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9話 何のために戦う?

 アイリスを止めることができなかった天翔は、通信にあった場所まで来ていた。

 それはエヴァ―ガーデンと呼ばれる監獄の中で、最も位の高い人間が居座る部屋。──学園長室。そこに天翔は足を踏み入れた。


「よく、来たわね」


 ドアを開け放ち、まず全身を濡らした天翔を迎えたのは労わるような言葉だった。

 顔を上げてみれば──そこに居たのは三人。

 真ん中に居るのはセミロングの茶髪の女性だ。椅子に座り、据え付けられたテーブルに肘をついて手を組んでいる女性──穂坂奈緒美。

 その隣に居るのは天翔をこの場に派遣した男──レグラス。いつだって変わらない紺の制服を着て、瞑目して穂坂学園長の隣に立っていた。

 そして、三人目は天翔をこの場に呼んだ張本人──天城詩音。ここに来るまでに少しだけ濡れたのか、流れるような黒髪にはほんの少しだけ水が付着しており、いつものようにポニーテールにはしていない。


「聞きたいことが、あるのでしょう?」


 何も言おうとしない詩音とレグラスに代わり、穂坂がそんな風に切り出した。


「全てを、答えるわ。今彼女が置かれている状況も、元老達が何を画策しているのかも。知っている範囲

で、ね」


「なんで……俺が、選ばれたんですか?」


 穂坂の言葉通り、天翔は感じていた疑問を口にする。


「それについては、事の始まりから話すのがよさそうね。……と言っても、私も聞いたのは先ほどなのだけれど」


「穂坂さん。それについては、私が。……この中で最も早い時期から真相を知っていたのは、私でしょうから」


 目を伏せ、申し訳なさそうにする穂坂に代わり、詩音が代わりに挙手する。天翔が問いかけた、その質問に。


「まず……一か月前のネフェタルリア家壊滅ですが、ごめんなさい、天翔さん。私……いえ、元老達は今回の事件の全貌を、誰よりも早く察知していました」


「なに……?」


 詩音の謝罪と共に告げられた真実に、天翔は驚愕を露にする。


「結論から言わせてもらえば……ネフェタルリア家壊滅を起こしたのは、未確認の災害級(ハザードクラス)です。それが一夜にしてネフェタルリア家を壊滅させました」

 

 どうやら天翔の考えは外れではなかったらしい。とはいえ、当然ではある。イギリスを支配する御三家の一つにして、魔術協会幹部円卓に居るネフェタルリア家が一夜にして壊滅するなど、そもそもとしておかしい。だが、災害級(ハザードクラス)ならば、全部の辻褄が合うのだ。


「それら全てを翌日に知った元老達は……会議を行い、一つの方針を決めました。それが天翔さん……あなたを、あの惨劇の生き残りであるアイリス・ネフェタルリアの指導者として任命する、というものです」


 そこまでは聞き及んでいることだ。そして、天翔が知りたいことの一つである。


「そもそも、なぜ元老達はアイリス・ネフェタルリアを育て上げようとしたのか、天翔さんなら分かりますよね?」


「ああ……ネフェタルリア家の抜けた穴は、大きい。それこそ、魔術師界に大きな損害を与えるほどに。今は本家ではない、分家が務めているが、能力に関してそこまで高くない。だからこそ、イギリスではネフェタルリア家の領地を奪う争いが続いていると聞いている。今のところは小競り合いで済んでるけど……いつ大規模な抗争に発展するか分からない以上、早めに手を打っておきたいだろ?」


「概ね正解です。いえ──表面的にはそれであってます」


「表面的……?」


「はい……それは表向きの、要は言い訳です。ネフェタルリア家のため……なんて言っておかないと、面倒ですから」


 元老達の画策に、天翔は思わず頭を抱えたくなってしまう。とはいえ、魔術協会を実質的に取り締まっている元老達だ。もとよりそんな考え方しかできなくなってしまっているのだろう。その事にとやかく言うつもりはない。

 そもそも元老に逆らったところで何の意味もないからだ。彼らは腐っても魔術協会の中でも最高位だ。フェタルリア家が壊滅した今、彼らがいなくなれば本当に立て直しが効かなくなってしまう。


「それで……元老達の本当の狙いは?」


「順を追って話します。先ほど、私はこう言いました。元老達は全てを知ったと。──つまり、彼らは最初から知っているんですよ。災害級(ハザードクラス)が何を目的に出現したのかを」


「……災害級(ハザードクラス)の狙いは、ネフェタルリア家。彼ら全員の命を、奪うこと……か」

「その通りです。災害級(ハザードクラス)がそれを目的にしていると彼らは理解しました。──ゆえに、こう思ったそうです。ネフェタルリア家を襲い、永劫に狙い続ける──なら、倒すしかないと」


「簡単に言ってくれるな……災害級(ハザードクラス)なんて、それこそ英雄とでも呼ばれる者でもないと倒せないだろう。……待て。なんでそれを知ってることが、俺を舞台に上げることに繋がる?」


 災害級(ハザードクラス)を倒すのはいい。だが、それは天翔がアイリスの指導者になる説明にはなっていないではないか。それに──。


「なんで、元老達はアイリスを見捨てない?」


 見捨てれば、災害級(ハザードクラス)の脅威に晒されずに済むはずだ。なのに、なぜ自ら死地に飛び込むような真似をする。あの元老達が。


「理由は、分かりません。その部分を彼らは明かしていない。話す必要も、話す気もない……そういうことなんでしょうね、きっと」


「御託はいい。──結果を言え、天城。元老に近いお前なら、分かるはずだろう。なぜ、天翔がこんな任務を受けなければいけなかったのか。……大方、察しはついているがな」


 声を小さくする詩音に、さっさと明かせと迫るレグラス。詩音には悪いが、ここはレグラスに賛成だ。この話を始めたのは自分だが。


「分かってますよ。……それでです。この事態を察した元老達はあなたを……天翔さん、あなたを表舞台に上げることに決めたのですよ。……貴方が災害級(ハザードクラス)を倒すことに、賭けた」


「俺が……倒す?」


 言っている意味が分からない。彼女の言葉も、信じる元老達も。だって、天翔はAクラスの化け物からですら大切なモノを守り切れなくて──。


「貴方が『銀』の魔法使いだからですよ。ありえるはずのなかった、居るはずのなかった、奇跡の十二人目──それこそが、貴方なんですから」


 魔法使い──魔術師をも超える奇跡を起こす者達を、人は魔法使いと呼ぶ。天翔もまた、そんな奇跡を十代で作り上げてしまった天才。不運なまでに才能に恵まれてしまった、魔術師。守りたいものを失ってもなお、この世界に生きる意味を失ってもなお、その称号は彼を縛り上げ続ける。

 だから、天翔は嫌いだ。魔術が、魔法が、この上なく嫌いで、嫌いで仕方がない。見たくもないし、聞きたくもないし、関わりたくもなかった。


「──要は、天翔。『銀』の魔法使いであるお前を災害級(ハザードクラス)にぶつけ、これを排除させる。……大まかな流れは、これか?」


「……ええ、概ねそうです。ですが、もしもの時……神代天翔がもしも、災害級(ハザードクラス)に立ち向かわないようであれば……一つのストッパーを彼らはかけていました」


「まさか……それが、アイリスか?」


 今までの話を総括したレグラスの言葉に詩音は頷き、またもしもの時の保険を用意していたと彼女は口にする。そこでようやく気づいた。天翔とアイリス、その両名が本当に出会った意味を。そして、彼らの意図を。


「はい。アイリス・ネフェタルリアは、必ず災害級(ハザードクラス)との戦いに向かう。それを利用すればいい。──彼女と天翔さんを知り合い、いえ、それ以上の関係に発展させ、天翔さんに戦う理由を強制的に与える……それこそが、天翔さんがアイリスと出会った裏の意味です。これが、貴方でなければなかった理由なんです」


 ──ふざけるな、と。そんな理由を与えるな、と。声を大にして叫びたかった。

 あの出会いも、あの一か月の訓練も、全てが茶番でしかなかったと? 全ては、天翔を戦場に引っ張り出す口実でしかなかったと?


「怒りは、もっともです。これは、到底許されることではない。……でも、彼らは天翔さんにそれほど賭けているんですよ」


 詩音の声に、天翔は今自分がどんな顔をしているのかすらも分からなかった。この胸中に疼くのはなんだ。憤怒か、それとも別の何かか。


「天翔……どうやらこれが話の顛末であり、全貌らしい。奴らの小賢しさにはほとほと呆れるが……さて、どうする」


 誰もが言葉を紡げず、静寂に包まれる最中──全てを語り終わったと判断したのか、レグラスが天翔の目の前に立って、問いかけてくる。

 ──倒すのか、否か。

 それだけを、尋ねてくる。


「これはお前の選択だ。お前が選べ。──救うか、見殺しにするか」


 酷い選択肢だと、そう思わざるを得なかった。

 だって、そんなの救うと選ぶしかなくて。

 けれど、そんな力は天翔にはなくて。


「──どうやら、随分と落ちぶれたらしいな」


 その逡巡を、レグラスは迷いと受け取った。

 落胆を孕んだその言葉に、天翔は鈍器で殴られたようなショックを受け──次の瞬間、頬に鈍い衝撃が走った。


「レグラスさん……」


 気付けば、地面と顔が接触するぐらいに近くなっていた。──殴られた、ということだろう。ジンジンと痛覚を刺激する感覚が、それを物語っている。


「俺はな、天翔。お前のように理想を掲げていた時期も、ないわけではなかった。所詮、子供の言い訳……いや、それ以下だったがな。だが、お前は捨てなかった。どれだけ無様と言われようと、お前は理想を掲げ続けた。……俺はあの頃のお前を尊敬していた」


 レグラスの言葉に、天翔は何も言い返せない。いや、それどころか上を向くことすら。彼が尊敬していた天翔は、もうここにはいないのだから。


「だが──どうやら、もうここにはいないらしい。俺の尊敬していたお前ならば、ここで真っ先に選んでいたはずだ。迷う間もなく、すぐさま救うと。──落ちぶれたな、天翔。最早戦う意志を失ったのならば、俺の前に姿を現すな。これ以上俺に、失望させるな」


 それだけ言い残し、彼はこの部屋から去っていく。恐らくは災害級(ハザードクラス)に対する部隊に加わり、指揮を執るつもりなのだろう。最善を尽くすために。


「天翔さん……大丈夫ですか?」


「ああ……大丈夫、だよ。身体能力向上の魔術も乗っていない拳で殴られたところで意識を失うわけじゃ、

ないし」


 もしもレグラスの拳に何らかの魔術が付与されていれば、天翔はとっくに意識を失っていた。そうしなかったのは、きっと──。


「黙って見ていたけれど……あの子、相当不器用ね」


「分かってますよ……あいつがあんなことを言った意味も。理解してるつもり、です」


 今の今まで何も喋らなかった穂坂が溜息をつきながら、レグラスの不器用さに物申す。が、天翔としてもそれが分かっていて付き合っているのだから何も言えない。なにより──あれが天翔を奮起させるための言葉であると言うことも、理解している。


「一応言っておくけれど、私は今回の災害級(ハザードクラス)討伐に加われない。──呼ばれてるのよ、元老達に。よっぽど貴方に期待しているのね。私を戦闘に加わらせないようにして、否が応でも貴方を戦場に出したいみたい」


「穂坂さんも、ですか。となれば、詩音も?」


 穂坂の口から語られる元老達の根回しに最早感嘆すら覚えつつ、元老に近い位置に居て、尚且つ実力者である天城詩音も討伐には加わらないのかと、そう尋ねる。だが、詩音は頭を振って。


「いえ……私も出るように言われています。レグラスさんと一緒に戦闘に加わる形ですね。──これもまた、保険の一つなんでしょう。アイリスで駄目なら、私を理由にしようと」


「なんで……俺に拘る。俺以外にも魔法使いは居るはずだ。他に頼ればいいだろう」


 今魔術協会から魔法使いとして認められているのは総勢十二名。要は天翔に拘らないで、別の魔法使いを呼べばいい。彼らも彼らで、充分化け物で精鋭だ。


「元々どこにいるかも分かりませんし、通信も繋がらないような人達ですし……唯一足取りが分かっている天翔さんに白羽の矢が立つのも、分からない話ではないんです。ですが……なぜ彼らが貴方に過度な期待を向けているかの理由は分かりません」


「……そうか」


 詩音でも分からないらしい。とすれば、本当に何なのだ。なぜ、奴らは──。


「悪いわね、神代君。私はもう行かなくてはならない。──私はね、どちらでもいいのよ。貴方が行こうとも、行かなくても。だって……貴方には死んでほしくないもの。そんなことになったら……あの世に居る友人に叱られてしまうから」


 穂坂は立ち上がり、それだけ言って同じように部屋から去っていく。恐らくヨーロッパに存在する円卓会議の開催地に向かったのだろう。取り残されたのは、天翔と詩音の二人だけだった。


「天翔さん……どう、するんですか?」


「どう、しようね。レグラスにも言われたけど……今の俺は足手まといでしかない。第一、俺が行ったところで何も変わらない。何も、できないよ」


 天翔は数年ほどこの世界から離れていた。その分、ブランクも存在する。筋肉の動かし方、実戦での立ち回り、勘──様々なものが、今の天翔には足りていない。そんな状態で行ったところで役になど立たない。


「私は……もう一度、見たいです」


「なにを……」


「天翔さんが、戦う姿を。──いえ、英雄である、ところを」


 俯く天翔に、詩音は上を向きながらそう呟いた。

 見たいのだと、天翔は再び抗う姿を見たいのだと。理想に縛られながらも、幻想のために抗っていたあの頃の姿を。


「……悩むのは、いいことだと思います。だって、その方が人間らしい。うらやましい、ですけどね。私に

は悩むなんてことがないので」


「──」


「辛いことがあったのは、私も知っています。実際にその場を目撃したわけではないけど、聞き及んでい

ます。──大切な誰かを失ったのも、全部」


「──」


「疲れ、ちゃったんですよね。脇目も降らず、ただ救いたいと言う衝動に身を委ねて、世界を渡り歩いて──擦り切れて、なくして、ボロボロになって……」


 あの頃を、少しだけ思い出してみる。理想を掲げ、幻想に囚われていたあの頃を。

 ──辛かったと言えば、辛かったのかもしれない。苦しかったと言えば、苦しかったのかもしれない。それでも、天翔は進むことを諦めなかった。そこに大切な想いがあったからだ。

 天翔は誰かが泣いているのが、許せなかっただけなのだ。誰かが苦しんで辛くて不幸せになる事が許せないだけなのだ。何か罪を犯して、その罰ならまだ納得できないわけではない。けれど、大半はそうじゃない。何の罪も、何の因果もないのに、なぜか巡り巡って誰かが悲しんで涙を落して──。

 誰も手を差し伸べず、誰も助けようとせず、地獄に落ちていくだけ。それが天翔には許せなくて──。


「天翔さん──見せてください。英雄であるところを。誰もが憧れた、ヒーローであるところを」


 詩音は慈しむようにその言葉を呟いて──詩音もまたその場から消えていく。残されたのはただ一人。英雄であることを望み、その理想を失った──ただの道化だけである。


     ★


「英雄……ね」


 誰もいなくなった部屋の中で、天翔は自嘲気味に呟いた。

 呟くしか、なかった。

 英雄、などと呼ばれる資格が、天翔にあるのだろうか。ヒーローなどと言われる資格など、残っているのだろうか。

 何も守れなかったのに。何も、救えなかったのに。


「どうすれば、いいんだよ……俺」


 この数年間で一度も言わなかった泣き言に似た言葉を、天翔は絞り出した。

 本当に、どれすればいいのだ。アイリスを助けに行けばいいのか?

 それとも、彼女がただ死ぬのを見ていればいいのか?

 どっちを選び取ればいい? 


 ──死か、生か。

 思い出す。回顧する。

 天翔が思い出したくない過去を──夢を。


 ──悲しみが、世界を支配していた。泣き叫ぶ声を、聞いていた。同門を殺され、友をなくした声が轟いて、天翔の耳に届いて。

 守り切れないじゃないか。

 天翔には、何一つ守れなかった。あの時の悔恨が、今もなお天翔を縛り付けている。進む足を鈍らせるほどに。

 けれど、あの言葉が反芻する。


 ──見せてください。英雄であるところを。

 それは少女の声。きっと、彼女の本心。無視することのできない、想いだった。


 ──ありがとう、ございました。

 それは少女の声。きっと、したくないであろう覚悟を決めた者の、感謝と別れの言葉。悲壮を抱え、絶望した想い。


「俺、は……」


 震える口を、動かす。

 胸が、熱くなるような気がした。

 想いが、その胸を焦がすような気がした。


 ──何のために、英雄になりたかった。

 ──救いたかったのだ。

 それが、少年の原初の願いで、想い。

 きっと、少年が大人になるにつれて失くしてしまったモノ。

 決して、失くしてはならなかったモノ。

 ただ涙に濡れる誰かが許せなくて。

 悲しむ者が許せなくて。

 だから、少年は立ち上がった。

 そんな誰かを救いたくて、少年はこの世界に足を踏み入れて。


「俺は」


 それを、見た。

 涙で頬を濡らす少女を、見た。

 悲しんで、凄絶なまでの覚悟を決めてしまっている少女を、見た。

 見捨てるのか? 

 心が、失くしたはずの理想が、訴えかけてくる。


 ──嫌だ。

 見捨てて、逃げるのか?

 心が、失ったはずの幻想が、語りかけてくる。


 ──ふざけるな。

 熱い。

 鼓動が、早くなる。

 熱く、熱く、この体が滾るのを抑えられない。

 許せるはずがない。

 許していいはずがない。

 たった一人の少女が、背丈に合わぬ運命を背負わされていることも。

 死ぬことも。

 なら、するべきことは理解しているだろう。


 ──当たり前だ。

 この道を進むのは、怖い。

 もう一度大切な者達を失ってしまうのではないのかと言う恐怖心は取り除けない。

 だが。

 それがなんだ。

 それが止まる理由にはならない。

 ──あの一か月を。

 ──あの笑顔を。

 取り戻すために。


「その方がらしい……よな。輝夜」


 かつて自分の目の前で凄絶にその命を散らした知己を思い返す。いつだって笑みを絶やさず、天翔の傍に居てくれた、天翔よりも才能に満ち溢れた知己なら、笑い飛ばしてこう言うだろう。


 悩むなんてらしくない。さっさと全部救ってこいと。


「──ああ、救うさ。迷いはある。恐怖もある。でも、竦むことはない。立ち上がってやるさ。──運命なんて、ぶち壊してやる」


 英雄なんて柄ではないけれど。

 それでも、誰かの前で格好つけていたいから。

 それでも、誰かを救いたいから。


「そんじゃあ、始めますか」


 部屋の中で、それだけを呟いて。



 ──『銀』の魔法使いは再起する。

 守りたいものを守るために。救いたい誰かを救うために。




 ──英雄はここに、再誕した。












 世界は優しさに満ちていると、子供の頃は本気で信じていた。

 社会は平等で、生きている者は皆幸福を享受していて。悪なんて何もなくて、泣いている誰かなんていなくて、裏で涙を流す者なんていないと思っていた。まるで本の中の世界が、この世界にも適用されているのだと思い込んでいた。


 だけど、世界はそんな単純な構造をしていなかった。優しさなんて欠片もなかった。誰かが泣いていても平気で見過ごすような社会だった。涙は地面に落ちて、泣き崩れる誰かの手を取る誰かもいなかった。世界のどこかで必ず戦闘が起きて、戦争が止まなくて。国は互いにいがみ合って、手を取り合わないで。肌の色が違うだけで差別が起きて、その差別がいずれ火種になって。悲しむ人間が増えて、憎悪に身を委ねる人間が多くなって、負の連鎖が続いて。


 ──優しさなんて欠片もなかった。どこを見ても、世界は汚くて、醜くて、穢れていて。人間は強欲で、傲慢で、どこまでも身勝手で、相手の都合なんて考えなくて、自分だけの事ばっかり考えて。

 だから、夢見るのを止めた。幻想を抱くのを止めた。理想を掲げるのを止めた。人間はそういう生き物なのだということを自分に納得させた。英雄なんてどこにもいなくて、事件を一瞬で解決してくれる最強なんてどこにもいなくて。


 ──英雄になりたかった。ヒーローになりたかった。誰かを救って、笑顔を守れるそれになりたかった。 

 そうやって生きてきた。生きてきたつもりだった。

 悲しみに明け暮れる誰かを救い、苦しみを背負う誰かを助け、誰も手を差し伸べる者達を救い上げてきた。

 だけど、無理だった。世界はそんなに甘くなかった。そんな簡単ではなかった。どれだけ埒外の技術に身を溺れさせようと、結末は変えられなかった。どれだけ知識を蓄えても、力がなかった。

 今でも、あの日の夢を見る。


 血の惨劇を、忘れられない。

 助けたかったのに。救いたかったのに。失いたくなかったのに。なくしたくなかったのに。大切だったのに。

 ──死んだ。大切な人は、死んだ。守り切れなくて、死んだ。魔法使いだなんて呼ばれて、天才などと呼ばれて。それでも俺は。守り切れずに、死なせてしまったのだ。

 だから、俺は俺が憎い。許せない。何があっても、どうあっても、許したくない。


 ──だから、俺は。神代天翔は自分が嫌いになった。神秘が嫌いになった。

 けれど。

 それでも。

 立ち上がる理由が、きっとできたような気がするから。

 もう一度、この世界に居る意味ができたような気がするから。

 ──アイリス・ネフェタルリア。天翔の唯一の弟子。

 最初は嫌々だったけれど。最初は彼女を絶望の淵から助けるためだったけれど。

 でも、いつしか天翔自身にも笑みが零れていて──。

 救われていたのは、一体どちらだったのだろうか。

 アイリスを救っているように見えて、きっと救われていたのだろう。

 あの笑顔に、あの声に。あの少女の全てに。


 ──ああ、もう嫌なんだ。

 大切だと感じた誰かが、その命を散らすのは。

 ──英雄ではないけれど。

 それでも、俺は現実と理想の狭間で、幻想を謳おう。

 もう、失くしてしまわないように。



 だから、神代天翔は戦場に向かう。

 もう二度と、大切なものを失わないために。


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