表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第6章 祖霊の都 上
20/28

進んで、ただ前に

正化8年8月10日

ビャクダンの町

遙か東の空が薄らと白み始めた早朝、長閑なこの街に軍楽隊のスネアを思わせるように聞く人の心を昂ぶらせる単気筒のエキゾーストサウンドが響き渡る。

「三人とも、無茶はするんじゃねえぞ?」

オドゥオールのおっちゃんが言う。お父さんか!

「お三方が要故、期待しておりますぞ!」

リカルド隊長が言う。武士か!

「無事の凱旋をお待ちしております」

ザッカーバーグ氏が言う。真面目か!

まだ早朝だというのに、多くの人が見送りに駆けつけてくれた。

側衛騎馬大隊の皆に、作戦に参加する領兵の皆、町の人達…皆、この町でお世話になった人達ばっかりだ。

「三人とも…よろしく頼む」

「うん、頑張る!」

「任せて下さい!」

「次は祝勝会で会おうぜっ!」

エリーの言葉に三人がそれぞれの言葉で応える。

さあ、出発だ!

スロットルを開き、エンジンを吹かす。

「吹け上がり絶好調!」

「縁起がいいねっ!」

背中にはヴァニカの嬉しそうな声

「それじゃあ、行ってきます!!」

この旅の最終目的地へ、アクセル全開で駆け出して行った。


王都までの距離は概ね170km、東名で言えば焼津辺り、東北道なら白河辺り、中央道なら長野道との分岐の辺りが現代日本の東京に王都を例えた時のフェアラインヒルとの距離感だ。

とはいえ、箱根も無ければ南アルプスも無く、関所こそあるが、高原を抜ける必要も無い。

平坦で、どこまでも続く草原や、畑を観ながら進んでいく。

すこーしだけ退屈に感じてしまうのはライダーの性だろうが、それでも爽やかな風を受けながら、まっすぐ続く道を走るのは気持ちがいいし、フラットダートを100km/hで走り続けるというのは、日本ではそうそう経験出来るものでも無い。

高校の卒業式の後に行った北海道一周ツーリングの時のような、テクニックやなんかでは無く、純粋にバイクに乗ることの気持ちよさというか、理由も無いのに胸が高鳴ってくるような不思議な感覚を感じながら駆け抜ける。

いつだって、どこだって、例え走り慣れた道でさえ、バイクに乗っていればまだ観たことの無い『初めて』に出会えるのだ。

そんなポエミーな事を考えていると、不意にヴァニカが何かを言っていることに気が付く。

高速巡航中のSXの騒音と振動の中ではとても声など聞こえたものではないし、フルフェイスも被っている。

「お母さん、ミシェル!」

アクセルを緩めてみるとそんなことを言っている。

「ミシェルなら右側に…」

いない!

慌てて道の脇に相棒を停める。

「ヴァニカ、ミシェルどこ行ったの?」

「大分前から置き去りにしてるってば!」

大分気持ち良くスピードを出してしまったようである。魔女になって箒の速度も上がった火の玉娘ことミシェルを置き去りにしてしまうとは!

「しょうが無い!ちょっと待とうか」

道の脇に座り、親子仲良くおやつタイムと洒落込んでいると、北の方から猛スピードで飛んでくるミシェルが見えた。

「おーい、ミシェルー!」

ヴァニカが立ち上がって手を振る。

私達のところで急停止したミシェルは半べそだ。

「酷いですよぉ、何で置いてくんですかぁ…」

抱き付いてくるミシェル…なんかあれ以来スキンシップが激しい気がするが…

「泣かないで?ほら、おやつ食べて?」

ヴァニカが優しくビスケットをあーんしてあげている。いや、優しい子に育ってくれた。

「うぅ…美味しいですぅ…」

サクサクとビスケットを頬張るミシェル

「それはそうと…私そんなにスピード出しちゃってた?」

「出しちゃってましたよ!全然追いつけなかったですもん…」

気持ち良くなるのは結構だが、スピードの出し過ぎには注意である。程度の差こそあれ、異世界でも日本でもそれは同じ事だ。

「ごめんね、ミシェル」

抱き付いて離れないミシェルの頭を撫でる。

「ずるい!あたしも!」

楽しそうにヴァニカも抱き付いてきた。

これから一世一代の大勝負に向かうとは思えないほどに牧歌的な光景…けれど、作戦が成功すれば、いつまでもこんな幸せな時間を過ごす事が出来るだろう。

そう思えばこそ、柄にも無く危険に飛び込んで行くことだって出来る。

さあ、あと30分も走れば王都だ!


王都 王宮

エリザベートの同行者である異界人と魔女が王都に向かっているとの報告がイリアナの元に齎されたのは、日が昇ってすぐの事だった。

(いったいどういう方法でを使っているのだか…)

王都からフェアラインヒルの間は早馬を使ったとてそれなりの時間がかかるはずである。

フェアラインヒル領南の関所からの出発はほぼ日の出と同時刻、即ち発見と同時に王都まで伝達したようなものである。

「どうする…捕らえるか?」

「いいえ、泳がせておきましょう」

今までのような状況下であれば、人質として用いる事が出来ただろう。しかし、異界人の進発と共にフェアラインヒル周辺で斥候が盛んに出入りしているとも報告にある。

即ち、エリザベートはどのような形にせよ軍事行動を始めたと言うことだ。

(そうなればお姉様は止まらない)

作戦の遂行を第一義となし、副次的に生じるあらゆる事を切り捨ててでもその任務を完遂する。

平素のエリザベートとは違う、英雄としての面を思えばこそ余計な小細工は無用…むしろ邪魔にしかならないであろう。

(どのみち、誰が玉座にあろうと何一つ変わらない)

父であるエレオノール12世であろうと、兄であるアレクサンダーであろうと、それ以外の誰であろうと、欲しいのであれば好きに玉座を争えばいいと、イリアナは思う。

事実、彼女に玉座への執着は無い。そもそも王位継承権四位であろうとも上の兄弟達が傑物揃いであれば、その様な欲が首をもたげる様な余地は無い。

現職の近衛軍団長でありながら元老院にも席のある万能の呼び声高いアレクサンダー

機微や理に聡く、東部に於いて東方交易を監督し、王国に莫大な利益を齎すリチャード

誰もが認める最強の武人であり、ドラゴン殺しの英雄エリザベート

多少政略に長けている程度の自分が入り込む隙など無いし、国益を考えれば上の誰かが王位に就いて然るべきだとも、彼女は思う。

仮に不幸が続いて継承順位が上がったとしても、彼女自身に王位を継ぐという選択肢は無く、その考えは若くして学者としての将来を嘱望される二つ下の第三王子ジュリアンと同じ考えである。

(そう…私の幸せはたった一つ…)

エリザベート

(お姉様さえ…お姉様さえ私の物になって下されば…)

彼女自身は自身が評する様な凡百の類では決して無い。それこそ他の王位継承権者達と同じく傑物であろう。

彼らと彼女の間に違いがあるとすれば、それは理由

ある者が国家の安寧を欲するように、彼女はエリザベートを欲した。

ある者が豊かに暮らす民を愛するように、彼女はエリザベートを愛した。

偏愛と執着

天才たる彼女を突き動かすのは、その二点だけである。

「国王陛下は、きっとお姉様にお会いになります。その機を逃すこと無く仕掛けさえすればきっと皆様の願いは叶うことでしょう」

近衛軍団も、ゴドウィンが掻き集めているという傭兵も、きっと何の障害にもならないだろう。

エリザベートは必ずここに来る。来なくてはおかしい。

歪んだ情念より発した奇妙な信頼は、しかし奇妙なほどに確信めいた力強さで、彼女の心の内にあるのだった。


王都 北城門

いつ来ても、でっかい門だ。

王都の城門を見上げながら、そんなことを思う。

石積みの城壁は恐らく50m程はあるだろう。

その中で一部突出した様にも見える位置に、王都北方の城門はある。

大河を分流させる事で天然の水堀と成したスケール感にも驚きではあるが、吊り上げられた巨大な鉄塊は、非現実的なまでの景色は見る者に畏敬の念を抱かせずにはいられない。

魔導装置と水力の複合によって保持されるこの門は、動力を遮断すれば、重力に従って一瞬で閉門する事の出来る一種の落とし格子の様なもので、その重量を活かして、堀にかかった跳ね橋も一気に引き上げる事が出来るのだという。

また、この門を抜けた先は上り坂で二股に分かれた虎口になっており、多数の狭間や塔に守られた鉄壁のキルゾーンになっている。

更にその先にも枡形や落とし橋等々、多数の嫌がらせ…もとい防衛機構が備わっているのだが、エリー達はここに強行突破で押し入ろうとさえしていたのだ。…いや、無理でしょ!

とはいえ、まだ今は平時だ。いつもと違って検問が敷かれてはいるものの、城門は開いている。

「モノミ・ユーコ殿…女性…27歳…ん?27歳?!」

「なんか問題あります?」

「い…いえ…あー、あはは…いやぁ若々しくていらっしゃるなぁと」

流石に権威の象徴ポータルパスポートを見ながらだと、気を使っている様子だ。まあ、王都で日本人とのトラブルなんて起こしたら外交問題の危機である。少なくとも衛兵の首の一つや二つ簡単に飛びかねない飛びっきりの腫れ物であろう。

「バイク…というのはこちらですね…はい問題ありません」

「はいどーも」

基本的にあっさりしたものだ。十五人しかいない渡航者のパスポートの情報は王都の城門全てに配られているから、その照会だけで済む。

「あ、そこの二人は駄目だって!」

「へ?」

「なんで?」

ヴァニカとミシェルが止められた。

「その二人は私の従者なんですけど?」

貴族であれ渡航者であれ、従者ということにしておけば同行者も一緒に通すのが慣例である。

「申し訳ありませんが、現在政情が不安定でして…モノミ殿の従者とはいえ身分のはっきりしない者を通すわけにはいきません」

政情が不安定…これは多分エリー達の動向に関わる部分だ。

慣例に囚われず、柔軟に対処する王都の動きは流石ではあるが、これは少々困る。何せ私達はエリーの別働隊として、エリー達主力出発が報告されるより速く、王都に入らなければならないのだから…

「そっちの赤毛の子は篝火の魔女様だし、そっちのちっちゃくて可愛い子はまだ子供ですけど…」

「魔女様とはいえ…何か身元を保証する物をお持ちで無ければお通しする訳にはいきません」

ううむ…手強い。

こうなれば仕方ない…

「分かりました。では貴官と上官のお名前を聞いても?」

「へ…?」

はったり大作戦だ。映画やなんかでよく見る手法が通じればいいのだが…

「ですから、貴官のお名前と所属する部隊、それと上官のお名前を教えて下さい。私の重要な任務を阻害したことを、日本国政府を通じて正式に貴国の政府に抗議したいので」

「じゅ…重要な任務とは…?」

「貴官はウェスタリア王家から密命を任されたときに、それを軽々しく他国の軍人に伝えるんですか?」

「い…いえ…」

こう言えば、相手は私が日本政府の密命を帯びていると勘違いしてくれるだろう。

それにそれを匂わせることで、その密命がウェスタリアに不利なモノでは無いと思ってくれる筈だ。相手を陥れるための密命を帯びた人間が、密命云々を口にするわけが無いからだ。

実際の所、思いっきりウェスタリアに対する破壊工作をする可能性もあるし、そもそも私達の密命は日本政府発信では無く、エリー達フェアラインヒル勢力発信なのだが…

「私も暇では無いので、早く教えていただけると助かるんですけど」

何一つ嘘はついていないぞ!嘘は!

だからミシェル、私の事をそんな目で見るのはやめておくれ!

「少々お待ち下さい…」

衛兵は私達を置いて、向こうの方で何やら話し合っている。

大使館に照会されたら完全にアウトだが…

暫くして、隊長らしき騎士がこちらにやって来た。

媚びるような笑顔…勝ったな!

「私の部下が失礼致しました。どうぞ、お通り下さい」

保身…と言ってしまえば聞こえは悪いが、一概に彼らを責めることも出来ないだろう。

きっとこれが、エリーシンパの辺境伯やなんかだったら、彼らも保身に走ること無くその職責を全うした筈だ。

だが、私達日本人も魔女も子供も、この国の政治闘争の関係者では無い、毒にも薬にもならないような連中である。

彼らが守るべきモノを害するわけでも無い相手を止めるために罰されるのは、多分騎士道的にもなんか違うだろう。よく知らないけど

まあ、実は私達こそ彼等が止めるべき者ではあるのだが…

「ユーコさん…よくもまああんなに口から出任せを…」

「嘘は1個も言ってないでしょ?」

「そう…ですけど…」

「お母さん、すっごいね!格好よかったよ!」

「でしょー?やるときはやるんだから!」

和気藹々と市街地に入る。

とはいえ、目標である近衛卿の屋敷はここから15km以上南にある中央市街地区だ。

正直城壁で囲う面積が広すぎるように感じるが…まあ、攻城戦を考えれば、折角突入に成功しても20km近く市街地戦闘と、行く手を阻む城壁相手の攻城戦を繰り返さねばならないわけで…理には適っているのだろう。

それも防衛に必要な戦力を用意できるウェスタリア王国の国力があってのものではあるが…

「すっごいね!おっきいね!」

ヴァニカは初めての王都に大はしゃぎだ。

「人がこんなに…」

ミシェルも大分驚いている様だ。

でも、まだ早い!

「今日はこの街で一番の宿に泊まるよ!」

中央市街地区は非常に高級でセレブなエリアだ。そこでの活動の拠点、折角なら一番いい宿でリッチに決めてやろう!


フェアラインヒル公爵領 南の関所

太陽は天高く、雲一つ無い青空が広がっている。

予定通り、先遣隊総勢600人が関所を越えて行軍を開始する。

斥候の報告によれば、王都周辺では所属不明の傭兵部隊がかなりの数確認されており、進路上に如何なる障害が待ち受けているか分からない以上、彼等の役割の重要性は非常に高いものだ。

進路上の障害の偵知・排除、敵斥候の排除若しくは捕獲、主力に対する敵の監視及び襲撃の誘因という、言うなれば大規模な戦闘前哨とも言うべき任務である。

この後、深夜に出発する主力と同じように三つに分散し、相互に連絡を密にしつつ所定の位置まで進出、主力部隊各梯団の進出を援護する。

目的は戦闘では無いが、戦闘を前提にした布陣であった。

恐らく彼等の出発は、各地の烽火台からすぐに王都に伝わるだろう。

フェアラインヒル近辺に手旗通信所は無いため、詳細は王都の斥候隊の帰隊を受けてからにはなるだろうが、それでもすぐに警戒態勢がとられることには変わりは無い。

(皆…頼む…)

思う間に、南の空に揚がっていく狼煙を眺めて、エリザベートは思う。

三人の友人が、せめて無事であるように…と


王都 元老院大議場

近衛第三軍団後方司令部からの報告をアレクサンダーが読み上げたときの元老院の狼狽え方は、最早狂乱のそれであった。

『大隊規模 前進開始』

発信元の符号と合わせてたった3文のそれは、この国の運営に関わる者達の平常心を喪わしめるには十分過ぎたようである。

しかし、軍団の司令官たるアレクサンダーからみれば、この報告はまだ序の口に過ぎないと見ていた。

通常動員兵力4000、総動員兵力8000とも言われるフェアラインヒル公爵領であることを鑑みれば、あくまで前哨と見るべきだろう。

その事も併せて伝えたアレクサンダーだったが、どうやら元老達は余程エリザベートが恐ろしいのか、即時の邀撃を叫ぶ者、交渉を始めるべきだという者、近衛軍団を王都に後退させて籠城戦の準備を始めるべきだという者が口々に喚き散らし、最早会議という体裁は崩れ去っていた。

痛む頭を押さえながら正面を見ると、国王もまた同じように頭を押さえている姿を目にし、アレクサンダーは苦笑を浮かべる。

(国王陛下も苦労が絶えないことだ)

感情の儘に放たれるわめき声と、最早どうにもならぬと一時閉会を告げる議長の声を背に、アレクサンダーは一足早く議場を後にした。


最早元老院の乱痴気騒ぎに混ざっていても仕方が無いと、屯営に戻る準備をしていたアレクサンダーの元に、枢密会議への出頭命令が届いたのは、彼が軍装に着替え終わってすぐの事だった。

急いで玉座の間に駆けつけてみれば、彼と同じように疲れ切った表情の面々が揃っていた。

「急な呼び出しで済まぬが、貴公の意見が聞きたくてな」

そういったのは国王エレオノール12世

「此度の騒動…どう見る?」

漠然とした問いである。

それは、王権としてもどう動くべきか決めかねているという事なのだろう。

「はっ…軍事的に見れば、彼我の戦力差は圧倒的に我が方有利でございます」

そう答えはしたものの、国王の求める答えがこの様なものであるとは彼も思ってはいない。

この場には侍従武官もいれば、陸軍卿もいるのだ。

「エリザベートは…我等に弓引こうとしていると思うか?」

「今のところはどちらとも言えぬでしょう」

戒厳の発令も、部隊の前進も、今のところ情勢を刺激してこそいるが、明確な敵対行為は行われていない。

これまでの行為も全て、王国法に照らせばぎりぎりで合法の範囲内である。

「それを見抜くためには、もう暫く時間が必要かと…」

「その様に悠長な事を…そもそも近衛軍団とて潜在的には敵対勢力に変わりありますまい」

陸軍卿の言葉通りだろう。

近衛軍団、特に常備戦力たる近衛騎士団にはエリザベートの熱烈な信奉者が多い。それこそ軍団長であるアレクサンダー以上にである。

動員令下に無い現状、王都圏には練兵と警備の為に上番している部隊と騎士団が駐留しているが、一部の若い騎士達が配下の部隊に対してエリザベート支持を促しているとの報告もある。

仮に戦端が開かれたとして、約二万の兵力のうちのどれ程が力になるものか…

「そもそも、この場に近衛卿がいないのも…まあそういうことだ」

王宮において近衛軍そのものが巨大なエリザベートの私兵だと捉えられているという事なのだろう。

(それでも私に意見を求めるとは…余程策が無いのだろうな…)

現状で纏まった独立兵力は近衛軍団が最大である。一応王都警衛が数の上では近衛軍団を上回っているとはいえ、向こうは純軍事組織とはいえない。

「陸軍卿の御懸念も最も…しかし先ずは向こうに戦端を開かせる事が肝要でしょう」

先制攻撃となれば、それこそ騎士団の反発を招きかねない。

「我等を信じられぬというのであれば、城門を閉ざして頂いて構いません」

こうでもしなければ、恐慌は治まらないであろう。

近衛軍団をもって、エリザベートの叛意を測る試金石とする。

混迷の王都の中にあってアレクサンダーに出来るのはたったそれだけだ。


王都 中央市街地区

最高級だけあって、室内の調度品も何もかもが一級品だ。それこそ貴族の屋敷を凌ぐほどの豪勢さである。

何しろ国賓が泊まることもあるほどで、敢えて迎賓館では無くこの洗練されたホテルへの宿泊を希望する者もいるほどなのだという。帝国ホテルみたいなもんだろう。

「すっごいね!ベッドふっかふか!」

ヴァニカがベッドの上でぴょんぴょん跳ね回る。

「ほらほら、あんまりはしゃぐと怪我するよ」

「ユーコさん…その、旅行では無いんですよ?こんな贅沢をしてていいんですか…?」

呆れた様な顔のミシェル

ふふふ、分かって無いんだから…

「ミシェル、私も別に遊びでこの宿を取ったわけじゃ無いんだよ?」

私はそう言って壁を叩く

「分厚い壁でしょ?色々企みごとをするんならこういう高級なところの方が良いんだって」

ただ豪勢なだけでは国賓がこぞって泊まりたがるということには成らないだろう。

情報の確実な保全が出来るが故、不審者が立ち入ることの出来ないセキュリティをもっているが故の評価だ。

「なるほど…!」

映画でもスパイは高級ホテルに泊まるしね!

二人を集めて今後の計画を説明する。

まずミシェルは中央市街地区や、更に内郭に位置する議会地区、聖堂地区に目となる植物の種を仕込む。

その間に私とヴァニカの二人で近衛卿の屋敷の周辺を探る。具体的には警備の数や人の流れだ。ヴァニカの鼻をもってすれば簡単に済む。

その後に一度全員で宿に戻って情報の共有を図る。

刺客達はこの街にいるのか、賢者はどこにいるのか、第二王女の動向、近衛卿の動向、屋敷の警備状況…これが今日中に把握しておきたい情報である。

「あくまで情報の収集が目的だから、絶対に騒ぎはおこさないこと!もしトラブルが起きそうだったら、何にも優先してその場から離れること、いいね?」

「はい」

「うん、分かった」

兎に角完璧な準備を整えなくてはならない。何しろ私達は殺しのライセンスをもった伊達男でも、不可能な任務をノースタントでこなすイケメンでも無いのだ。強引な真似は出来ない。

「ミシェル、この辺りに刺客の気配は無い?」

「はい…ただ人が多すぎて確実に…とは言えないですけど」

森の中であれば、それこそ正確な景色を見ることの出来るミシェルも、こういった街の中ではそこまで正確に気配を察知する事は出来ない。

「おっけい、それじゃあ…出発しようか!」


流石に日本の国務大臣相当とされる顕官の屋敷だけあって、近衛卿の屋敷は広大で壮麗だ。

白亜に輝く外壁、咲き誇る花々、手入れの行き届いた立派な庭木、敷地内には噴水や彫像も飾られて、まさに想像していた通りの貴族の屋敷といった風情である。

ここまでとは言わずとも、エリーももうちょっと屋敷を豪華にすればいいのに…あ、金が無いのか!

私とヴァニカは渡航者と召使いのふりをしながら、屋敷近くに留まって探る。

「どう?何人くらいいそう?」

フードの下でヴァニカが鼻をヒクヒクさせる。

「90人くらい…あと犬が8匹…」

「コボルトはいそう?」

ヴァニカは首を横に振る。

人種(ひとしゅ)と犬だけだと思う。あ、猫もいるみたい」

人間が90人、犬8頭、恩恵種は無し、猫は多分ペットだろう。

宿の人に聞いたところによれば現在元老院が招集されているらしいから、近衛卿自身は王宮にいるだろう。随員や護衛を含めていくらかは同行しているだろうから、人数全て合わせれば屋敷の総人口は100人程度と考えられる。

警備以外の人員もいるだろうが、それにしたって多い気がする。エリーのところなんて料理人と使用人合わせて五人しかいないというのに…

「よし、それじゃあ一旦戻ろうか」

屋敷の敷地内に木の種を幾つか放り込んで、私達はその場を後にした。


中央市街地区や議会地区、聖堂地区は花壇や植え込みも多く、種を仕込む場所には困らない。

品のいい聖堂地区を歩くミシェルとしては非常に楽な仕事であった。

ふと、王宮の方から多数の騎馬が駆けて来るのが見えた。

側衛騎馬大隊と同じ色のチュニックを着た騎士達は、近衛騎士団の軍装である。

(あれ…あの人…)

戦闘を行く金髪の騎士、優しげな顔貌を凛々しく引き締めた騎士は、年の頃としては三十代の半ばだろう。

エリザベートによく似ている雰囲気のその騎士を見送りながら、ふと彼女は王宮の方向から歪なマナの気配を感じていた。

「王宮の…中…」

彼女らも、第二王女によって使役されているという刺客達がこの王都の中に潜んでいることは予想してはいたが、まさか王宮の中に潜んでいるとは流石に思ってもいなかった。

上手く行くのだろうか…?首をもたげた不安を振り払い、ミシェルは歩き出す。

上手く行かせなければいけないのだ。大切な友人の為に、愛する人の為に、と


正化8年8月11日

フェアラインヒル公爵領 南の関所

農騎兵連隊、歩兵連隊の志願者達、側衛騎馬大隊からなるエリザベート麾下部隊主力は、通常動員できる領内の総兵力に匹敵する4500人にのぼる。

先遣隊の報告によれば、進出予定地帯には敵対勢力の存在は確認されておらず、小規模な斥候が確認されるのみだという。

初日としては穏当であろうと、エリザベートは一先ず安堵する。

「今日は戦闘は無さそうですね」

「残念そうだな、ギルバート」

彼女の元に馬を寄せてきたギルバートは、どこか不満げであった。

「だが、順当に行けば卿の望むような事にはならないぞ?」

優秀な若手騎士であるギルバートは、まるで獣のように闘争を好む。

普段見せる爽やかな若者といった雰囲気はあくまでその成長の過程において彼が身につけた処世術に過ぎず、その本質は狂戦士のそれだ。

「いやいや、分かってますって!…ただ、あの連中が穏やかに事を運んでくれますかね?」

「傭兵か…」

王都の近郊にて活動するという正体不明の傭兵部隊は未だ目立った動きこそ見せていないものの、活動開始のタイミングからみても、こちらに対して何かしらの妨害を企図しているとみてまず間違いは無いだろう。

それに大兵力の傭兵という面で、ミズナラの街での出来事と共通点の様なものが感じられる。

「いったい誰の差し金なんでしょうか…」

「さあ、私には敵が多いからな」

とはいえ、あれだけの数の傭兵を二度も集められる程の財力を持った政敵となると、その数は限られてくる。

国王シンパの諸侯の連合か、大貴族か…どちらにせよ強大な権勢を誇る相手であることには違いないだろう。

「まあ、いざとなれば頼りにしているぞ?」

「もちろんです!殿下の邪魔をする奴は片っ端から撫で斬りにしてやりますよ!」

力強く言うギルバートに彼女は苦い微笑で応じて、空を見上げる。

軍事行動には不向きな程に明るい月明かりの中、彼女は願う。

どうかこの空のように遮るもの無く、自分を信じてついて来てくれる者達が傷つく事が無いようにと

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ