秋葉原ヲタク白書17 不思議の国のエリス
主人公は、SF作家を夢見るサラリーマン。
相棒は、老舗メイドバーの美しきメイド長。
このコンビが、秋葉原で起こる事件を次々と解決するという、オヤジの妄想満載な「オヤジのオヤジによるオヤジのためのラノベ」シリーズ第17作です。
今回は、失踪していた主人公の元カノが秋葉原に帰って来ます。メジャーデビュー直前に失踪した彼女は、自分のデビューを妨げた者を探して、とコンビに依頼しますが…
お楽しみいただければ幸せです。
第1章 帰ってきたエリス
エリスがいる。
地下カフェの薄暗い照明の中で、長い髪の人影が僕と連れのミユリさんを見ている。
間接照明とは逝え逆光で、メイド服にカチューシャとは思うが表情までは読めない。
でも、エリスがこんな時にどんな表情を浮かべているか、僕はよく知っている。
どうして貴方はココにいるの?君は不思議そうに、そんな顔をしているハズだ。
僕とミユリさんが近くのテーブルに座るや、エリスは御給仕に立つ若いメイドを制して、コチラへと自ら歩いて来る。
メイド長、直々の御給仕だ。
「おかえりなさい、ラッツ御主人様」
「今は…そんな名前、誰も知らないょ」
「ううん。貴方はラッツ御主人様。そして、私のTO」
向かいのミユリさんが静かに息を飲む気配。
僕は、顔色ひとつ変えずエリスを見上げる。
彼女の瞳には、狂気が宿っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「絶対零度な美少女です!美しさが臨界点を突破しているのですっ!」
「コラコラ。純百合と間違えられるわょ、つぼみん」
「そうだょ!ミユリさんの前で軽々しく少女とか逝うな…ぎゃ!」
今回も、始まりはいつもと同じミユリさんの御屋敷だったように思う。
美少女発見に浮かれるヘルプのつぼみんを諌めた僕にミユリさんのエアパンチが飛ぶ。
オープン直後のミユリさんの御屋敷。
とりあえず、御帰宅は僕1人。
「百聞は一見にしかず!是非ご帰宅してみてくださいな。御主人様&御嬢様!」
「ええっ?ミユリさんも一緒に?なんで?」
「あら、何?その、レストランに逝くのにお弁当は要らない、みたいな口ぶり。私も絶対にお連れくださいね、テリィ御主人様」
つぼみんは、新しくオープンする御屋敷の画像が映ったスマホを振り回している。
その御屋敷は、かつて自分が引きこもっていた地下室をリニューアルしたモノらしい。
あ、つぼみんって、実はその筋の会長さんの孫娘なんだけど、いっときソチラ系企業傘下のビルの地下に引きこもっていたんだ。
ミユリさんと出逢うまでね。
「とにかく、このメイド長が美し過ぎルンです。なんでも@ポエム(秋葉原のメイドカフェ大手)のナンバークラスまで登り詰めたヤメイド(退職したメイド)とか!」
「つぼみんも@の卒業(退職)でしょ?お知り合いじゃないの?」
「いいえ。私の頃にはもう御卒業されてました…あ、そういえば、このメイドネーム、何か聞き覚えがあるような」
「6月クーデター(つぼみん含むメイドの大量退職事件)の前の卒業となると、そのメイド長、もうかなりの…がげっ!」
またまた非情なエアパンチが飛び僕は沈黙。
因みに今回のハードパンチはつぼみんから。
「メイドは、みんな永遠の17才ですっ!不躾な年齢の話、ソレこそミユリ姉様の前で失礼な!」
「そ、その怒り方って微妙にどーなの?とにかく!今からテリィ様と御帰宅してくる。その間、御屋敷をお願いね、つぼみん」
「え!今から逝くの?じゃあ、ちょっちもう1度、画像を見せてょ」
つぼみんが、新規開店した御屋敷の画像を映したスマホを、僕とミユリさんに差し出す。
僕とミユリさんは、カウンター越しにオデコをくっつけるようにしてスマホの画像を見る。
御屋敷の名は"ノーシグナル"。
そして、メイド長のネームは"エリス"。
え…エリス?
その時、僕の心の中で、忘れかけていた小さな箱のフタが開く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「お元気そうね、ラッツ様」
「だから、僕はそんな名じゃナイんだょ、今は」
「ラッツ様と2人で逝きたいな、アフリカ」
エリスは…美少女だ。
間違いなくアラサーのハズだが、彼女を語るには、美少女という言葉しかない。
何て逝うのかな、儚いんだ。美形なんだけど何かが致命的に歪んでいる。
恐らく、僕がラッツだったあの頃から、彼女の心のバランスは崩れたママなのだろう。
ソレが今は生死のバランスにまで及び、目を離した隙に死んでしまいそうな脆さがある。
「ピキィさんが界隈に話してるの。私のTOはラッツに譲ったって」
「え?そう…なの?」
「貴方が私のTO。何だか昔みたいね。ラッツ」
ピキィさんは、エリスが前にいたライブバーの常連で、今で逝う(アイ)ドルヲタ(ク)の走りみたいな存在だ。
メイドカフェから引き抜かれ、地下アイドルとしてデビューしたエリスを彼は見初め、金と暇をかなーり注ぎ込んでTOを名乗る。
あ、TOと逝うのは、昔で逝えばアイドルの親衛隊長みたいな存在。
まぁ、コレは、そんな言葉すらも存在しないアキバの黎明期の頃の話なんだケド。
メイドカフェ時代から、可憐なエリスの人気は凄まじかったが、いよいよ地下アイドルとなって超新星爆発を引き起こす。
地下アイドルやヲタ芸や、或いは萌えというアキバ発の言葉が次々と生まれた時代。
もしかしたら、このアキバの地下から、国民的なアイドルが誕生するかもしれない…
そんな期待と熱気の日々をエリスは生き…
そして、まさしく、その絶頂で姿を消すw
確かに、以前から、微熱だ鼻血だと逝っては御給仕のシフトや地下ライブのブッキングに穴を開けるコトが多かったのは事実。
運営にとって頭の痛い存在、今で逝う「こじらせ女子」の走りだったかもしれない。
そして、ある日、エリスがセンターだったグループのリストから彼女の名が消える。
間髪入れず運営から唐突とも思える「卒業」が発表されエリ(ス)ヲタ(ク)は茫然自失。
そして、エリスと逝う存在はアキバから消え、都市伝説と逝う無責任な噂だけが残る。
"アイドルはクビらしいょ"
"もうアキバには戻れないんだって"
"女子大のキャンパスで見たょ"
さらに耳を澄ますと…
"生きてるのが嫌になったって"
"廃人になったらしいょ"
"もう元には戻らないんだって"
実は、僕は「廃人」になってしまったエリスと、恐らく1度だけだが会っている。
世界中のヲタクが集まる夏の祭典で、彼女は広大な会場を彷徨うように歩く。
もしや、と思い僕が振り返ると、彼女はとっくに振り向いており、僕と視線が重なるや、その美しい顔にユックリと微笑を広げる。
群衆を背に微笑むエリスは、芸術家が描く、完璧な美少女そのものだ。
でも、その喧騒の夏の日でさえ、彼女の瞳の中の何かは歪んだママだ。
「ラッツ。私のコト、心のバランスの崩れた女だと思ってる?」
その問い掛け自体、既に狂気に満ちてるコトに気づかないのか、エリス。
僕は、小首を傾げる君を見ていると、切なさに胸が張り裂けそうだ。
「まさか。崩れてるのは僕だ。君じゃない」
「でも、わからない。狂ったのが私なのか、世界なのか。こんなコトを逝う私、嫌い?」
「いつだって大好きだ」
「出来た人」
「だろ?」
「貴方じゃないわ。コチラのメイドさん」
「だから…だろ?」
私服のミユリさんが微笑んでいる。
「優しいメイドさん。だから、アキバ最強のコンビにお願いをしたくなるの。よろしくて?」
「え?願いゴトなら3つまで。アフターサービスはナシ」
「…仰って」
意外にもミユリさんが安請け合いする。
「探して。私をアキバから消した人を」
「エリスを…アキバから消した人?」
「そう。スイーツホリックのエリスを消した人」
スイーツホリックは、エリスがライブバー時代に所属していたユニットの名だ。
ライブバーの美形ばかりを集めた美少女ユニットでエリスがセンターを務める。
デビュー曲「ノーシグナル」は、美少女系電波ソングとしてオリコンチャートに肉薄した名曲。
その後、他のユニットと離合集散を繰り返すAKB148がメジャーデビューを飾る際の礎となる。
ところが、メジャーへ飛び出していった地下アイドル148名の中にエリスの姿はない。
彼女は…148名が揃ってメジャーデビューするプロセスの何処かで「消された」のだ。
「私を…消した人を探して」
エリスは全く抑揚のない声で逝う。
瞳の中の"何か"は歪んだままだ。
第2章 元カノはリストカッター
「あ、ごめんなさい」
最初は、見つめ合う(と逝うか、単に凝視し合ってるだけナンだが)僕とエリスに、ミユリさんが嫉妬したのかと思った位だ。
ミユリさんが、紅茶を飲む手を滑らせカップからダージリンが溢れる。
赤い液体がエリスの手首を濡らし、メイド服に同じ色の染みが広がる。
「私ったら…」
「いいの。お気になさらないで」
「どうかしてたわ。ホントにごめんなさい」
優しいやりとりとは裏腹に、ミユリさんはエリスの濡れたメイド服の袖口を捲ろうとし、エリスは凄い勢いでソレを元に戻す。
珍しくミユリさんの粗相だったんだけど、その瞬間、無表情だったエリスの瞳の中で、何かがキラリと光ったような気もする。
あぁ。既に何かが始まったみたいだ。
でも、僕には何が何やらわからない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「何度か手首を切ってるのね、エリスさん」
「ええっ?!ホント?」
「間違いありません。でも、そんなコトよりもっと大変そうなモノが映ってる」
ノーシグナルを辞した僕とミユリさんは、再び御屋敷に戻る。
ミユリさんは、私服からメイド服に素早く着替えて接客を再開。
「コレがエリスさんの手首の画像です」
「ホントにもう、いつの間に撮ったんだょ。こんな動画」
「そんなコトより、このシンボルを見て」
ミユリさんのスマホ動画に、瞬間的だけど痛々しいエリスの手首が映っている。
そして、その傷痕を覆うように…タトゥー?ハート形のタトゥーが彫られている?
「やれやれ。こりゃまた出来れば見ずに済ませたかったでヤス、お嬢」
「何逝ってんの、虎吉!アンタを呼んだ意味、わかってるの!」
「はいはい。わかってヤスって!ってかこの彫り物が何か、知ってる者なんて他にはいないでしょうが」
ボタンダウンにローファーという往年のみゆき族ルックに身を包み、限りなく軟派に見える虎吉さんは、実は界隈を仕切る若頭だ。
ヒョンな御縁で御屋敷の常連になったが、今宵はつぼみんの非常呼集に応じての参集。
何と逝っても、つぼみんはソチラの世界の会長さんの孫娘だから何者も逆らえない。
「こりゃ秋葉社のハートマークでヤス。しかし、懐かしい。お嬢がお生まれになる遥か昔の連中でヤスが」
「秋葉社?何ソレ?美味しいの?」
「またまたぁ。何、ケチな賭けトランプで儲けてた輩で。そうそう。お嬢が籠ってた、あの地下の隠し部屋を賭場にしてヤシたが」
虎吉さんの話だと、秋葉社は秋葉原に青果市場があった頃、気の荒い市場関係者を相手に賭けトランプの店を開いて儲けてたらしい。
秋葉社の賭場は、とあるビルの地下にある喫茶店の隠し部屋にあったが、後年、そこを改装してつぼみんが引きこもるコトになる。
「というのも、ちょっちワケありの物件で、平成に入ってウチがそのビル1本丸々買うコトになっちまったんでヤスが、まぁ色々曰く付きで地下は遊ばせてたら、いつの間にやら、お嬢が勝手に住みついて…」
「虎吉!何度も逝わないの、ソレ!」
「ヘイ!」
IVYルックで小綺麗にした虎吉さんがつぼみんにピシャっとヤラれて喜んでる様子は、まるで孫と戯れる好々爺だ。
しかし、彼が話す「ちょっちワケあり」と逝うのが何だかはともかく、後で地下室の壁から死体が出たのは実は有名な話←
僕達がソレを知ってるのは、当然承知のハズだが、虎吉さんはトボけた顔で話を続ける。
「その節はミユリ姐さん始め、コチラの常連さんにはホント世話になりヤシた。引きこもりだったお嬢が、今やこんなに立派なメイドさんになって…」
ココで虎吉さんはつぼみんのメイド姿に粘っこい視線を絡ませるが激しく睨み返され首を竦める。
どうやら、御屋敷、いや、アキバを代表し僕から一言ご挨拶すべきシーンに思える。
「いやいや、そんな。僕達は、ヲタクとして当然のコトをしたまでです。礼にはおよびません」
「ああっ、ありがとょヒモのテリィさん!」
誰がヒモなんだょ!
クスクス笑いながらミユリさんが応じる。
「虎吉さん、貴重なお話をありがとう。その秋葉社さんって、今も何かやってるの?」
「あぁ。そう逝えば、最近は蔵前橋の方で堅気の風俗を手広くやってるようでヤス」
「エリスさんの手首のタトゥーのコト、もし御存知の方がいらっしゃると助かるなって思うの」
直ちにつぼみんが反応する。
「虎吉!何してんの?ミユリ姉様の前で私に恥をかかせるつもり?走れ!」
「ヘイ!」
「手ぶらで帰って来たら承知しないから!」
虎吉さんは、苦笑いしながらも早速ガラケー(レトロw)を抜き誰かに電話しながら御屋敷を出る。
ミユリさんは、良く出来ましたって感じで、つぼみんの頭をナデナデしている。
僕は…堅気の風俗って何だ?と考えている。
第3章 狂気と妄想のコンチェルト
地下アイドルとTOの関係って実は微妙だ。
共にメジャーデビューを目指す運命共同体だと割り切れば、2人の関係は美しい。
でも、多くの場合、TO側に出来ればアイドルとのお付き合いを願う下心がある。
まぁアキバ自体が、疑似恋愛のテーマパークみたいな街だから、ある意味、仕方のない話だ。
もともと、プロダクションの社長夫人が元アイドルなんて話は掃いて捨てるほどある世界。
でも、ソレはストーカー1歩手前の立ち位置にいるTOには勘違いする者が多いと逝うコトだ。
コレが地下アイドル側も、その、まぁ勘違いと逝うか、狂っているとなると話はかなり複雑だ。
果たして、僕とエリスの関係はどうなのか?
ソレより何よりエリスは…狂っているのか?
このまま、御屋敷で虎吉さんの戻りを待っていると何か煮詰まってしまいそうで、僕は堪らずアキバの街に出る。
自然と足が向くのは僕達のアキバのアドレス(溜り場)、マチガイダ・サンドウィッチズだ。
店名はサンドウィッチだけど、ココのウリはセネガル仕込みのホットなチリドッグなんだ。
馴染みのユーリ店長が、黙ってても出してくれるチリドッグにカブりつこうした瞬間…
「テリィさん!大変ですょ!貴方、いったい何をしたんです?!」
「え?ええっ?」
「"低い城の男"が、テリィさんの話を、してましたょ?コレ、絶対に、悪い話、ですょ!」
蔵前橋通りで洗体をやってるウェス店長が、僕の肩を掴んで揺さぶる。
あ、わ、わ、わ…チリ、ドッグが、食、べ、れ、な、い…
「ひ、低い、城の、男っ?!だ、誰?、ソレ?」
「だから、ウチの、風俗チェーンの、総帥ですって!総帥は、貴方を、知って、ましたよっ!テリィさんって、もしかして、業界の人、でした?」
「まさか!"低い知能の男"なら、心当たりが、ある、けど、たく、さん」
いや、実は、僕は"低い城の男"を知っている。
会った回数は少ないが、忘れたくても忘れられない相手だ。
しかし、どうやら先様の方はバッチリと覚えているらしい。
ところで、蔵前橋通りで洗体をやってるウェス店長は、ナゼかヤタラと僕に良くしてくれる。
恐らく、前世で彼にスゴい親切とかしたようなのだが、現世では全く思い当たる節がない。
あ、面倒臭いので文体も普通に戻しマス←
「ウチの総帥とは何処で?」
「いや、ソレがそのぉ…」
「ウチの総帥と何があったんスか?」
「うーん、何だったっけな…」
「ウチの総帥がテリィさんを殺してやるって」
「ええっ?!」
「ウソです」
ヤレヤレ。どうもウェス店長は僕のコトを心配半分、興味津々でからかってるようだ。
ソコへ、ヲタクの巣窟マチガイダには、凡そ似つかわしくない2人連れの男が現れる。
1人は…IVYルックの虎吉さんだ。
余り他の人は頼まないミルクコーラを注文。
そして、もう1人は…
虎吉さんと同じみゆき族ルックなんだけど、なーんとショーツという気合いの入りぶり。
そして…オーダーもせズ、狭い店内を見回すや僕目掛けてズンズン1直線に歩いて来る!
「アンタ…ラッツさんだな?」
「だから!ラッツなんて名前、今じゃ誰も名乗らナイんですけど」
「いいや。アンタはラッツさんだ。エリスは…エリスは元気なのか?」
店内の常連全員が、息を飲み、僕…達?を振り返る。
僕は口をつけてないチリドッグを手に男を見上げる。
彼の瞳も…何かが歪んでいる。
第4章 さよならラッツ
「総帥!お疲れ様です!」
ウェス店長が直立不動の姿勢で叫ぶ。
ヤクザの挨拶みたいだが、お陰でどうやら彼が"低い城の男"だと逝うコトがわかる。
僕は、コレ幸いと席を立ち、ミルクコーラを飲んでる虎吉さんの肩をポンポンと叩く。
「虎吉さん。紹介してくださいょ」
「紹介も何も。コチラさんが、どうしてもテリィさんに御挨拶したいとかで。いやナニ、最初は断ったんでヤスが。みなさん、私のケツモチでは、色々と御不満のようで」
「ああっ!コレは失礼した!不覚にも我を忘れた。どうか勘弁してくれ、虎の旦那」
"低い城の男(恐らく)"が虎吉さんに手を合わせる。
僕は僕で、慌ててその手を取ってムリヤリ握手する←
「確かにラッツ、と呼ばれてた季節もありました。貴方が…"低い城の男"ですね」
「地下の隠し部屋で賭場を張ってる内に変な名がついちまって。今は、コイツらの稼ぎで食わしてもらってるケチな野郎です」
「総帥っ!」
男が店に来てから、ズッと直立不動のままのウェス店長が感極まって叫ぶ。
…が"低い城の男"にうるさそうに一瞥されるや、下を向き黙ってしまう。
「お会いしたかったですょ、ラッツさん。しかし、お若い。あの季節のまま、アンタだけ年を取らないかのようだ」
「お見逸れしました。その節は生意気を致しました。お恥ずかしい」
「エリスが帰って来たそうですね。エリスは…エリスは元気にしていますか?」
ココで、虎吉さんが割って入って、低い城の男に何事かを耳打ちをする。
低い城の男は、目を瞑って虎吉さんの話を聞き時折悲しそうに首を振る。
「違いますぜ、虎の旦那。ソレはエリスの母親の話なんで…」
"低い城の男"の口から、苦悶に似た、苦しげな言葉がついて出る。
そして、僕のコトを正面から見据えるが、僕は黙って見返すだけだ。
まだ秋葉原に青果市場があった頃の話。
エリスの母親は、過度の依存から、ドラッグディーラーに莫大な額の借金をする。
その棒引きを賭け、エリスは"低い城の男"と賭けトランプの勝負に出る。
そして…彼女は負けるのだ。
後に残った天文学的とも逝える借金を前に、ある日、エリスはアキバから…いや、地上の世界そのものから忽然と姿を消す。
つまり…夜逃げだw
だから、エリスをアキバから抹殺したのは、他ならぬエリス自身と逝うコトになる。
ところが、ドラッグディーラーに借金をしたのはエリス自身だ、と逝う連中もいる。
その連中は、エリスがメジャーデビュー直前のAKB148から抜けたのは、彼女の薬物依存のせいだと、今も物知り顔で語っている。
しかし、ソレは大きな間違いだ。
全ては、彼女の運のなさなのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
エリスが…いる。
あの日と同じ、客のいない地下室の薄い闇の中に彼女は1人で立っている。
ソコへ僕達が御帰宅すると、あの例の不思議なモノを見るような眼差し。
しかし、今宵ばかりは、彼女はホントに不思議なモノを見る。
自分を賭けトランプで負かし莫大な借金を背負わせた相手だ。
"低い城の男"が声をかける。
「久しぶりだな、エリス。元気そうだ」
「私の、あの借金は…」
「金の件は、カタがついてる。ソレはお前も知ってるハズだ」
やれやれ。話はドンドンとマズい方向に流れて逝く。
僕は、回れ右をして、地下室を逃げ出す準備をする。
「おっと、テリィさん。どちらへお出掛けですかな?貴方がいないと、この後の話が色々と片手落ちになっちまいヤスぜ」
"低い城の男"の背後から、虎吉さんが影法師を従え御帰宅して来て話に加わる。
その影法師は…げげっ!目を凝らしよく見たらミユリさんとつぼみんではないか!
最悪の布陣が揃う。
虎吉さんのターン。
「エリスさん。賭けに負けたアンタは、ピキィとか逝う、当時アンタと仲の良かったお友達に泣きつく。しかし、お友達は借金の話を聞くや他人のフリだ。まぁハナから赤の他人ではあるんでヤスが」
"低い城の男"が話を引き継ぐ。
「しかし、ある日、ウチの口座にエリスの借金と同額が振り込まれた。しかも、当時は未だ珍しかった香港のオフショア口座からの振込で、何処の何奴が払ったのやら皆目わからねぇ。ただ、振込人の名義は…」
マズイ!僕は、地上へ上がる階段を目掛けて猛ダッシュ!
ところが、つぼみんが素早く立ち塞がって両手を広げる!
「香港経由でエリスの借金を返済した振込人の名義は…ラッツ」
「ああ、ラッツか!ラッツね?でもさ、どのラッツかな?ラッツなんてネームの奴、1ダースは知ってるけど!」
「貴方…だったの?てっきりピキィが払ったモノとばかり。だから私は…」
僕も慌てて口を挟んだが、それ以上に慌てて口を挟んだのはエリス。
でんぱ系美少女の仮面の下で、欲と打算が透ける嫌な表情がよぎる。
しかし、それも一瞬で瞬きする間にエリスの中で再び何かが歪み、いつもの遠い目に戻る。
まるでその瞬間だけ、エリスに正しい電波が届き全てが正常に作動したかのような瞬間だ。
さすがは、でんぱ系美少女の元祖だょ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夕暮れのパーツ通り。
まだナイト営業が始まる前なので、ビラ配りの姿もなく、人影が疎らな時間帯だ。
僕は…何と左右からメイド服の美女に腕を組まれ拉致…いや、失礼、歩いている←
「私の願いゴトをかなえてくれて、ありがとう。貴方のコチラ半分は、今だけラッツ」
「そして、コチラ半分はテリィ御主人様。私の大事なTO」
「残念だけど2人共違うな。僕はテリィだ。だから、ソッチ半分もテリィでラッツじゃない。ただ…元カノと腕を組んでるだけ」
もちろん、僕の左右を固める(絶世の)美女メイドは、右がミユリさんで…左がエリスだ。
あの日、エリスは、みんなの前で都落ち(つまり夜逃げw)の事実を認めた上で僕に逝う。
「私のお願いは…あといくつ残ってるの?」
「ええっ?あと…2つ、だったかな?」
「街を歩きたいのです。TOと腕を組んで」
そして、僕は左隣のエリスと腕を組み、夕暮れのパーツ通りを歩いている。
だって、僕の右隣は…いつだってミユリさんだから。当たり前のように。
「ラッツ。実はね、あの"低い城の男"は、私の血のつながってないパ…」
「待った!ソレって、エリスじゃない、他の誰かの話だょね?興味ないんだけど」
「ソレとピキィは、自分が借金を返済したかのようなコト逝って、私に迫り…」
「ソレも待った!テリィ的に全く関係のない話だ。聞く気が起きない」
「じゃ、コレはどう?私を身請けしてくれたラッツは…あの日、私にマトモになれと叱ってくれたラッツは…もういないの?」
もちろん、いません!
僕は、当時まだ珍しかったクラウドで世界中から花代を募っただけなんだ。
ヤレヤレ。僕は、少し残念な思いも込めて、左隣で腕を組むエリスを見る。
「エリス。アキバのメイドなら、もっと可憐で儚い夢を見せてくれないか(多少狂っててもOKだから、とは逝わないがw)」
「でも、このエリスに3つのお願いをお許し下さったのは御主人様ですょ?」
「ええっ?まだ3つのお願いは続くの?僕は、ランプの魔神じゃナイんだけどな」
「メイドの最後のオネダリですもの。絶対に叶えて下さいましね、ラッツ御主人様」
インバウンド向けにオープンした細いタワーホテルの前まで差し掛かった時だ。
エリスは、胸のリボンの前で両手を合わせてメイド必殺のおねだりポーズ。
僕は、とてつもなく嫌な予感がしたのだが、もう逃げようがない。
果たして、エリスは既に何かが歪み始めた瞳で僕を見つめて逝う。
「ラッツ。私、貴方の赤ちゃんが欲しい」
ミユリさんが長い、長い溜息をつく。
僕は、パーツ通りから遠く空を仰ぐ。
な?僕の元カノって狂ってる…よね?
おしまい
今回は、メジャーデビュー直前に失踪した主人公の元カノ、その元TO、賭けトランプの店とそのオーナーなどが登場しました。
アキバ黎明期を背景とする主人公の過去や何度か登場した地下の隠し部屋の秘密なども語られます。
自分自身の修行も兼ねて、このシリーズを100作まで描いてみようかな、と考えています。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。