18、老婆(その4)
「俺達を追ってきたのか?」
俺は聞いた。
「今朝早く、右大臣様直属の荘園より脱走した異国の賊を捕まえろとの回状が来た。そこにイナシメの婆が、昨夜遅く異様な風体の輩が来たと届けに来たのだ」
柴崎が聞いた。
「ババアはどこだ?」
「婆さんならあっちだ。おぬし等が抵抗したので見張りの兵が切った」
「俺達も殺すつもりだったのか?」
俺はここまでされたのが意外だったので聞いてみた。
「いや、必ず生け捕りにせよとの事だった。ワシらは殺すつもりなどなかった。だから頼む、殺さんでくれ!」
彼は頭を地面に擦りつけた。
「兵士を全員、ここに集めろ!」
兵士を集める。20人だ。
武器を吉岡と宇田川が集めてきた。
馬は全部で8頭いた。
「よかった。これで楽できる。ここから茨城まで歩くのかと思った」
柴崎が言った。
俺が兵士たちに向かって叫んだ。
「君達に危害は加えない。そのかわり俺達の事は放っておいて欲しい。武器や馬は返せない。いますぐ全員ここから立ち去るんだ」
兵士たちはしばらく様子をうかがうと、誰かが走り出した途端に一目散に逃げ出した。
俺は老婆を探してみる。
少し離れた木の根元に老婆は倒れていた。
まだ息がある。肩から背中に切られているらしい。
かなりの出血だ。
「わしを怨んどるかの?」
荒い息の下で老婆は言った。
俺は無言だった。
みんなやってくる。
「仕方なかった。また以前の商人のようにおぬしらを匿ったため、わしがここを追い出されたら、わしには行く所が無いのじゃ。それにおぬし等を国司に差し出せば、国に帰れるように役人が取り計らってくれると言う。わしはもう一度でいいから、この目で坂東の流れと孫たちの顔を見たかったのじゃ」
老婆はゆっくり目を閉じた。
海月が老婆の傍らに膝を付いて優しく手を取り、こう言った。
「おばあさん、大丈夫です。怨んでなんかいません。しっかりして!もし良くなれば私達と一緒に常陸の国に行きましょう」
老婆の閉じた目から涙がこぼれ出た。首を横にゆっくり振る。
「ありがとう。おぬしは本当に優しい女子だの。しかしもうええんじゃ。助からん事はようわかる。それにおぬしらを密告したこのワシを、一緒に連れてってくれとはよう言えん。その変わりに1つ頼みがある」
老婆は胸元からごそごそと御守り袋のような物を取り出した。
「これは砂金じゃ。ワシが川から長い間かけて集めたものじゃ。これを娘に渡しておくれ。何もしてやれなんだ母の最後の思いだと言うて」
老婆は砂金の袋を海月に手渡した。ごくわずかな量だ。
御守り袋に入っているが、いったいどれほどの価値があるのか疑問だった。
しかしこれはこの老婆が、いつの日か郷里の娘に手渡すため、一生懸命拾い集めたものだろう。
俺達も胸がつまった。
「さ、もう行っておくれ。旅の無事を祈っておるよ」
老婆は海月の手を放し、胸の上で手を組み合わせた。
もう動こうとしない。
俺達は老婆の静かな最後を邪魔しない方がいいと思った。
みんなもう口を開かない。
老婆の荒い息は徐々に弱くなっていき、やがて静かになった。
俺は老婆の脈を取ってみた。
もう脈はない。
みんなで焼けた庵の前に穴を掘った。
老婆の持っていた鍬くらいしかないので、あまり深くは掘れない。
やっと人一人埋められるくらいの穴を掘ると、老婆を横たえ土をかけた。
盛り上がった土の上に、柴崎が簡単な十字架をたてた。
宗教が違うだろうが、俺達にはそれ以外に墓標が思い付かなかった。
みんな無言で手を合せる。
柴崎がポツリと
「今度来たらキチンとした墓を立ててやるな」
と言った。
吉岡が振り切るように言う。
「兵士が戻ってくるかもしれない。出発しよう」




