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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
第5章 幸福の街
16/28

守ってきたもの

エリザベートは外に飛び出しては来たものの、周囲に先程の男の姿を見つけることが出来なかった。

焦る気持ちを抑えつつ、必死で聞き込みをするも特に有益な情報もない。それでも、似た背格好の男を見た、そういう服装の人ならあっちに…といった細かい情報を一つ一つ虱潰しに確認していく。

結果としてその全てが外れである。

例えば、これが目の前にいる数百の敵であれば、彼女は勝てぬとしても、勝利を信じて果敢に挑んだであろう。

例えば、敵が未知の化け物を彼女にぶつけて来たとしたら、死中に活を見出し、物語に語られるような戦いを見せたであろう。

その様な彼女の勇気と実力は、敵にも知られているのだろう。人質を捜し出し、救出するような事が彼女には適していないと言うことも…

(これじゃあ…何の役にも立っていないじゃ無いか…)

彼女は己の無力さに歯噛みする。

自分では二人を救えないのでは無いか…そう思うほどに、焦燥は募る。

明日の夕刻、それが敵の提示したエリザベートの身柄と二人の身柄を交換する時間である。

(だが、どのみち二人を解放する気は無いだろう…)

そもそも、必要が無いどころか、敵にとってはそれは有害ですらある。エリザベートの行動の自由さえ奪ってしまえば、態々障害になり得る二人を放って置く必要が無い。

律儀に約束を守るような連中であれば、人質などというせせこましい手段に出るはずは無い。

(明日の夕刻が…私にとっても、二人にとっても、どのような選択をするにしろ、そこが…タイムリミットだ)

とにかく、足で探し出すしか無いと、エリザベートは再び街の中へ駆け出していった。


生憎と、私達の靴の裏に草の種は付いていなかったが、見回りに来た敵の靴に付いていた草をミシェルが見つけてくれた。

ゆっくりと、静かに…それでも自然な成長よりは圧倒的に素早く、激しく芽を出したそれは、自らの重みで靴の裏から落ちる。

見回りが立ち去ると、石造りの建物の隙間に入り、あっという間に根を張り、穂を付け、種を散蒔く。どうやらイネ科の植物のようだ。

幾つもの種が、篝火の魔女ミシェルの強大なマナによって、成長し、種を蒔き、枯れていく。

それを数回繰り返した頃には石造りの建物内に、かなり鬱蒼とその草が生い茂っていた。

そして、牢の格子がぐらつき始める。

やっぱり思った通りだ!

この世界のマナの基本ルールは中国の五行思想に非常に似通っている。

木剋土、木は大地から養分を吸い上げて痩せた土地にしてしまう。水分や養分を完全に吸い上げられれば、その容積や質量は圧倒的に小さくなる。それこそ上に積まれた石がそれによって生じた隙間に落ちてしまうほどに。

良い感じで草の生い茂っている辺りの床が陥没していく。

「おっけい!ちょっとストップ!」

ミシェルに一旦はストップをかける。余りやり過ぎて建物ごと崩落しては元も子もない。

手で軽く格子を押す。

ガッシャーン!と大きな音を立てて倒れた。

「やっべ!」

「ユーコさん、こっち!」

ミシェルが私の手を引いて走り出す。

迷い無く進むミシェル。敵が騒いでいる声はするが、一切出会うことが無い。まるで敵の姿が見えている様だ。いや、見えているのだろう。私達一般人には見えない力の流れが…

勢いよくドアを開け、飛び込んだのは無人の部屋

私達の荷物がまとめて置いてある。いや、几帳面な誘拐犯ですこと

「次はこっちです!」

「はいはいっ!」

私としては、手を引かれながら付いていくことしか出来ない。しっかり素直に従おう。

「やばっ!こっちです!」

別の部屋に引っ張り込まれる。

妙な空間だ。中央の台座におかれた豪華な棺桶。その周囲を囲うように置かれた雛壇にも棺桶が幾つも並んでいる。

バラエティ番組の墓場かな?

「入って!」

馬鹿な事を考えていたら、ミシェルに中央の棺桶に押し込まれてしまった。嘘だろ…具が入ってるぜ…これ

「ちょっと-」

つっこみにしては行き過ぎたそれを諫めようとしたら、ミシェルのデカい乳が目の前にあった。

次の瞬間には棺桶の蓋が閉じられ、視界が真っ暗になる。

「あのー篝火の魔女さん?私の横にこの棺桶の具の方がいらっしゃるんですが…」

「我慢して下さい。敵がすぐ近くにいるんです」

それでこの中に隠れたのだろうが…

「あと乳肉が喉の辺り圧迫してきて苦しいんだけど…」

「あ…ちょっとずれますね」

こっちは素直だ。

くしゃっ!

ん?何だ今の音…

「もしかして具の人潰した?」

「…この位置なら苦しくないですか?」

今の間は完全にそうだ!

「うーん、ていうかミシェルが重いよね」

「うぅ…ユーコさんはすぐそういうことを…」

顔の目の前からミシェルの声がする。

下をペロッと出してみる

「んひっ!ちょ…何するんですか!」

「いや、見えないからさ…」

「私には見えてるんです!いきなり顔を舐めてくる人がいますか!」

ほう、思いの外顔が近いようだ…よし、左手は動かせるな!

「余りふざけ-んんっ…んー!んー!ん…ん…んんー!んん…」

左手でミシェルの顔をかき寄せてキスをしてみる。しかもこの世界からすれば貞操観念のぶっ壊れた地球仕込みのディープな奴を

「ん…ん…」

大分大人しくなってきた。左手を離して顔の位置をずらす。

「ぷはぁっ…はぁ…はぁ…はぁ…」

ミシェルの吐息が顔にかかる。熱い…

「はぁ…はぁ…ミシェル…可愛いね」

「…見えてはない」

反応がおかしい。いつもならもっと怒ると思うんだが…

「見せてくれるの?」

「そう…分かりました、お願いします…私も…はい…精一杯…」

考えてみれば、雪冠の魔女の館は女の園だもんなぁ…こういう趣味に目覚めるのも無理は無いか…イメルダといいミシェルといい…まあ、私は行こうと思えば全然いけない事は無い!

特にミシェルは可愛いし

「ふふ、可愛い子猫ちゃん…それじゃあこれは予約って事で…」

もう一度キスをする。さっきよりも長く。ミシェルは呼吸を荒らげる事もせずに応じてくれている。

不意にミシェルが離れる。

ガンッ!と言う音…恐らく後頭部をぶつけたのだろう。

「気持ち良かったなら嬉しいけど、あんまり騒ぐと見付かっちゃうよ?」

「んなっ!何してるんですかぁ!」

小声でミシェルが言う。あ、いつもの感じだ!

「何って、私の故郷のキスですが?」

「そうじゃ無くって!な・ん・でユーコさんが私にキスなんて…それもあんな…しししし舌を…あんなに…」

「気持ち良くなかった?」

「そうじゃ無く!」

「気持ち良かったんだ?」

「ちがくてっ!」

ミシェルが一人で静かに大騒ぎだ。

対する私はどうしたんだい、子猫ちゃん的なノリのお陰で大分余裕がある。

「私が白雪の魔女様と話している間に…あんな…というか、そういえばその前から」

ん?白雪の魔女…?

「えっと…どういうこと?」

「ですから、あんな…あんないやらしい事…」

「ごめん、それの続きは後で!白雪の魔女って部分を教えて?」

「あ…後…後でも駄目です!」

何だろうこの子、割とチョロそうな気がする。

「全く…えっとですね、ユーコさん隣にいる方、白雪の魔女様です。」

隣…具の人が…?

「え、何で?」

「正確には白雪の魔女様の遺体の一部ですね…」

「話したの?と言うか話せるの?」

「はい、白雪の魔女様は魂がまだ肉体に残っていますから」

そういえば雪冠の魔女もそう言っていた事を思い出す。だからこそ、不完全なエリクサーでも復活の役に供せるのだ。白雪の魔女本人の復活しようという意志さえあれば、だが。

「それで…何て言ってたの?」


方々を駆け回り、ようやく得られたのは錬金術師の店の前で二人が攫われたのだという情報だけ。しかし、その後の足取りは杳として知れない…

落胆しつつも、それでも絶望はすまいという意志で挫けそうになる心を支えながら、エリザベートは地道に聞き込みを続けていた。

「エリー!」

「な…ヴァニカ!待っているように言ったろう!店に戻りなさい!」

「嫌だ!」

「何でそんなに聞きわけが-」

「あたし、お母さん達の場所分かる!」

「な…」

「あたしお母さんとミシェルの匂い分かる!二人を見つけられる!」

恵みの子…そうか、とエリザベートは思う。犬さえも上回るコボルトの嗅覚を持ってすれば、二人の後を追うことも出来るだろう。

「だが…危険だ!」

「お母さん達の方が危ない!」

子を思う母の思いは強い。しかし、母を思う子の思いもまた強いと言うことだろう。

エリザベートは大きく息を吐く。

迷っている余裕は無い。危険だというのなら、この剣をもって守るまで

エリザベートは決心を固めた。

「…分かった。ヴァニカ、君の力を貸して欲しい」

「うん!」


「なるほどね…」

要点を纏めれば白雪の魔女に未だ復活の意志は無く、その事に気が付かず自分の為に世界の流れに背く信奉者達を止めて欲しいという話の様だ。

信奉者の目下の目的は、白雪の魔女の遺体を完全に揃えることと、エリクサーを手に入れる事。

エリーを狙う理由は、彼女の捕獲の報酬として第二王女から白雪の魔女の遺体の最後の一部分の譲渡を約束されているから。

エリクサーは白雪の魔女の友人だった賢者が王都におり、それを頼る腹づもりなのだそうだ。

「白雪の魔女はエリーを殺そうとしている。じゃなくて、エリーを捕獲しようとしているって言ったんだよね?」

「はい、第二王女は秘密裏にエリーさんを捕獲して自分の元に閉じ込めようとしているそうです」

体の一部を第二王女が持っていると言うこと、それは体の一部から白雪の魔女にも見られているのと同じ事なのだという。

「第二王女が関わってるのは分かるけど…何で生け捕りなんてまどろっこしい事を?殺しちゃった方が速いし確実だと思うけど…」

「五体満足で無くても、生きてさえいれば良いと言うことみたいです。それと…理由は…その…」

「ん?なんか言いにくいこと?正直それどころじゃ無いんだけど…」

手がかりは多い方がいい。聞きそびれた理由一つで最悪の結果を招かないという保証はどこにも無い。

「えっと…さっきのユーコさんのあれと一緒です!」

「あれ?」

「その…いやらしい…あれ…」

何だ、そんなことか

「性欲ね!」

「いや…その、言い方…」

「でもイリアナはエリーの実の妹でしょ…いや、割とこういった事は封建社会じゃ珍しくも無いのかな…まあどちらにしてもイリアナがサディストでど変態なのは確定か…ん?どうしたの黙っちゃって」

「い…いえ、相変わらず真面目なときと巫山戯てる時のギャップが凄いな、と…あと恥じらいとかって…」

日本が大和撫子の国だったのは今は昔、慎みや恥じらいなんて言うものは耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ中でとうに失われた古き良き日本文化の一つだろう。探すんなら戦前生まれの本物の大和撫子を連れてくるしかない。

「しょうがないよ、何せうちの国は夜這いの国だから」

「よばっ…」

嘘は言ってない。まあ、主に最近まで行われていたのは農村部の庶民の間だけだが…

「エリーと貝合わせして遊びたい変態シスコン王女は置いておくとして…賢者か…ちょっとだけ…ほんのちょっとだけそれっぽい人知ってるんだよね…」

「え…知り合いなんですか?」

「いや、共通点が多いだけの他人かも知れないけど…」

何十年も見た目が変わらない。エリクサーという錬金術師の目指すものを完成させたと言うことは賢者もまたも錬金術師だろう。東に旅立った賢者とかつて東にあったとされる錬金術先進国から来たとの噂…そして

「ジナイーダ・クトゥーゾヴァ…マダム・ジナイーダ…」


ヴァニカの鼻の凄まじさは、エリザベートの想像を遙かに超えていた。上を向き、空気中の匂いを嗅いだかと思えばすぐに走り出し、すぐにこの大願の聖堂までやって来た。

「この中にお母さん達いる!」

「分かった。それじゃあ君はここで-」

服をぎゅっと掴み、エリザベートを見つめるヴァニカ

「いや、私の後ろから絶対に離れないこと、いいね?」

「うん!」

ヴァニカを背にエリザベートは聖堂の扉を蹴破る。

まるで枯れ葉の様に粉砕されたそれは、一番奥の祭壇に衝突して止まった。

中に人影は無い。

「こっち!」

ヴァニカが指差したのはただの壁だ。

「本当にここから?」

「うん!」

何の変哲も無いように見える石壁だが、よく見てみると側面に僅かに擦れたような跡のある石が縦に並んでいる場所が二カ所ある。

エリザベートがそこに手のひらを当ててみると、なる程僅かな風を感じる。

恐らくは仕掛け扉の類だろうが、生憎とエリザベートにその手の謎解きの才能は無いし、そもそもそんなことをしようとも思っていない。

「なる程、もし違ったら一緒に謝ろう」

「わ、分かった!いっぱい謝る!」

エリザベートは助走を付け、渾身の蹴りを壁に放つ。

崩れた壁…その向こうには通路が繋がっていた。

「大当たりだ、流石ヴァニカ」

得意気な顔をするヴァニカの頭を撫でると、エリザベートはサーベルを抜いた。

「さあ、宝物を取り戻しに行こう!」


「マダム・ジナイーダ…誰です?」

「クロマツの街で錬金術師をやってる人」

ミシェルはマダムの事を知らない。何せ彼女と出会ったのはクロマツの街の先の魔の棲む森だ。基本的に錬金術師が苦手な魔女…当時は魔女見習いが態々マダムの店に行ったことも無いだろう。

「何で賢者がそんな場所で?」

「さあ…昔から自分のお店を持つのが夢だったとか?まあ本人なんだとしたらだけど…」

ただ順当に理由を探すのなら、友人である白雪の魔女の復活に備えて王都圏に舞い戻ってクロマツの街に根を張ったと見るのが道理だろう。

マダムが賢者本人なのだとすれば、千年紀を軽々と飛び越えるエターナルな方々の一人だ。軽く友人の帰りを待つような感覚で数世紀ぐらい平気で待つだろう。

「雪冠の魔女といい、賢者といい、エターナルな方々が何考えてるかなんて分かったもんじゃ無いけどさ」

「雪冠の魔女様はそんな妙な方じゃ…いや、方ですね…」

思えば、これまでは自然が多くて中世のヨーロッパみたいな文明で、時たま魔女が空を飛んでる事以外は、大して妙な事も起きなかったのだが…

クロマツの街でエリーに出会ってから、私の旅路のファンタジー力は一気に上がったが、まさかこれ程のファンタジーと向き合うことになるとは思ってもみなかった。

「何でしょう…外が妙に慌ただしいですね…」

「どんな感じ?」

「この部屋の外に生やした草から見ているんですけど、大勢の人が駆け回って…ああ、この部屋の中にも人が…!」

ミシェルの口に手を当てる。その後口の動きで静かにと伝えると、肯く様な感触が伝わってきた。

いや、マナを見るって便利だねぇ…


大勢が周囲を包囲することなど出来ない狭い廊下、行動を極端に制限するそれは、しかしエリザベートにとってはただ足場が増えただけに過ぎない。

常に敵の防御の隙間を、視線の間隙を突くようにして敵を確実に葬っていくエリザベートの背後には、まさに死山血河と呼ぶべき惨状が広がっていた。

だが、彼女は一層警戒を強める。

今まで出会った敵は誰一人として彼女の剣に反応できてすらいない。それは即ち、件の外法を使う敵とは出会っていないと言うことである。

ここに外法を使える者が居ないというならそれでよし。今回は隠れて温存するのもまたよしとしても、問題は機を見てこちらにとって最悪のタイミングで投入される事である。

二人を救出出来た場合、エリザベート一人で三人を守らねばならなくなる。

「エリー!もう近くまで来てる!」

幸いにもヴァニカはコボルトから受け継いだのであろう健脚をもってエリザベートの後ろに確りと付いてきている。生来の敏捷性も相まって、彼女を守り抜くことは余り難しく無いだろう。

しかし、エリザベートの見立てではミシェルは精々町娘程度にしか動けないだろうし、バイクの無い遊子に至っては農村部の老人にすら劣る様な体力の無さである。

さて、どう守ったモノだろうか…

考えながらも、剣を振るう手は、踏み込む脚は止まらない。生まれたばかりの赤ん坊が呼吸の仕方を知っている様に、稚魚が泳ぎ方を知っている様に、彼女にとっての剣技は魂に刻み込まれたものであるかのように滑らかで、自然で、そこに一切の躊躇も迷いも感情すら無い様に振るわれている。

「エリー!この部屋!この部屋からお母さん達の匂いがする!」


「え…ヴァニカ?」

愛しい娘の声が聞こえ、棺桶の蓋を跳ね開けてしまった。

「ユーコさん!」

目に映ったのは驚愕の表情を浮かべてこちらをみる狂信者の顔と、ドアを蹴破ったエリーの姿。

「い…陰陽二つに分かたれよ、陽より出でし汝は砦」

完全に馬鹿な事をしでかした。棺桶のすぐ脇に立つ狂信者と、まだ遠いエリーの姿。

「鋭き槍は汝の権現、侵襲止むるは鋭き鹿塞」

敵が剣を振り上げる姿がまるでスローモーションの様に見える。

「ごめん…」

「篝火の魔女の名のもと、いざ刺し穿ち給え」

ドスドスっと、肉を穿つ鈍い音

見れば、先端の尖った太い木に刺し貫かれた敵がまるで百舌の早贄の如くぶら下がっていた。

「はぁ…謝るくらいなら危ないことしないで下さい」

「えっと…これってミシェルが?」

「さっき言ったじゃ無いですか…」

そういえば、木の種を急成長させて人体を貫通させるとか物騒な事を言ってたっけ…よし、もう敵の死体は見ないようにしよう!しっかり見たら絶対に吐く自信がある!

「ユーコ、ミシェル!」

「エリー!助けに来てくれたの?」

「ああ、ヴァニカのお陰でここまで来られた」

エリーの後ろから走ってくる小さな影

「お母さん!!」

「ヴァニカ!!」

飛び付いてきたヴァニカをぎゅっと抱き締める。

「うぅ…ぐすっ…よかったぁ…よかったよぉ…お母さん…」

「ありがとう、ヴァニカ…助けてくれて…本当にありがとう…」

怖かったろうに、私達を助けるために一生懸命ここまで来てくれた。何て優しく勇気のある子だろう。

「感動の親子の再開を邪魔するようで悪いが、そろそろ行った方がいいだろう」

「ですね、大勢がこっちに向かってきています…それに、これは…」

「外法の者が?」

エリーの問いにミシェルが肯く

「よし、ここを出よう!」

ヴァニカを抱きかかえる。

「お母さん、あたし自分で行けるよ!」

「けど…」

「ユーコ、ヴァニカは君よりずっと素早い!」

二人に言われてヴァニカを地面に下ろす。

「エリーさんは正面の敵に集中して下さい。後ろは私が」

ミシェルはそう言うと、扉の外に木の種を投げた。

「陰陽二つに分かたれよ、陽より出でし汝は砦、我が敵阻む城壁よ、我が子等護る楼門よ、篝火の魔女の名の元に、その威容今こそ示し給え」

朗々たる声音で唱えられた呪文

蒔かれた種は一瞬で巨大な木の壁となって通路を埋め尽くした。

「こ…これは…凄いな…」

「物騒じゃ無い使い方もあるんだね…」

「ふふ、木の精霊のお陰ですよ」

ミシェルは言いつつお腹をさする。

とにかく、これで後ろを気にしなくて済むわけだ。

そして、前は…うん、王女様無双って感じだ。

私は極力地面の死体を見ないようにしながら進む。今日のエリーは余り叩っ切らずに突きで無駄なくスタイリッシュに戦っている様だが、それでも地面は大分グロテスクを極めている。そうでなくとも、この人体の色々が入り交じった匂いで吐きそうなのだ。見たら絶対に吐く自信がある。

「ミシェル、エリー、外に出たらミシェルはヴァニカを連れて目的地に飛んで!エリーは私と一緒に地上から!」

「分かりました!目的地に向かいます!」

「なる程!従おう」

「え…お母さん?」

「大丈夫、ヴァニカはいっぱい頑張ってくれたから、今度はお母さんが頑張るね!合流するまでミシェルの言うこと聞いて良い子で待ってるんだよ?出来る?」

「う…うん…あたし…良い子にしてるよ…ぐす…だからね、だからね…はやく…ひっく…帰って来てね…」

心細い思いをさせてしまった。そしてこれからもまたさせてしまう。ヴァニカの悲しそうな泣き顔を見ていると、胸がぎゅうっと締め付けられる様だ。それでも、私の大切な娘の為にはこれが必要だ。

「じゃあ、ちょっとだけお母さんに元気を分けてね」

聖堂から飛び出す前にヴァニカをぎゅっと抱き締める。最後になるかもしれないから、いつもよりしっかりとその体温を感じたい。

「それじゃあ、行って…また後でね…」

「うん…お母さん…待ってる」

「さあ、ヴァニカちゃんしっかり掴まって!」

ミシェルとヴァニカ、二人を乗せた箒はまるで流れ星の様に夜空へと消えていく。

「う…ふぐっ…さよなら…ヴァニカ…」

ぽんっと私の頭にエリーの掌が乗る。

「よく我慢したね」

「うん…私は…私はヴァニカの…お母さん、だから…」

だからヴァニカを不安にさせないように、ずっと涙は堪えてきた。

「だが、さよならにはならないさ…君には私が…この白銀の聖女が付いている」

「じ…自分で…言うかぁ…ぐすっ…それぇ…」

涙は止まらなくとも、心強い友達のお陰で、笑顔が戻っては来たようだ。


正化8年7月7日 

シャラの街から南方約60km中央平野上空

月が中天を通り過ぎた頃、ミシェルの背でヴァニカは泣き疲れて眠りに落ちた。

やっとの思いで辿り着いた母の元を、すぐに離れなければならない彼女の気持ちを推し量る事は出来ない迄も、彼女の泣き顔を、泣き声を聞くミシェルは胸が苦しくなる様な思いだった。

ミシェルとヴァニカを先行させる判断を下した遊子の、覚悟を決めた様な表情、声が震えるのを必死で押さえ込む声音…

そう、あの時敵は余りにも多かった。多すぎた。

遊子の選んだ選択肢、それは地上でエリザベートと遊子が囮になっている隙に、ミシェルとヴァニカから追っ手の目を逸らして逃がすというものだった。

自己犠牲さえ厭わない二人の決意

片や、母として

片や、王族として

二人があれだけの敵を振り切り、バイクに辿り着けるかは五分、よしんば辿り着いたとして、街を出られるかは…

途上でどちらか一人でも欠ければ、そこで終わり…

エリザベートが欠ければ、遊子は為す術も無く刺客の手にかかってしまうだろう。まるで雑草を切り払うかの様に

遊子が欠ければ、逃走の手段を失い、エリザベートは押し包まれるように虜にされてしまうだろう。まるで蟻が菓子に群がるように…

本当は止めたかった。拒みたかった。それでも、それが大切な友達の死出の旅立ちになるとしても、覚悟を決めた二人の思いを無にするような真似が、どうして出来ようと言うのか…

「背負って行くこっちの身にもなって下さいよ…」

ゴーグルの中に水が溜まる。あぁ、もう…これじゃあ飛べないじゃ無いですか…


王都

真夜中の城下を歩く人の姿は無い。

この世界に生きて動いている者は自分一人なのでは無いかとすら思える静寂の中を、一人ジナイーダは足音も高く進んでいく。

眠る必要すら無く、食事をとる必要も無い。呼吸すらもただの嗜好品に過ぎない彼女にとって、昼夜などただの記号に過ぎない。

それでも、頭を巡る終わらぬ自問は、ただ生きるのみのこの身に残された、ただ一つの儘ならぬモノなのだろうと、彼女は自嘲気味に考える。

ただ思索に費やした夜は数知れず、それは幾千幾万幾億の命が生まれ出でては還ってゆくだけの時間を持ってしても足りぬ程の永い永い時間…

産まれ出でた命に還っていった者達の面影を見ることはあっても、本当に見たい一人の姿に出会うことは無い。

輪の外を望み、輪から外れた己を省みれば、そこにいたのは哀れな迷い子

山があったのだ、川があったのだ、街があったのだ、人々がいたのだ、日々があったのだ…

大いなる流れの中で唯一完璧なモノは、その不完全な全てを足した一つである。

減ることも、増えることも、足りぬ事も、溢るる事も無い

完全無欠の一の中で変化し、産まれ、朽ち果て、また産まれ…笑い、泣き、怒り、恨み、呪い…

傷つけ合い、手を握り、殺し、殺され、それでも尚、世界はたった一つの一であり続ける。

一人が産まれれば一人が死に、一人が死ねば一人が産まれる。

多く産まれれば大地が痩せ、大地が痩せれば多く死ぬ

何とも下らない。

何も変わらない。

富めば飢え、飢えれば富む

救った数は殺す数

悠久の時の流れの中で、全ての変化は収斂し、また発散されていく。

変わらぬモノなどありはせず、無二のモノとてありはせぬ

全ては悠久の成せる業なれば、我が身の中とても同じ事

また繰り返す今ならば、現世総てが虚ろならば

ただこの今を思うまま、思うがままにこの今を…

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