第三章:「デスボイス(3)」
俺に任務を与えて来たスパイクと言う男は、こう言っていた。
監視対象は、俺にこのバーで待っているよう伝えた人物だという事。
相手には自分達の存在や俺が監視していると悟られない事。
その相手に対し盗聴器やトラッキング装置などの類は通用しない為、
俺が逐一相手の情報を人統課(人材統括課)に伝える事。
もし任務を破棄したり、違反行為を行った場合、
頭に埋め込まれた装置が俺の脳をペースト状にしてしまう事。
形を失った脳はレバーペーストにそっくりだと言う事など、
所々に下らない無駄口を加えながら説明していた。
そして、その人物が俺を仕事に使うよう密かに工作したのはヘスティアだが、
そのヘスティアも対象の容姿や素性は掴めておらず、
故にまずは一つ、ある事実を確認して欲しいと言われた。
それは、相手が「カラード」の関係者であるかと言う事。
カラードについて相手は詳しく話さなかったが、
政府にとって厄介な相手であることは確かなようだ。
常にふざけた様な調子で喋っていたスパイクが、
カラードについて話す時だけは怒りを押し殺す様な低い口調になっていた。
俺はその仕事に乗り気は全くしていなかったが、
脳をレバーペーストにされるのは勘弁なので、渋々承諾するほかない。
どうせ、相手からすればこれは命令であるので、
いちいち俺の是非など関知してはくれないのだろうが。
あちらも最小限の範囲で俺を監視しているらしく、もし必要があれば接触する。と
言った所で電話が切れた。
俺は端末をしまい、料理と対象を待つ。
相手に自分の命を握られているのにも拘らず全く動揺していない自分に、
俺はそれ程まで生きる事に価値を失っているのか。と改めて痛感する。
俺の中にある感情は、死にたくないという気持ちではなく、
朝飯も食わず鼻から脳を垂れ流す最後は御免だ、と言う気持ちだった。
考えていても仕方ない。俺は取り出していた煙草を一つ取り、火を着けた。
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暫くして、俺が出て来たコーヒーと卵と豆の炒め物を食べていると、
店のドアが開いた。
ドアに付いたウィンドウチャイムが音を立てる。
入ってきたのは女だった。と言うより、背が小さいので少女と言うべきか。
黒いパーカーのフードを目深にかぶっていて、顔をよく確認する事が出来ない。
丈の短いスカートを履いているので、恐らく女性だろうと判断する。
子供が朝からバーに一人で来るのか。と時代の変化を愁いていると、
その少女があろうことか俺の隣に座った。
なんてことだ。子供が朝からバーで傭兵に依頼をするのか。
時代は変わった。
一応、この席の空いた店の中でわざわざ人の隣に座る様な
特異な人間である可能性を考慮して話しかける。
「悪いが、この席はとってあるんだ。何処かへ移動してくれないか。」
俺は少女の方を向き、そう話す。
「そうなの?ちなみに誰の為にとってあるの?」
少女は此方を見ずにそう返す。
「大事な人の為だ。」
「それは曖昧な言い方だね。具体的にどう大事なの?」
そう言った後、
彼女は厨房から出て来たレジナルドにアイスクリーム付きの炭酸飲料を頼む。
「人を大事に思う気持ちに具体性が必要なのか?」
「必要。というか、世の中の物で具体性を必要としないものなんて存在しない。
そう思わない?曖昧でいいなんて、理解力の低い弱者の言い訳だよ。
物事の輪郭を捉えた上で、あえてフォーカスをずらす事は、
時に必要な場合もあるけど。」
彼女は受け取ったソーダから元々刺さっていたストローを抜き、
リュックサックから取り出した自前の金属製のストローでそれを一口飲むと、
そう話す。
レジナルドは、また厨房へ消える。デミグラスソースの匂いが奥から漂う。
「そうか。じゃあ、フォーカスをずらさず具体的に話そう。
俺は仕事でここに来てるんだ。今、依頼人を待っている。飯を食いながらな。
もし君がその依頼人じゃないのなら、席を移ってくれ。
俺にとって大事な人とは、俺に金を渡す人間だ。」
俺は空いた店内を両手で見せびらかすような身振りをしてそう言う。
「やっと意味のある会話が出来た。もう依頼人を待つ必要は無いよ。
だって、今ここに居るんだから。」
そう言って、少女は私に微笑む。
本当に、世も末だ。
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「君が依頼人なら、依頼はなんだ?」
俺は自らを依頼人だと名乗る少女にそう言う。
「今ここで話すの?まあ、誰もいないしいいか。」
彼女は炭酸飲料の上に乗ったアイスクリームをストローで崩しながら辺りを見渡し、そう返す。
「まずは自己紹介だよね。じゃあ、そっちから。」
彼女は俺を片手で示しそう言う。
「名乗るべき事も少ないが。俺はハルだ。問題解決を仕事にしている。」
「ハルね。苗字は?」
「ハルで十分だ。」
「そう。じゃあ、私はハンナ。私も問題解決が仕事。それで十分?」
「ああ。」
「よし、じゃあ握手。」
ハンナと名乗った少女がそう言って手を差し出してくるので、
此方も手を出して握手する。
お互いの手の大きさや質感の違いは、
まるで違う種族の二人が握手しているかの様だ。
俺の不格好な岩の様な手に比べ、
彼女の手は俺の手にすっぽり覆われる程小さく、軟らかい。
その白い手は、強く握ると簡単に壊れてしまいそうで、
俺はどこまで力を入れていいのか分からない。
「じゃあ自己紹介も済んだ所で、依頼の話をしよう。」
ハンナはそう言うと、アイスクリームの溶けた緑色の飲料をストローで飲む。
「その前に一つ、確認しておきたい。いいか?」
「ん、何?」
ハンナは飲むのを止めてそう返す。
「君は、俺がどういう手段で問題を解決しているのか理解しているのか?
いや、と言うよりも、何処で俺の事を?」
俺に良く仕事を依頼する人間達と、彼女が繋がっているとは考えにくかった。
「せっかくだから両方の質問に答えるね。
まず、あなたがどう言う『流儀』で仕事しているかは知ってる。」
彼女はそう言って、拳を打つ真似をする。
「そして、何処であなたの事を知ったか、だっけ?それは単純。」
ハンナはそこで言葉を止め、両手で自分を指し示すようにして、言葉を続ける。
「私に知る事が出ない事柄は存在しないから。当然、あなたの事も知ってるの。
可笑しな言い方かもしれないけど、それが真実。」
「それは驚いたな。学校の教科書にでも俺の連絡先が載っていたか?」
「何、どういう意味?」
「どうもこうも、君は子供だろう。
それが、まさか俺の力を必要としているとは。それが意外だっただけだ。」
「ああ、全く。人はいつ物や生き物を見た目で判断する事を止めるんだろう。
人類が文明を手に入れて数千年が経っているのに、
未だ人は原始の習慣を踏襲し続けてる。
進化と言う工程を自分自身から、自分の身の回りの物に委ねる様になってから、
ヒト自身は変化することを止めてしまった。これは悲劇だよ。」
彼女は大げさに嘆きながらそう話す。
「背が小さいから子供だと思ったが、違うのか?」
彼女の見た目は、どう見ても十代前半だ。
C.M.Hは、その人間の特徴と人の平均的な特徴を合わせて作られるので、
個人間による身長の違いは殆どない。
子供は小さく、大人は大きい。純正品であれば、それに例外は無い。
「ワオ。ハルは、人が気にしてる事をはっきり言うね。
私は今年で20だよ。もう大人。
ハルは今67だっけ?その割にはマッチョだね。
やっぱり戦争の英雄は違うなあ。秘訣は何なの?
その肥大した筋繊維の一つ一つに、
殺したロウの血がたっぷり染み込んでるのかな?」
ハンナが俺の腕を指さし、嫌味な笑いを浮かべそう話す。
「成程。それはすまなかった。」
俺はそう言う。
自分の事を根掘り葉掘り知り尽くされているのは先程経験済みなので、
余り驚かない。
「あれ、驚いたり怒ったりしないんだ。意外。」
彼女は俺の反応の薄さが不満な様で、
つまらなそうにストローでコップの中身をかき混ぜる。
「殺したのは事実だし、悪口はもう言われ慣れた。
それに、君は何でも知る事が出来るんだろ。なら、驚く事もない。」
「ふーん。まあ、そうなんだけどさ。
じゃあ、お互い仲が深まった所で、今度こそ依頼のお話を始めていい?」
ハンナの言葉に、俺は頷く。