第八十四話 勘十郎の元服
勘十郎の元服です。
『勘十郎の元服 その壱』
天文十七年二月吉日、予てより準備が進められていました、弟の勘十郎の元服が那古野城で行われることになりました。
史実だとこの古渡城に、信長は那古野から来て元服の儀を執り行ったのですが、元服の儀の後は勿論祝いの宴があり、大勢の客が方々からやってきます。
今のこの古渡は史実の古渡とは違い、大きな工房区画があるなど、ある意味父信秀の秘密基地の様な有様となっているので、恐らくあまり多くの人を入れたくないのかなと。
そんな気がします。
そうでなくとも、この古渡は城としては規模が小さく、熱田から北へ続く門前町の外れにある様な平城なので、多くの人が来客するのに手狭な気もします。
そういった理由からか、父の持ち城の中で一番規模が大きく、勘十郎が居る那古野城で、元服の儀が執り行われます。
元服の儀は仕来りに乗っ取り、厳かに行われます。
これには、私は参加出来ませんので、事前に聞いた話ですが、林佐渡守、林美作守、青山与三右衛門、内藤勝介の四人の傅役が介添えし、父信秀が烏帽子親となり、元服の儀を執り行うそうです。
私が、お祝いを言いに行くのは、元服の儀が終わり、その後に行われる酒宴の後になります。
その時に主だった客に対し、礼を言い見送るそうなので、その時に祝儀を渡しお祝いを言うことになってます。
一緒に住んでればこんなに面倒な事はしないのですが、私一人古渡に住んでるので、私の裳着の儀の時の様な感じで、後からお祝いを言いに行く感じですね…。
何もなければ良いのですが…。
元服の日、父は前日から既に那古野の方に行っており、私は平手殿に迎えられて那古野に行くことになっています。
持参するご祝儀は美濃の刀工の作の太刀。
清兵衛さんの伝手で手に入れましたが、多分価値あるものでしょう。
滝川殿が業物だと言ってました。
今回の私のお供はいつもの弥之助と、滝川殿、そして千代女さんです。
加藤殿は今日は一足先に那古野に行って貰って勘十郎の評判を聞いてもらいます。
と言っても、声を掛けて聞いて回るわけではなく、さり気なく立ち話を聞いてもらうのですが。
屋敷で平手殿の到着を待っていると、昼前に平手殿一行が到着。
宴席には例の傅役解任があるので平手殿本人ではなく、嫡男が代理で出るそうです。
そのかわり、那古野滞在中は一緒に居てくれるそうです。
ちょっと心強いですね。
「姫様、お迎えに上がりましたぞ。
ささ、こちらへどうぞ」
「平手殿、先日に続き、またのお迎え有難うございます。
重臣の平手殿にこの様な事をさせるのは心苦しいのですが、今日も宜しくお願いします」
「なんの、姫様。
この平手が好きでやっている事にて、姫様はお気になさいますな」
平手殿に輿にエスコートされ、また座に座ります。
それを見て、平手殿が号令を掛け、一行が那古野へ向けて進み出します。
流石に二度目ですから、輿のふわふわ感には多少なれましたが、一段高い所に座っているので行き交う人々の視線が気になって、なんだか晒し者になってるようです…。
古渡から那古野までは大体一里、半刻程度で那古野に到着です。
那古野城に到着すると、平手殿と酒宴の間、待っている控えの間に入ります。
すると、加藤殿がやってきて、報告してくれます。
「姫様、聞いた話ですが、元服の儀は終わり、勘十郎様は織田勘十郎信勝様と名乗る事となったそうでござる。
元服の儀では、備後守様が用意した装束を着てこなかったとの事で、傅役の林様が備後様より叱責を受け、改めて着替えたとのことで。一悶着あったようにござる」
「…、どんな服で現れたのですか?」
「それがしは、直接見たわけではござらぬので、あくまで聞いた話でござるが、派手な装束を着てこられたとか。
林様が諌めておったらしいのですが、結局聞き入れなかったようにござる」
それを聞き、平手殿が嘆息します。
「なんともはや。勘十郎様は危うく備後様に恥をかかせるところでしたな。
林佐渡守がついていながら、なんという…」
誰の入れ知恵なのか、はたまた自分で勝手にしたのか。
それは判りませんが、先が思いやられます。
年齢的には平成の感覚だと、まだまだやんちゃしたい歳ではあるのですけどね…。
「いずれにせよ、来客の評判は今ひとつ芳しくござりませんでした」
「わかりました。引き続き、話を聞いてきてください」
「はっ」
加藤殿は、また静かに去っていきます。
「姫様の家臣の加藤殿は、東国の方だと聞きますが、中々に使える御仁のようですな」
「ええ、とても助かっています。
東国からよく来てくれたものだと思います」
「まことに…。
東国と言えば、姫様が誼を通じておられる越後の長尾家でございますが、先に頂いた贈り物の返礼の使者に我が息子の久秀が行くことになりました。
此度の遠方への旅は久秀には良き経験となりましょう」
「父上から、正式に返礼を立てると聞いてましたが、まさか平手殿のご子息が行かれることになるとは。
では、私からも返信の手紙を書くので、一緒に届けてください」
「手紙でございますな。
承りました。久秀に伝えておきます」
「ところで、先日聖徳寺に参った時、父が平手殿が私の事になると大げさだと言ってましたが、何故でしょうか?」
私の質問を聞き、平手殿はちょっと驚いた表情をしたが、静かに話しだした。
「備後様と、拙者はそれこそ備後様が元服前からの付き合いにございます。
それ故、家臣ではありますが、友のような間柄でもあり、殿とは若い時分から色んな話をしたものです。
その話の中の一つが、いずれ殿にご嫡男が出来た時、傅役を頼みたいというのもありました。
それで、ご嫡男たる勘十郎様が生まれた時、林佐渡守らと共に、傅役を任されたので、その話のとおりとなったのです」
それで話を一先ず区切ると、私を慈愛に満ちた目でジッと見つめます。
まるで私のおじいちゃんみたいな感じです。
私が頷くと、話を続けます。
「その後は、姫様もご存知かと思いますが、勘十郎様を諌めすぎたのが良くなかったのか、勘気を蒙り、お役御免となりました。
ですが、拙者が殿と一番長く傅役の話をしたのは、姫様あなたがお生まれになる時にございます。
拙者は、姫様がご嫡男であれば、姫様の傅役となるはずだったのです。
名も吉法師とすると、殿から聞かされておりました。
ですが、お生まれになったのは姫様でした。
しかも、お生まれになった頃は、泣くことも笑うことも無い姫様で、結局備後様がお手元で育てられることにしたのでございます。
それからは、備後様は以前ほどには子供の事を話されなくなりました。
その後、ご嫡男として勘十郎様がお生まれになり、拙者も傅役となったのでございますが、拙者が任されるはずであった吉法師様、つまり姫様の事も忘れた事はございません」
史実だと、確かにそうでしたね。
そして、うつけの信長に散々苦労させられる。
この世界ではその役回りは勘十郎だったようですが、世間では折り目正しいと思われている私が男ならばよかったと、平手殿も思われているのでしょうか。
折り目正しいも何も、中の人が単に三十半ばの大人だと言うだけなのですが…。
「そうでしたか…。
平手殿に気にかけて頂けるのは嬉しく思います」
それを聞き、平手殿は微笑みます。
「ところで姫様、末森に城を築いて居るのはご存じですな?」
「はい、父上から聞いております。
完成したら、そちらに母上や下の弟や妹らと共に移り住むと、そう聞いています」
「夏の終わりには城は完成しますから、秋には移られるかと。
その際に、姫様はこれまで通り、一緒に末森に移られるか、それとも古渡に残られるか、殿に聞かれておいでだと思います」
「はい。そのようなことを父から考えておくようにと」
「姫様が古渡に残られる場合、拙者も与力を頼まれております」
「それは心強いですね。平手殿程の年功者に与力いただけるとは」
平手殿と付き合いが出来れば、京にも伝手が出来ますし、諸事に通じてる方ですから。
本当に心強いことです。
「そう言って頂けると、拙者も嬉しく思います」
そういうと、ふと周りを見て立ち上がります。
「姫様、そろそろ頃合いのようですぞ。
我らも参りましょうか」
言われてみれば、お付きで来ている人たちが移動を始めてます。
主人と落ち合って三々五々帰っていくのでしょう。
「はい。では行きましょうか」
私も、滝川殿に声を掛けると、皆で予定している場所に移動します。
こういうやり方はちょっと心外ではあるのですが、玄関近くの控えの間で客が途絶えるのを待っていて、途絶えたところでお祝いを言いに行く段取りにしてます。
もうちょっと姉弟としての付き合いがあれば、こんな面倒な事をしなくとも良いのですが…。
と言うか、父からお祝いに来る旨話が行ってるはずなのですけどね。
控えの間で待っていると、酒宴に参加していたお客達が帰っていきます。
ところが、そのお客が私を見かけて、挨拶によってくれたのです。
父の兄弟達や、父の家臣ら、更には守護様や清洲、岩倉の家臣の方もおられます。
寺で見かけた人たちが多く私の居る控えの間に来て、挨拶を交わし、雑談をはじめました。
「吉姫殿、この度は弟君の元服、お目出度うござる。
ご嫡男の元服もなり、弾正忠家もこれでますます安泰でしょうかな」
お酒が回ってるからか、皆機嫌良さそうに笑いあってます。
勝ち戦続きでわだかまりがあまりないというのもあるのだと思います。
「姫様、いつも寺で我が息がお世話になっておりまする。
一度お礼を言わねばと思っておりましたが、ちょうどお会いすることが叶いましたな。
これからもよしなにお願いしますぞ」
など、そんな話を口々にしていきます。
そして、寺などで見知った顔が多いので、酒もいい具合に回ってるのか、さながらサロンの様子です。
清洲の家臣の方も、岩倉の家臣の方も、皆わだかまり無く楽しげに話ができる。
これがあるべき姿なのだろうと、私はそれを見て思ったのです。
これまでやってきたことは無駄ではなかったと…。
ところが、ドタドタドタと廊下を荒っぽく踏み鳴らす音が聞こえて来ます。
後ろから、誰かの声も聞こえてきます。
もしかして、ここに向かってきている?
「勘十郎様、お待ち下さい。勘十郎様!」
そして、廊下の向こうからやっきたのは勘十郎です。
以前裳着の日にあった頃より、大きくなり表情も大人びてきた勘十郎がドタドタとやってきました。
「我が不肖の姉が祝いに来ると聞いておったが、こんなところで集まって何をしておるのだ!」
居合わせた客達が皆驚いて勘十郎の方を見ます。
勘十郎は確かに弾正忠家の嫡男ではありますが、当主ではありません。
ここには岩倉や清洲の家臣らも居ますし、守護様の家臣も居ます。
明らかに、礼を失してます…。
平手殿が後を追いかけてきた武士に大慌てで声を掛けます。
「林殿、これは如何なることで。
勘十郎様は酔っておられるのか?
姫様はお客が帰られたら、後にお祝いに伺うと事前に申し伝えてあったはず。
ここにおられるお客らは、姫様と顔見知りの方々故、姫様にちょっと挨拶に立ち寄られただけにござるぞ!」
林殿は先にも父に叱責されたと聞きましたが、顔面蒼白です。
そして、客達に非礼を詫び、兎も角勘十郎が酔っていることにして場を収めようとします。
客達もそれを聞き、不承不承、私に声を掛けて去っていきます。
その後、他の大人達も大慌てで勘十郎の元にかけてきて、宥めて奥に連れて行ったのでした。
林殿がそれを見送った後、改めて私に謝罪します。
「勘十郎様の傅役の林佐渡守にござります。
姫様とは裳着の日以来にござりますな。
この度は、とんだ失態を。
謝罪のしようもございませぬ…」
林殿はそれこそ腹でも切りそうな悲痛な表情で、以前見た時よりぐっと老け込んで見えます。
「林殿、お久しぶりにございます。
姉弟の事ですので、私に関してはお気になさらないでください。
酔った上での失態、若気の至りにございましょう。
しかし、お客達にはそれなりの誠意を見せたほうが、弟の今後を考えればいいかと思いますよ」
それを聞き、林殿は少々驚いた表情を見せた。
「なんと、こんなことがあったにも関わらず、勘十郎様の事を気にかけて下さる。
この林佐渡、姫様を見誤って居たのかも知れませぬ…。
いや、失礼致した。戯言に御座る。
姫様の言われること、もっともにござります。
直ちに手配いたしまする」
「こんな事の後では、お祝いを伝えるのも難しいでしょう。
林殿から、私が元服と婚儀の祝を述べていたと伝えてくださいますか。
そして、こちらの方がご祝儀の品です。
これから武将として立つ、弟に必要な品でしょう」
そう言って、刀を渡します。
林殿は刀を滝川殿から受け取ります。
「佩刀にござりますな。確かに、武将なれば必要な品にござります。
持った感じ、結構な品に思えましたが、お聞きしても?」
「この刀は、伝手で手に入れた美濃のさる刀工の作です。
確か、関の孫六という方の作だそうです」
それを聞き、林殿は驚いて捧げ持ちます。
「関の孫六と言えば、名だたる刀工。
これだけの物を贈られる勘十郎様は果報者にございます。
必ずや姫様の言上と共にお渡しします」
そう言うと、深々と頭を下げると小走りに戻っていきました。
残された、平手殿と私達一行は、大きなため息をつきました。
「姫様、とんだことにございましたな。
林殿も、あれでは気苦労がたえますまい。
拙者が傅役におった時の役回りを今林殿がやっておるのでしょう。
あの時、林殿はこの那古野城の城代としての仕事を主にし、世話役はどちらかと言えば拙者がやっておりました故」
なるほど、そんなことがあったのですね…。
それで、傅役を解放されて元気に戻ったと…。
しかし、結局勘十郎とはまともに話すことが出来ませんでした。
一度じっくり話をしてみたい気もするのですが…。
しかし、勘十郎がずっと言っている、不肖の姉という呼び方。
誰が言い出したのでしょう?
意味がわかって使ってるのでしょうか。
私は、自分に自惚れるほどの才があるとは思っていませんが、他の人に不肖呼ばわりされる程愚かしくならないよう、常日頃努力しているつもりなのですが…。
子供の言う戯言と聞き流すことも出来ますが、ちょっと気にかかったのでした。
勘十郎は、少なくとも史実で言われている所の折り目正しい勘十郎にもなれたはずなのですから。
「平手殿、長居しても仕方ありませんから戻りましょうか…」
「その方が良いかと存じます」
そうして、勘十郎の元服は終わったのでした…。
結局、まともに話すことは出来ませんでした。
勘十郎はどうなるのでしょうか。