プロローグ いつか見た夢
夢を、見ていた。悪い夢を、ずっと。
──血の雨が、降り注いでいた。
温かくて、冷たい赤が、視界の全てを埋め尽くし、それだけしか世界に残っていないのでは、とすら思わせる光景だった。
「っ、ぁ……」
そんな中で、一人の少年が座り込んでいた。全身を血に似た赤で染めた──否、血そのもので染めた少年だけが。
死体があった。憧憬の、見るも無残な死体が、あった。いつだって厳しくて、だけど時に褒めてくれて。強くて、格好良くて、いつも真理を追い求めていた憧れの存在。だが、顔は抉られ、四肢はもぎ取られ、絶命しているであろう体が。魂の抜けた残骸が、そこに残っていた。
死体があった。尊敬した誰かの、死体があった。いつだって優しくて、強さを胸に秘めていて、笑顔が印象的だった尊敬できる存在。しかし、綺麗な笑顔は崩れ去り、細くて繊細な手は切断され、胴が真っ二つになってしまっていた。
死体があった。同門の死体が、大量に積み重なっていた。いつだって明るくて、バカやって、だけど憎めなかった者達。血河が形成され、骸が墓標がごとく突き刺さり、屍の山を作り上げていた。
「あ、ああ、あああ、ああああ……」
死体があった。同い年の、少女の、死体を抱きかかえていた。自分なんかよりも才能に溢れていて、いつだって笑顔を絶やさなかった、眩しい誰か。だけど、変わらない。結局は、物言わぬ残骸に、変えられてしまった。
死体が、死体が、死体が、死体が、死体が、死体が、死体が、死体が。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫が迸った。醜く、無様に、みっともなく、泣き叫んだ。体裁なんてどうでもよくて、ただあらん限りに咆哮し続けた。声が枯れるまで、涙が果てるまで、何度も、何度も何度も何度も叫んで、咆哮して、変えられない現実を嘆いた。
髪を掻き毟り、肌を何度も爪で抉り、頭を幾度も地面にぶつけ、なお叫ぶのを止めなかった。
──何のためだ?
薄れゆく世界の中で。頭から血を流しながら、朦朧とする意識を再度痛みで覚醒させながら、自問自答する。
──何のために、お前は力を手に入れた?
気絶しそうになる度に頭を地面に打ち付け、無理やりに意識を繋ぎ留めながら、目から血涙が溢れ出るほど見開きながら、歯がかけるほどに強く噛み締めながら、喉が潰れそうになるほど叫び続けながら、掌から血が出るほど強く握りしめながら。
──力を手に入れたのは、強くなりたかったから。
ただただ、反芻する。絶望を味わいながら、苦痛を噛み締めながら。
──許せなかっただけだ。涙する誰かが、許せなかっただけ。だから、守りたかった。英雄に、なりたかった。
結果は、どうだ? 何か、できたか?
守れたか? 何もかもを守れる英雄に、なれたか?
「なれたわけ、ねえだろうが……ッ!?」
この結末を見て、それでもなお嘯き続けるのなら。それは英雄などではない。道化だ。いや、道化ですらない。自らの生み出した結末すら分からぬ、愚図だ。
「違う……」
英雄になりたかった。在りし日の、幼いなりに抱いた想いを追い続けていた。
「違う……」
ヒーローになりたかった。在りし日に抱いた、幻想を追い求めたかった。
何もかも解決できて、皆が幸せになって、笑いあって。そんな幸福を、享受させたかった。だけど、結末がこれだ。そんな英雄になんかなれなかった。少年が生み出したのは、先に待っていたのはただの惨劇。
「俺は……違うんだ……」
彼は英雄として歴史に名を刻まれるだろう。だが、それは決して素晴らしい事ではない。屈辱と、敗北に塗れた──最悪の英雄として、名を遺すのだ。
「俺は……こんな、英雄になんか、なりたくなかったよ……ッ!?」
掠れ果てた、枯れ果てた、声が木霊する。全てを失い、流浪の大地となった世界に反芻されていく。血がばら撒かれ、決戦の跡地となった世界に、ただ吸い込まれいていく。
これは、悪夢。今もなお、少年を苛み続け、縛り続ける悪夢だ。