しい物だ。

「うっ…」

「はぁ…はぁ…終わった?じゃあ…一回退いて?」

傭兵が小さく呻いて私にのしかかって来る。

…重いからあんま体重かけないで欲しいんだけどなぁ

「ねえ…重いよ」

返事が無い。

頬を抓ってみる。

…無反応だ。どうやら漸く薬が効いたらしい。

傭兵の体の下から抜け出して、服を着る。ああ、全身ベトベトで気持ち悪い。お風呂に入りたい。

ボンドガールじゃあるまいし、こんなことした後に働く元気はあまり残ってはいないが、兎に角頑張らなくては…

部屋を出ると、成る程ミシェルの言う通り凄い効き目の薬だった様で、あちらこちらに傭兵達がぶっ倒れている。

「ミシェル、薬が効いたみたい。もう入って来て大丈夫だよ」

木の種が一回振動する。

「私は先に近衛卿の部屋に向かうね」

もう一度木の種が振動した。

近衛卿の部屋の位置は傭兵達から聞き出せたし、鍵を持っている奴の特徴も教えてくれた。屋敷の使用人の雑な採用といい、睦言で機密をペラペラ喋ってしまう事と言い、王国の高級貴族の屋敷がこんな事で良いのだろうかと、他人事ながら少し心配になってくる。

「ユーコさん!!」

「お母さん!!」

傭兵達を束ねているという近衛卿の私兵から、近衛卿の私室の鍵を探していると、ミシェルとヴァニカが走ってきた。

「あ、ちょっと待ってね、こいつから鍵うおっ!」

抱き付いて来たミシェル。お陰で変な声が出た。

「どうしたの?!」

「ごめんなさい…ごめんなさい…私が…私がぁ…」

泣き出したミシェル…一体どうしたと…ああ、そういうことか…

正直自分でも貞操観念ガバガバな自覚のある私と、比較的貞淑なこの世界の人々ではそういう部分の感覚が大きく違うのだ。

私としてはご無沙汰だったし、連中も見た目の割に優しく丁寧に扱ってくれたから割と満足だが、傍から見れば集団レイプの被害者だもんなぁ…。

なんて言って宥めたら良いだろう…イケメンとしかしてないよ?割と上手だったよ?うーん、微妙だ。

「お母さん、ミシェルどうしたの?」

不思議そうな顔のヴァニカ。種からの情報はミシェルしか見る事が出来ないので、当然と言えば当然か…

「ほら、お母さん困ってるから、泣かないでミシェー」

ミシェルを宥めようとしゃがんだヴァニカの表情が変わる。

「ああ、そういう…」

ヴァニカは剣を抜き、目の前の近衛卿の私兵に突き刺した。

「え…ヴァニカ…何して…」

ミシェルの言った通り、刺されても起きる気配は無い。

いやいやいや、それどころじゃ無い!何で?どうしてヴァニカは…

そうか…匂い…!

私の体に残った匂いを彼女は嗅ぎ分けたのだろう。

「お前がっ!お前らがっ!お母さんをっ!!」

今まで見たことも無い表情で私兵の体を切り刻むヴァニカ

迂闊だった。この子にはミズナラの街でのトラウマがあるのだ。あの時に自分がされた様な事を私がされたのだと思ってしまったのだろう。

「待って!やめて!」

ヴァニカを前から羽交い締めにして押さえる。

「離して!こいつらがお母さんを!殺してやる!」

「そんな怖いこと言わないで?お願いだから」

あまり怒らせてしまうと危険だ。このままだと屋敷ごと火の海になってしまう。

ミシェルがすっと立ち上がって、ヴァニカの口に布を当てた。

「おか…さん…ひどいこ…と…ころ…す…」

ヴァニカの全身から力が抜ける。

「眠り薬です…」

「ありがとう、ミシェル」

「いいえ…あのままだと危なかったですから…」

そういうミシェルも、目の前の私兵だった物を憎しみに満ちた目で見下ろしている。

ていうか、私はここから鍵を…?

正直私には直視出来ない状況になってしまっているのだが…。

「ミシェル、鍵どうしよう…」

「いらないです」

「へ…?」

ミシェルの言葉の通りだった。

大木でドアをぶち抜けば鍵なんていらないね!

事情は説明したものの、ミシェルにはそれでもという思いがあるようだ。大分苛立っているので、あまり刺激しないようにしなくては…。とりあえず、ヴァニカを一旦ソファに横たえる。

「ミシェル…えっと…私はほんとに大丈夫だよ?ほら、子供も出来ないしさ」

「そうやってやけくそみたいな事しないで下さい。そういうユーコさんかっこ悪いです」

棘のある言い方だ。別に私だって自棄になっている気は無い。

「…そんな言い方無いんじゃない?」

「違うって言い切れるんですか?はぁ…まあいいです。早く捜し物しましょう」

頭に血が上るというのはこういう事なんだろう。歩き出そうとしたミシェルの肩を掴んでいた。

「何ですか?」

「…何であんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ…?」

「だから、いいって言ったじゃないですー」

パンっと響く乾いた音、ジンジンする掌、頬を押さえるミシェル…

「はぁ?何様のつもりだよ!そんな風に偉そうに…言いたいことがあんならはっきり言えよ!」

ああ、やってしまった。頭の中の後悔の念。しかし剥き出しの感情はもう止まってはくれない。

「なんかあんたに迷惑でもかけた?かけてないよね?何なのほんとにさあ…一回やったぐらいで恋人気取りかよ、気持ち悪いんだよ!」

傷つけたいわけじゃ無いはずの、大切な友達の筈のミシェルの事を、絶対に傷付けてしまうだろう言葉…

「へえ…そうですか…そんな風に思ってたんですね…」

ゴツッと響く鈍い音、血を吹き出す鼻、倒れる私を見下ろすミシェル

「最初は格好いいと思ってましたよ…自分を顧みずに頑張っているのも…」

ミシェルが私に馬乗りになって襟を掴む。

「でも…全部やけくそじゃ無いですか!死んだって良い様な顔して…自分には何も無いような顔して…いい加減にして下さいよ!その度に心配する私やヴァニカちゃんの身にもなって下さいよ!」

「うるさいっ!!あんたに私の何が分かるー」

「分かるわけ無いじゃ無いですか!!」

パンッ…頬が痛い…

「私はユーコさんじゃ無いんです…ユーコさんの事なんて分かるわけ無いじゃ無いですか…ユーコさんだって、私達がどんな気持ちで待っているのかちっとも分かってくれない癖に…それなのに…」

殴られた鼻が、張られた頬が、ジンジンと痛む。

でも、土足で深くまで踏み入られた心の方が痛い。

「そんなの…そんなの知らないよ!私は…」

過去と向き合って…いたんだろうか…

ずっと、向き合った様な顔をして目を逸らし続けて来た。

ヴァニカと出会って、乗り越えた様な顔をして脇に置いて知らん振りをしてきた。

友達の死、旦那の死、赤ちゃんの死…恐怖、悲しみ、虚無感、孤独感に、ちゃんと目を向けられた事がどれだけあっただろう。

多分一度だって無かった。それに浸って、悲劇のヒロインみたいな顔をして、さも乗り越えて前に進んでいるような振りをしたところで、足元を見れば一歩だって動いてはいない。ただ一人で足踏みをしていただけだ。

そう…結局全部偽物だ…

「私だって…私だって…うぐっ…そんなの…そんなこと…ひっぐ…」

どうすればいいんだよ…偽って、目を逸らして、笑顔で、軽々しく生きて…そうでもしなきゃ、私の心は過去の重さに耐えるなんて出来ない。

溢れ出た感情は、剥き出しのそれは、言葉にすらならず私の目から、私の口からただ零れていく。

「そんなの…私に、私に…どうしろっていうの…」

譫言の様に意味の無い言葉を並べる私を、ミシェルはもう一回引っ叩いた。

「しっかりして下さいっ!!貴方はヴァニカちゃんのお母さんでしょう!」

怒鳴りつけられ、引き起こされて抱き締められる。

「ユーコさんに、何があったのか…言葉で聞いただけの私に、分かってるなんて言えません。ただ、ヴァニカちゃんにとってはもう、貴方はたった一人のお母さんなんです。もう、自分自身を切り売りするような事はしないで下さい…」

抱き締められたまま、大声でわんわん泣いた。

過去と向き合えたのかと言われれば、答えは否だ。そう簡単に割り切れるものでも無い。

ただ、自分の事を本気で思って叱って貰うなんて、余りに久し振りで…その優しさに、温もりに、少し救われた様な、そんな気がする。

結構な時間をそうやって過ごして、私が漸く落ち着いてきたのと、ヴァニカが目を覚ましたのは殆ど同じくらいだった。

「んぅ…ん?お母さん…泣かないで?辛かったよね、痛かったよね、でも大丈夫だよ?」

目覚めてすぐに私の涙に気付いて慰めてくれるヴァニカ。

「うん…ありがとう」

そんなヴァニカを、そしてミシェルを抱き締める。

「二人とも…大好きだよ!」


さてさて、そんなこんなで落ち着いた私達は近衛卿の私室の捜索に移る。

作戦は、ガンガンいこうぜ!

何しろ死体は転がってるし、ドアはぶち抜かれてるしで、もう痕跡を気にする必要も無いからだ。

机や棚をひっくり返し、それらしい書類や手紙、帳簿類を片っ端から鞄に詰めていく。

手元の書類に血の滴が落ちた。

「ミジェルー、あだらじいのぢょうだい」

鼻血が一向に止まる気配が無いのだが…折れているんじゃ無かろうか…

「ああ、はいはい」

鼻に突っ込んであるコットンをミシェルが交換してくれる。ぶん殴った張本人とは思えない程優しい手つきだ。

「折れでない?」

「骨は大丈夫そうですけど…ちょっと待っててください」

そう言って取り出した薬瓶にコットンを浸すと、それをそのまま鼻に突っ込んで来るミシェル。

ピリピリ痺れる様な感覚がする。

「これは?」

「血止め薬です。本当は副作用が強いので余り使いたくなかったんですけど、鼻の奥の血管に傷がついてしまっていたら危ないので」

止血剤ということだろう。戦争映画で傷口に粉をぶっかけているのには見覚えがある。

「これでもまだ溢れて来るようなら言って下さい」

「あい」

両鼻にコットンをぶち込まれているとどうしても言葉が間抜けになってしまう。

「お母さん、ミシェル、この奥なんかあるよ!」

壁に付けられた本棚の前でヴァニカが言う。

ふふふ、こういうのは私の領分だ!

「隠し扉だね、多分どれかの本をー」

ドゴンっという音とともに、本棚が木っ端微塵に砕け散った。

ぽんっと鼻からコットンが飛び出す。あ、凄いもう鼻血が止まってる!

見れば、さっきドアをぶち破った大木が根っ子を足のようにして立っている。どうやらそのぶっとい枝で本棚を破壊してくれたらしい。

うん、これは学校で習った。エントっていう木の魔物だったはず。森の中に住んで木々を守って暮らしているということだったが…

「えっと…ミシェルのお友達?」

「木の精霊に一時的に宿って貰ったんです」

成る程、いざ戦いになっても大丈夫だと自信満々だったのはこれが理由か!

木の精霊とやらについて謎は深まったが、目の前の謎解きはパワープレーで解決された訳だ。

無残に砕け散る本棚の後ろには下へと続いていく隠し通路があった。ははは、脳筋って怖い。

三人でゆっくりと通路を降りていく。頼れるエント君はデカすぎるのでお留守番だ。

一番下まで辿り着くと、どうやら地下牢になっているようだ。端的に言って非常に臭い。よく自分の部屋のすぐ後ろにこんな空間を作ろうと思ったものだ。

空の牢屋が並び、一角には何に使うのかペンチや鋏、よく分からない器具が置かれている。想像力には休んでいて貰おう。

「あそこ、誰かいる!」

ヴァニカが指差す方を見ると、ぼろぼろの服を着た囚人がいた。

「どう思います?」

「敵の敵って事だろうけど…味方とは限らないよね…」

とはいえ、まずは何者かを確かめる必要はあるだろう。

「二人は少し距離をとって戦える準備をしておいて。私が話をしてみる」

「またそういう…」

「この中で戦う力が無いのは私だけでしょ?あくまで合理的に考えた結果、誓って自棄になってるわけじゃ無いよ」

「まあ…それなら…」

二人が準備を整えたのを確認して、私は囚人に歩み寄った。

髭も髪も伸び放題、全身傷塗れなのは拷問でもされたのだろうか?

「ちょっといいかな?」

返事は無い。が、ぎょろついた目が私の方を向いた。意識はあるようだ。

「こんなとこで何してるの?」

「…関係無いだろう」

取り付く島もないとはこのことだ。

「酷い怪我だね、近衛卿にやられたの?」

「…さあな」

一言残して後ろを向いてしまった。

「話をしてくれたら、ここから出してあげられるんだけど?」

無言…時間の無駄だろうか…

「…何が聞きたい」

もう行こうと思ったとき、遂に囚人が興味を示してくれた。

「とりあえず…何者?」

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