一章:「顰(2)」
車窓からは薄暗い中に相変わらず白地に灰色が交互にちらつくだけの退屈な風景が広がっている。あれからどれ程走っているのだろうか、車内に流れる音楽も聞き覚えの無いものになっている。そもそもいつから流れていたのか、それすら記憶にない。
退屈だ。それに尽きる。
今日の昼までの予定であれば、今頃は家に帰ってチョコバーでも齧りながら奇行と非常識をユーモアと履き違えた人間達を画面越しに眺める日常に従事できていたものを。
どちらも退屈には変わりないが、退屈勝負ではその方がまだマシだ。
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向かい合う形になった後部座席の、私の目の前に座る依頼主は、同じく暇を持て余すように景色を漫然と眺めたり組んだ指を見つめたりしているが、私とは一行に目を合わせようとはしない。
私の事を在る程度知っている人間であれば誰でもそうだが、彼女の場合は恐怖よりも、緊張や好奇心を隠しているのだと想像がつく。
本来ならそんな事には関知しないが、退屈を塗りたくった退屈に退屈を挟んだサンドウィッチを咽に押し込まれている様な今の状況ではそれに齧り付くしかない。
「外に面白いものでも?」
唐突の、恐らく車内で初めて発せられた声に、窓から殺風景な景色を見ていた彼女は大袈裟に驚く。淡い金色の髪がさらりと揺れる。
「いや…別に、」
戸惑いながら答える彼女と目が合う。不思議な紫にも見える蒼い瞳は、不自然なほど大きい。
「グロウの色合いはどこも変わらない。あるのは鉛直に生えた長方形の灰色と、毎日毎日生真面目に降り続ける白だけ。変わるとしたら、時々そこに赤が足されるくらいだな」
多少嫌味なこと言ってみるが、彼女がそれに動じる様子はない。
「当初の依頼を完了していただいた事は感謝いたします。そして、報酬の受け渡しを延長した事は謝罪します。しかし、…いえ、それがあなた方のモラルにそぐわぬ行為だという事も知っていますが、どうしてもお願いしたかったので、不本意ですがこういう形を取るしかなかったのです。」
言葉を重ねるごとに彼女は落ち着いて行き、言い終わる頃にはほとんど無感情と言うほど淡々を言葉をこぼして行く。先ほど驚いていた姿の面影はない。
「モラルにそぐわぬ、か。」
不意に言葉が漏れる。
「なにかおかしかったですか?」
彼女は少し首をかしげ、わずかに眉間に皺を寄せるとそう言った。
その姿はまたもや先ほどの機械じみた印象からはかけ離れた、見た目に似合う幼い少女のような印象を与えるので、私は多少のおかしみを感じざるを得ない。
「まあな、私以外の黒いコートを着た人間があの状況に至ったら、きっとモラルに反した事に憤るだけでは済まない。恐らくその場にいる全員を殺害して金品を奪うか、一人残して、そいつを徹底的に拷問した後取れるだけ一種の、報酬。を頂こうとするだろうな。それがお前の言う『あなた方のモラル』だ。」
言いながらゆっくりと体を背もたれに任せる。革張りのシートから、くぐもった獣の寝息のような音が静かに鳴る。
「…何故?だとしたら何故あなたはそうしなかったのですか。」
素朴な疑問を投げかける彼女は、口調こそ丁寧とはいえやはり子供然としている。
「さあ?時間を無駄にする事に喜びを見いだす質だからか。それか気を抜いて銃を持ってきてなかったからかもな。」
私はポケットに手を入れたまま分かりやすく肩を竦める。
「あなたの噂から考えるに、私たち相手に銃が無いからといって苦戦するとは思えませんが。」
彼女が一体どのような噂を小耳に挟んだのかは知らないが、その予想は間違っていない。
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あの時彼女が姿を現したときはその姿に驚いたが、他の面子も同様に、驚くほど殺し屋と密会するには不釣合いな人間ばかりであった。
何故なら全員が女性で、一人を除き依頼主の彼女よりは年上とはいえまだ年端も行かぬ年齢の少女であったからだ。それも、みな端整な顔立ちのロウばかり。
何故6人も男と勘違いしたのか。その6人が脚の割には大きめのブーツを履いているくらいで、理由を探すが思い当たらなかった。焼きが回ったかと考えるが、しっくりこない。
皆が薄灰や濃紺の防寒着を纏い、フードなどを被っていたが、そこから垂れる金色の髪や青みがかった瞳は、その整った顔立ちと相俟って、一つ一つが精巧な女神像の様でもあった。
そしてさらに、彼女達が追加で私に頼んだ依頼にも大いに驚かされたが。
「人間だれにでも恣意的に横道へ逸れたくなる時があるだろ。たいした理由なんてない。最後に金がもらえるならそれで別にいい。」あまり考えずに発した言葉だったが、大体はその通りの動機であった。
怒りを覚えず、退屈が凌げるなら何でもいい。
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他の席に座る少女達に目を向けるが、先ほどの彼女と同じように目を合わせようとせず景色を見ているか、チラリとこちらを見て目が合った途端静かに視線を逸らすばかりで、互いに話そうともしない。
十人乗りの完全自動運転の高級車を持っている事から金銭的な余裕はあるのだろうが、いまいち出自や彼女らの関係性は不明だ。金髪蒼眼という共通点はあるが、顔が美人と言う以外共通点は余りない。
依頼主に視線を戻すと、なにかを言いたげな顔をしているので、私は目を細め軽く顔を上に振り、話すよう促す。
「あの…」
彼女はおずおずと口開く。この車の中では、彼女は私と会話する唯一の人間だ。それが異質に感じるほど、他の連中は黙し続ける。
「あなた、その、その身体、C.M.H…ですよね?」
その言葉で、私は彼女の言わんとすることを察する。つまりは、私と他の「第三世代」との見た目の差異についてだ。この手の質問は、例えば珍しい苗字の人間がその綴りを死ぬまで初めて会う人々に伝え続けなければいけない宿命と似ている。面倒だが、それを嘆くのにも飽きた。
「ああ、違うだろ、他の奴と」
私はポケットから手を出し目の前で動かしてみせる。
第三世代の、色身以外は人間と大差ない見た目とは違い、無機質でマットな白い身体は、あの忌まわしき第一世代C.M.Hのそれとほぼ変わらない。
「第一世代だ。『魂の牢獄事件』は知ってるか?」
彼女が無言で頷くので、私は自己紹介を続ける。
「そう、私はその生き残りの一人。ネストの殺し屋階級、通称『オムニボア(Omnibore)のヒソミ』は、命を穢した罪を背負わされた哀れな被害者その1ということだ。」
私は自嘲気味に嘯く。どうせ事実を言っても誰も信じないし、その義理も理由も無い。
「なるほど。…私、はじめて第一世代の方を見たので…何と言えばいいのか。」
彼女はある程度察してはいたのだろうが、驚きながらそう言う。
残念ながら彼女が見ているのは悲劇の第一世代ではなく、傲慢で貪欲な人間達が残した哀れな遺物に過ぎないのだが。
「そう悲しい事ばかりでも無い。人間法の特別免除によって、過度なものでなければ人権を保ちながら身体の改造も出来る。それに、人間のパフォーマンスに似せている基本的な第三世代より性能は高い。」
そう言いながら拳で軽く空を突いてみる。恐らく彼女には捕らえ切れなかっただろうが、言いたい事は伝わったようだ。
自分が感じることの出来る感情が怒りと退屈しかない事は面倒なので伏せる。
「給付金や免税、公共機関の無料使用もあるしな。第一世代である限り趣味と食費以外の金はかからない。」
私は第一世代ではないのだが、件の制度が出来てからはこの特権を利用している。罪悪感や気の咎めなどは一切ない事は無論言うまでも無い。
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「なるほど。ネストには多いんですか?その、第一世代の方達は。」
よほど自分以外の社会に興味があるのか、あるいはひどく退屈しているのか、彼女は質問を続ける。
四方やネストの中でも深部に位置する殺し屋階級の人間にネストのイロハを聞こうとする人間は恐らく彼女が初めてだろう。
私が話しかけやすいフレンドリーな人間に見えるのか、彼女が世間知らずの少女だからか、はたまた両方か。私には見当も付かない。
「そもそも第一世代は絶対数が少ない。今生きてるのは地球全体で千人いるかどうかだ。いれば目立つが、そもそも見る機会が少ないからな。何とも言えない。数で言えばやはり人間法に背いた第二世代と、『空気』を入れ替えても暗い気持ちを切り替えられなかった第三世代が多数派だろうな。」
話し終え、何気なく窓を見る。先ほどと全く変わりない景色を見ると、本当にこの車は進んでいるのかすら疑問に思えてしまう。
その疑念に答えを与えるかのように、車の空の運転席がビープ音を鳴らし目的地が近付いていることを伝えるアナウンスを発する。
「魂の牢獄事件被害者追悼広場」。その場所こそこの依頼の目的地であり、依頼が正常に完了すれば彼女達が最期を迎える事になる場所だ。
彼女の顔を見れば既に先ほどの少女らしさは消え、今はただ無感情に外を見つめているだけだった。