第三章:「デスボイス(2)」
当時は未だロウと換装者の間の軋轢も深かった当時。
軍を辞めて暫くは、退役軍人相手のボランティアや
肉体労働をして各地を回っていた。
俺自身、ロウだからと言う理由で迫害に合う事も少なくなく、
さらに俺の事を知っているロウの中には、
俺を「機械人間の為に同胞を殺した裏切り者」と見做す奴らもいた。
換装者とロウの板挟み。
しかしそれは、大変ではあっても苦しくは無かった。
寧ろ、楽だった。
俺は換装者で構成された軍隊と共に女子供構わず敵対するロウを殺し、
それを高らかに喜ぶ奴らの横で飯を食い、酒を飲み、女を抱いた。
自分自身の中で、自らを罰したい気持ちもあったのだろうか。
暴力には暴力を返し、相手の言論を力でねじ伏せる。
痛みは酒や薬物で消し、鬱憤が溜まればまた暴力や女を使う。
その方が、平穏の中で自分を見詰め直す事よりずっと楽だった。
己に降りかかる罵倒や差別を受け止めるには、
もう、俺の魂は擦り減り過ぎていたのかもしれない。
しかし、60、70年頃の混乱から、たったの10年ほどで状況は一変し、
換装者と情報化不全症のロウは互いに同じ道を歩みだした。
10年と言う年月が、
人と人の確執を洗い流すのに妥当な時間だったのかどうかは、俺には分からない。
だが、そうなった。
そして自分が60になった頃、俺は今の仕事を始めた。
主にグロウサイドのロウ・タウンを拠点とし、
金と引き換えに暴力沙汰や個人の警護を引き受ける仕事。
言わば、「ご近所の傭兵屋さん」だ。
幾つ年を重ねようが結局、俺には力仕事しか出来ない。
いつだって、何かを破壊することで自分の価値を証明してきた。
たとえ、かつて英雄と呼ばれていようと、
俺はこの世界で価値を失った、ただの遺物だ。
身寄りもなく、後はただ、風邪でも拗らせて死ぬだけ。
俺の人生はそれでいい。そう思っていた。
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車を走らせ、指定されたバーへたどり着く。
大口を開けたシェフが、大きなハンバーガーを口に含まんとしている看板が目立つ。
そのハンバーガーは客に出す物ではないのか、と俺はそれを見る度思う。
車を道路脇に止め、店の中へ入る。
いらっしゃい。お客さん早いね。と
気だるげな声がし、その声の主がカウンターの奥から姿を現す。
この店の店主でもある彼は俺の顔を見ると、
その、眠気を堪える子供の様な顔にゆったりと笑みを作る。
「おや、ハルさんじゃないか。もう朝食かい?」
親し気にレジナルドが話しかけて来る。
昔、彼が依頼した店の警護の一件以降、
彼は俺をひどく気に入っているようで、いつも友人のように接してくる。
それに気を良くしたと言う訳でもないが、ここが安価で家から近いこともあり、
それ以降朝や昼は殆どここで食事をしていた。
「ああ、コーヒーと、何か腹に溜まる物を頼む。脂っこくない奴を。」
レジナルドの挨拶に軽く手を上げ、そう言う。
ここ数年、脂質=美味という自分の中の方程式が崩壊し始めている。
了解、大将。と彼は厨房へ消えた。
俺は、いつも座っている出入り口の近くのカウンター席に腰掛ける。
ロウ・タウンで俺の力を必要とする人間は案外多く、
既に朝方や昼間はこのバーにいる事、
さらに言えば座っている席の情報もその界隈では知られているらしく、
今では連絡を受けここに座っているだけで相手からこちらに接触してくる。
今回も俺はその習慣に甘んじ、連絡してきた相手を待つ事にした。
その間一服しようとジャケットから煙草を取り出した時、
ポケットから一枚の紙が落ちた。
身を屈めてそれを取ると、破れたメモ用紙にこう書かれていた。
「連絡して♡あなたの魂の恋人より。」
言葉の後には、電話の番号が記載されている。
モーテルで寝ていた女の物だろうか。
一晩共にしただけでもう魂が繋がりを感じているとは、重大な恋愛観の相違だ。
今後の関係は絶望的に違いない。
それを握りつぶして捨てようとしていた矢先、端末が振動する。
着信があったようだ。
端末を取り出し、表示されている番号を見て一瞬驚く。
それは、先程見つけたメモに書かれていた番号であった。
メモと表示された番号を、交互に見てしまう。
見ず知らずの女に自分の連絡先まで伝えていたとは。
今回は流石に、自分の浅はかさに対し落胆する。今までにない失態だ。
こうなると、他に何をしてしまったのかが気になってしまう。
殺人を犯していなければいいのだが。
人間、身に染みた行動はつい出てしまうものだ。
自分の行動に頭を抱えながら、未だ断続的に震えつづける端末に意識を戻し、
ボタンを押して電話に出る。
「かけ間違いじゃないか?」
俺は相手が話す前にそう切り出す。
「そんな訳ないだろ、ハニー?」
端末から聞こえる声は、明らかに男の声だったので俺は困惑する。
「風邪でも引いたか?男みたいな声だぞ。」
どういう事態かは定かでないものの、面倒な事になったのは分かる。
「なんだって?おいおい、冗談が上手いな。俺が誰だか分ってるだろ?
いや待てよ、そう言えば俺が記憶を消したんだっけ。」
記憶を消したことを忘れるなんて皮肉だな。とふざけた調子で相手は続ける。
「どういう意味だ?」
「どうもこうもないさ。あんた、バーにいた後の事、覚えてないんだろ。」
「何かしたのか。」
俺は頭の出血を思い出し、咄嗟に後頭部のその個所を触る。
「そう、それだ。女とヤってそんな所怪我するか?よく考えてみろよ。」
その言葉で、相手がこちらを見ている事を察し、窓の外や店内を見渡すが、
それらしい人物は見つからない。
「何をした。」
「なあ、聞くことは本当にそれでいいのか?
まずは『お前は誰だ。』だろうに。」
「誰だ。」
「俺のアドバイスに従ってくれて感謝するよ。まずは第一歩だな、ハル。」
端末から相手が手を叩くような音が聞こえる。
この際、相手が自分の名を知っている事にも驚かない。
きっと、俺の住所や口座番号、好みのアイスクリームまで網羅しているのだろう。
もし、俺がバーにいた以降の行動を全て奴らが管理していたとすれば、
相当な大物である事は間違いない。
人の記憶を消し、それを疑わせないシチュエーションまで用意したのだ。
「我々はハイドラの特務機関第九首ヘスティア人材統括課。
俺はその一員で、今回の作戦のリーダーであるスパイクだ。以後よろしく。」
「ヘスティアだと?そんな奴らの厄介になるような事はしていないと思うが。」
ヘスティアは秘匿主義のハイドラの中でも、
特にその活動内容が謎に包まれた機関だ。
秘密組織と言ってもいい。
噂では、ハイドラの汚れ仕事を一手に引き受ける機関だと言われている。
実際はどうであれ、関われば面倒になる事は間違いない。
問題は、俺がどこまでその面倒に巻き込まれるかだ。
「あー。ひとつ、間違いを訂正させてもらおう。
いいか、君が我々にとって厄介になるかどうかは
君の一存で決められることではない。
我々が厄介だと思えば、例えば家の玄関で佇んでいる老人も『厄介』になるんだよ。
そして、俺のチームはその厄介を解決する事に長けている。分かったか?」
「いいから、要点を話してくれ。男と電話で長話するのは戒律に反するんだ。」
面倒事には慣れていたが、今回はその質が違うのを感じる。
にも拘らず冷静でいるのは、今までの経験からか、まだ頭が寝惚けているからか。
「成程。君は無神論者だと聞いたが。まあいい、だったら話そうじゃないか。
実は、君には任務がある。我々にとって非常に重要な任務だ。」
「任務?俺が40年ほど前に退役した事は記録に載っていないのか?」
「君には、ある人物を監視してほしい。」
俺の言葉を無視して、相手は続ける。
「報酬は、そうだな。君の命でどうだ?」
どうやら、俺はこの面倒にとことん巻き込まれてしまった様だ。