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夏休みの思い出は平安で  作者: 震電みひろ
16/68

16、老婆(その2)

「そこに座れ」

老婆は鎌の柄で指したが、家の中に床は無く、室内全てが土間で筵が引いてあるだけだった。

「外と変わんねぇじゃん」

柴崎がまた毒づいた。

老婆は入り口を背にして座った。海月の方を見ると

「おぬし、常陸の国の者か?」と聞いた。

海月は

「はい、常陸の国の筑波郡でございます。京には3年前より白拍子の修行に出ておりました」

と答えると、老婆は涙を浮かべながら

「そうか、おぬしは筑波より出か。わしも近郷の真壁郡の大串郷の出じゃ。こんな所で同郷の者と出会うとは思わなんだ。さっきは悪い事をしたのう?」

と鼻をすすった。

「大串の!お婆さまはどうしてこちらに庵を結んでおられるのですか?」

老婆は声を上げて泣き崩れると

「おうおう、よう聞いてくれた。わしはな、ここに住んでもう10年にもなろうか。郷里にいた頃、わしの家を1人の商人が訪れたのじゃ。その商人は病にかかっておったので、わしは外の田屋に泊らせてやった。しかしその男は疱瘡をわずらっておったらしく、2、3日のうちに死んでしもうた。商人の世話をしたわしも、疱瘡の毒気に侵されたらしく倒れてしもうた。7日7晩うなされて気がついた時には、村の4人に1人は無くなっておった。村の衆は商人を泊めたわしを大層怒って、息子夫婦に娘全てを村から追い出す事に決めたのじゃが、村長のとりなしでわし1人村を出ていくことで許してもろうたのじゃ。わしは方々歩いたがどこに行っても、この疱瘡をわずらった顔を嫌われ、疱瘡の毒気を消すために、この霊峰富士の御山の麓に住み着いたのじゃ」

海月は老婆の肩に優しく手をおくと

「おばあさま、しっかりなさって下さい。私が郷里に戻って、おばあさまの事を御家族に話して、何とかおばあさまが故郷に帰れるようにとりなしましょう」と言った。

柴崎が小声で俺に聞いた。

「俺達、みんな天然痘の予防接種って受けてたっけ?」

宇田川が答えた。

「おそらく受けてない。近年の日本では天然痘は絶滅したからな」

「マジかよ・・・」

柴崎が少し後ろに下がった。

老婆は海月の手を取ると

「真か!そうならば是非頼む。わしは夢にも見るのじゃ。生まれ故郷を今一度この足で踏んで死にたいと。娘も今はとうに嫁に行って子をなしておろう。その孫の顔も一目なりとも見たいのじゃ」

と涙をボロボロこぼしながら言った。

吉岡が冷静に聞いた。

「おばあさんはこんな夜中に、何故焚き火なんてしていたのです?」

老婆は顔を上げると

「海側の山の方角より、夜半からうなり声のような物が聞えてな。土地の者は皆あそこには近かづかん。以前は豊かな海じゃったが藤原様直轄の荘園となってからは、昼でも雲も無いのに雷鳴が轟くようになってな。ある者はどでかい龍や化け物を見たそうじゃ。今は雷鳴は無くなったが、都の兵士や舎人があの地を守っておる。そこからうなり声がしたので、魔除けの護符を燃やしておったのじゃ。そこにおぬしらが参ったのじゃ」

なるほど、俺達が脱走したサイレンが鳴ったせいか。

「ささ、狭い所じゃが夜露くらいはしのげよう。今夜はゆっくり眠ってくれ」

老婆は俺達に一応筵の方を進めてくれた。

自分は外の薪小屋で寝るからゆっくりしていいと言う。

「寝てくれったって、ほとんど地べたにゴロ寝じゃねえか」

柴崎は気に入らないらしい。

「おまけになんか変な臭いがするぜ」

たしかに据えたような臭いがする。でも吉岡が

「まあまあ、夜露に濡れて寝るよりマシだろ」

と横になった。

でもこの家、10畳もないので5人が寝るといっぱいだ。宇田川など一番入り口側で竈のところで

「足は伸ばせないし、寝返り打つと外に出る」

と言って不満を表わしていた。

それでもみんな疲れきったせいか、10分後は深い眠りに入っていた。


夢の中で馬に乗った騎馬武者が海月を追いかけていた。

海月は全裸だった。長い髪をなびかせて騎馬武者から逃げている。

俺は離れた所から見ているのだが、体は金縛りにあって動かない。

だんだん海月と騎馬武者の間隔が狭まってきた。俺は声を出そうとしたが声も出ない。

いつの間にか馬の顔が龍に変わっていて、海月を一息に飲み込もうとしていた。

あせる。だが体はピクリとも動かない。

馬のひずめの音だけが耳に響いた。

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