第三章:「デスボイス(7)」
耐雪設備とは、不思議な物だ。
主要な道路や街道の下に敷かれ、その道に雪が積もる事は無い。
しかし、実際にそれが敷かれた道に触れてみても熱は感じない。
今歩いている道もそうだ。下を向いてみると、
空から落ちる雪が、地面に落ちた途端、水になる事も無く溶けて消える。
視線を前に戻せば、リュックサックを背負い、
背中を丸めて速足で前を歩くハンナが見える。
機嫌を悪くしたいのはこっちなのだが。
建物を出てからずっと、こうして無言で歩き続けている。
このままではキリがない。俺は前を行くハンナに近づく。
「おい。」
俺はハンナにそう話しかける。
ハンナは、下を向いたまま反応しない。
こういう事態を解決する手段を、俺は一つしか知らない。
軍隊仕込みだが、ハンナに通用するだろうか。
まあ、やってみるしかない。
俺は、ハンナの肩を掴み、彼女を此方に向かせると、
右手の、親指で抑えた中指をハンナの額にぶつける。
戦場では、会話の代替手段として、拳で物事を解決するのが常套手段だった。
物事も好転するし、娯楽にもなり、憂さも晴らせる。
今回は、指一つで我慢してやる。
突然の衝撃にハンナは呻き、両手で額を押え道に座り込む。
俺は、同じ様にハンナの前で足を屈める。
「これで帳消しだ。」
俺はハンナにそう言う。
「痛いよ。暴力ゴリラ。頭が悪くなったらどうするの。」
ハンナは額を抑えたままこちらを睨んでそう返す。
「痛いか。それを良く嚙み締めろ。それに、」
「なに。」
「お前くらい頭が良かったら、多少悪くなっても問題ないだろ。」
「知性は備わる物で得られる物じゃないんだよ?
ていうか、ヒビ入ったかも。」
そう言ってハンナは額をさする。
「何言ってる。手加減したぞ。C.M.Hならそれ位耐えられるだろ。」
「私、換装者じゃないんですけど。」
「何?それは子供用のC.M.Hじゃないのか。」
ごく少数だが、換装の無償期間内に様々な理由で大人用C.M.Hに換装出来ず、
子供用のC.M.Hのまま暮らす人間がいるらしい。
有償での換装は膨大な資金が必要な為、それを逃すと換装は絶望的になるのだ。
ハンナも、その一人だと思っていた。まさかロウだとは。
「子供用の体で悪かったね。私はハルが到底及ばない程知能が高いから、
B.F.E.Sがそれに対応出来ないの。結局、
化学はいつまでも途上の延長線を行くだけなんだよ。」
「成程。ならヒビが入っていたら絆創膏でも貼ってやる。
今はリストに載ってる家に行くぞ。」
俺は懐から、
デスボイスの現場となった疑いのある家のリストが記された紙を取り出し、
それをハンナの頭に当てる。
「謝るって事知らないの?非常識な人間だね。」
ハンナはその紙を俺の手からひったくり、立ち上がってそう言う。
「気が合うな。俺もお前に同じ事を思っていた。」
俺はそう言って、また歩き出す。
その後ろに、ハンナが続く。
歩道に落ちた雪が、そこに何も無かったかの様に立ち消えた。
-----------------------------------------------------------------------------
リストに載っている物件は3件。
うち二つは、ハズレだった。
一つはアパートの一室で、電子錠が付いていたが、
ハンナが当たり前の様にそれを開け、
中を調べた。が、成果は無かった。
もう一つは空き家だった。俺が扉をこじ開け、中に入るも、結果は同じ。
残るは最後の一つ。一軒家の様だ。これもまた空き家らしい。
そこにへ行く途中、公園が見えたので、俺は尿意を理由にトイレへ入る。
それも事実だったが。本当の目的は、人統課に連絡をする事だ。
個室に入り、端末を取り出すと、履歴から相手を選びかける。
短い発信音が鳴り、相手が電話に出た。
「どちら様でしょうか。」
電話口から聞こえたのは、若い女の声だった。
「『パパのお帰り』だ。」
俺はスパイクが設定した合言葉を伝える。
少々お待ちを。と相手が言うと、
保留中の、聞き覚えがあるが題名は分からない音楽が流れ始める。
曲名を思い出そうとしていると、突如その音は消え、
自身の性格を体現している様な、軽薄な調子の声が耳元でする。
「帰りが遅いじゃないか、ダディ。
よし。じゃあ早速、子守唄を聞かせて貰おうか。」
スパイクがそう言う。
相変わらず、ふざけた男だ。
「どこから話せばいい。」
「そうだな、対象の性別、年齢、姓名、職業、住所、
それにパーソナルカラーに好きなジャムも教えてくれ。
分かる所だけでいい。」
どこまで本気なのか、相手はそう言う。
「女、自称二十歳、ハンナ、姓は知らない。
仕事も知らんが、パソコン弄りが得意らしい。
後はそっちで聞いてくれ。」
「何、二十歳って本当か?それで、カラードとの関係は聞けたのか。」
「ああ、関わっているようだが、何処までかは分からない。これから探る。」
俺はそう嘘をつく。
「オッケーオッケー。中々上出来だぞ、ハル。
ハイドラの名に於いて、汝に脳の形を維持する権利を与える。」
「そうか、じゃあ切るぞ。」
俺はそう言って端末を耳から話すが、スパイクがまだ何か言っているので、
また俺は端末を耳に当てる。
「何だ。」
俺はスパイクにそう言う。
「依頼だよ。そのミス・ハンナがした依頼は何だったんだ?」
電話の奥から椅子の軋む音が聞こえた。
「ああ、デスボイスだ。」
「あ?音楽か?」
「何言ってる。そんな訳がないだろう。都市伝説だ。」
俺の言葉を反芻する様に、都市伝説。とスパイクは言った後、
合点がいった様子で、そっちのボイスか。と続ける。
「黒いディスクに入った声を聴くと異世界に飛ばされるって奴だろ?
そんなもの調べてどうする?」
ディスクや異世界に飛ばされる。と言う話は初耳だが、
この話にはそう言った類似品が沢山あるのだろう。
人は話を相手に印象づかせる為に、多少誇張して言う事がある。
それが続けば、いつしかその誇張は新説や亜種と言った新たな形を成す。
「件のミス・ハンナは、そう言う事で余暇を過ごすのが好きらしい。
俺はその為の護衛と足に使われてる。」
「そうか。異世界に行ったらポストカードでも送ってくれよな。
それまでは仕事を引き続き頼むぜ。」
「ああ、もういいか。」
「いや、最後に一つ。
まあ分かっていると思うが、余計な事はするなよ。
お前の仕事は騎士様気取りじゃなくて対象の監視だからな。」
「ああ。」
「よし。じゃあ俺に出掛ける前のキスをして、また仕事をしろ。」
俺はそれに応えず、無言で通話を切る。
個室を出た後、小便器で用を足し、出の悪い洗面器で手を洗い、外に出る。
公園のベンチで座って待っていたハンナと合流し、車で次の物件へ向かう。
-----------------------------------------------------------------------------
その家は、大通りからは大分離れた、街の終わりに近い場所に建てられていた。
地図の様に街を俯瞰で眺めれば、丁度区画の右上の隅に当たるのではないか。
その建物同様、辺りの家も空き家であったり管理の行き届いていない家が多く、
厳かで落ち着いた印象の大通り周辺とは雰囲気が大きく異なる。
ハイドラ市民が、ハイドラが実質的に管理や統治を放棄している場所の事を、
ハイドラの視界から外れたと言う意味で「アウトサイト」と呼ぶ事があるが、
ここも、街の住民や管理者が生み出した、
無意識の中のアウトサイトなのかもしれない。
スラムとまではいかないが、
寂びれた風情を持つこの場所に降る雪は、いつもより冷たく感じた。
人間の歯の様に規則正しく並べられた家々の内、
目的の家の前にある階段を積もった雪で転ばぬ様ゆっくり上がる。
建物自体はしっかりしているものの、
主のいない家は生気が抜け、正に抜け殻の様だ。
扉には電子錠は無く、仕方なく俺はドアに近づき、
体当たりする準備をするが、ノブを掴んだ拍子に扉が開く。
鍵すらかかっていない様だ。
それを見たハンナが肩を竦めた後、家の中に入っていくので、俺も続く。
扉の先には暗い色の木で出来た廊下と二階へ続く階段があり、
廊下の横にはアーチが、奥には窓がある。
アーチの先はリビングだろうか。
壁にはたくさんの小さな写真や絵画が飾られ、
廊下の脇に置かれた細長いテーブルには青い陶器の花瓶の中に、
枯れた花が挿さっている。
奥の窓から、灰色の光が差し込んでいた。
部屋の中は埃っぽいものの、荒れ果てたような気配は無い。
家具などもそのままで、まるで住人だけが姿を消し、
長い間放置されていたかのような印象を受ける。
ここの住人は文字通り「消え去った」のだろうか。
先程見た映像の、弾けるように消え去った男の姿が頭を過ぎる。
俺はデスボイスについては半信半疑だった。
嘘だとも、真実だとも付かない。どちらかに決定する為の確証が不足している。
「先客がいるかも知れない。気を付けろ。」
俺は廊下を歩くハンナにそう言う。
鍵もない空き家であれば、宿無しや犯罪者がねぐらとしている可能性もあった。
「アイアイサー。私は二階に行くから、ハルは下を調べて。」
ハンナはそう言いながら、リュックを探っている。
何を出すかと思えば、彼女は先程の暴漢たちが持っていた牛追い棒を取り出した。
何時の間にくすねたのだろうか。
端末のライトを懐中電灯代わりにし、彼女は階段を上っていく。
「何かあったら大声を出せ。」
俺はそう言って、廊下を進む。
アーチの先にあるのはやはりリビングであった。
テーブルに四人掛けの椅子が並べられ、
食器棚やソファー、テレビなどが壁際に置かれている。
一様に薄く埃を被っているものの、テーブルの材質やテレビの形状からして、
全て現在でも一般に使われている製品だ。
持ち主は最近この家を手放したことになる。
普通は盗難にあってもおかしくは無さそうだが。
この街の人間は品行方正なのだな。と感心する。
奥に扉が二つあり、開けてみると、一つは地下へ続く階段とつながっており、
もう一つはキッチンだった。
俺はキッチンを調べた後、一旦地下へは行かず、ハンナの所へ行く。
窮屈な階段を上ると、細い廊下があり、壁際に三つの扉が見える。
取り合えず正面にある扉に近づき開けてみると、そこはバスルームだった。
「きゃー。」
その叫び声を真似た様な抑揚のない声に、扉の方へ振り向くと、
ハンナが廊下の真ん中にある扉から顔を出してこちらを見ていた。
「何かあったか。」
俺はハンナにそう言うと、ハンナはこちらを手招きする。
それに従い部屋の中に入った俺は、まず違和感を覚える。
その部屋に見覚えがあった。
部屋の中に立つハンナが指さした先を見れば、
大昔に流行ったらしい、
人を誘惑するようなポーズをした女性が描かれたポスターが貼られていた。
それを見て俺は納得する。
あの映像に写っていた、ヴィンテージのピンナップだ。
この部屋こそあの映像の現場なのだろうか。
「でもPCもないし、黒いメモリも無し。同じポスターってだけかもね。」
ハンナが俺の考えを見透かしたようにそう言う。
俺はハンナが立っている場所に行き、ポスターの方を向く。
その映像にはベットや、当然ポスターが貼られた壁も写っていたが、
映像自体が暗かった為、この部屋も配置こそ似ているものの、
全く同じベットと壁であると言う確信は持てない。
後ろにはデスクがあるので、そこにPCが置かれていたとも推測出来るが、
そのPC自体が存在しないので何とも言えない。
デスクの上に、PCの形に埃が無い。と言う事もない。
家は荒らされていなかった事もあり、PCのみ単体で持ち出された可能性も薄い。
俺は部屋の窓につけられたカーテンを閉めて暗さを再現しようとするが、
日光を遮るにはそのカーテンは薄く、余り意味は無かった。
「ここだと思うか。」
俺はデスクの引き出しを開けているハンナにそう尋ねる。
「どうかなー。60%ってとこ。」
「そうか。さっき地下を見付けた。そこに何かあるかも知れない。」
俺達は一階へ戻るとリビングを抜け、地下への階段を下った。
-----------------------------------------------------------------------------
地下は、上よりもより冷えているものの、埃っぽさは薄れている。
真っ暗な階段をハンナに照らして貰いながら進み、
降り切った先には、もう一つ扉があった。
これが地下室への扉だろう。
一応、銃を取り出す。
後ろにいるハンナも片手で牛追い棒を握り締めている。
俺は、扉に寄り添うそうにしながらゆっくりとノブを回し、扉を押す。
カギはかかっておらず、金属製の扉が鈍い音を出しながら開く。
その先は真っ暗だったので、俺はハンナの端末を受け取り、中を照らす。
その地下室は倉庫の様で、俺が開けた扉は、倉庫の端に取り付けられている様だ。
日用品や工具が置かれた棚の奥に空間がある。俺はその先を照らす。
すると、その光の中に長方形の金属製のテーブルと、
折り畳み式の小型PCが置かれているのが見えた。
俺はハンナに声を掛けそれを見せる。
するとハンナは興奮した様子で片手でサムズアップすると、
俺の手から端末をひったくり急ぐ様に中へ入って行く。
これは何かおかしいと感じた俺はハンナを呼び止めようとするが、
案の定ハンナは言う事を聞かない。
「おい、気を付けろ。」
俺はハンナに近づきそう言う。
「大丈夫。こっちはハルより詳しいから。」
そう言ってハンナはテーブルに端末を立て掛け、テーブルの端に腰掛けると、
リュックから自分のPCを取り出し、起動する。
「私のPCとそれを同期して中身を覗くから、そのPC起動して。
起動の仕方くらい分かるよね?」
ハンナは俺にそう言ってくる。
「待て。何故PCがここにある?明らかにおかしいだろうが。」
「別に地下室にPCがあってもおかしな事は無いし、
これが目的のPCだって確証もない。
それを確かめるには、中身を見るしかないでしょ。」
「もしこれが目的のPCだったとして、誰がここに誰が持って来た。」
「この家はファミリー向けの物件だから、
家族が見つけて、ここに置いたんじゃないの。デスボイスを知らなきゃ、
行方不明だと思って形見の品を保管していたのかもしれないし、
知っていれば、PCを壊すなり地下に隠すなりしてもおかしくない。
黒いメモリもそれに然り。ていうか、この街は結構行方不明者が多いんだよね。
特にこの地域。だから後で怖くなって、家具を置いて皆逃げだしたのかも。」
ハンナは早口でそう言う。
「憶測に憶測を並べた見事な推理だな。」
「じゃあ、ハルはどう思うの?」
ハンナはPCを弄るのを止め、俺の方を見てそう言う
「さあな。だが、おかしいだろ。感覚でそう感じる。」
俺は思った事をそのまま口にする。
「最高。現代版ホームズの誕生ね。いいから電源付けて。」
ハンナは呆れたように短く笑った後、そう言う。
「ホームズ?誰だ。」
「え、噓でしょ。旧世界文学の傑作だよ。知らないの?」
ハンナが両手を広げ、在り得ない物を見たかの様に目を見開く。
「本は読まない。統一前の物なら尚更だ。」
その俺の言葉に口に手を当て、天を仰いで大袈裟に嘆くハンナを尻目に、
俺はテーブルに置かれたPCを開き、キーボードの上部にある起動ボタンを押す。
すると画像をタッチする事でロックを解除しろ。とPCに命じられるので、俺はハンナにそれを伝える。
ちょっと待って。そう言ってハンナが自分のPCを操作する。
すると一分もしない内に、一人でにロックが解除された。
そして、表示された画面の右下に、
吹き出しの様な物の中に文字が書かれた表示が現れる。
「おい。『セキュリティソースが不明のメディアを検知しました。』と
書かれているが。どういう意味だ?」
俺は現れた文字をそのまま伝える。
「ああ、それは認証してないディスクとかを入れた時に出て来る奴だよ。」
そのハンナの言葉に、俺は先程スパイクから聞いた話を思い出す。
その途端、背筋に冷たいものが走る。
「確か、デスボイスの話には、
黒いメモリがディスクだとされている話もあるんだよな?」
俺はハンナの方を見てそう言う。
「そうだね。良く知ってるじゃん。」
ハンナはそう言った後。勘付いたように顔を上げ、こちらを見る。
そうして2人で顔を見合ったまま、暫く動けない。