賢しき者
王都 市街地区
昼前の王都は、普段であればもっと活気のあるものだが、第一王女エリザベートが軍を率いて王都に迫りつつあるという今この時においては、その喧騒も些かなりを潜めているかのようであった。
人こそある程度出歩いているとはいえ、その人々も何処となくぴりついた雰囲気を醸し出している。
市中を巡察する警衛の数も普段の倍近い人数であり、密偵の潜入を警戒しているのか、騎士団や私服で巡回する警衛配下の地廻り達も目を光らせている。
彼等もまさか異界人と魔女と恵みの子が密偵として忍び込んでいるとは思わないのだろうと、ジナイーダは小さく微笑んだ。
昨夜の出来事を経て、あの賢しい異界人はどう動くだろう。
自分の事を殺しに来るだろうか?
自分の事を恐れてこの街から逃げ出すだろうか?
全てを投げ出して自暴自棄になるだろうか?
いや、どれも違うだろうな、と彼女は思う。
情の深い彼女が、勇気ある彼女が、そんな選択をとるはずが無い。
かつてクロマツの街で起きた事件も、伝え聞くエリザベート王女との旅の顛末も、その確信を縁取りしているとさえ思えるほどにさえ感じられる。
一体彼女はどの様に動くだろうか...楽しみだ...本当に...。
そんなことを考えながら、ジナイーダはハーブティーを飲んだ。
悪くはないが、やはり昨日味わったあの味には程遠い。
年を取ると懐古趣味が加速してしまうなとも思うが、その懐古の念こそが今も自分を生かし続ける情念の源であると言うことは十分に理解していた。
彼女の正面の席に、この小洒落た店には似つかわしくない、みすぼらしい装いの男が座る。
「あら、来たのね...」
「昨夜、エリザベートの仲間に接触したと聞きましたが...」
まあ、気がつくだろう。あれだけ解放したのだ。
「流石、お耳が早いこと...」
「一体何をなさっていたので?」
流石に話まで聞かれた訳では無いらしい。恐らくは力の解放の痕跡を追ったら彼女らのもとに行き当たったと言うことだろうと、ジナイーダは思う。そもそも、自分に気付かれずに尾行を出来るだけの知恵は彼らに期待すべくも無いとも。
「ふふ、お得意様が居たからちょっとお喋りしただけよ?」
「あの者達にはまだ手を出さぬようお願いしたはずですが?」
彼女らに手を出すことで、エリザベートに無用の警戒を抱かせない為だと言っていたな、と思い出す。
「あら、お願いを聞くとは言っていなかったと思うのだけど?」
「聞いていただけないのなら...」
「あら、貴方達に何か出来るのかしら?」
押し黙る男に、ジナイーダは小さくため息を吐いた。
なぜこうも彼らは自分を楽しませてくれないのだろうか?
とはいえ、今は彼らと距離を置くわけには行かないのだが...
「...我々は常に貴方を監視していると言うことを呉々もお忘れなきように」
苦し紛れの捨て台詞を残して男は店を後にする。
やはり、今この時において自分を楽しませ得るのは異界から来た彼女しか居ないのだろうか...
誰よりも情に厚く、誰よりも勇気に溢れ、そして誰よりも異常な彼女しか...
王都北方稜堡 北方約5km地点
昼夜を問わず南北から襲来する斥候は、時を経る毎にその大胆さを増していく。
(調子にのりおって...)
迂闊に手を出せるような政情であるとはいえ、敵兵士が自陣付近に跳梁跋扈していると言うのは気分の良いものではない。
「まあまあ、そうイライラしても何も変わりゃしませんぜ?」
苛立った様子のロドリゴに、傭兵部隊を率いるアブレーゴがマットに寝そべったまま言う。
王都圏一の剣豪と名高い男だけあって、この状況下でも特段焦る様子もなくその余裕を崩すことはない。
英雄と名高いエリザベートを討つために、傭兵達の中でこの男だけは計画の全てを知らされている。
「だが...本当に大丈夫なのだろうな?」
斥候を見逃すと言うことは、此方の情報をそのまま敵に情報を渡してしまうことにもなりかねない。
「どのみち、お互いに情報は丸裸の状況で戦わなくてはならんのですわ、それなら精々一生懸命無駄な労力を費やして貰おうじゃありませんかってね」
そう言ってのけたアブレーゴは事実、今日の斥候の派遣は最小限に留めている。
どのみち、敵の規模と進路を考えれば予定戦場に姿を現すのは自明であると言うことだ。
此方が目立った敵対行動敵対行動さえ取らなければ、エリザベートの軍は無防備な行軍縦列の横腹を晒しながら街道を行くしかない。その横腹を急襲して、乱戦の最中にアブレーゴがエリザベートの首をとる。奇襲と先制の利が此方にある以上、現況を敵に知られたとしても特に問題は無いと何度も説明を受けてはいたものの、どうしてもロドリゴは不安を拭いきれなかった。
そもそもが聖堂出身のロドリゴは、この歳まで戦場に出たことがない。本来であれば今回も現地に来る予定では無かったのだが、極端に情報を秘匿せざるを得ないこの状況のせいで、こんな所まででばってくることになってしまった。
それでも、今回の作戦には絶対の自信があった。
傭兵一部隊に匹敵するだけの金を積んで引っ張ってきた切り札であるアブレーゴ
政局敵に緊張状態に置かれるであろう近衛軍団屯営近くへの布陣と、この部隊が近衛卿の息のかかった部隊である可能性を示唆する風雪の流布
東部辺境で多大な戦果をあげた傭兵部隊の起用
数え上げれば切りが無いほどの事前準備と根回しをしてきている。急拵えで兵数を揃えただけだったカールと違い、エリザベートが自分の領地で準備をしていたのだろうと予想されるのと同じ時間、彼もまた準備を進めてきたのだ。
この戦いにおいて、最高の栄誉を受けるのは彼の主人である近衛卿であろうと言うことは、彼ももちろん理解している。ただ、彼自信もこの計画の立案者にして実行者であるという栄誉をえて、より一層の栄達への道が開けるであろう事を思えば、慣れない戦場に出ることも苦にならないとも思っている。
生来欲の強い男である。それは聖職者であった頃から何も変わらない。
そんな彼が自身の揚々たる前途を思い意気を奮い立たせていると、少数の騎馬が街道を駆けて行くのが見えた。
エリザベート王女の軍旗を高く掲げて騎行する彼らが纏うのは深紅の長外套。
最強の騎兵として名高い側衞騎馬大隊の騎士だ。
そんな彼らを率いる様に先頭を行くのは、フェアラインヒルのチュニックを纏った、堂々たる体躯の騎士
軍旗の先端に軍使を示す緑の吹き流しを着け、堂々たる姿で進んでいく。
「お...おい、連中を止めろ!」
ロドリゴは慌ててアブレーゴに言う。
「いや、冗談でしょう?軍使ですぜ?」
確かに軍使に対する攻撃は戦場の不文律として禁じられている。
だが、嫌な予感がする...
「いいから早くしろ!!」
「どうなっても知りませんぜ?」
渋々といった様子で近場にいた部隊に攻撃を命じるアブレーゴ。
弓兵に援護された20人余りの騎兵が敵に襲いかかる。
騎士達は傭兵を軽く一別すると、馬に拍車をかけて加速する。
後を追う此方の騎兵も負けじと加速するものの、そもそもがノードベイスン産の名馬を駈る側衞騎馬大隊と、たかが傭兵の仕立てられる軍馬である。勝負になどなるはずもなく、その差はどんどん開いていく。
いや、軍馬の差は勿論だが騎手の差が目を見張るほどに大きい。
盾で旗手と大柄な騎士を守りながら、馬を狙った矢を踊るように避けていく。
結局、軍使を攻撃したと言う不名誉を残したまま、一騎すら倒すことなく逃げ切られてしまった。
「撤退のラッパを吹け、これ以上深追いすると近衛騎士に俺たちがすりつぶされちまう」
今このタイミングで軍使を出す理由は一体なんだ?
その理由こそ分からないものの、とんでもないことになるのではないかという懸念は、ずっと消えないままだった。
王都北方稜堡
エリザベートからの軍使が来たと言う報告を受けたアレクサンダーが最初に思ったのは関所の無害通過協定でも結びに来たのではないかと言うことだった。
「どうしますか?」
「どうするもなにも、会わないわけには行かんだろう。それにたったの5騎で敵中を突破してきた豪胆な者達なら私も会ってみたいしな」
エリザベートの武辺好み程ではないにしろ、彼も勇敢な騎士に会うのは好ましい事だと思っている。
「お前の弟も来ているのだろう?」
「ええ、まあ長いこと会ってはいないですが」
エルヴィンの弟は側衞騎馬大隊にて副隊長を勤めているのだと言う。
因果なものだと、アレクサンダーは思う。
彼自身、妹であるエリザベートの率いる軍と向き合っているし、そもそも近衛軍の精兵が集められている側衞騎馬大隊に嘗ての戦友がいるという者も多い。
それを思えば、この軍使が穏便に事を進めようという趣旨で送られた者で有ることを祈るばかりである。
敵の襲撃を無傷で逃げ切ったと言うのに不機嫌そうなギルバートは、戦わずに逃げると言う選択が相当嫌だったのか、大分不機嫌そうな顔をしている。
「おいギル坊、いいじゃねえか、どのみちこの交渉がうまくいけば思う存分戦えるんだからよ」
「そりゃまあそうですけど...ここ最近ずっと戦って無いんでうずうずしてるんですよ」
「いやいや、ほんとに君は戦うのが好きだなぁ...」
「そりゃそうですよ、戦うのが嫌いだったら殿下のところに来ようなんて思わないでしょう?」
そりゃそうだと笑い合いながら、一行は近衛軍第三軍団長であり、エリザベートの兄でもある第一王子の到着を待っていた。
待った時間はほんの数分、多数の幕僚を率いた第一王子がやってきた。
金色に輝く髪は、国王に似ているとされている。
引き締められた顔貌は、しかし笑顔の方がよく似合いそうな、それこそエリザベートと同じように優しげなものだ。
なるほど、実の兄妹なのだなとオドゥオールは思う。
「成る程...オーク族の騎士殿とは...いやはや羨ましい妹だ」
「ルオンゴ氏族のオドゥオール、フェアラインヒル公爵家にてグラントフィシエを拝命しております」
「ふむ...軍使殿と言うことだが...どの様なご用件かな?」
あくまで口調は穏やかだ。しかしその言葉には圧倒的な威厳の様なものが感じられる。
流石は傑物揃いと言われる七兄弟にあっても万能の天才と謳われ、最も王位に近いと言われる男だと言えるだろう。
「はっ、我が主である公爵閣下より、王国法の認識に関する確認に参りました」
「王国法の確認...?」
意外な話である。本来であれば通行の許可でも求めてくるものだと思っていたのだが...やはり面白い妹だと、アレクサンダーは心中に苦笑する。
「まず第一に、急迫不正の権利の侵害行為に対しては万民にそれを打ち払う権利がある。これは今この場に於いても適応されうるか」
「王国法に於いて定められた基本の権利だ。国王陛下による戒厳が発令されたとしても、その項目が指定されて効力が失効されない限りは適応されるもの...私の認識はその様なところだ」
王国法の根幹を成す基本的な部分だ。それを一軍団指揮官である自分がイタズラに無視することはできない。
「第二に、公爵領の戒厳に於ける国王陛下への奏上はその発令者が行うとされていますが、執政によって発令された戒厳を途中から領主が引き継いだ場合、その奏上を領主が行うことは出来るか」
「と言うより、そのような場合は領主自身が奏上に上るべきだと私は考えている。執政による戒厳の発令権は領主の統治権を代行するものであるからだ」
これは、エリザベートの現状の合法性の確認であろう。
「第三に、領主の移動に際して危険が予期される場合、その危険を排除できるだけの戦力を伴うことができる。これは上洛に於いても適用され得るか」
「適用されるだろう。直参の騎士であれば王宮まで、陪臣の騎士であれば第一城壁まで、一般の兵士であれば中央市街地区まで同行が許される」
なるほど、読めてきたと彼はにやつきそうになるのを必死でこらえていた。
どうやら腹芸が苦手な所は相変わらずらしいし、真面目な所も変わっていない。
「最後に、この稜堡の北に屯する傭兵は王国軍の軍法に規定される王国軍兵士か否か」
「軍法の規定に照らすまでもない。あの者達は王国軍の兵士ではない。只の傭兵だ」
これは恐らく、あの傭兵部隊が攻撃してきたらこの稜堡の目の前で叩き潰すという宣言だ。
なるほど、軍を引き連れたエリザベートが敵を撃破しながら王都へ向かう。そこになんら違法性は無いということを示してきたのだろう。
王国は法治国家だ。宮廷闘争や、恐怖心によって彼女を廃することはできない。そう釘を刺す意味合いがあるのだろう。
本当に愉快だ。顔に出すことはしなくとも、元老院の前に進まない恐慌や、どろどろとした宮廷闘争に疲れたアレクサンダーからすると、あくまで法に則って此方を説得しようというエリザベートの生真面目さがとても心地よくさえ感じられた。
「成る程、貴公らの言いたいことは分かった。だが、今は非常時だ。我々の介入を王宮も元老院も咎めはしないだろう。この場で話した王国法の議論は議論として我々が介入をしないと言う保証はあるまい。それで構わないのかな?」
これは単なる興味だ。自分だったらこの返答を得たとしても安心することなど出来ないだろう。
「ああ、それに関しては主から『兄上は法と信念に背くような方ではない』との言葉を頂いておりますので、特に心配はしておりません」
「ふふ...ふふふ...ははは、あーはっはっは...そうか、エリザベートがそんな事をな...」
もう十年以上会っていない自分に対してその様な信用を向けてくれるとは...いや、あの妹なら十分有りうる。それを思うと笑いが止まらなかった。
「いや、失敬...だが、信じてくれているとはいっても、証があった方が安心できるだろう」
そういってアレクサンダーは手元の羊皮紙に、法を順守している限り、如何なる状況にも第三軍団は介入しない胸を書き記し、署名と封蝋を施した上でオドゥオールに渡した。
「それと、全ての事が穏当に済んだら兄妹でゆっくり話をしようと言っていたとエリザベートに伝えておいて貰えるかな」
「はっ、きっと主も喜ぶでしょう。では」
使者達が去っていくのをその場で見送った彼にエルヴィンが怪訝そうな目を向ける。
「なにか言いたげだな、どうした?」
「いえ...ただ、よかったのですか?」
「ああ、その事か...大丈夫だ、あいつは結局何も変わっていなかったようだ」
そう、不器用で真っ直ぐな...子供の頃から何一つ変わっていない。
議会にて聴くエリザベートの声はどうやら歪んでいる様だ。となれば、そんな魔窟に戦いを挑もうと言う妹の事を信じてみても良いのではないかと彼は思う。
そう、血を分けた兄である自分くらいは信じたって良いだろう。
王都 中央市街地区
「この薬はそのままではただのおいしい粉です。なので必ず鍋のなかに入れて熱を加えてください」
ミシェルから特製の眠り薬を受けとる。なんでも遅効性で体内のマナの流れの速さを強烈に遅くして深い深い眠りをもたらすものなのだという。
接種してから概ね二時間で効果を発揮して、その後半日は殴られようが刺されようが絶対に目を覚まさないとのことだ。
えっぐい効き目だが、植物由来でボタニカル、おまけにオーガニックの体に優しい成分(当社比)で、安心してお使いいただけます(自社調べ)
「おっけい...あ、ほんとにおいしい!」
舐めてみたらミシェルの言う通り美味しい粉だった。この部分に関しては私の注文通りだ。
「その...美味しくする必要あったんですか?」
呆れた顔をしてミシェルが聞いてくるが、全く分かっていない。
「よく考えてごらんよ、もし忍び込んだ先で荷物を改められたり、薬を入れるところを見られたときに薬っぽい味だったらそくアウトでしょ?でも、美味しい粉だったら調味料とかいって誤魔化せるでしょ?」
特にここは王都だ。珍しい交易品が入ってくる事も多いし、東方交易路から入ってきた新種の調味料とでもいっておけば疑われる事もないだろう。
「なるほど...そうですよね、よく考えたらずっと姿を隠している訳じゃないですもんね」
「ほんとだ!すっごいおいしい!」
鼻のいいヴァニカですらおいしいと感じるのならば、普通の人間がこれを薬だと見抜くことはまず無いと思って大丈夫だろう。
ん?そういえば...
「ヴァニカが食べちゃったけど...大丈夫なの?ほら、精霊の熱とか...」
「大丈夫ですよ、色々調べましたけど、精霊の熱はヴァニカちゃんの方には向かないみたいですから」
まあ、そりゃそうか...あれだけの炎の中に居たのに、火傷どころか水ぶくれ一つも出来ていなかった。精霊達はヴァニカの事を大事に思ってくれているみたいなので、彼女が傷つく様な事をするわけも無いか...
「あ、そうそう!これを持っていって下さい」
「これは...木の種?」
渡されたのはミシェルお馴染みの木の種だ。
「はい、それを持っていてくれていれば、私に種から音も聞こえますし、景色も見えますし、こっちから簡単な信号も送れるんですよ!」
「はえー、便利」
無線機の様な物だろう。狼煙、手旗、伝令が通信のメインなこの世界にあっては、機能が限定的であっても非常に協力なアイテムだ。
「ユーコさんからの質問にはいって答えたいときは一回、いいえの時は二回、分からないときは三回振動させますね」
ミシェルが言葉に合わせて種を振動させる。携帯のバイブより少し弱いくらいだ。五月蝿くて怪しまれることも無さそうだ。
「もしなにかあったらすぐに言って下さい、屋敷の中にある種とか植木を使ってすぐに助け出しますから!」
「あたしもすぐに助けにいくよ!」
「二人ともありがとう。それじゃ、行ってきます!」
私には数多のスパイ映画を観てきた経験がある。大丈夫だ、行ける!
自分の心を奮い立たせながら、近衛卿の屋敷へと歩き出した
正直大分びびっていたのだが、屋敷への潜入はあっさりと済んだ。
現在近衛卿の屋敷は深刻な人手不足で人材大募集中!
料理ができると言ったらさくっと厨房に案内された。うん、ブラック企業もビックリのざる採用だ。
屋敷内には武装した人間が大勢屯していた。それはミシェルから聞いていた通りだ。
鎧や武器についてはよくわからないが、それでも何となく高そうな装備だというのは分かる。しかし、その装備にはエリーの所の正規の軍隊にあるような統一感はなく、各々が着たいものを着ているといった様子だ。
それに、ガワだけではなく具も異質だ。しっかりとした兵隊は皆なんというかピシッとしている印象を受けるが、この連中はなんというか嫌な...ミズナラの街のならず者たちのような雰囲気がする。
すごく、感じ悪い!
そんな連中の脇を通り抜け、厨房に入った私は早速食事の準備に取りかかる。
時刻は昼の一時、晩御飯の仕込みはもう始まっている。
何せ人数が人数なうえに、人手不足も深刻だ。
大量の肉、野菜、調味料!
今夜のメニューはシチューだって!!
ちなみにシチューと言っても日本で食べてきたような美味しいシチューとはひと味もふた味もちがう!
なんていうかごった煮?
はじめてこっちに来たばっかりの時にシチューと言われて大喜びで食べたらちょっと吐きそうになった事もあったなぁ...いや、美味しくない訳じゃ無いけどさ...日本で食べたシチューを期待してると大幅に下回ってくるんだよ...
兎に角、まずは野菜の皮剥きだ!これ...今日中に剥き終わるんだろうか...
ザ・ベテランといった感じのおばちゃんと二人で作業に取りかかる。
「お、あんた確か初めてだね」
「あ、どうも...クヌギの街がらきだユリアって言いますぅ」
「ああ、あたしはボナンザだよ、よろしくね」
豪快な様子は頼れるベテランって感じだ。事実、こうやって話している間に芋を二つも剥き終わっている。早すぎやしませんかボナンザさん...
「そういえば...このお屋敷、こんなにおっぎいし、すっげえ貴族様のお屋敷なのに、なんでこんなに人が少ないんです?」
「ああ、あの連中のせいだよ...あんたも見ただろ?立派な鎧を着たチンピラみたいな連中」
「あの人たちは何なんです?」
「お館様が連れてきた傭兵だよ。何でも騎士様や護衛さんじゃあ手が足りないんだとかって言ってたけど...乱暴だし行儀も悪いあの連中のせいでみんな辞めちまったのさ」
傭兵...立派な装備はこの館の主に買い与えられたものだろうか?
素行の悪い傭兵で一杯のお屋敷...逃げ出したくなる気持ちもよく分かる。
「あんたも気を着けるんだよ?あの連中若い女とみると部屋に浚っていっちまうんだから」
うわぁ...怪しまれないように拳銃を置いてきてしまったのだが...大丈夫だろうか?
どうにかこうにか作り上げたシチューに、篝火の魔女謹製の眠り薬をぶちこむ。
ばれないようにこっそりと仕事を終えて、ボナンザさんの所にいく。
「ふぅ...あんたやるねぇ」
「そんなそんな...そういえばお館様もシチュー食べるんですか?」
もし近衛卿が違う食事をとると言うことなら問題だ。
「たまに摘まむくらいだねぇ...まあここ最近は夜も帰ってこないことも多いけどね」
もし、私たちの求める情報があるとしたら、近衛卿の私室だろう。出来れば部屋に入る可能性がある者は残さずに眠らせておきたいのだが...
「今日はお館様は...?」
「どうだろうねぇ...朝早くに議会に出掛けていったっきり戻ってくる様子も無いしねぇ...」
危険はあるだろうが、戻ってこない方に賭けるしか無いだろう。
さて...この後配膳をしてから二時間、近衛卿が戻ってこない事を祈るしか無いだろう。
王都北方稜堡 北方約8km地点
行軍序列を保って堂々と行軍する側衛騎馬大隊が、中央街道を進んでいく。
その数は概ね200人程度、その先頭は美しい銀の髪を靡かせるエリザベートだ。
「おい、早くせねばまた逃してしまうぞ!」
ロドリゴはそう言って急かしてくるものの、その過小とも言える兵力をアブレーゴは訝しんでいた。
エリザベート王女が率いる部隊の総兵力は合わせて5000人程度だ。対して此方は8000人、危険なこの場を通過しようと言うのに余りにも兵力が少なすぎる。
斥候の報告によれば、昼間のうちに全兵力が集結を果たしたのだと言うが...
「今回の襲撃は...中止した方がいいんじゃないですかね?」
「何を言う!怖じ気づいたのか?奴はたったあれだけの供回りで進んでいるのだ。これは好機ではないか!」
理由をこじつけるのであれば、全軍での関所通過を認められなかったというところだろう。それか王都を無用に刺激しないようにと言う配慮からか...理由は無理のない物を容易に想像出来るが、同時にそこに確信を持てないと言うのも事実だ。
だが反面、ロドリゴの言う通り好機であるとも、アブレーゴは思う。
何しろ、行進体形の横合いに全隊で襲撃する好機でもあるのだ。
(仕方無い...)
不安は確かに残る。だが、戦場に於いては何の懸念も残さずに進める事の方が稀だ。
「全隊、掛かれ!」
アブレーゴの号令一下、傭兵達は獣のごとく街道に殺到していく。
戦端は、今開かれたのだ。
街道の左右から怒濤の如く押し寄せるする大部隊の雄叫び。
空を切り裂き降り注ぐ矢の雨の中にあっても、エリザベート達は実に落ち着いていた。
何しろこの状況は彼女らの作戦計画の一環であるからだ。
近衛第三軍団から通過の承認を得た以上、側衛騎馬大隊独力の突破であれば、そもそも正面からの戦闘を行う必要はない。
だが、この部隊には練度において劣る農騎兵連隊、機動力に劣る歩兵部隊も同行している。今後の王都とのやり取りに於いてどのような状況が生起するか分からない状況にあって、彼らをこの辺りに残置して前方に進出する訳には行かない。
それに現時点では統制を保っているとはいえ、所詮は傭兵である。エリザベートを討ち取ると言う目的を果たせずに終わったときに周辺の村落に害を与えないとも限らない。
故に彼女らはこの場に於いて傭兵部隊を殲滅することを決定した。作戦に於けるこの200人の役割は囮である。
稜堡方面に向けて馬を走らせる彼らは、側衛騎馬大隊から選抜された最精鋭200人である。
飛び来る矢をかわすしつつ、突き込まれる長槍の穂先を切り落としつつ逃げ回るエリザベート一行。
その遥か後方で、喇叭の音が鳴り響いた。




