11話 銀の魔法使い
それを、聞いていた。本当に、偶然に。
「死にたく、ない……」
心の底からの声を、聞いていた。
「まだ、生きていたい……」
涙がこぼれる音を、聞いていた。
「助けて……!」
少女が口にした、その懇願を、聞いていた。
だから──。
「君は、何者だ」
アイリスの首を絞めていた騎士服の男の腹に蹴りを入れ、吹き飛ばす。が、なんら効いていないようで、そいつは首を傾げていた。
この場に居る、謎の人物に。
「なん、で……」
朦朧とするアイリスの声が、届いた。
「俺は、魔術が嫌いだ」
その全てを無視して、天翔は言葉を紡ぐ。いつかアイリスに話した彼の想いを。
「俺は、神秘が大嫌いだ」
その気持ちに偽りはない。だって、十年以上もそれに取り組んできた。なのに。
「俺は──大切な誰かを守れないような俺が、大嫌いだ!!」
力の有無に関わらず、人は死んでいく。守ることもできずに、あっさりと。何年も十年も取り組んで、なのに守り切れない。だから、天翔は魔術が嫌いだ。嫌いで嫌いで、見たくもないくらいだ。
けれど。
「だけど……もしも、大切な者を失うのであれば……俺は戦う。大嫌いな魔術も、使ってやる」
宣言する。もう、誰も失わないように。
「魔術師名は──messiah」
かつて、世界の悪を知らず、力不足を呪うことがなかった、幼き日の天翔が願った想い。原初の想いが、そこにはあった。
「俺の名前は、神代天翔」
天翔は、ただ呟く。
「『銀』の魔法使い、神代天翔だ!」
埒外の技術で、知恵で。到達することがなにより難しいとされていた──否、不可能とされている魔法使いにまで上り詰めた、奇跡の十二人目。
「──出し惜しみしている場合では、ないらしいな」
騎士服の男も、それを理解した。目の前に居るのは──人を超越した化け物であることを。
ゆえに、接敵する。肉薄する。切迫する。
その影が──蠢く。レグラス達の相手をしていたそれは、天翔の前にやってきて──。
「……ごめん、なさい。私が、私の、せいで……」
声が、落ちる。天翔の真後ろで、悔恨の声が。
「ふざけるなよ……もう、誰も失わせやしない」
さあ、始めよう。
抗うための戦いを。
「俺が、何もかもぶっ壊してやる!!」
★
「天翔さん!」
騎士服の男が災害級を天翔を殺すためだけに呼び寄せ、迫ってくる。啖呵を切ったとはいえ、何の魔術的な強化を施さず、防御もろくに張っていない天翔では一撃で死ぬだけだ。
──寸前、詩音からとある物が投げられ、吸いつけられるように天翔の手に収まった。
──それは、銀色の銃。昔、実弾を放つためだけに作られていたハンドガン、それを自らの手と、日本に居る改造大好き博士と共に改造し、魔術にも耐えられるようにした、天翔だけのオーダーメイド。
天翔が魔術の世界から一線を退いた後は、共に改造を施した博士の所に置いていたのだが、どうやら詩音が持ってきてくれたらしい。
正直これがあるかないかで勝利できるかどうかが変わるので詩音の気遣いはありがたい。後でお礼でも言っておこう、と心に留めつつ。
「──逝ね」
影が。迫る。全身を蠢かせ、全身を纏っている漆黒が変化した。それは禍々しく、おどろおどろしく、それが刃物となり鈍器となり──この世に生きる生物全てを大虐殺できるほどの武器へと変化する。
「ち──」
視界全てを覆う影が天翔に切迫し──しかし、天翔は逃げることをしない。なにせ後ろにはアイリスが居る。逃げれば、彼女が死ぬだけだ。それではここに来た意味がない。ゆえに──。
「《土の王よ、我が声に答えよ、其は世界を守る巨人である》」
唱える。口ずさむ。──それに答えるように、土が蠢く。それは集まり、形を成し、神話で語り継がれる巨人となる。
──ゴーレム。しかし、ここでのゴーレムは北欧神話ではなく、創世記におけるゴーレムの逸話から取っている。創世記の中での神は土塊から最初の人類アダムを作り出した。つまりは、ゴーレムを作る作業と何ら変わりはない。つまりはそれを術式に組み込んで、何にも耐えうる巨人の壁を作り出したのだ。
が、それも絶対ではない。あくまでこれは神話の再現であり、魔術である以上破れる。だからこそ、回避する時間だけを稼げればよかった。
影と四方に伸びきった巨人が激突し、衝撃波が辺り一帯を飲み込む。風が裂かれ、大気が歪み、音が正しく音として伝わらない。音の大洪水を浴びながら、天翔は力なくへたり込むアイリスの細い腕を掴み、腕の中に抱え──いわゆるお姫様抱っこ──レグラス達が居るであろう場所に退避する。
「え、な、なに──え、ええええええ……!? ま、待って、待ってください、こ、これじゃ、お、お姫様抱っこ……!!」
「……気にするなよ。これが一番楽だったんだ」
その際だが、アイリスから慌てたような声が上がったような気がするが、天翔は敢えて無視する。
「レグラス……無事、じゃねえか。こっぴどくやられたもんだな」
「ふん……まだ動ける以上、大した怪我ではない。それよりも、ブランクは大丈夫か」
「なわけねえだろ。正直さっきの術式ミスんなくてほっとしたね!」
再会して早々憎まれ口を叩き合い、真ん中で挟まれる形となるアイリスがおろおろとするが、そこまで心配しなくてもいい。これは互いが無事かどうかを確認しているだけだ。
「ともかくだ。……現状は理解しているな。あれを倒さない限り、生き残る術はない」
「ああ。そんで、何か掴んだか。弱点とか、気を付けなきゃいけない点とか」
「そうだな……まず、魔術が効かん。これはあの影が自動防御のような役割を果たしているからだ。あれを打ち破らぬ限り……まずダメージを与えることすらもできそうにないな」
「マジか……そんな規格外、ありかよ。──そんな化け物、俺しかやれるやつはいねえな」
レグラスより伝えられる災害級の脅威に、天翔は苦笑いを浮かべた後、アイリスをその場に置いて会話を重ねていく。
「レグラス。まだ戦えるなら時間稼いでくれ。詩音は錬金術使えるよな。対価は俺が持つからでかい銃を作ってくれ。俺とアイリスで、弾を製作する」
「無論だ」
「分かりました」
「え、え……?」
長年の付き合いのごとく、勝手に納得し合っていく三人についていけないのか、アイリスは目を白黒させる。が、それに答える前に三人は各々散り──残されたのは天翔とアイリスだけだ。
「アイリス。俺が教えた神話の方は覚えてるな。いや……これに関しては、逸話って言えばいいか。……グリム童話の『二人兄弟』あたりか。ともかく、銀って言うのは古来から道に対する対抗手段としての意味合いが強い。それを術式に組み込んだのが俺の魔術だ。これについては……そうだな。概念を打ち破る魔術と思ってくれればいい」
「概念を、打ち破る……?」
「ああ、概念を。例えば……吸、血鬼の不死の概念を打ち破り、一撃で瀕死に追い詰める魔術だ」
例えに関して、どこか言い淀んでしまうがアイリスに悟らせないように努めて冷静に例を口にした。とはいえ、説明した通り天翔が使う魔術──それは概念的に不死を刻んでいる者、魔術的防御を刻んでいる者全てを等しく無力化する。要は防御などを貫通して相手に攻撃を与える魔術だと思えばいい。
「これから作るのは対災害級用のやつ……さっき詩音が渡してくれた銃よりも、更に大きい銃を詩音が作ってくれてるから、それ専用の弾丸を作る。たぶん、レグラスが持つのは……数分だな。その間に、作らなきゃいけない。……ただ、作るのが久しぶりだし、一人でできると思えない。だから、手伝ってくれ」
「……私は──はい、分かり、ました。何を、すればいいんですか……?」
「よし、まずは……」
許された時間をフルに使用し、弾丸を作っていく──戦車の砲弾と言っても差し支えないが──。その工程は慎重そのものだ。一度も失敗できない上に、精密に進めなければいけない。魔法陣を作り、なぞり、術式を組んでいく。神話を刻み、逸話を組み込み、概念を打ち破る概念を入れて──、
「天翔さん、完成しました。──砲弾式銃……なんて言えませんね。それよりも、大砲と言えばいいでしょうかね」
「ありがとう。こっちも、完成した」
天翔が完成したタイミングで、錬金術を終え一度きりの銃……というか、見た目からして完全な大砲の砲身みたいなのを詩音が持ってきた。大きさは恐らく天翔が抱えてようやくと言ったところか。でかすぎ、などという心の声がうっかり漏れそうになったが、ともかくありがたく頂戴した。
時を同じくして、二つが完成する。と言うのも、表面積が大きい災害級に対しては人間用に作った弾丸では通用しない。だからこそ、今作った弾丸が必要だった。
「レグラス!」
「ああ。心配するな、致命傷は受けていない。……一つ、アドバイスだ。恐らくではあるが、あの災害級……核がある。あの影を貫いたとしても、あるのは空白だけだ。核を貫けなければ……倒せない」
完成した以上、数人で時間を稼いでいたレグラスに叫んで完成したことを伝える。名前しか叫ばなかったのだが、それで理解してくれたらしく、災害級の正面から飛び退き、天翔の近くに着地した。無論、見るも無残な姿であるのは間違いない。紺色の正装はボロボロに引き裂かれ、髪はほつれ、引き裂かれた服から見える皮膚は黒焦げていたり、肉が見えていたりしている。こんな状況でなければ、もしくは魔術師の数に余裕があれば彼を回復させられたのだろうが、今はそんな暇はない。あの災害級を倒してから存分に休息してもらおう。
「ますます規格外だな。……ほんとに、分かりやすい特徴があってよかった」
レグラスの言葉から伝えられた災害級の規格外さに天翔は驚愕を禁じ得ない。今回は天翔にとって相性がいいからよかったが……天翔にとって相性が悪く、尚且つ頼りになる彼らが居なければ為すすべもなくやられていたのは間違いない。改めて戦友の存在に感謝しつつ、天翔は再度視界全てを埋め尽くす漆黒の存在に目を向けた。
「倒す。それだけだ」
その宣言が聞こえたか否か、漆黒の化け物はどこから出しているのか、啼いた。お前になど、殺されてやらないと吠えるかのように。
そして、始まるのは歴史に残る抗争。──僅か十人足らずで災害級に挑む戦いにして、『銀』の魔法使いの復活の戦いとして。
★
「《火よ、踊れ、舞え》」
まず最初に動いたのは詩音だ。
目にも止まらない速さで駆けだし、術式を口ずさむ──瞬間、詩音の背中から炎が噴出した。
天翔のは一度きりの切り札だ。ゆえに、核の状態が不明なまま撃つことはできない。撃つのは、あくまで核の居場所がはっきりしてから。
──この戦いでは、天翔は一撃必殺の役回りと言うことだ。
「せい、やぁぁああああ!!」
天翔が一撃必殺の瞬間を見逃さないよう気を張り続けている間、詩音は背中から噴出した炎を手で鷲掴みにして──裂帛の気合と共に投擲。企図せずして炎の槍となった一撃は漆黒の影に吸い込まれていって──、
「見事。だが、それでは届かない」
──漆黒に触れ霧散する直前、防壁がそれを阻む。目に見えない壁──恐らくは空気を圧縮したもの、もしくは衝撃をそのまま場に留まらせ、強化したか。ともかく、詩音の攻撃は防がれた。
「まさか、それで終わりだとでも?」
「いいや、思っていないよ」
──が、詩音は止まらない。いや、止まる術を知らない。身体能力強化によって彼女の体に耐えうる限りまで引き上げられた身体が唸る。足が大地を破砕させ、体が大気を引き裂く弾丸と化す。
「《その矢は太陽により与えられた一撃、矢は無数にして、天へと至るものなり》」
──炎が圧縮する。詩音の右手に炎が集まり、弓へと変じた。──太陽神アポロンの神話を組み込んだ術式だ。知らない者も多いかもしれないが、かの神は『神託・娯楽・弓』を司る神。それを詩音は組み込んだ。
「ふむ……アポロンのその側面を組み込むとは」
感嘆──同時に爆砕。詩音の手に握られた弓矢が唸りを上げ、都合百を超える矢が放出され、着弾。漆黒の影諸共騎士服の男は吹き飛ばされて──。
「《雷神よ、我が声に応じ、雷鳴を轟かせよ》」
──詩音の魔術が漆黒の影に着弾し、煙が辺り一帯を覆う中。レグラスの声が響き渡り、雷鳴が轟き──その数瞬後、炎の矢が着弾した跡地に容赦なく雷が降り注いだ。
──その判断は間違っていない。恐らくは、あれでも倒せていないのだから。
「中々に、恐ろしいものだった。この化け物が居なければ……私は為すすべなく死んでいただろうな。いや、間違いなく消し炭になっていただろう」
天翔の予感通り、一切傷を負っていない。どころか、衣服の乱れすらもないのだ。変わっているのは余波を受け、破壊を余儀なくされた地形のみ。あれだけの魔術を行使して地形を変化させるだけなど、想像もつかないことだ。
「それで、終わりだろうか。──なら、次は私達の番のようだ」
「みんな──俺の、後ろに……!」
「喰らえ、漆黒よ」
これから起こる最悪の攻撃を読み取れたのは、天翔と詩音とレグラスのみ。天翔の声に従い、彼の後ろに行けたのは元々後ろに居たアイリスとその二人だ。
「局所魔術展開──《其は世界を守るもの》!」
天翔の短い詠唱と共に、前方に無色の盾が出現──同時に、目の前に迫ってきていた漆黒と衝突する。あまりの衝撃波に周りの光景全てが色褪せ、盾に込めた魔力が霧散していく様を見つめながら、押し切られまいと魔力を込めていく。
──アイギスの盾。神アテナの持つ盾を術式に組み込んだ。
ゼウスの雷をも防いだと言う逸話──とはいえ、完全に再現は不可能なため、一方向に対しての防御力を極限まで上げた代物。
無論、欠点が多いが──一撃だけなら絶対に防げる。
「ぐ、ぁ──」
盾と漆黒のせめぎ合いの結果、衝撃波が天翔の体を穿つ。余波だけでも人を軽く飛ばせるほどの余波だ。今天翔が地面にしっかり二本足で立てているのが不思議なぐらい。指などはもう切り傷に塗れ、腕を支えるのもやっとになってくる。
──まだ、終わらないのか。
盾が削がれていき、自分の中の魔力が失われていくのを感じながら、未だ継続している死の殺到が終わらないのかと愚痴を零す。
──そして。無限とも思われる時間を経て、ようやくその攻撃が止んだのを天翔は理解した。時を同じくして一撃を防いだ盾が霧散し、破砕する。
凄まじい威力だった。それは天翔達の周りを見れば明らかだ。
地面が抉れ、空は裂け、風は掻き消され、大気は消し飛んだ。文字通り、全てが全てが一瞬にして消え去った。
天翔の声に反応できなかった者達はもう生きていない。原型すらも保てず、凄絶な一撃によって一瞬で蒸発した。
その事実に、天翔は一瞬だけ顔を曇らせる──が、今はその時ではないと頭を振った。今は、その場合じゃない。それをするのは、この災害級を倒してからだ。
──今はまだ雌伏の時。弱点を彼らが見つけるまで、天翔は耐え忍ばねばならない。例え目の前で戦友が苦しんでいたとしてもだ。
「もう、虫の息のようだ。それも致し方あるまいよ。なにせ、こんな化け物にたった数人で挑むことの方が間違っているのだから」
「──」
辺り一帯を覆っていた煙が晴れる前に、そんな声が響いた。それは一種の感嘆を含んだものであるのは誰にだって分かる。ただし、それは別に馬鹿にしたようなものではなく、純粋な感情であるのは間違いない。
「先ほどの魔術も、実に見事。やはり魔法使いと呼称されるだけある。──だが、そう何度も使える魔術でもあるまい。対して、こちらは魔力を使った攻撃でもない以上、何度でも使える。──終わりだよ、ここで」
確かに、彼の言っていることは正しい。あれが魔術攻撃でない事ぐらい、理解している。というより、災害級が魔術を使ってきたらそれはそれで対処法が消えるので止めてほしいが。
──さて、話を戻して。あの規模の攻撃を何度も繰り返されれば、こちらは太刀打ちできなくなる。第一、天翔の魔術でギリギリ防げる範囲など、反則もいい所。それでもまだ穂坂奈緒美が居てくれれば戦況は違っただろうが、ないものねだりをしても意味がない。
だが、それはあくまでこちらが弱点を見つけられなかった時の話だ。見つければ、一手で詰められる。
「《踊り狂え、雷》」
──雷が天翔の頭部を正確に捉え翔けた。指から放たれた一本の雷撃は、寸分違わずに天翔を撃ち抜いて、殺し──寸前、火炎がそれを防いだ。
「まさか、降りてくるとはな」
「そこまでおかしいことではない。──君達の目、少しばかり気になった。だからこうした。無論、あのま
ま押し切ることも考えたが……止めたよ。それよりも、現状はこっちの方が可能性が高い」
「めんどくせえな……!?」
まさかの戦闘発生──否、騎士服の男の勘の鋭さに天翔は悪態をついた。
「天翔さん──避けて!!」
圧倒的有利を捨て、地面に降り立った男を相手取るために──正確には三対一に持っていくために動こうとした直後、詩音の怒号のような叫び声が天翔の耳に届く。
詩音の声に弾かれるように天翔は全力で後ろに飛び──数瞬遅れて黒が横から抉り取るように現れ、否応なく分断させられる。
──天翔とアイリス。詩音とレグラスの形に。
見えなくなり、声も聞こえなくなった戦友達の安否を気にしつつ──しかしそんなことを気にしている暇ではないとすぐに気が付く。
「天翔先輩!!」
「そりゃそうなるよな……!?」
アイリスの絶叫に近い声に、天翔は理解した。
騎士服の男があちら側に行ったと言うことは──天翔達が相手取るのは単純明快。
──災害級。
全身を漆黒で塗りつぶしたような、真性の化け物が迫りくるのだった。