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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第5章 幸福の街
17/28

剣の誇り、盾の意地

フェアラインヒル公爵領 北の関所

魔女が比較的治外法権的振る舞いを許されるこの国においても、魔女が従うべき人界の掟が無いわけでは無く、王朝との取り決めで最低限の守るべき仕組みが定められている。

関所の通過に関してもそれがあり、動員令下、若しくは戒厳令下にある地域への立ち入りに関しては、関所を通らねばならぬ事となっている。関を破れば箒ごと撃ち落とされても文句は言えない。

そのかわり、当該状況下にある関所は周辺の烽火台や関所、塔に戒厳若しくは動員の大旗を掲げ、魔女達に知らせる決まりになっている。

フェアラインヒル公爵領外縁の烽火台に掲げられた戒厳の大旗に気付いたミシェルは降下し、街道へと進路をとる。

公爵領の戒厳令、この国においては領主若しくは執政の権限において発令され、領内に於けるあらゆる権利が失効若しくは制限され、あらゆる判断において兵権の優先が成される。

三月を超える場合はその前に、越えぬ場合は解除後に、国王に対して直接発令者が奏上せねばならず、戒厳の濫用は元老院による査問の対象ともなる。

領主不在のこの公爵領において、その様な強権が発動されていると言うのはどういうことだろうかと、ミシェルは首をひねる。

関所に着くとそこには既に長蛇の列が出来ていた。

王都へ向かうであろう旅人や、作物の買い付けに来たのであろう商人…のみならず、上級貴族の乗るような豪華な馬車まで足止めされている所を見ると、なる程ただ事では無いのだろう。

「あの…すみません」

ミシェルは商人風の老夫婦に声をかける。

純朴でいかにも心優しそうな田舎の老夫婦といった風体の二人だ。

「ありまっ!あんだぁ見てみぃ…魔女様だぁ」

「おおっ!こんりはめんずらっすぃ…ありがたやありがたや…」

「あ、ちょ…」

いきなり拝み出す老夫婦

「あの!ちょっとお尋ねしたいことがありまして…」

「へぇ…なんでしょう…」

「こちらの行列…皆さんどれくらい並んでいらっしゃるのでしょうか?」

「はぁ…魔女様ってのはお上品だで…」

「あんだ、いらっさるなんでわしらはんじめて聞いたはんでぇ」

とても善良そうな夫婦ではあるものの話が足踏みしてしまって全く前に進まない。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ミシェルがね、どんくらい並んでるか聞きたいんだって!」

「そじゃねぇ…昨日の夕方位にはこごにいたけんども」

「めんごい子じゃねぇ、魔女様のお子け?ミシェルっでいうんけ?めんげぇなぁ」

「あ、申し遅れました。私は篝火の魔女ミシェル、こちらは友人の娘でヴァニカといいます」

「ご丁寧にどうもぉ…」

「ヴァニカちゃんいうんがぁ、飴っこさいるけ?」

「うん!」

「ほうけほうけ、ほんれ、たっぐさんあっがら、好きなだけ食ってけれ」

「ありがとう!」

嬉しそうに飴玉を頰張るヴァニカと彼女を孫のように可愛がる老夫婦の姿は非常に牧歌的ではあるが、ミシェルとしてはそれどころでは無い。

昨日の夕方から関が閉じているのならば、恐らくは領地全域が封鎖されているとみてまず間違いは無いだろう。

シャラの街からここまでは500km以上離れているとはいえ、追っ手がかかるとすれば、この地に目を付けるのはそう遠くないだろう。

遊子とエリザベート、二人の生存を前提にすれば足止めを食らうのは非常に不味いし、二人が敵の手にかかってしまえばもはやここに居る意味すら無くなる。

(いっそ関を破って…)

そうも思うが、これから保護を求めようというのに、関係を拗らせてしまっては纏まる話も纏まらなくなると思い直す。

(関守に事情を話せば…いや、虚言と思われるのが関の山…)

初めから最後まで話した所で、信じられるような話では無いだろう。それこそ物語の様な出会いと、物語の様な旅路を過ごして来たのだ。

「どしたんだぁ、さっきから難しい顔しとるようだはんでぇ…」

「あんだ、そりゃ魔女様なんだがら難しい事考えてらっしゃるにきまってんべぇ」

「んだなぁ、ありがたやありがたや」

「え…いや、拝まないで下さいってば」

「ミシェル殿?」

「はいはい、今度は何ですか…え…サー・デーニッツ…?」

そこにいたのは堂々たる軍装に身を包んだ側衛騎馬大隊長リカルド・デーニッツだった。

「おおっ!騎士様じゃあ、ありがたやありがたや」

「でっげぇ馬っこだごと」

「あー、おほん…立ち話も何でしょうから…こちらへ」

拝まれるのが余程照れくさかったのか、顔を真っ赤にしたリカルドにミシェルは付いていった。


「なる程…それは殿下らしい…」

関所の詰め所内でミシェルからこれまでの経緯を聞いたリカルドは小さく笑う。

「いえ、エリーさん…エリザベート王女殿下が危険なんですよ?!」

「お母さんも!!」

「いや、失礼…ただそこまでご心配なさりますな、殿下がやれるとおっしゃったのなら、きっとお二人とも無事に戻られるでしょう」

全幅の信頼…それも姿も見ず、伝え聞いた状況だけでここまでは信じ切るというのは、余程の信頼関係の成せる業だろう。

「それと、おめでとう御座います、篝火の魔女殿」

「あ、ありがとう御座います」

「それとヴァニカ殿、貴方はよき母君をお持ちの様だ」

「うん!お母さんは凄いの!」

「そうでしょうとも、貴方の母君は殿下を幾度もお救い下さったのだから…」

「へへぇ…」

嬉しそうににやけるヴァニカ

「その様な母君をお持ちなのですから、安心して待たれるとよいでしょう。なぁに、すぐに殿下と共にこちらに来られる事でしょう」

「うん!」

ヴァニカもリカルドの豪放な語り口に納得したようだ。

「それで…なぜ今エリーさんの領地は戒厳令などを…?」

リカルドの言うところによると、一つに領内に刺客や敵対勢力の侵入を防ぐためであり、もう一つにエリザベートに対するメッセージであるのだという。

現在のフェアラインヒル公爵領では、農騎兵連隊と歩兵部隊の交代制による一部動員と側衛騎馬大隊による警戒網が敷かれているらしく、また夜間外出禁止令が出されているほか、領内に多数の臨時の検問所を敷設して侵入者に対する警戒を強めている。

また、領地のほぼ全面的な封鎖を行うことにより、エリザベートへ味方がここに集結していることを伝えると共に、敵対勢力に対する牽制としている。

「まあ、流石に完全に封鎖する訳にはいかないモノで、3日に一度程度は関と周辺の数箇所の村を身元のしっかりしている商人達にのみ限定的に解放してはおりますがな」

王都圏有数の穀倉地帯とはいえ、食料や生活用品、軍需物資を領内のみで賄える訳ではない。そもそも、エリザベートの逃走劇とは関係なく、領民達の生活は続いているのだ。

「そうですか…」

「お二人とも、長旅でお疲れでしょう。連隊の者に送らせます故、先ずはビャクダンの街に向かって下さい」


王都

昼食を終えて茶を喫していたジナイーダの前に、赤黒い色のみすぼらしい衣を纏い、目深に被ったフードで顔を隠した男が座る。

「随分と遅いお出ましだ事…」

死と腐敗の香り…只人には感じ取れない様な、嗅覚では無く魂に直接感じる異端者の香りは、彼がジナイーダの待ち人であることを物語る。

「なぜ、王女に接触を?」

「なぜ…とはどういうことかしら?」

「聞きたいことは幾つもありまする。そして其れは貴方が思う通りの問いに御座いますれば」

なぜ自分達と接触する前に協力者と会ったのか、なぜ積極的に自分達に会おうとはしなかったのか、なぜこの王都で自分達の事を探っているのか…

彼らが聞きたいことはこう言ったものだろうと、ジナイーダは思う。そして、それを聞くことで彼らが何を伝えたいのかも…

「勝手をするなと言う事かしらね」

「察しがよろしいようで」

彼らには彼らの計画があるのだろう。それこそ数世代に渡る悲願を成す為の大切な計画が…

実際、彼らの悲願はジナイーダの願いと大部分において合致している。それに乗っかってしまうのが彼女にとっても楽な方法であると言うことも十分に理解はしている。

「お気に召さないのなら、自分達で我を通してみたら如何かしら?」

しかし、永く退屈な時を過ごして来た彼女は享楽主義者でもある。ただ待つこと、陳腐な彼らの計画の成就をただ待つような事をしようなどというしおらしい気持ちは、彼女は持ち合わせてはいない。

「飽くまで勝手を貫くと?」

「ふふっ、我を貫くのは力ある者の特権では無くて?」

世界を支配するマナの流れ、尽きる事の無い美しい音色を奏で続けるその水面に、歪な振動が奔る。

巨大な金属の歯車を無理矢理噛み合わせた様な轟きは、ジナイーダと対面する男の元にも届いたのであろう。ポトリと、テーブルに汗が落ちる。

巨大な力、それは世界を巡るのがマナであるように、彼女の内を流れる力の一部が現世に顕現する様な、あり得べからざる力同士の反発の波紋

「分かりました…しかし、くれぐれも我々の邪魔は成されませぬよう…」

震えた声で、しかし精一杯の虚勢を持って伝えてくる男に、ジナイーダは余裕溢れる笑みを向ける。

「それは…命令かしら?」


フェアラインヒル公爵領ビャクダンの町

「う…」

「魔女様?!」

小さな呻きを漏らし、ミシェルがその場にへたり込む。

「ミシェル、どうしたの?」

ヴァニカと護衛の農騎兵が彼女の元に駆け寄る。

ビャクダンの町の木戸をくぐり、エリザベートの屋敷に向かう途中で、彼女は世界が割れる様な異常な力の奔流を感じた。

それは美しい音楽に突如として乱入した雑音の様な不快であり得べからざるもの…

「はー、はー…す、すみません…」

一瞬で息苦しくなるような不快なそれは、しかしその大音声を持って世界の力に取って代わろうと言うような力と、元々の世界のマナの力がぶつかり合うかの様に響きわたった不協和音

「み、皆さんは…大丈夫ですか…?」

「いや…特には何もねえですが…」

「あたしも大丈夫だよ?大丈夫、ミシェル?」

普通の人間である農騎兵のみならず、鋭敏な感覚を持つヴァニカですら何も感じていない様子である。

(気のせい…?いや、そんなぼんやりとしたものじゃ無かった…)

確かに感じた不快感は、彼女にはそれがまやかしのようにはどうしても思えなかったし、現に彼女の体に宿る精霊は怒りと恐怖を示すかの様にざわめいている。

「おいっ!どうしたんだおまえら」

「あ…オドゥオールの旦那…魔女様が…」

「あぁ?魔女…?おい、大丈夫か?」

ミシェルはかけられた声の主を見上げる。小山の様に大きな肩と巨木の下枝の様に太く筋張った腕、緑色の肌に大きく天を向いた牙を持つ大男は心配そうな顔で彼女を見下ろしている。

「オドゥオール…さん?」

「こいつぁ驚いた…ミシェルの嬢ちゃんか」

それはミズナラの街で別れた気の良いオーク族の戦士の顔だった。

「緑のおっちゃん!」

「おお、ヴァニカも!元気だったか?」

オドゥオールはヴァニカの頭をガシガシと撫でる。

「ひゃー、首が取れちゃうぅー!」

「あっはっはっ、取れねえって」

楽しそうに撫でられるヴァニカ

「それで、大丈夫か?なにが…いや、話は後だな」

「ひゃっ…」

オドゥオールはミシェルを軽々と抱え上げる。

「いいなぁ…うひゃ!」

「ほれ、行くぞ」

羨ましそうにミシェルを見上げていたヴァニカを空いている方の手で持ち上げて肩の上に乗せたオドゥオールは、のしのしとエリザベートの屋敷に向けて歩き出した。


白銀の館

エリザベートの屋敷は、領主の屋敷とは思えないほど質素なものだった。

周囲に水路に毛が生えた程度の水堀が巡らされた広い庭園には庭木の一本も無く、屋敷の中に目を向ければ豪華な調度品の一つも無く、必要最小限の家具のみが置かれた殺風景な石造りの廊下が続いている。

所々に軍旗が飾られていなければ廃墟であると言われても納得してしまいそうな程だが、掃除は行き届いている様で、誇りの一つも無い様子は流石に貴族の屋敷と言うべきだろうかと、ミシェルはその感想をどう自分の中で纏めるべきかと思っていた。

彼女が通された部屋は会議室の様で、飾り気の無い大きな木製のテーブルと多数の椅子が置かれている他は特に何も置かれていない。

「余りにも質素で驚かれましたかな?」

「あ…いえ、そんなことは…」

公爵家の家宰であるというギャビン・セバスティアン・ザッカーバーグが穏やかな微笑みを向けて尋ねてくる。

「いえいえ、お気遣いはご無用に」

「ま…まあ、その…確かに…ただ、この地は王都圏でも屈指の豊かな土地だと聞いています。なぜこのような質素な暮らしをなさっているんですか?」

よく肥えた大地と豊富な水源に恵まれたこの土地であれば、仮に領主が贅を尽くした生活をしたとて、領地の財政に圧をかけるとは到底思えない。

ギャビンは微笑みを崩さぬままに、説明を始める。

曰くこの屋敷は質素なのでは無く、エリザベートの思想を強く反映した結果としてこの様な姿になっているのだという。

広いだけの庭園は、有事の際に部隊の集結地及び物資の集積地とするために無用な物を置かず、奇襲に対応する為に目隠しとなる庭木を植えずに堀の脇には土塁を配する。

屋敷自体も野戦病院としての利用を想定して邪魔になる調度品を置かずにかつ部屋数を多く取り、また廊下も広くする事によって収容人数を多くしている。

会議室の多さは後方司令部としての使用を前提としており、また有力な歩騎兵による正面戦力を有し、先制侵襲的な軍事ドクトリンを掲げる当地の特性上、防衛も攻撃的な機動襲撃戦闘を想定している。また安定した王都圏の地勢的特性を鑑み、籠城戦は想定しておらず、王都やミズナラの街の様な重防御都市の形はとっていない。

ビャクダンの町全体も含めて平時においては重商業地域として、有事においては兵站の中心地として利用するというエリザベートの思想の元の町作りである。

事実、この体制によって周辺諸侯との領有権に関する小競り合いで領地を失陥する事も無く、また収穫期に隣領間で多発する騎士団による襲撃に対しても効果的な対処が行われて領地領民を保護できている。

旅の間のエリザベートの様子を見てきたミシェルとしては、彼女がその様に領地経営や軍隊の運用において辣腕を振るっていると言うのが、どうにも想像し難いものではあったが…

遠征先でも領地との間でこまめに手紙をやり取りし、様々な問題を解決していく名君然としたエリザベートの姿を思えば、数度しか訪れていないとはいえ、彼女が如何に領地とそこに住む人々を思っていたかというのはミシェルにも容易に想像がつく。共に旅をする中で、エリザベートの情と執着の深さはよく理解していた。

積極的な生産力向上の為の農政改革も、抜本的な軍制改革も、大切な領民を守るためエリザベートが足掻いた結果なのだろう。

「ふふっ、エリーさんらしいです」

ミシェルが領地の事、エリザベートの事をギャビンから色々と聞いていると、この部屋の中にリカルドやオドゥオールを始め、大勢の人々がやって来る。

郡司や代官、領内の軍や側衛騎馬大隊の各級指揮官、商工ギルドの組合長といった現在のフェアラインヒル公爵領の政治及び防衛の中心人物達である。

この地にエリザベート自身が殆ど直接訪れた事が無いため叙任こそされていないとはいえ、領内からここに集っている殆どの者は騎士並みの待遇とされている。

これからここで行われるのは会議である。

議題は明らかになった領主エリザベートの動向についての情報の共有と、今後の方針の策定である。

「よう、ミシェルの嬢ちゃん」

「あ、オドゥオールさんも参加されるんですね」

「ああ、こういう真面目な場所は余り得意じゃ無いんだが、手伝いでここの兵隊達の相談役みたいな事をしてる都合でな」

「オドゥオール殿には喧嘩やトラブルの仲裁をして頂いているほか、兵達の教練などでお力を貸していただいているのです。」

面倒見がよく親分肌でもあるオドゥオールの人柄を思えば正に適任だろうとミシェルは思う。

「ヴァニカちゃんは大人しくしていますか?」

「ああ、町のガキ共に預けてきた」

「え゛っ…大丈夫何でしょうか…?」

物怖じしない性格ではあるが、その境遇から考えてあまり同年代の子供と遊ぶ経験が無いであろうヴァニカだ。町の子供達の中に放り込まれて平気なのだろうかとミシェルは不安を感じた

。だが、オドゥオールはその不安を一笑に付す。

「ガキはガキ同士で思い切り遊んでた方が余計な事を考えなくて済むもんだ」

オドゥオールなりにヴァニカに気を遣っての判断らしい。

「なんだかすいません…オドゥオールさんは凄いですね」

「よせよせ、かゆいかゆい!それに凄いってんなら、嬢ちゃんこそ凄ぇじゃねえか…リカルドの旦那から聞いたぜ?篝火の魔女様、だろ?」

「ふふっ、止めてくださいかゆいです」


王都

近衛卿のゴドウィンは苛立っていた。

彼の部下であるカール・ラスヴィエットがしくじり、王女を取り逃がして一月以上たっても、王女の動向は杳として知れない。

カールにとって圧倒的有利な状況で始まったミズナラの街の攻城戦は、二週間に渡る苛烈な市街地戦を経て彼の率いる傭兵部隊は城外に追い落とされ、緊急動員されたノードベイスン領内の部隊、救援に駆けつけた南方に残留していた側衛騎馬大隊残存兵力、フェアラインヒルの農騎兵連隊に挟撃されて殲滅された。

カールこそどうにか逃走を図りゴドウィンとこの戦いの繋がりを示す証拠は残っていないものの、王女の足跡は途絶え、彼女の帰還に備える様にフェアラインヒル公爵領は側衛騎馬大隊と協調して蟻一匹通さぬ程の警戒網を敷くに至る。

高い金を払い、大量の傭兵を雇い入れ、何も得ること無く完全な敗北を喫したのである。

まだ信用できる私兵は残っている上に、傭兵を雇い入れる為の資金こそあるものの、全隊が集結した側衛騎馬大隊と即応体制の整ったフェアラインヒル軍を正面から撃滅出来るような傭兵の戦力は最早王都圏には無く、間諜を忍び込ませようにも同地の警戒は余りにも堅すぎる。

それこそ王命によってフェアラインヒルに送り込んだ正規の間諜達すら、未だ一人も戻ってこない。

「閣下恐れながらご提案が」

カールの後を引き継いだ怪僧ロドリゴが進み出る。

「申してみよ」

「はっ、奴らが領地に引きこもっておるのなら、引きこもらせて置こうではありませんか」

前任のカールが武断であったのに対して、ロドリゴは権謀術数に長けた男である。

かつて王都の大聖堂の聖職者であった彼は、宮廷における剣無き闘争において幾つもの重大な働きを見せており、その腕を見込んでゴドウィンに召し抱えられた。

「領地に引きこもり文や使節をもって現状を陛下に伝えるとなれば、元老院も陛下もそのお心を揺さぶられる事はありますまい。なれば必ず当人が上洛を目指すでしょう。そこには彼の者の現況を思えば護衛と示威で兵を率いて来るであろう事は必定…閣下はただ王国の騎士として、近衛卿として、陛下の宸襟を安んじるというお役目をただ果たされればよろしいかと…」

なる程とゴドウィンは思う。

現状王宮が最も警戒を向けているのは武断タカ派筆頭とされているエリザベートであろう。その彼女が親書や使者に言葉を預けたとて、何か裏があると王宮や元老院が字面をまともに受け取るとは思えない。

それはエリザベート陣営も十分に理解しているだろうから上洛を企図しているのだろう事は想像に難くない。

名目としては戒厳の奏上の為の上洛。

近衞軍の反乱を恐れて王宮が軍を動かす事は想定内、とすれば国王との公式の会談を求めるエリザベート陣営は抑止力として、かつ要求に対する強制力の根拠として、軍を率いて堂々と進軍して来るだろう。

その隊列を掻き集めた傭兵部隊をもって横撃する。名目としては王都へと軍を進めていたずらに世を騒がせた軍を誅する為。そのどさくさに紛れて王女を殺してしまえば良い。

確かに王の不興を買うだろうが、元老院や国王の側近中の側近達である枢密会議の面々は心底から現体制に対する王女の脅威を感じている。しっかりと根回しさえしておけば、仕方の無い事故であったとして処理されるだろう。

中々の妙案だと言えるだろう。

「ふむ…ではやってみるがよい。ただし失敗すれば…分かっておるな?」

「それはもう、理解しておりますとも」


王都 王宮

「イリアナ様、何かあったのですか?」

「あら、そう思う?」

「ええ、とても嬉しそうなお顔をなされておりますもの」

そんな顔をしていたのかと、イリアナは自分の顔を触る。

「貴方には何でもお見通しなのね」

イリアナはその髪を梳かしてくれている侍女のアリアに言う。

十五になる頃から五年間仕え続けてくれている彼女は男爵家の次女として生まれて、王宮に奉公に上がっている。

コネクション作りの為に貴族が王宮にその子女を奉公にあげるというのはよくあることで、特に王位継承権者の元に侍女として仕えることは、将来的に王位に就く者に対する先行投資とも言えるだろう。

とはいえ王位継承順位四位であるイリアナの元に仕える彼女とその実家はそこまで野心の強い方では無いようだ。

媚びるのでは無く、まるで姉のように接してくれるアリアに、イリアナは心地よさの様な物を感じている。

「さぁ、出来ましたよ」

「ありがとう、それじゃあ行きましょうか」

髪を纏めたイリアナは、アリアを伴って王宮の中を行く。

辿り着いたのは王宮の地下深くの墓所。昨日イリアナと賢者が相対した場所である。

「王宮の地下にこんな場所があったのですね」

「ええ、驚いたかしら?」

隠された地下を興味深そうに見回すアリアにイリアナは微笑んだ。

「ええ、流石はイリアナ様ですね!こんな場所を見つけるなんて」

「ふふっ、転ばないようにね?」

そう言われた矢先にアリアは何かにぶつかって尻餅をつく。

「こいつが…か?」

彼女がぶつかったのは、人

赤黒い、みすぼらしい衣を纏った男

アリアは慌てて飛び起きイリアナを守るように立ち塞がる。

「な、何者ですか!ここは王宮ですよ!」

精一杯の声で、男を誰何する。

しかし男はそれに答えることは無く、アリアの全身を見やる。

「ふむ…よかろう」

「貴方は何を言っているのですか!私の質問に答えなさい!」

それでもやはり返事は無く、男はその場から動こうともしない。

「イリアナ様、お逃げ下さ-」

背後から脇腹に走った衝撃にアリアは言葉を遮られた。

彼女が自分の腹部を見下ろすと、そこからは短刀の切っ先が飛び出していた。

「ごめんなさいね、アリア」

「え…イリアナ…様?なん…で?」

「大丈夫よ、貴方は私のお気に入りだったわ」

短刀が抜かれ、地面に倒れ込む。

その彼女の髪を無造作に掴み、男は歩き始める。

「い…いや…離し、離して!イリアナ様、イリアナ様!」

血を吐きながら自分の名を叫ぶアリアの声が徐々に遠くなっていくのを確認して、イリアナは振り返った。

緊急で高い知性を持つ人間の死体が必要であると言われて、取り敢えず手近にいたアリアを連れて来たイリアナだったが、ふと何に使うのだろうかと思う。

とはいえ、エリザベートの捕獲の為だと言っていたので、いつもの不気味な秘術とやらだろうと気付く。

(まあ、目的さえ果たしてくれれば問題は無いか)

イリアナは軽い足取りで、自分の部屋へと戻っていった。


正化8年7月10日

フェアラインヒル公爵領 西の関所

関所周辺の警戒にあたっていたギルバートは、退去の指示に従わない者が居るとの報告を受けて関所に向かっていた。

生来戦いが好きで好きでたまらないといった男である。何者が抵抗しているにしろ、戦闘が起きてくれはしないものかと思っていた。

関所に着くと、なる程かなりの騒ぎになっていた。騒ぎの中心にいたのは見るからに貴族の子弟といった風体の男

大勢の兵士に囲まれながら、道のど真ん中で怯む様子も無く仁王立ちしている。

「ようし!手伝いに来たぞ!」

馬を飛び降り、騒ぎの元に駆けつけるギルバート

「騎士様!お待ちしていました。何やらあの男側衛騎馬大隊の兵士を出せと騒ぎ立てておりまして…」

命令を聞かず、しかし抵抗するわけでも関を破るわけでも無くただ自分の要求を突きつけてくる彼に余程困っていたのだろう。駆け寄ってきた兵士は心底から疲れた様な表情をしている。

「騎士が来た様だな!早く連れて来い!!」

男の叫ぶ声

「ああ、側衛騎馬大隊のギルバートだ。貴公のようきゅ…殿下?」

「ああ、久しいな」

その声の主は、彼の仕えるエリザベート王女

「ご…ご無事で何よりです!」

ギルバートはその場に跪く。

「戦陣に礼法は無用だ」

ギルバートは立ち上がり、主の顔を見る。

別れた時と何も変わらず、強い目をしていた。


残念なことに、関所の兵隊達はエリーの顔を知らなかった。

追い返され、どうしようかと思っていた時にエリーが名案があるというので、任せてみたらこの大騒ぎだ。

当の本人は駆けつけてきた騎士と楽しげに話しているが…何というか非常に傍迷惑な事をするものだ。足止め食らった人ごめんなさい、悪いのはエリーです!

「おーい!エリー、私も忘れないでよー!」

とはいえ、置いておかれたらたまったもんじゃ無いので、困惑する兵隊の後ろからエリーに呼びかける。

「すまない、そこを開けてくれ。私の友人だ」

「おい、言う通りに!」

兵隊が両脇に避け、綺麗に道が出来る。

「おお、異界の旅人殿!お久しぶりです」

誰だ?この大男は

「殿下をお守り頂き、側衛騎馬大隊を代表してお礼を!」

「は、はぁ…」

右手を握られて上下にぶんぶんとされる。かなりの馬鹿力だ。

「タンマタンマ!腕が取れる!」

「おっと、これは失礼」

ぱっと手を離してくれたが、一体何者だろうか?

目線でエリーに助けを求めると、彼女は察してくれたようだ。

「ああ、そういえばあの時卿は顔が血塗れだったろう?」

「そういえば…それにご挨拶もしておりませんでした。これは失礼」

顔が血塗れ?ああ、でっかい剣を持っていたあの騎士か!

「申し遅れました。自分はギルバート・フォン・アルデバランと申します」

「血塗れで思い出しました。物見遊子ですよろしく」

今度は上下にぶんぶんされずに握手する。が…

「いだだだだ!」

「あぁ、し…失礼しました」

硬い握手は良いが、限度がある。掌が摩滅するかと思った。この馬鹿力め!

「全く、力加減をするよういつも言っているだろう」

呆れた様子のエリーの様子を見るに、いつもこんな感じなのだろう。ギルバートとはもう二度と握手はするまいと、私は心に誓う。

「さあ、お二人ともこちらへ!」

ギルバートに続いて関所の木戸を潜る。

いやはや、ようやっと到着だ…

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