第八十五話 逆弓滑車弩の制作
弓師さんが弩を完成させて持ってきました。
『逆弓滑車弩の完成』
天文十七年二月下旬、弟勘十郎信勝の元服より数日経ったある日、弓師が牛さんと二人でやって来ました。
お供の小者に長箱を持たせ、如何にも何か持ってきた感じです。
「吉姫、先日の弩が一先ず完成したので持ってきましたぞ」
「吉姫様、ようやっと完成に漕ぎ着けました。
ご紹介頂いた鍛冶屋の助力で随分助かりました」
「それは凄いです。もう少し時間がかかると思ってましたよ」
「左様、此度は弦を新しくこしらえる必要があり、苦労しましたぞ」
「ともかく、見ていただきましょうか」
弓師さんが布で包まれた物を取り出すと、机の上に置きます。
それは、私が先日ストックだけ作っていたクロスボウの完成品で、黒光りする金属製の弓はこれまでの弩や弓の概念を覆すほど狭くグリップの辺りに取り付けられ、その先端に大きな滑車がついています。
未来的なそのデザインは明らかにこの時代では異物で隔絶した印象を受けます。
ストック部分は私が渡したものではなく、しっかりとした木で削り出され、漆が塗られ、この部分だけ見れば美しい工芸品の様にすら見えます。
手にとって見ると、流石に鉄と木でしっかりと作られたそれは、ズシリと重く恐らく十キロ弱でしょうか。平成の世に売られている軽金属と樹脂で作られている軽い物とは比較にならない重さです。
正に、武器という感じがします。
一通り見せてもらうと、思わず大きなため息をついてしまいます。
「如何ですかな?」
「試射は既に済ませておりますよ」
二十前半の男たち二人はキラキラと目を輝かせながら私の感想を待ってます。
「素晴らしい出来栄えですね。
これが一つ目の試し品だとは思えぬほどの出来栄えですよ」
「ふっふっふ。そうでしょう、そうでしょうとも。
我ら二人と、鍛冶職人殿、それに我らと日頃懇意の職人達の技の結晶ですからな。
生半可なものではありませぬぞ」
「吉姫様に、そう言って頂けると、やっと完成した気分になります。
ところで姫様、この弩はよく出来ているのですが、飛び方が弓と違い当てる方向に向け、大凡の見当を付けて射るのです。
しかしながら、それでは距離が離れるほど命中は厳しくこの弩の持つ力を活かしきれていない気がするのです。
何か良き知恵はありませぬか。
この弩を考えられた姫様なれば、解決法を既にお持ちのような気がしているのですが」
平成の世のこのクラスのクロスボウなら、最低アイアンサイト、普通にスコープがついています。
しかし、光学スコープは今の日本では作れません。
そろそろガラス細工などにも手をつけてみたい頃合いではあるのですが、レンズともなると別次元です。
いくら作り方を知っているとは言え、レンズともなるとヨーロッパ辺りから職人を呼んだほうが早いかもしれません。
そんなわけで、アイアンサイトを作ります。
これは、火縄銃にも必要な物ですからね。
平成の世で実際に使ってみて、見やすいと思ったのは米系アイアンサイトでしょうか。
手前に輪っかがあって奥に一本立っているのは狙いやすいです。
「一つ、案があるのですが、これは火縄銃にも使えますから、共用出来るようなものにしたいですね。
今から鍛冶場に行って頼んでみましょう」
「おお、それはどんなものか楽しみですな」
「では早速鍛冶場へ」
千代女さんをお供に皆で鍛冶場へ向かいます。
実は今川で動きがあったようで、来月にはまた父は遠江まで出陣です。
今回の出兵は相当な規模になるようで、その準備に城は活気を帯びているのです。
鍛冶場もフル稼働状態のはずです。
しかし、清兵衛さんは私の家臣なので、私の仕事が優先であくまで城の仕事は手伝い仕事になります。
先に弥之助に訪ねる旨伝えてもらい、鎚の音が鳴り響く鍛冶場に皆で移動しました。
清兵衛さん達は丁度きりのいい所だったようで、奥の部屋で話をします。
「清兵衛さん、来月の出兵に向けて忙しそうですね」
「へい、今が一番忙しい時期でさ」
そして、弓師さんらをちらりと見ます。
「また、新しい仕事ですかい?」
「はい、先日頼んだ部品で作った弩が完成したので、それに追加する部品をまた頼もうかと思います。
すぐ出来るようならすぐ作って欲しいですが、時間が掛かるようなら父上が出陣した後でも構いません」
「へい、まずは物を見てみないとわかりやせん。
どんなものを作りやしょう」
「では、こちらの方を」
布で包んで持ってきた弩を作業机に置きます。
勿論、先に回りに人が居ないことを確認しています。
「ほう、これが先日のアレの完成品ですかい。
なんだか、ゴツい代物ですな」
清兵衛さんは舐めるように色々と眺めます。
その向こうで、佐吉さんが腕組をして顎に手をやりながら、じーっと見つめています。
「欲しいのは、この部分とこの部分に取り付ける部品で、狙いを定める為に使う照準器です。
形はこういう形をしたものです」
そう言うと、草紙に図面をひいていきます。
所謂三面図と言うやつです。
「できれば、取り外しが可能な様に作ってください。
これは後に火縄銃でも使うと思いますし、幾つか種類を作る可能性もありますので」
書き上がった図面を清兵衛さんと佐吉さん、そして、弓師さんと太田さんもそれをじいっと見つめます。
千代女さんは弩の方が興味津々の様で先ほどから色々と見てますね。
武家の娘だからか武器には興味があるようです。
「吉姫、これは弓には付けられそうにないが、工夫すれば弓用の物が作れそうですな」
「ええ、弓用にも作れると思います。
今でも簡単な物が付いているでしょう」
「そうですな、あの部分になら付けられそうですな」
この人は自分でかなり改造をしてますから、これも自分で作りそうな気がします。
「吉姫様、これは実際に使ってみないと。
どういう物なのかは何となく想像がつくのですが」
「ええ、そうだと思います。
佐吉さん、どうでしょう。
作れそうですか?」
自分に声を掛けられると思ってなかった佐吉さんが驚きます。
そして、清兵衛さんの方をちらりと見ると、清兵衛さんが頷きます。
「つ、作ります」
作れますでも、作れると思いますでもなく、作りますですか…。
では任せるとしましょう。
「では、佐吉さん、これお願いします。
清兵衛さんは恐らく板金鎧の修理やら追加やら、今忙しいでしょうし」
「へい、そうなんでさ。
板金鎧は凹むと自分では直せやせんから、全部持ち込まれるんでさ。
それを今せっせと直しているところでして」
やはりそうでしたか…。
美濃で凹ませた馬廻りの鎧は、凹ませたままで三河に行き、更に傷を追加して帰ってきていましたから。
本当に作って良かったです。
「清兵衛さんがいい仕事したおかげで、馬廻りの人たちはみな無事に帰ってきたのですから、誇らしいですね」
「姫さんにそう言って頂けると、頑張った甲斐がありますや」
そういい、清兵衛さんは頭を掻きます。
「佐吉さん、こちらの方はどのくらいで出来上がりそうでしょうか」
佐吉さんは暫し考えて。
「そうですね…。
五日ほど見て頂ければ。
もう少し早く出来るかもしれませんが、火縄銃でも使うならその部分も考えないと行けないので…」
「わかりました。
では、出来上がったらまた知らせてください。
あと、こちらは差し入れです」
そういうと、焼酎の瓶を運ばせました。
「いつもすみやせん」
「清兵衛さん、父上らが出陣後になりますが、また仕事を頼みますので」
「へい、お待ちしておりやす」
そうして、アイアンサイトを頼むと、また屋敷に戻ったのでした。
「これで五日くらいしたら、出来上がった物を付けて完成になりますね。
そう言えば、太田さんもまた出陣されるのですか?」
「ええ、それがしは守護様の家臣ですからな、共に遠江へ出陣しますぞ。
守護様の念願である遠江をやっと取り返したのです。
また奪われるわけには行きませんからな。
この御仁も一緒ですぞ」
それを受けて弓師さんも頷きます。
「私も出陣します。
弩が間に合えば持って行きたかったのですが。
今回は見送りになると思います。
しかし、五日後にはまた来ますよ」
「はい。ではまた五日後に」
二人は立ち上がると。
「では、拙者らはこれにて」
と、慌ただしく帰っていったのでした。
太田殿や弓師さんも出陣前で忙しそうですね。
二人が帰った後、千代女さんが。
「姫様、あのゴツいのではなくて、もう少し小さいやつ、作れないのでしょうか?」
どうやら欲しいみたいです。
「うーん、作れなくはないですが。
何か考えてみます」
それを聞くと千代女さんは目を輝かせます。
「姫様、よろしくお願いします」
そう言えば、最近権六殿と半介殿と会ってませんね。
二人共、役目に就いてから忙しそうで、以前のようにお供をしている暇など無いのでしょう。
今も多分出陣前で大わらわの筈です。
最後に会った時は、領地にまた同行したいと言ってましたね。
兎も角、恐らくまた出陣で暫く会う機会はなさそうです。
無事の帰還を祈ります。
リバースドロウクロスボウの威力は次の弓師さん登場回に試し胴をやります。