思いの有り様、勇気の在処
王都 中央市街地区
「うーん…ちょっと厳しいよね…」
準備自体は非常に順調だった。
王都の各所に目となり、いざというときの兵士とも成る木の種を仕込んだ私達は、しかし状況の厳しさに頭を悩ませていた。
近衛卿の屋敷は夜遅くまで多くの人が出入りし、夜間の警備は厳重である。刺客達は王宮の中に潜み、更にはエリー達の出発を察知してか市内の警戒も厳重なものとなった。
賢者と第二王女の動向こそ掴めなかったものの、現時点で最低限得なくてはならない情報は手に入った。
あとは、近衛卿の屋敷に忍び込むだけなのだが…
「魔法で透明になったりとかって…」
「そんな便利な事できる訳ないじゃないですか」
だよなぁ…魔法学校の映画みたいには行かないと言うことだ。あのマント欲しいなぁ…
どうにかして忍び込む方法は無いものだろうかと頭を悩ませていると、ミシェルが何かを思いついたように手を打った。
「薬で眠らせるってどうでしょうか」
「うん、大分大勢いるからなぁ…それこそ日が暮れちゃわない?」
この世界の魔女は魔法でドーン!以上に調剤に長けているが、それでもその薬を飲ませるのが難しいので、どんなにいい薬があったとしてもどうにもならないだろう。
「屋敷を燻して眠らせるって方法もありますよ?」
「周辺に被害って出ない?それに煙がもくもく上がってたら目立つんじゃない?」
バルサン作戦…騒ぎになってしまえば侵入できたとしても、逃げるまでに包囲されて御用だ。
「そうですよねぇ…飲ませるのが一番なんですけど…」
「そうだよねぇ…あっ!!」
そうだ、そうか!
「そうだよ、飲ませればいいんだよ!」
「ん?」
「いっぱい人がいるんなら、忍び込んで食事に薬を混ぜればいいじゃん!」
木を隠すなら森の中、人を隠すなら家の中だ!
「え゛っ…忍び込むって…屋敷の中にですか?…危なく無いでしょうか…」
「大丈夫だって、あれだけ大勢いるんなら一人ぐらい知らない奴が混ざってたってばれないよ!」
こちらの身元がばれないように変装する準備に時間がかかっても、明日の夕食か夜食に薬を紛れ込ませられればよし、それが駄目でも14日に使者が来るまでの間にもう一日トライできる。
「それで…誰が忍び込むんです?」
「んー、順当に考えたら私じゃない?」
ミシェルは周辺の警戒があるし、ヴァニカには少し難しいだろう。
「異界人ってばれちゃいませんか?」
「大丈夫、しっかり変装するから」
この国は地球でいうところの白人ばかりだが、それでも外でよく働く人達はそこまで真っ白な肌という訳では無い。ファンデーションでごまかせる程度だ。
あとは、真っ黒な髪の毛は目立つのでカツラを被って誤魔化す。
服装も召使い風のものを揃えるのは簡単だろう。
「それじゃあ、明日は準備だね…もう休もっか」
既に日を跨いでいる。今日は大分歩いたからもう眠い
「分かりました」
もうすっかり眠りこけているヴァニカの隣に横たわる。
作戦が上手く行ったとして、私はこの子と暮らして行けるようになるのだろうか…
いや、むしろ大々的に成功に関わった事が公になってしまえば、渡航資格剥奪からの強制送還で、きっと二度とヴァニカに会うことは出来なくなってしまうかもしれない。
その事は常に頭の片隅にあった。
それでも私は自分の意志でこの場所にいる。私とこの子の今後には恐らく悪影響にしかならないであろうこの場所に…
こんな無責任なことをして、よくこの子の母親を名乗れたものだと思う。本当にろくでもない、私って奴は…その自覚はある。
せめて、エリーの計画が成功裏に…いや、被害を最小にして終わらせる古都が出来れば、ヴァニカはきっとエリーの元で幸せに暮らしていけるだろう。
そう思えば、少しは希望も見えてくる。失敗さえしなければ、きっとヴァニカは幸せになれる。それでも
「ほんとは…ずっと一緒にいたいんだよ…?」
ヴァニカを優しく抱き締める。
その小さな体から伝わってくる鼓動が、体温が、全力で生きようとするその力強い命の証が、私の何度も何度も繰り返した暗い思索を振り払う。
そうだ…そうやって、はじめから諦めてどうする…まずはやれるだけの事をやろう。
この先もこの子の母でいるための方法は無いわけじゃ無い!
例えそれが、走っているバイクから一本の針を拾い上げる程の困難な、一見不可能に見える方法だったとしても…
正化8年8月12日
王都 北方稜堡
息も絶え絶えに辿り着いた伝令は、エリザベート王女麾下部隊主力の進発を伝えると意識を失いその場に倒れた。
臨時に逓伝哨を複数設置してはいるものの、この伝令は馬のみを代えてここまで只管に駆けて来たらしい。それだけ斥候長はこの情報を重要視していたという事だろう。
その内容はいち早く齎された烽火台からの速報を裏付け、補強するものである。
概ね五千人程度の兵力を3分して進軍してくる歩騎混成部隊は、先行する部隊の後方を進出している。
予測進路は王都方面…即ちこの北方稜堡正面に向かっている。
部隊の規模としては王都への侵攻という可能性は低いだろうが、元老や国王シンパの暴発の可能性を考えると予期せぬ戦闘が生起する可能性も十分に考えられる。
「各軍団にもこの旨を伝えておいてくれ…それと、前哨にはくれぐれも軽挙妄動を慎むように改めて釘を刺しておくように」
「はっ!」
駆け出して行った副官を見送り、アレクサンダーは溜息をついた。
「殿下、その様な顔をなさるものではありませんよ?」
「そう言うな…兵達の前ではしゃんとするさ」
主席補佐官のエルヴィンにたしなめられるも、どこ吹く風といった様子のアレクサンダーである。
そもそもこの二人は幼少期からの付き合いであり、アレクサンダーもエルヴィンに対しては何一つ繕うこと無く話が出来る。
「そういえばだが…近頃よく報告にあがっている傭兵については何か掴めたか?」
数だけで言えば、エリザベートの部隊を凌ぐ規模の傭兵が屯しているという報告は暫く前からあがっている。
「いえ、今のところ目立った動きは無いですね…ただ、近衛卿の配下がしきりに件の傭兵と接触をしているとの噂があります」
「キナ臭いな…連中に関して騎士団本部は何か言ってきたか?」
「再三に渡って指示は仰いでいるのですが…」
「返答無し、か…」
謀に長けたゴドウィンの事だ、また何か良からぬ事を企んでいるのだろうと思うとアレクサンダーは思う。
かといって何か証拠があるわけでも無いのが苦々しいところだ。
「傭兵と言えば…ミズナラの街で暴れたのも傭兵だったな…」
「そうですね…あの連中も今のところ誰に雇われていたのかはっきりしないとか…」
エリザベート麾下の側衛騎馬大隊とノードベイスン兵を中心とした部隊によってほぼ消滅と言って差し支えないほどの損害を受けた傭兵の大部隊、その生き残りから、雇い主に関する有力な情報は未だ引き出せていないという。
「仮にあの老人が糸を引いているとしたら、その動機は何だと思う?」
「仮にの話ではありますが…王女殿下との反目…でしょうか?まあそもそもあの熱狂的なエリザベート殿下シンパが、とはいまいち考えにくい事ではありますが…」
「確かにな、だがあれだけの部隊を雇える貴族となると、この国にも数える程しかいないというのも事実だ」
仮にミズナラの傭兵と今回の傭兵の雇い主が同じだとすれば、自由に動かせる資金で一万人以上の傭兵を雇える者に限られる。
辺境地帯であればそれなりに思い当たる節はあるが、王都圏においては片手の指で足りる程だろう。
「諸侯の連合という可能性もあるのでは?」
「いや、諸侯が共謀してそれだけの金と兵士を動かすとなれば元老院が黙っていないだろう。今のところ議会にもその様な報告は無いしな」
諸侯の監察は元老院の職権である。少なくとも王都圏諸侯にその様な兆候は無い。
「面倒だ…エリザベートが来る前に磨り潰しておくか?」
「そうしたいのは山々ですが、今のところ周辺に屯しているだけですからね…戦乱を予期して商売の為に集結しているだけだと言われれば手出しも出来ないでしょう」
周辺の治安が悪化しているわけでも無く、ただいるだけなのだ。逆に質が悪い
「全く…本当に厄介ごとばかりだ…」
王都 中央市街地区
「お母さん、可愛い!」
「ほんとによく似合ってますよ!」
二人に褒められるのは悪い気はしない。しないのだが…
「うん…でもなんでこんなひらひらのドレス着させられてるわけ?」
使用人に変装するための古着を買いに来た筈なのだが…
「折角なんですから、色々見た方が良いですって!あ、このワンピースとかどうです?」
西洋人の、それも若い娘さん向けの服を着させられる身にもなって欲しい。
こちとら純国産の日本人だ。この国の連中とはそもそも体の作りが違う。
「はい、もうおしまーい。おばさーん、このごわついた肌着と向こうの野暮ったい麻のワンピースとあっちの地味な上着とあそこにある冴えない色したオーバースカート下さーい」
「ひ…酷い…」
「だから、酷くていいんだって」
とりあえず、これで服はおっけい…エプロンは宿の使い古しを売って貰うのが早そうだ。
「あとは…カツラかぁ…どこで買えるんだろう…」
「カツラも買うんですか?」
「うん、私の髪色はここだと浮くからね」
「使用人のふりをするんならスカーフを巻けばいいんじゃ無いですか?」
そういえば、この国の庶民の女性は大抵ヘッドスカーフを巻いている。
「そっか、そうだね!」
その後数件の店を周り、買い物は終了
とりあえず、これで必要な物は全て揃ったので、宿に戻って実際に着用してみる。
まずはファンデーションで肌の色をこの国の人間に近付けつつ更に陰影を際立たせ、目元の隈を入れ、眉ペンでソバカスを書き、眉毛自体も太めで不揃いに仕上げる
全体的に疲れた印象になったら次は服だ。
一旦全部ぐしゃぐしゃにして、外の地面に擦りつけたら砂をしっかり払い落として着用する。
疲労感、田舎感、匂い、汚れ感、くたびれ感が整った、THE庶民の完成だ!あとは爪を汚せば完璧だが、気持ち悪いので出発前にバイクのエンジン周りをなで回すことにしよう。
「どうよ!」
「うわぁ…なんて言うか…すっごい地味ですね…」
「違う人みたい…」
二人のリアクションを見る限りは大成功と言っていいだろう。
「あ…あのっ、わだしクヌギから来たユリアって言います…」
北の訛りも完璧だ
「ってね!」
「ほんとにクヌギの街の近くの農村にいそうですね…よくもまあぞこまで…」
クヌギの街のご近所で育ったミシェルも認める完成度!
これは明日が楽しみだぜ
正化8年8月13日
王都 中央市街地区
ジナイーダは、ふと懐かしい匂いを感じてその足を止めた。
それは、最愛の友を思わせる様な優しい香り
(お茶の香り…懐かしい…)
数千年の昔に、眠ることの出来ない身を案じた友が良く入れてくれた薬草茶…
あらゆるものが移ろい、消え、また現れては消えていく中で、それもまた失われてしまったと思っていた香りは、しかし彼女の中にははっきりと残っていた。
まだ消えること無くそこにあるそれは、友がこの世界に残した残り香の様でさえあった。
ヴァニカを寝かしつけて、ミシェルと深夜のティータイムだ。
優しい香りのハーブティーは、彼女の香りそのものとさえ感じられるほどに、彼女の心根を表しているかのように、暖かく、優しい。
「はぁ…落ち着く…」
明日に控えた大勝負への恐怖と緊張がみるみるうちに解けていくようだ。
「なんだか、このお茶を飲んでいると…あれを思い出してしまいます…」
顔を真っ赤にして言うミシェル。恥ずかしいなら言わなきゃいいのに…
「まあ、気の迷いだよ…基本的に私はそう言う趣味無いんだから」
エリーの屋敷での一夜の情事が、彼女の中では未だに尾を引いているのだろう。
「そ、そうなんですか?私は…その…もう一度を、待ってます…」
最後の方は聞き取れないほどに弱々しい声
清いなぁ…
「あらあら、貴方達はそう言う関係なのね」
「え…」
「うそ…」
何の気配も、物音も無かった。
多分目にも止まらぬ速さだとか、そういった事では無いだろう。空気も、水差しの水も、何一つ揺らいでいない。
初めからそこに居たかの様に、椅子に腰掛けるマダムは、いつものように穏やかで妖艶な微笑を浮かべている。
「ふふふ、初めまして…可愛い魔女さん?」
「マ…マダム…どうしたのさ、こんな所で」
銃はベッドの横の鞄の中、ヴァニカは起きる気配も無い。
賢者と刺客…協力体制にある以上、これは何かしらの企みの一環だと考えるのが妥当だろう。
「お久しぶりね、ユーコさん?ふふ、そんなに怯えないでちょうだい」
「さ、流石に怯えないのは無理だって…どうせあの刺客達も居るんでしょ?」
「大丈夫、一人よ…それより私にも一杯いただけないかしら?」
マダムはカップを指差す。
窺うようにこちらを見たミシェルに小さく肯く。この状況だ。あまり刺激しない方が良いだろう。
ミシェルが震えた手でハーブティーを淹れる。
「ふふ、ありがとう魔女さん」
心臓がリミッターギリギリまでぶん回したSXのエンジンの様な速さで鼓動している。
そんな私とは対照的に、余裕溢れる態度で上品にハーブティーを飲むマダムは、ほぅ…と小さく息を吐いた。
「懐かしい香り…あの人が淹れてくれた物と同じね…」
「あの人ってのは…一体何千年前の人なんだろうね…」
全力の虚勢だ。声が震えているのは重々承知している。
「ほんの少し前よ…最後に会ったのは3742年前の冬だったかしらね?」
「白雪の…魔女…」
やっぱりだ。出来れば違っていて欲しかったが…。
そもそも、隠す気すら無いという様な風情で言ってのけるマダム…いや、賢者
「ええ、懐かしいわね」
「そ、それで?この街には何をしにきたのさ、賢者様?」
賢者が口角を上げた。
「観光…って言ったら信じてくれるかしら?」
「信じたくはあるけどね…エリクサーでしょ?」
白雪の魔女の復活の為に
「そんな事まで知っているのね…呆れてしまうほどに有能だわ、ユーコさん」
賢者がカップの縁をそっと指でなぞる。
「叶うならば、私はもう一度彼女に会いたい…その為なら何だってするつもりよ?」
「大勢の命を危険に晒すとしても?結果として、それが無駄になったとしても?」
「それに何か意味はあるのかしら?ね、魔女さん」
不意に話を振られたミシェルは一瞬狼狽える素振りを見せはしたものの、すぐに俯いて何かをブツブツと呟いたかと思えば、はっとした様に顔を上げた。
「分かったみたいね…そう、結局何を成したところで何も変わらない。命も、変化も、結局は不変の一を成すだけのものなのでしょう?失われてもそれで何かが目減りするわけでも無い。何かを得たとしても、それが溢れ出す事は無い。全ては不変の一の中の小さな揺らぎ…なら、私がそんな事を気にする必要は無いんじゃ無くって?」
「それは…それでも…それでも、私達は今こうして生きているんですよ…貴方だって…」
「なるほどね…そう、ふふふ…」
ちんぷんかんぷんな話だが、この世界の話をしているのだろう。とりあえず、賢者は嬉しそうな様子ではあるが…
「貴方の考えは分かったわ」
「それじゃあ…」
「でもね、貴方達のお願いを聞くのって…楽しいのかしら?」
「…は?」
「言われるままに彼等との繋がりを絶ってお店に帰って…そんなの退屈じゃない?」
思っていた以上に訳が分からない。
同じくエターナルな雪冠の魔女と同じ程度は話が通じると思っていたのだが…
「マダム、言っておくけど…あいつらのやり方じゃ、白雪の魔女は復活出来ないんだよ?」
「そうね、彼等のやり方では…ね」
賢者はテーブルを指で軽く叩く
「あああっ…ああ…」
「ミシェル?!」
突然苦しみだしたミシェルに駆け寄る。
何だ…?何が…
「ミシェルッ!しっかりして!」
全身を痙攣させて苦しむミシェルの目は恐怖に染まっている。
怪我や痣などは見当たらないが…
「マダム…何をしたの…」
どう考えても彼女が何かをしたようにしか思えない。
「私はやりたいように、楽しみながらあの人の願いを叶えるだけよ?」
「答えになってない!いいから答えてっ!」
「ふふふ…そうかしらね?さて、そろそろお暇しようかしら…」
賢者が立ち上がった瞬間、強烈な光で私の視界が埋まる。
「お母さんから離れろ!」
「あら、可愛いわんちゃんね」
戻った視界に炎を纏った剣を手にしたヴァニカが映る。
「ヴァニカ!駄目!」
飛び出すように賢者に斬り掛かるヴァニカの切っ先は、しかし賢者の体に触れる事無く空を切った。
「あ…あれ…?」
姿を消した賢者に、ヴァニカも目を白黒させている。
「ヴァニカ、匂いは!?」
鼻をひくひくと動かして、匂いを探ったヴァニカは首を横に振る。
帰ったのだろうか…どちらにせよ、ここからいなくなってくれたのなら好都合だ。
「ミシェル、しっかりして!ミシェル!」
未だにミシェルの様子は変わらない。
私達の中でこういった事に対応に対応出来るのはミシェルだけなのだが…
とりあえず、呼吸がしやすいように服の襟元を寛げ、ものにぶつかって怪我をしないようにしっかりと抱き締める。
これぐらいしか私に出来る事は無い。
「ヴァニカ…ありがとうね」
「ううん…ミシェルは大丈夫?」
「多分…ちょっとすれば落ち着くと思う…」
そのまま数分過ごし、痙攣は落ち着いて来た。
「…ユーコさん」
「大丈夫?」
「あ…ああ…あああ!」
まだ大分混乱してこそいるが、呼吸も大分しっかりしてきている。
「もう大丈夫だからね?もう恐くないよ…」
泣き喚くミシェルをまたそうやって暫く抱き締めながら宥める。余程怖かったのだろう。
十数分そうして抱き締めて、漸く泣き止んでくれた。
「うう…えぐっ…ユーコさん…ひっぐ…」
「よしよし、怖かったね…もう大丈夫だからね…」
「お母さん…さっきのあいつ…何?」
外を見に行ってくれていたヴァニカが戻ってきて聞いてくる。
「すっごく嫌な匂いだった…精霊様もすっごい嫌がってる…」
その異常性にはヴァニカも気が付いていたらしい。というか、よく分かっていないのは私だけの様だ。
正直ヴァニカの問いの答えに私が一番遠いのだが…
「来る前に話した賢者って覚えてる?」
「うん、悪い奴の仲間だよね?…さっきのあいつが?」
「そうみたい…」
この1件で確認出来た。マダムは賢者だ。
とりあえず、詳しいことは昼間だ。
「もう寝よっか、明日もあるし」
一番何が起こったのか知っているミシェルがこんな状況ではどうしようも無い。
「ほら、一緒に寝てあげるから、ベッド行こうね」
まだ怯えているミシェルを促してベッドに向かう。
不審者が来ないように高い金を払ってここに泊まったのだが、常識外れのエターナルな存在にはセキュリティの行き届いた宿だろうが安宿だろうが関係ないという事だろうか…
中央街道 王都北方稜堡から約50km地点
斥候から王都の関所の外側に屯する傭兵達が戦闘の準備を整えているとの報告を受けたエリザベートは、部隊の幹部を集めて対応について話し合っていた。
彼我の戦力差は大きいとはいえ、ここは広い平野の街道上である。仮に戦闘になったとしても彼女らの最も得意とする騎馬襲撃戦闘に適した地形であり、敵も決死の覚悟で戦う正規兵では無く、傭兵であると考えれば、戦闘に関しての心配はほぼ無いと言って構わないだろう。
敵も長槍や弓を準備して騎馬突撃に備えてはいるようだが、農騎兵連隊はリピーターボウを装備する騎射部隊であり、側衛騎馬大隊も軽装での騎射を重視する長弓騎兵としての側面も強い。
加えて抜刀突撃を敢行出来るだけの能力も備えた彼等が懸念するのは、正面の敵では無い。
「第三軍団がどう動くかが問題ですなぁ…」
王都北方の守りを固める近衛軍第三軍団の拠点である北方稜堡の目と鼻の先での戦闘とあれば、治安維持を名目とした介入を受ける可能性があった。
今のところ動員がかかってはいないとはいえ、王都周辺の近衛八軍団には、常備戦力と上番戦力併せて二万の人員が駐留している。
兵力、練度、装備ともに高い近衛軍と戦闘となれば、彼女らの部隊では一溜まりも無いだろう。
それに、近衛軍との戦端を開いてしまえば、それは王家への明確な敵対行為であり、それこそ穏便に交渉を進める事など出来なくなってしまう。
一応、そうなったとしても城内に乱入する手立ては整ってはいるが、そこで生じるであろう損害は決して許容できるものでは無いほど大きくなってしまうだろう。
「傭兵共にサクッと夜襲をかけて、サクッと戻ってくるってんじゃ駄目なのか?」
「それも一案ではあるが…なにぶん稜堡との位置が近すぎる。騒ぎを聞きつけた近衛軍が出張ってきたら元も子もない」
「ですが、やるとなったら敵さんもこっちの横腹を狙ってくるでしょうし…私としては奇襲出来るうちに奇襲しておきたいのは本音ではありますね」
近衛軍に介入の隙を与えないようにするのであれば、オドゥオールやジョルジュの言うように奇襲で素早く敵の戦力を撃滅、ないしは減殺せておきたいが、どのみち彼等を刺激してしまうのは間違いないだろう。
「はぁ、政治…だな…」
畑違いの領分だと、エリザベートは溜息をつく。
民の暮らしを良くするための領地経営と言う名の政治であれば、彼女もこうは思わない。
だが、表向きの名目を整え、内々のコネクションや密約をもって事を進めるような政治闘争は、十代の頃から戦場で過ごしてきた彼女にとっては苦手な分野の政治である。
「そうは言っても、嬢ちゃんがこれからずっと付き合って行かなきゃならないもんだろう?」
「まあ、そうなったらその時は全てオドゥオールに丸投げさせてもらうよ」
「あっはっはっ、そんな事になったら喜ぶのはギルバートぐらいなもんだぜ!」
豪快に笑ったオドゥオールにつられて、天幕の中の空気が少し和んだ。
基本的に武偏者の集まりである側衛騎馬大隊だ。エリザベート程とは言わずとも、専門外の出来事への対応の協議ということで、少しばかり重苦しい雰囲気になっていたが、オドゥオールの人柄がそれを取り払ってくれる。
(彼が私の元に来てくれて良かった)
エリザベートは心中にそう呟いた。
(お陰で私のやるべき事が漸く見えてきた)
要は戦と同じだ。こちらにより優位になるように、敵の企図を挫くように、準備を進めればいいのだ。
「皆、私に一案があるのだが-」
王都 中央市街地区
「お母さん、ミシェル、朝だよ!」
ヴァニカに揺すぶられ、目を覚ます。
私は生来朝が苦手だが、ヴァニカはいつも朝早くにすっきりと目を覚ますようで、いつも起こして貰っている。
「んぁ…ヴァニカおはよう…」
「ん…ヴァニカちゃん…」
ミシェルも私も、ぼんやりしながら目を開けた。
昨夜は中々寝付けない様子のミシェルを寝かしつけていたので、まだ大分眠い。
ミシェルも睡眠不足は否めないらしく、目覚めの良い彼女らしからぬぼけっとした目覚めの様だ。
「ミシェル、もう大丈夫?」
「はい…昨夜はごめんなさい…」
「ううん、気にしなくて良いんだよ?元気になってくれたらそれでいいから」
「ありがとうございます…」
胸元のミシェルの頭を軽く撫でて、重い体をベッドから起こす。
「それで…昨夜のあれ…話せそう?」
ミシェルは私の問いに小さく肯いた。
「話せる分だけで構わないから、何があったのか教えてくれる?無理はしなくていいから」
あの怯えようだったのだ。無理をすれば昨夜の出来事がトラウマの様にフラッシュバックしてしまうかもしれない。
それでも、何が起きたのかを知っておく必要がある。
「あ、あの人は…」
ミシェルは震えた声でゆっくりと話し始めた。
纏めてしまえば、賢者からエリクサーの気配をずっとずっと強くしたような、強烈な力を感じたのだという。
不活性化したエリクサーでさえ、魔女にとっては耐え難い程の不快感を齎すものだと言うが、賢者から感じたのはそれとは比べものにならないほどの力だったのだという。
唯一完全な一つであるこの世界が、まるでもう一つそこにあるような、美しい調和に割り込んでくるあってはならないもの…
素晴らしい音楽を聴いている時に、強烈な金切り音を聞かされる様な不快感…
エリクサーの様な、完全な物質に近い不完全な物質では無く、本当に完全な物質を目にしたかの様な感覚だったのだという。
雪冠の魔女が言うには、エリクサーはそのごく僅かな不完全性の綻びから不活性化させる事が出来ると聞いていたし、ミシェルはその方法を彼女から教えて貰っているが、完全なエリクサーとなると、果たしてどうにか出来るものなのだろうか…
「って事は、賢者は完全なエリクサーを作り上げたって事?」
だとすれば、それこそ白雪の魔女の意志に関係なく、魂ごと複製して復活させる事だって出来てしまうのでは無いだろうか…
「分からないです…でも、あの力は…あの人、賢者の体の中から発しているような…そんな感じでした」
余りにも抽象的で、余りにもスケールが大きくて、余りにもファンタジーな話だ。
色んな可能性を考えてみるものの、それが有り得る事なのか否かの判断さえ付かない。
魔法だの魂だの復活の霊薬だのと、非現実的な事だと思っても、この世界においてはそれが紛れもない現実なのだ。
賢者の動向は気掛かりだし、何か喉の奥に引っ掛かっているような…何ともしっくり来ない様な感覚はあるが、とりあえず今は、目下の目標に向けて進んでいくしか無いのだろう…




