高き頂に降る雪は
ニギハ河
水面を切り裂き河を遡上する魔導船の速さは、なる程評判以上だとジナイーダは川風を受けながら感じていた。
北の大山脈に源を発し、王都近くを潤し西部山塊に深い谷を穿ちながらクロマツの街の近くで海に注ぐニギハ河は、この国でも最長最大を誇る大河である。
吹き下ろす風は遡るには些か不便であり、川船はトライセイルと櫂を備えるガレーが主に用いられている。
そんなガレーすら、軽々と追い越して行く魔導船にとって風向きなどはさしたる問題では無い。
「マダム、冷えてきたんで中に入って下さい。風邪引きますよ?」
甲板上でぼうっとしていたジナイーダにアレクが声を掛けた。そろそろ夕方に差し掛かり、この時期らしからぬ冷たい風が川面を撫ぜる。
「ありがとう、アレクさん。ただもう少しこうしていたいのだけれど…構わないかしら?」
「そっすか」
アレクが船室に消える。
暫くジナイーダが船の行く先をぼうっと眺めていると、アレクが毛布とポットを持って甲板に戻ってきた。
「毛布、使って下さい。それと、お茶飲みますか?」
「ありがとう。じゃあ遠慮無く頂くわ」
甲板上で二人は無言で茶を啜る。
「そういえば、なんでマダムは王都に行こうって」
暫く無言で過ごした後にアレクが口を開く
「ん?そうね…昔の友達に会いに…かしら」
「昔の友達っすか…」
「どうしたの?」
どこか引っ掛かった様子のアレクにジナイーダは尋ねる。
「あぁ、いえ…それにしちゃ辛そうな顔してるなって」
「あら、そんな顔してたかしら」
「すんません、忘れて下さい。ちょっとそんな気がしたってだけなんで」
ジナイーダは優しく微笑む
「いいえ、分かっちゃうんだなって思っただけよ」
長く生きているんのにこんなに若者に心中を察して貰うとは、ジナイーダも思っていなかった。
「友達って言うのはちょっと違うかもしれない。そう…友達の子供達なのかな?感覚としては」
「友達の子供…」
「ええ、この子たちがとても悪い子になってしまった。それで、私が向かってるんだけど、結局どうするのが正解なのか…」
ジナイーダは遠くを見つめ、語る。
道を誤り永久に分かたれた二人が、いや今この世に居る自分自身が、一体何を成すべきなのか…
「マダムが何かを隠しながら喋ってるのは俺なんかでも何となく分かるっすけど…すんません、ユーコ姐さんみたいに賢くないんで、気の利いたこととか言えないんすけど…」
「構わないわ、もしなにか感じたのなら教えて?」
「文字面通りに言えば、そんなもんガツンと叱って、それでも駄目なら拳固一発くれてやりゃ良いのかなって…」
「そうね…」
「すんません、きっとこんな単純な事じゃ無いっすよね」
アレクが申し訳無さそうに言う。
しかし、そうなのかも知れないと、ジナイーダは思う。
結局物事に選択肢なんて物はそう多くは無い。物事を複雑にするのは選択肢の数では無く、いつだって複雑に絡み合った幾つもの選択肢があると思い込む、人間の勘違いなのだから。
「いいえ、あなたと話してちょっと胸の閊えが取れた気がするわ。ありがとう、アレクさん」
そう言ってジナイーダは立ち上がる。
「さあ、中に戻りましょうか。風邪をひいてしまう前に、ね」
ミズナラの街 北へ170km
しとしとと降る雨、乾燥したこの地域では恵みの雨でこそあれ、人を待つ身に取っては不安な気持ちを掻き立てる様な雨音が二人を包んでいた。
「えっと…ヴァニカちゃん…ですよね?」
ミシェルは恵みの子である少女に話しかける。
ヴァニカは街道の方を見つめたまま小さく肯く。
「その…ユーコさん達遅いですね」
沈黙
ここに着いてからずっとこんな調子であった。
「その…えっと私ユーコさん…あなたのお母さんの友達なんですけど…私とお喋りするのは、いや?」
ヴァニカは首を横に振った。
「そっか!嬉しいです!」
「ユーコ…大丈夫かな…」
沈黙は胸の張り裂けんばかりの心配が故、拒絶されていないことに安堵を覚えるも、しかしこれ以上不安にさせまいとミシェルは殊更に明るく振る舞う。
「大丈夫ですよ!なんてったってユーコさんは森の悪い神様をやっつけた事もあるんですよ!」
犬のような耳がピクッと動く。
「凄い大冒険だったんですけど、聞きたいですか?」
ミシェルは誘いをかける。
「聞きたい…」
ミシェルはイミカミとの戦いを語り始める。それは多分に脚色の施された物語。
最初は街道を見つめながら聞いていたヴァニカも、次第に耳を向け、体を向けて聞き入る。
「-そして森の英雄の力を借りたユーコさんは、イミカミに優しく語りかけます。よく頑張ったね、もうお休みと。するとイミカミは優しい心を取り戻し、ユーコさんにありがとうと言い残すとお空に帰っていったのでした。こうして森に平和が訪れました。今もお空では優しいコノカミ様がみんなを見守ってくれていることでしょう。めでたしめでたし」
最終的にヴァニカは目をキラキラ輝かせて、食い入るように聞き入っていた。
「ユーコはやっぱり凄いんだ!なあなあ、他にはなんか無いのか?」
さっきまでの不安気な顔も何処へやらといった具合である。
「ふふ、ヴァニカちゃんそうやって笑ってた方がずっと可愛いですよ?」
「そ…そうかな?」
あまり言われ慣れていないのか照れくさそうにするヴァニカ
「ええ、そんな風に笑ってお出迎えしてあげたらユーコさん…お母さんも嬉しいと思いますよ?」
「な、なあ…ユーコとあたし…親子に見えるかな?」
正直歳の近い姉妹にしか見えないとミシェルは思うが、彼女の表情がこの問いの正解をはっきりと示している。
「ええ、もちろん。とっても素敵な親子にしか見えませんよ」
「そっか!親子に見えるか、そっか…」
随分と嬉しそうな表情だ。それだけ遊子の事が大好きなのだろうと、ミシェルは思う。
実際何があったのかはまだ分からない。血の繋がった親子では無いのは明らかだろうが、ヴァニカの表情を見ているとそんなことは些細な事であるとさえ感じていた。
「そうだ!ヴァニカちゃん、これあげます。」
ミシェルは鞄の中から木の皮で編まれたバンドを取り出す。
「なにこれ?」
「これは魔女の御守りです。魔女が旅に出るときに、精霊に守って貰える様に編むんです。」
「精霊様…」
ヴァニカの表情が曇る
「どうしたんです?」
「精霊様は…嫌い。ずっと助けてって言ってたのに…一回も助けてくれなかった。お父さんもお母さんも毎日お祈りしてたのに…」
精霊は人を救わない。気儘にそこにあり、マナの力を世界にもたらす。ただ、それだけのこの世界の機能の一つに過ぎない。それは魔女の修行で初めに教わるこの世界のルール。
だとしても、信心深い少女にそんなことを伝えたところで、何になるだろう。
「そうですね…確かに精霊はあなたのお父さんとお母さんは助けてあげられなかったかも知れません。でも、あなたはこうしてここにいて、ユーコさんに出会えたんです。きっと火の精霊があなたを導いてくれたんでしょう」
我ながら陳腐な物言いだとミシェルは思う。
世界の摂理を学び、それに寄り添って生きる魔女にとって、精霊もその恵みも災いもあくまで自然の営みの形である。
それでも、信仰が希望になるのなら、少しでも彼女の支えになるのならそれもいいとも思う。
「知っていますか?北の地では、亡くなった人は精霊になるって言われてるんです。ヴァニカちゃんは火の精霊に愛されてるので、きっとお父さんとお母さんが精霊になってユーコさんに会えるように導いてくれたんですね」
事実、彼女は明るく煌々と輝く太陽の様なマナに満ち、その体の周りにはこの雨の中にも関わらず火の精霊が彼女を守る様に舞っている。
それは火の精霊をその身に宿した魔女を凌ぐような強い恩恵
「本当に?」
「ええ、本当です」
世界の根幹を成す五大精霊と五属のマナ。互いに相剋し相生するその力に従うように、人々を優しく暖める焚き火の成す様の其の侭に、木の魔女と火の精霊の愛し子は雨音を聞きながらしばし和やかな時を過ごすのであった。
「ユーコ!」
「ヴァニカ!」
バイクから降りるやいなや飛び付いてきたヴァニカを抱き締める。
「大丈夫?怪我してない?ちゃんとミシェルの言うこと聞いて良い子にしてた?」
「だ、大丈夫だってば」
「ええ良い子にしてましたよ、ね、ヴァニカちゃん」
「うん!」
おや、随分仲良くなったようだ。まあミシェルは母性に溢れてるからな。主に体型が
「ユーコ、その子がヴァニカかい?」
「うん、ほらヴァニカ、ご挨拶して?」
ヴァニカは少し怯えた様子だ。腕を捻りあげられたのだから仕方ないだろうが…
「…怖がられてしまっているみたいだ」
少し傷付いた様子のエリー
「ヴァニカちゃん、大丈夫ですよ?エリーさんは優しい人ですから」
ミシェルが必死にフォローに入るがヴァニカは私の後ろに隠れたままだ。
「その…ヴァニカ、怖がらせてしまって済まない。ただ、私は君と仲良くなりたいのだが、どうだろう…仲良くしてはくれないだろうか?」
いつもの凛とした姿からは想像も出来ないほどのたどたどしい言葉だ。
ただ、そんな様子に何かしら思うところがあったのか、ヴァニカがエリーの前に進み出る。
「えっと、その…」
しかし継ぐ言葉が見つからないのか、その右手をエリーに突き出す。
「ああ、よろしくヴァニカ」
エリーが嬉しそうにその手を握る。二人の不器用な姿は見ていて心が和む。
「それで…オドゥオールさんは…」
二人を眺めていた私にミシェルが尋ねる。
「うん、とりあえず-」
キャンプの設営だ。私たちは道を下った沢沿いに一旦腰を落ち着けることにした。全員が疲れているだろうしお腹も空いているだろう。
そして食後に私たちは、全員の知っている事を共有する。何しろ別行動をしている間に色々な事が起こりすぎたからだ。それらをお互いが知らないままでは、話しが前に進まない。
「そうですか…無事だと良いですね…」
「無事だよ絶対に」
「ああ、私の部下が付いているんだ。今頃は全員揃って祝勝会を開いているさ」
私とエリーの言葉は、きっと根拠の無い希望だ。あのときの状況がどれだけ戦術的に絶望的だったのかは、エリーから聞いている。
「しかし…犯罪者共に孤児が…」
ヴァニカを連れていった医者に教えて貰ったのだが、近年ならず者のグループに辺境地域の孤児達が『飼われている』という事件が増えているのだという。彼ら孤児達は生きていくため幼い頃から犯罪を強要されまた、一部の変態貴族や豪商に対する売春等も行われているそうだ。それこそヴァニカより幼い子供達ですら…
大抵そういう子供達は傷付き瀕死の状態で街の路地裏や郊外等で見付かるようで、その殆どがそのまま命を落とし、生き残った子供達も心に深い傷を負っているという。私にこの話をしてくれた医者も、度々起こるそういった痛ましい事件に立ち会った事があったそうだ。
私はお腹一杯になって膝の上で眠るヴァニカをそっと撫でた。
「うん、生き残った子達は街の聖堂の孤児院で保護されているみたいだし、領主も色々動いてたらしいんだけどね」
私とヴァニカを襲った連中を引き取った商工ギルドの人々がかなり怒っていたのもああいった連中に対する蓄積した怒りによるものだろう。捕まえた犯罪者を逆さ吊りにして晒し者にするのはこの世界では割とポピュラーな市民の娯楽だが、あの雰囲気では逆さでは済まないだろう。特に同情する気も起きないが…
「それで、どうする?南に行く?」
クロマツの街にはエリーの部下がまだ約半数残っているらしいし、南北街道を南に下ればエリーの領地もある。敵に追われている以上、その二つが今一番安全な行き先だと思う
「いや、恐らくどちらも敵が網を張っているとみて間違い無いだろう。先ずは兎に角北へ…速さで敵を振り切るのが一番だと思う。」
「そうは言うけど…まだノルディアは行ったこと無いから給油も侭ならないかも知れないしなぁ…ガス欠だとお年寄りが歩くより遅くなるよ?」
レシピがあるとはいえ、ある程度の性能のガソリンを錬金術で作るのはかなり難しいらしく、初めてだと2週間掛かることもザラだし、そもそも錬金術師のいない街が続けばどうしようも無くなってしまう。
かといって、南に向かえばエリーの言うように敵に捕捉されてしまう可能性もある。
「あ、あの…」
私とエリーが妙案は無いかとウンウン唸っていると
「私の師匠の所ならどうでしょう?あそこなら追ってくることも出来ませんし…」
とミシェルが言ってきた。
「でも、ミシェルの師匠って凄いお婆さんみたいだし…悪いっていうか…」
「だが…高名な魔女が安全を保障してくれるのであれば…」
「あー、確かに」
シラカバの街を出たときに起きた大規模な山崩れ、あれは薬師の魔女の魔法によるものだとミシェルは言っていた。
「よし、じゃあミシェルの師匠のとこにいって、ある程度ほとぼりが冷めた所で旅の続きと行こう!」
ミシェルの師匠の家までは大凡100km程度、出発は明朝日が昇ってからだ。
正化8年5月29日 カエデの街北方約35km山中の小道
落葉樹林の中を、まるで林道の様に細い道が貫いている。林業の為に使われる道では無い。魔女の館に通じる道だ。腐葉土様の足場は緩く、油断するとハンドルを取られそうになる。
道の質としては、基幹林道の様にしっかりしたものではなく、地図にも記載されない程度の林道…それも割と放置されて轍もほぼ残っていない鹿道に毛の生えた程度の林道のそれだ。背の高い草が少ないのがせめてもの救いではあるが…
林道ツーリングは嫌いじゃ無いが、やはり疲れる。特に後ろにヴァニカを乗せている以上絶対に転倒するわけにはいかないという緊張感で結構精神的に磨り減ってくる。
「大丈夫?お母さん」
そんな事を察してか、ヴァニカが心配して声をかけてきてくれる。
「ん?お母さん?」
「あっ…」
「ふふっ、いいよーお母さんって呼んでくれて」
本当に可愛い娘だ。子供を持つ事なんて諦めていたが、まさかお母さんと呼ばれる日が来るとは夢にも思わなかった。
「ほんとに!?おかー」
急制動
「ごめんね、大丈夫?」
「う…うん」
道が途切れている。というか、道がそのまま崖に繋がっている。何だこれは!罠か?
「ごめんなさい!すっかり忘れてました!」
ミシェルがこちらに寄ってくる。
「これ、道が続いてるんですけど…見えないですよね?」
「いや、割とがっつり切れてる系の深い谷しか見えないよ」
対岸までは目測で100mはありそうだ。勿論橋やなんかは何処にも無い。
「じゃあ、歩いて行くんで付いてきて下さい」
そう言うとミシェルは崖に向けて躊躇無く踏み出した。
「ミシェル!」
「危ない!」
私とエリーが手を伸ばすも、エリーは平然とした顔をして立っている。
空中に…
ヴァニカが崖の先の匂いを嗅ぐ
「精霊様の匂いがする。」
「流石ヴァニカちゃん、大正解!」
ミシェルはヴァニカの頭を撫でる。
「これ、師匠のマナを固化させたものに精霊たちが集まって出来ている橋なんです。関係ない人が入れないようにこういう仕掛けにしてあるんです。」
一般人には見えない橋…いや確かに凄いセキュリティだけども踏み出すのは中々度胸がいるぞ…これは…
「密集したマナ同士の斥力を利用していて、普通の橋より頑丈で、壊れても寄ってきた精霊達のマナで自動的に直るんです。」
「マナ同士の斥力って…それ、私が乗ったら落ちるやつじゃ…」
「大丈夫です!ユーコさんもマナが無いわけじゃ無くて透明なだけなんで、心配は要らないです!多分」
今多分って…
「凄い凄い!」
「これは…不思議だな…大理石の床のような感覚だ。」
私がびびっている間にエリーとヴァニカは足元を確かめながらどんどん進んでいる。異世界人のメンタル恐るべしである。
「お母さん!楽しいよ!」
ぴょんぴょんと跳びはねるヴァニカ
「あ、あぶ…危ないから!」
「道幅もかなり広いんで大丈夫ですよ、それにヴァニカちゃんにはぼんやり見えているみたいですし」
とはいえ心配は心配である。こうなったら行くしか無い!ちゃんと付いててあげねば心配だ。
意を決して一歩を踏み出す。
おお、歩ける!
「ミシェル、これってバイク押しながらでも行ける幅ある?」
「というか、馬車三台横並び出来ますよ?」
かなりデカい橋だ。見えないが…。
「ヴァニカ、こっちおいで?」
恐る恐る、一歩一歩進む。
「お母さん…大丈夫?脚ふるえてるよ?」
「だ…大丈夫だよ」
ヴァニカに心配されながらどうにか橋を渡りきる。途中谷底を見てしまった時は意識が飛びかけたが、どうにかなったようだ。
「はははユーコお疲れ様。ヴァニカもお母さんをちゃんと守ってあげて偉かったね」
エリーがヴァニカの頭を撫でる。
「うん!」
ヴァニカも誇らしげだ。
見ると、そこには街道の様に広い石畳の道が続いている。これならこの先は少し楽が出来そうだ。霧が出てきたが道沿いに行けば平気だろう。
私はバイクに跨がりエンジンをかける。
「ヴァニカ、おいで。行くよ」
「あ、ちょっと待って下さい!霧に入っちゃ駄目です!」
ミシェルが私を呼び止める。
「この霧は危ないんです。入ったら一生この山から出られなくなります!」
なんて物を…これも雪冠の魔女の防犯設備だろうか?
「木々よ、古き山の守り手よ、あなたの幼子に進む道をお与え下さい。」
ミシェルがブツブツ何やら唱えると、道の上の霧だけが綺麗に晴れた。周りにはまだ霧が残っていて、何とも不思議な光景である。
「あの霧は呼び声の精霊の生み出すもので、人や獣が入ると方向感覚が狂って霧から出られなくなるんです。最近この辺りで増えているんで気をつけて下さい。」
どうやら防犯設備では無いみたいだが、これまたファンタジーだ。迷いの森的なやつだろう。
呼び声の精霊の霧を越え、少し走るとお目当てのモノが見えてきた。
「あれが師匠の館です」
それは異様な屋敷だった。大きさだけで言えば領主の館と言っても納得できそうな程のものだが、その佇まいは継ぎ接ぎのごった煮といった風体である。
建築様式も年代もばらばら、無計画に継ぎ足して行ったような様子でまるで九竜城塞を思わせる様な混沌っぷりだ。
「こ…これは…なんというか…独創的な館だね」
「うん…凄く先進…的?」
玄関先で多分に気を遣った感想を述べる私とエリー。まあ玄関先と言っても、ぱっと見だけで玄関が四つほど…それも色んな高さにあるのだが…。
「…気を遣わないで下さい。私も異常なのは分かってますから」
ミシェルとしてはこういう反応をされることは予想していたのだろう。とりあえず私とエリーの感性はおかしくないということだろう。
「師匠、思いつきでいきなり増築しちゃうんで…。管理する身にもなって欲しいですよ!」
ミシェルも苦労している様だ。
「お母さん…」
子供心にもやはり異常なのは分かるのー
「格好いいな!この家!!」
ん?
「あら、流石はヴァニカさん、見る目がありますね」
ん?
「あ、師匠ただ今戻りました」
ん?
「ええミシェル、お帰りなさい」
振り向くとそこにはいつの間にやら一人の女性が立っていた。
年齢は三十代半ばだろうか?ほっそりとした儚げな印象の彼女は目を糸のように細めて優しげな表情を湛えている。
髪も肌も真っ白、エリーの髪色を銀細工とするならば雪の様な白い髪に、上等な人形の様な白い肌。生命力の感じられない様な、冷たい印象の…それでも目を離せなくなるような不思議な美しさを持った人だ。
「そんなにお若いのに芸術を理解しているヴァニカさんには飴ちゃんをあげましょう」
「あ…ありがとう」
わざわざ用意したのか、常日頃から常備しているのかヴァニカに飴玉を渡す彼女はミシェルから師匠と呼ばれていたが…いやいや、ミシェルの師匠は筋肉モリモリで超高齢のお婆さんの筈だ。
「ねえ、エリーは気が付いてた?」
「いや、全く。気配も音も何も感じなかった」
エリーですら声を聞くまで気が付かないとは…
「さあ、立ち話もなんですから中へどうぞ?」
導かれるまま私たちは屋敷の中に入っていった。
外から見た屋敷はまるでミステリーハウスの様だったが、中に入ってみるとそこは沢山の見習いが立ち働く生活感に溢れる空間だった。
着替えをするとかで一旦ミシェルの師匠がいなくなり、私達は応接間の様な部屋で屋敷の主を待つこととなった。
「ミシェルの師匠っててっきり凄いお婆さんだと思ってた。まさかあんなに若くて綺麗な人だとは…」
「それに飴玉もくれた!ミシェルの師匠いい人だな!」
嬉しそうにいうヴァニカの頭を撫でる。境遇を考えれば食い気が強いのは仕方が無いが、今後は無闇に人から食べ物を貰わないよう言って聞かせなければ…。
「あー、その…まあその辺りも師匠がお話ししてくれると思いますので…」
この間から気にはなっていたが、ミシェルは師匠の話をするとき、たまに歯切れが悪くなる。実は仲が良く無いのだろうか?だが、それよりも
「ねえ、ミシェルのお師匠さんってやっぱり怪我とか病気とかにも詳しい?」
「え?ええ…多分そこらのお医者さんより医術に精通していると思います」
「じゃあさ、落ち着いたらヴァニカの事診察して貰う事って出来ないかな?」
今は元気そうにしているものの、長い間虐待を受けてきたヴァニカはどんな怪我や病気を負っているか判らない。本来なら今日ミズナラの街の医者に診て貰う予定だったのだが、あの騒ぎでそれも出来なくなってしまった。
それに、最初に出会ったときと比べて大分幼くなった話し方も気になる。頭を打って脳に損傷があったとかでは無いとよいのだが…
「構いませんよ、私もヴァニカさんの事は気に入っていますし」
また不意に現れた。心臓に悪い…
「ご挨拶が遅れてしまいましたね。初めまして、私は雪冠の魔女ルキアナ。ミシェルの師匠です。」
「あ、初めまして。私は遊子、物見遊子です。こっちはヴァニカ、ほら初めましては?」
「初めまして!さっきは飴玉ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして」
「私は…」
「構いませんよ、エリザベート王女殿下?」
しっかりとこちらの事を把握しているようだ。薬師の魔女と言いこの人といい、エリーが王女と聞いてひっくり返る程驚いていたミシェルとは、えらい違いである。
「そう…か、では改めて、私はエリザベート・ドゥ・ウェスタリア。お会いできて光栄だ雪冠の魔女殿」
「ええ、こちらこそお目にかかれて光栄です、王女様」
「そうだ!師匠、薬師の魔女様からのお手紙を預かってきたのですが」
ミシェルが鞄から封筒を取り出す。出会ってすぐに薬師の魔女から薬湯と共に渡されたあれだ。
「あら、嬉しいですね!あの子がまだ見習いの頃に数度会っただけなのにお手紙を貰えるなんて!後で大切に読みましょう」
雪冠の魔女は手紙を大事そうにしまう。
「雪冠の魔女殿、会ってそうそう不躾な-」
「構いませんよ」
エリーの言葉の途中で雪冠の魔女は言う。シラカバの街でも似たような事があったなぁ…
「え…?」
「ここに匿って欲しいのでしょう?ここであれば貴方達を追っている刺客も入っては来られませんし、何よりミシェルの初めての外で出来たお友達ですから、好きなだけいて貰って構いませんよ?」
刺客の事も知っている。これも例の占いという奴だろうか?だが、そうもいかないのだ。
「あ、いや、出られるようになったらすぐ出て行きます。あの連中割と得体が知れないんでここもいつ嗅ぎつけられるか判らないですし!」
いくら高名な魔女とはいえ、あの刺客達は規模も狙いも分からない上にあの強さだ。そこまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「ふふっ、心配してくれているんですね」
雪冠の魔女は穏やかに笑う。
「でも、安心して下さい。この山にあの子達は入ってこられませんし、入ってこようとも思わない筈ですから」




