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キック・スタート  作者: かぷせるこーぽ
4章 魔女の館
13/28

別れのために

正化8年5月30日

沢山の魔女が住むこの雪冠の魔女の館は、朝からとても賑やかだ。沢山の魔女見習い達が掃除や朝食の準備などで忙しそうに働いている。

きっと雪冠の魔女がしっかりと育てているのだろう。皆自分から積極的に働いている様子から、彼女の教育がいかにしっかりとしたものかが見て取れると言うものだろう。

「なんか手伝うことある?」

部屋の外にいた小さな魔女っ子に声をかける。

「私も!」

ヴァニカもそう言うが

「だーめ、ヴァニカは怪我してるでしょ?」

彼女は怪我人だ。元気そうにしてはいるが、かなりの重傷である。

「むー…」

「あっ、じゃあエリーお姉ちゃんを起こして食堂に連れて行ってあげてくれると助かるなぁ…でも出来るかなぁ?」

「やる!」

ヴァニカの顔がぱっと明るくなる。うちのお母さんの常套手段が役に立った。覚えていてよかった。

「走っちゃ駄目だよー!」

ヴァニカの背中を見送る。

「さて、じゃあ一緒にサクッと綺麗にしちゃおっか」

「だ、駄目です!お客様にそんな…」

「いーからいーから!じゃあ私、床吹いちゃうね?」

あわあわしている魔女っ子の足元のバケツから雑巾をとってよく絞る。

何年振りから分からない、久し振りのぞうきん掛けだ。中々にいい運動になる。

いい感じの汗をかきながら雑巾掛けをしていると、1階からミシェルが上がってきた。

「ひゃっ!!ユーコさん何やってるんですか?」

「ミシェルおっはよう!」

「あ、おはようございます。」

「いやね、なんか色々やって貰ってばっかりなのも悪いから手伝おうかなって!」

そんなやり取りをしていると、さっきの魔女っ子がこちらにやって来た。

「ミシェル姉様おはようございます」

「はい、おはようございます。駄目じゃないですか、お客さんにこんな事をさせては」

「ご…ごめんなさい…」

「ミシェル、私が無理矢理やらせて貰ったんだから怒らないであげて?」

いつものミシェルじゃない。やはり年長者としてしっかりしないといけないからだろうか?

「はぁ…そんな事だろうと思いました。それじゃあ、しっかりとユーコさんをこき使って綺麗にしなさい、いいですね」

「は、はいっ!」

「そういえば、ミシェルはどうしたの?二度寝?」

「いえ…気にしないで下さい」

そう言ってミシェルは私達の部屋の隣の部屋の扉を勢いよく開ける。

「師匠!起きて下さい!!」

覗き込んでみると、ミシェルが布団を勢いよく剥ぎ取っているところだった。

「ねえ、貴方達のお師匠さんの部屋ってここなの?」

「い、いえ…その師匠は…お寝坊さんなので…起こされないようにいつも違う部屋で寝てるんです」

なんかイメージ崩れるなぁ…

「うう…寒いです…」

「そんな格好で寝ているからです!もっと暖かくして寝るようにいつも言っているでしょう!」

「うう…あと五時間だけでいいので…」

「昼まで寝るつもりですか!いいから早く起きて下さい!!」

これではまるでミシェルがお母さんみたいだ。

「ただ、いつもすぐにお姉様達に見付かってこうやって起こされてて…」

「あのミシェルみたいに?」

「ミシェルお姉様は私達の中で一番年長のお姉様なので、すぐに見つけてくれるんですけど、他のお姉様だともうちょっと時間が…あと、もう少し丁寧です」

最年長故の慣れと最年長故の遠慮のなさということだろう。今まではちょっと頼り無い妹というイメージだったが、ここではしっかりとお姉さんしている様だ。

「それじゃあ、私達も怒られないようにさっさと掃除終わらせちゃおっか」

「はいっ!」


「師匠!食べながら寝ないで下さい!!零れる!」

館の食事は見習全員と雪冠の魔女が揃って摂るので、とても賑やかで明るい雰囲気だ。しかし一番賑やかなのは館の主の周りらしい。

「はぁ…すいません、朝から見苦しいモノを…」

疲れた表情のミシェルがため息をつきながら言う。さっきは結局彼女が雪冠の魔女をずるずる引き摺りながら食堂に連れてきたようだ。

「い、いや…と言うか、昨日と雰囲気が違いすぎないだろうか?」

「あー、師匠って生活力が著しく低くって…多分放っておいたら酷い有様になると思いますよ…死なないからってだらしなさ過ぎるんです」

精霊の力で4000年近くも生きているとは聞いているし、きっと食事も必要ないのだろう。ただ、それでもただ生き続けるだけでは仙人の様なもじゃもじゃになってしまうだろうし、多分放っておいたら風呂にも入らないだろうからとてもじゃ無いが人と対面で会える様な有様では無かっただろう。

雪冠の魔女の弟子達には本当に感謝である。

「そういえばミシェルお姉様はお師匠さんの世話しに行かなくていいの?」

「ええ他の子達が皆さんと一緒にいていいと言ってくれたので」

「ふふっ、優しい妹弟子達だね」

ふと、パンパンっと手を叩く音がして、食堂の中が静かになる。

「皆さん、食べながらでいいのでちょっと聞いて下さい」

声を発したのは、雪冠の魔女。

いつの間にかしゃきっとしている様子だ。

「ミシェルの独り立ちの儀を近いうちにやりますので、私とミシェルは暫くの間準備のために朝から晩までとても忙しくなります。その間の事、皆さんよろしくお願いしますね」

おおっと歓声があがる。昨夜言っていた独り立ちの儀…

周りの魔女っ子達が口々にミシェルに祝福を述べている。

対してミシェルはいまいち表情が暗いようにも見えるが…

「ミシェル、食事が終わったら私と一緒に来て下さい」

「は…はい」


食事の後、私はバイクのメンテナンスをしていた。ヴァニカは隣で興味深そうに私の手元を見ている。この年でバイクに興味を持つなんて、かなり見込みのある子だ。嬉しくなるが、手が油塗れなので頭を撫でるわけにはいかない。

「んゅ…なに…?」

なのでヴァニカの顔に頬ずりをする。

「ふふっ、ヴァニカが可愛いから」

そんな和やかな時間を過ごしていると、館の方からエリーがやって来た。しかし、ちょっと違和感が…

「やあユーコ、ヴァニカ」

「エリー…なんか雰囲気変わった?」

「ん?ああ、今日は化粧もサラシもしていないからかな?」

エリーがサラシを巻いているのは知っていたが

「化粧なんてしてたっけ?」

「ああ、男装するためにね」

聞けば、今まではかなりしっかりと男装をしていたらしいが、雪冠の魔女からここでは正体を隠す必要は無いと言われたのだという。

確かに言われてみれば、肌もいつもと違ってつやつやすべすべだし、顔つきも柔らかな雰囲気になっている。元々すらっとした体のシルエットは柔らかな曲線を描き、服装こそ男物のままだがそれが逆に扇情的ですらある。

これが彼シャツの威力か!!

「いいじゃん、女の子らしくて素敵だよ!可愛い」

それを隠すための化粧というのも勿体ない。と言うか、化粧をしていても隠しきれない美しさが恨めしい。

「うん?お母さん、エリーはいつも可愛いぞ」

「なっ…コホン…あ、ありがとうヴァニカ」

照れくさそうではあるものの、ヴァニカが見ている手前か平静を保つエリー。

「それで…どうしたの?」

「いや、やることが無いからね…少し剣の稽古でもしようかと」

確かに暫くの間匿って貰うことになったは良いが、することが無いのも事実だ。

「そうだね…ミシェルも忙しそうだし…そういえばミシェルといえば、なんか様子がおかしく無かった?」

周囲の反応を見たところめでたいことであるらしい独り立ちの儀、それをやると言うのに何故か浮かない顔をしたミシェル

「ああ、嫌そう…と言うのとは少し違うが、嬉しそうには見えなかったな…」

やはりエリーも気が付いていたようだ。

ヴァニカが心配そうな顔をこちらに向ける。

「お母さん、ミシェル大丈夫?」

「大丈夫だよ、多分大事なお仕事があるから緊張しちゃってるんだね」

そうはいったものの本当にそうなのだろうか…

「まあ、ここで私達が悩んでいても仕方ないか…ユーコの言う通り緊張しているだけであれば良いのだが…」

どこか引っ掛かるものを残したまま、しかしエリーの言う通りだと、話題を変える。

「それはそうと、出発するまでに一回街にいっておきたいんだよね」

「街に?」

「うん、バイクのガソリンを買わないと次の目的地がどこになるにせよ辿り着けなさそうだし」

ミズナラの街では錬金術師に注文した直後に騒動がおき、受け取らずに出てきてしまったために残りがあまりない。

「それで無くとも三人乗りになるから、燃費も悪くなるし」

「ああ…確かにそうだね」

あまり褒められたものでは無いのは分かっているが、ミシェルとはここで別れる以上、そうでもしなければどうにもならない。

「エリーが箒に乗れればまた違うんだけど…試してみれば?」

「いや、それは厳しいだろう…でなくても、普通魔女の箒は精々馬より少し早い程度だからね」

「そうだよねぇ…厳しいかぁ」

ミシェルの飛行速度に慣れてしまっているので忘れがちだが、彼女は箒での飛行に関してはイレギュラー中のイレギュラー、天才火の玉娘だ。90kmで飛べる魔女なんて世界中でミシェル位しかいないのでは無いのだろうか?

「お母さん!あたしが箒で飛ぶ!」

ヴァニカがぴょんぴょん飛び跳ねながら言う。一昨日後ろに乗ったのが楽しかったのだろうか?

「えー、お母さんヴァニカと一緒にバイクに乗りたいなー、でもヴァニカはお母さんとバイクに乗るのは嫌かぁ…」

「嫌じゃない!エリーが箒で行って!」

私にぎゅっとしがみつきながらヴァニカが言った。実に素直で良い子だ。

とはいえ、どう二人を乗せるかについてはしっかりと考えなくてはならない。

「ふふっ、よかった。まあガソリンについてはタイミングを見てミシェルのお師匠さんに相談してみるよ」

「ああ、頼むよ」

エリーはそう言い置くと、ヴァニカの頭を人撫でして剣の稽古に向かっていった。


「ふぇぇ…疲れましたぁ…」

夜遅くになって私とエリーが暖炉の部屋で寛いでいると、ヘロヘロになったミシェルが帰ってきた。

「ミシェル、お疲れ様。紅茶飲む?」

「い…頂きますぅ…」

日本から持ってきた大きな缶入りのティーパック。そこから一つ取り出し、お湯を注いでミシェルに渡す。

「ご飯食べた?あれだったらなんか作ってこようか?」

「いえ、ご飯は頂いたので…」

ミシェルがずずっと紅茶を啜る。お行儀の良いミシェルらしくは無いが、多分それだけ疲れていると言うことだろう。

「随分大変なんだね…」

「ええ…色々準備しなくちゃいけないことが多いので…明日も日の出前から準備です…」

まるで噂のブラック企業のサラリーマンだ。

「あ、それと暫くの間私もこの離れで寝起きすることになりました」

「そうなの?自分の部屋は?」

「私達の部屋は相部屋なので、あんまり朝早くとか夜遅くに騒がしくすると迷惑がかかっちゃうので師匠にお願いしたんです」

そう考えると離れを丸々一つ貸して貰えているのはかなり恵まれているのだろう。個室も沢山あって実に快適だ。

「それなら毎晩君と会えるね」

「うん、なんか用意しといて欲しい物とかあったら言ってね?」

「ありがとうございます。でも気にしないで下さい。夜も遅いですし迷惑がかかっちゃうので」

「気にしなさんなって、私達は毎日やる事も無いからね!いっくらでも甘えてくれて構わないぜっ!」

「ああ、ミシェルは大切な友達だからね、私達に出来ることなら何でもしよう」

ぽろぽろと急に泣き出すミシェル。

「ううぅ…ユーコさぁん、エリーさぁん…うわーん、ありがとうございばずー!」

私達に抱き付いてくるミシェル。余程疲れていたのだろう。中々に不安定になっているようだ。

「おーよしよし、私の胸でよかったら幾らでも泣きなさい」

暫くの間そうした後ようやく、ミシェルは落ち着いた様だ。

「す…すいません」

「だから気にすんなって、それに甘えて良いって言ったのは私だしね」

全く、可愛い奴め!

「そういえば、街にガソリン買いに行きたいんだけど…普通に行っちゃって大丈夫?」

「街に?あー、止めといた方が良いと思います。呼び声の精霊もいますし…他にも危険な精霊や生き物もいますので」

呼び声の精霊…ここに来るときに出会ったあれだ。というか他にも危険な精霊がいるのか…

「それだったら明日の朝食の時にイメルダっていう子に頼んで下さい。あの子は街への買い出しの担当なので代わりに買いに行ってくれると思います。本当は私から頼めば早いんですけど…」

「いやいや、ミシェルは忙しいんだから私達に気を遣うのは無し!」

「君の独り立ちの儀が終わるまで、気を遣うのは私達の役目だ。いいね?」

「は…はい」

ミシェルいつも私達に気を遣ってくれている。今回は私達が彼女を支えないと

「それじゃあそろそろ休もう、明日も早いんだろう?」


正化8年5月31日 雪冠の魔女の館

この日の朝食の時間、食堂に雪冠の魔女とミシェルの姿は無かった。今日も朝から独り立ちの儀の準備をしているのだろう。

私とヴァニカの隣の部屋からは、日の出前に何やら音が聞こえたので、その頃に出たのだろう。

「そういえば貴方達のお師匠さんって朝苦手って聞いたけど平気なの?」

隣に座っている魔女っ子に尋ねる。

「え…?あ、師匠はこういう時はちゃんと起きるんです。いつもこうなら有難いんですけど…」

「へぇ…ちなみに独り立ちの儀とかその準備とかって何すんの?」

名前こそ聞くものの、それが何をするものなのかは一つも聞こえてこない。

「ごめんなさい、独り立ちの儀で何をするのかは一人前の魔女以外知らないんです。凄く大変だという話以外は、体に精霊を宿すっていう事しか…」

「そっかぁ、ありがとう」

門外不出の秘伝的な何かなのだろう。その身に精霊を宿す非常に困難な門外不出の儀式…こう言えば何やら凄そうなのは伝わってくるが、要は何も分からないと言うことだ。

「あ、それともう1個!イメルダっていう魔女っ子ってどの子?」

「え、イメルダは私ですけど…」

おお!引きが強い。まさか隣に座ってくれているとは

「1個お願いがあるんだけど…いいかな?」

「お願い…ですか?」

「うん、街への買い出しの担当って聞いたからさ、次街に行くときにこの手紙を錬金術師に渡してくれないかな?」

「えっ…錬金術師…ですか?」

イメルダが嫌そうな顔をする。そういえばミシェルも錬金術師は苦手だと言っていた。何でもマナが変だとか何とか…

「お願い!錬金術師が苦手だって言うのは聞いてるけどどうしても必要なの!」

少し悩んで、イメルダは決心した様に言う。

「う゛ー、分かりました。その代わり、貴方と娘さんの体を今度じっくり見せて下さい、それなら引き受けます」

体を…

「大人しそうな顔して…そういう趣味がおありで…?」

「ちっ、違いますよ!!」

立ち上がり大きな声を出したイメルダに食堂中の視線が集まる。恥ずかしそうに顔を赤らめ座り直したイメルダは声を落として続ける。

「その…私は人間の体については研究しているので、異界人の方と、恵みの子の体についてもっと調べてみたいだけです」

恵みの子はこの世界でも文句なしの希少種だし、何より私はこの世界から見ればとびっきりの希少種で間違いないだろう。ただ…

「調べるって…解剖とかは駄目だよ?」

「しっ…しないです!ちょっと二人に服を脱いで貰って観察するだけですから!!」

周囲の魔女っ子達がざわつく。イメルダは自分の声が大きくなってしまっていることに気が付かなかった様だ。

顔を真っ赤にしてこちらを睨むイメルダ。いや、今のは完全に自爆だと思うのだが…

「まあ…それくらいなら…でも」

「でも?」

「優しくしてね?」

「だから違いますってば!!!…あっ」

本当に面白い子だ。ミシェルといい、イメルダといい雪冠の魔女の一門は皆こんな感じなんだろうか…?


旅装に着替えたイメルダに、手紙とガソリン携行缶とお金を渡す。

「そうか、さっきユーコと楽しそうに話していた君がイメルダだったんだね」

エリーがイメルダに右手を差し出す。

「私はエリザベート、よろしく」

「存じ上げております。エリザベート王女殿下雪冠の魔女の弟子イメルダと申します」

エリーの右手をとりイメルダが恭しく腰を屈める。

「畏まらないで欲しい。あくまで私は居候、エリーとでも呼んでくれると嬉しい」

「は、はい…エリー様」

ポーっとしているイメルダ。本当にそっちの気は無いのだろうか?まあ、変装していないとはいえ男物の服を着たエリーは非常に素敵だ。特に化粧で誤魔化していない分、美しさがいつもより際立っているので仕方ないか…

「折角だしエリーの体も調べさせて貰えば?」

「体?」

「ガソリン買ってきて貰う代わりに私達の裸が見たいんだって」

「ちっ…違います!純粋に研究のためで!」

大慌てだ。本当に面白い。

「ああ、そう言うことなら構わないよ?」

「え…あの、その…えっと…よろしくお願いします。」

美人って凄いと思う。同性ですらあれだけ狼狽えさせるのだから

「それじゃあ、気を付けてね」

「はい、それと」

イメルダは私の耳元に口を近付け

「なんて言うか…ありがとうございます」

そう小声で言うと急いで飛び立っていった。

墜ちたな、エリーに

「研究熱心な子だね」

「よくはわかんないけど面白い子だよね」


特にする事も無いので敷地内をヴァニカと共にうろうろと散歩する。歩いていて分かったのは、この館が異常なまでに広いということだ。

森の中にあるせいもあって、木々に阻まれて見えない部分もあるのだろうが、数km先まで建物が続いているように見える。

ただ、まあ4000年近く思いつきで増築をしてきたのならさもありなんと言ったところだろう。

亡霊を迷わせるために屋敷の増改築をし続けた大富豪がいたと聞いたことがあるが、この館では迷うどころか歩き疲れてしまうだろう。まあ、この世界ではそんなまどろっこしい事をせずに亡霊など殴り倒してしまうのだろうが…つくづく異世界人のフィジカル恐るべしである。

「お母さん!畑!」

ヴァニカの指差す方を見ると、確かに遙か彼方に畑の様なものが見える。

「よく気が付いたね…遠くてわかんなかった。ヴァニカは目がいいんだね」

目を凝らしてみると畑仕事をする魔女っ子達らしき人影があるような無いような?

「行ってみる?」

「うん!」


森の奥深く、木漏れ日すらも届かない鬱蒼とした場所

暗くしめったその場所は、しかし彼女等魔女の目には命の輝きに満ちた眩い場所として映っている。

生まれ、生き、死に、朽ち、糧となってまた再び生まれ来る。世界の大いなる循環、その縮図であるかのように完成された大自然の営み。

その循環の奥深くに意識を沈め、無数の命が重なりまるで一つの巨大なであるかのような森として世界を見渡す。

穏やかな風が吹き、木々の一本一本が、葉の一枚一枚が静かにさざめく様の一つ一つを、森そのものとして感じる。

小さな一つ一つが重なり合い、一つの声を成したるが如き音に耳を欹てる大小さまざまの生き物達。

驚き駆け出す獣が大地を踏みしめ、川を渡り、その無数の振動が重なり合う。

やがて一つの風から生み出された無数の音が折り重なり、溶け合う様にして生まれる森の歌。

一時の大合唱は広がり、薄められ、やがて静寂に還る。

しかし、残された一滴はまた森をさざめかせ、新たな歌を生み出して行く。

永劫に繰り返される輪唱の如く続いて行く森の歌は絶えず変化して新たな響きを齎す。

変わらぬ永劫の営み、大いなる循環の中にあって変わり続けるそれが、閉じたる輪の中に響きわたり、干渉しあい、共鳴することで、大きな力となっていく。

完成され、完全なる世界…減ることは無く、増える事も無い。足りぬ事も、溢れる事も無い。

一切の変化を生じない絶対の完成形の中で繰り返される無数の変化は完全な生命たる世界の穏やかな鼓動。青銅の鐘の音を思わせるかのような、厳かで力強い命の証。

心地よい鼓動に身を浸し、まるで母の身の内に微睡む胎児の様に現世の狭間に身を浸していたミシェルは、不意に首元を摑まれ奈落に引きずり込まれる様な感覚を覚え、次の瞬間には自分が森の中に倒れ臥していることに気が付く。

同時に人の身の許容出来る範囲を遙かに超えた莫大な情報に、全身の全てが強烈な拒絶反応を示す。

「あ…ああ…あ…ああああ…」

割れんばかりの頭の痛み、全身の痙攣、胃の腑の奥から突き上げて来るような吐き気に抗うことも出来ずに喉が閉塞され、呼吸が出来なくなる。

「記憶の精霊よ、貴方の深き英知を持って、どうか貴方の愛し子をお支え下さい」

朗々と響く声と共に、その身を刻む様な苦しみがすっと消えて行く。

続いてその背を強かに打たれる。

「おえっ…げほっ…」

喉の奥の堰が切られ、どうにか呼吸が戻る。

「ミシェル、深く潜りすぎです」

嗚咽を続ける彼女の背をさすりながら、雪冠の魔女ルキアナは言う。

「今日はここまでにしましょう」

「い…いえ…まだ殆ど経っていませんし、私もまだやれます」

周囲を見渡せば、まだ日も出ていない。

「何を言っているんですか?貴方はもう丸1日以上潜っていたのですよ」

ルキアナは呆れたように言う。

「貴方はこの世界その物と一体になっていたのです。記憶の精霊に一時的に情報を肩代わりして貰いましたが、本来であれば死んでいてもおかしくは無かったのですよ?」

本来であれば森の木々と一体になる筈が、世界その物である。森の木々とだけであっても負担は大きいところだが、相手が世界であれば、師の言葉も最もであろうとミシェルは理解した。

「この世界から見れば1日などほんの瞬きにも満たない時間。ですが、貴方は人なのです。己との境界を確りと持たなければ、遠からず取り返しのつかないことになります。その事を肝に銘じておいてください」

「はい…」

事実、師の手助けが、この世界の記憶その物である記憶の精霊による情報の肩代わりという非常手段をとって貰わねば、まずミシェルは助からなかったであろう。十中八九、体は生き続けることを拒絶し、よしんば奇跡的に生き抜いたとしても、動くことも考える事すら出来ぬ廃人に成り果てていただろう。

情け無い…胸中に渦巻く己への嫌悪

自分を信頼して独り立ちの儀を決めてくれた師の信頼を裏切ってしまったという罪悪感が、そして自分のできの悪さに対する怒りがない交ぜとなり、それは涙として零れ、彼女の頬を濡らす。

「今日と明日…いえ、明後日まで準備はお休みにしましょう」

「はい…」

失望させてしまった。その思いが、ミシェルの心を暗く、重く苛んでゆく。

やはり、自分には無理なのだ…そんな絶望を抱きながら、ミシェルは力無い足取りで、館への道を帰っていった。


正化8年6月1日 雪冠の魔女の館

丸1日以上経って、ミシェルが戻ってきたのは朝の7時を回った頃だった。

「ミシェルお帰り!大丈夫だった?」

「…はい」

そう答えたミシェルはそのまま床に倒れた。どこも大丈夫じゃ無いじゃんか!

エリーが駆け寄り脈と呼吸を確かめる。

「多分、寝ているんだと思う」

そう言って彼女はミシェルを抱きかかえ、暖炉の前のソファに横たえる。それならばまあ、一安心だ。

「大丈夫だよ、きっと頑張りすぎて疲れちゃったんだね」

不安そうにミシェルを見つめるヴァニカにそう言って、私はミシェルの体に毛布を掛けた。

「後で一応誰かに診て貰おう。雪冠の魔女さんは無理そうだけど、年長の魔女っ子達なら…」

ミシェルがこんなになっていると言うことは、きっと雪冠の魔女もかなり疲れているだろう。

「その必要はありませんよ」

そんなことを考えていると、いきなり二階から雪冠の魔女が降りてきた。

母屋との通路は一階にしか無いはずなのだが…

「余程疲れたんでしょうね…この子は頑張り屋さんですから」

「大丈夫なんですか?」

「ええ、体は…という意味ではありますけど」

「それは…どういう?」

雪冠の魔女はミシェルの胸元を指先でとんとんと示して見せた。心…ということでいいのだろう。

「この子は才能に溢れた魔女です。事実今日も世界その物と意識を一体化して見せました」

「それって凄い事なんですか?」

魔女の基準で話されても正直よく分からない。まあ、凄そうなのは何となく分かるが…

「ええ、それはもう。私でも精霊達の機嫌がよいときで精々がシラカバの街までくらいですから」

「それは…凄いな…」

「今はまだ制御仕切れていませんが、それはこの子が持つマナへの感受性があまりにも鋭すぎるから…時間をかけてゆっくり世界と向き合っていけば、将来はきっと偉大な魔女になることでしょう」

「ああ、心の問題ってそういう…」

「ええ、そうです」

「どういうことだい?」

成長期の子供が、急激に成長した肉体のコントロールが上手く行かずに数字上の運動能力が一時的に落ちたように感じるあれは私も経験がある。

結構自信が無くなるものだが、普通は時間と共に肉体に感覚が追い付き、やがて今まで以上のパフォーマンスを発揮できるようになるが…

「ミシェルは魔女として強すぎる力をコントロール出来ない事が、そのまま自分の実力の無さだと思い込んでるって事だと思うよ」

「ええ、その通りです」

「なるほど、私にもそう言う時期があった。自分の思う体と現実の体にずれがあるような感じで、思うように動くことが出来なかったものだよ」

流石肉体派、こういう話は理解が速い。

「ただ、ミシェルの場合多分最初っから力が強すぎて上手く行くって言う経験があまりにも少ない。そうですよね?」

出会った時から感じていた自信の無い様子と雪冠の魔女が評する彼女の間のギャップは、そう言うことなのだろう。

「その通りです。だからあの子は自分には箒で飛ぶことしか取り柄が無いって思い込んでますけど、そもそも箒は魔女の適性が最も色濃く表れる道具…それが上手で魔女の才能が無いなんて事は絶対にあり得ない話なんですけれど」

「その事をミシェルには?」

「ええ伝えましたよ、この子が小さいときから何度も何度も」

それでも自信が持てないということは、自分自身の事が信じられないという思いが、誰の言葉よりも重く彼女の中にあるのだろう。

「意外と頑固なんですね」

「ええ、とっても頑固者ですよ」

結局、どんなに実力や才能があったところで、自信なんてものはあくまで主観的なものでしか無い。どんなに才能が無くても、他人に何を言われようと無根拠に自信満々な奴もいれば、ミシェルの様に才能に溢れ、他者からも高く評価されているというのに己を卑小と信じて疑わないものもいる。

比較的前者よりな私に言わせて貰えば、自分を低く見積もって卑屈になるよりは、根拠の無い自信に溢れている方が精神衛生上よっぽど良いと思うのだが…

「出来ればお二人には…この子の事を支えてあげて欲しいんです。きっとこの子は途轍もない無力感の中にいる。それは我慢強いこの子ですら心が折れてしまいそうになるほどに…」

「もちろん、頼まれずともそのつもりだよ」

「大切な友達ですから」

「あたしも!あたしも!」

ヴァニカがぴょんぴょん跳ねながら言う。

「ええそうですね、ヴァニカさんもあの子の事をお願いしますね」

「うん!」

大して長い時間を共に過ごしたわけでは無い。それでもミシェルは私達の大切な友達だ。結果がどうあれ…いや、最良の結果を力尽くでもたぐり寄せるために寄り添って…薬師の魔女風に言えば私達がミシェルの峰になる。

それに、彼女との旅の終わりは、どうせなら笑顔で見送って欲しいから…

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