第七十八話 根来の御坊
津田監物殿が紀伊よりやってきました。
『津田算長殿の来訪』
天文十七年二月、鈴木氏の来訪の翌日、根来寺の津田算長殿が訪ねて来た。
津田殿は僧侶というより、頭を丸めた武将という感じの人物で、年の頃は四十過ぎという感じですが、老いた感じはしません。
この時代の四十過ぎと言うと老人に見える人も居ますが、この人は平成の世の四十後半の頃の人という感じです。
「津田監物にござる。
尾張は織田家の姫がそれがしに会いたいと伝え聞き、罷り越しました。
それがしの名が紀州ならいざしらず、遠く尾張の地まで伝え聞く程であるとは思えぬのですが、それがしの事を何処でお知りになったので?」
やはり、先ずはそこが気になりますよね…。
「紀州より遥々尾張まで来て頂き、恐縮です。
私が、織田弾正忠の娘の吉に御座います。
私のことは大橋殿からお聞きでしょうか?
御坊の事は畿内に鉄砲を持ち込んだ御仁として京辺りであれば、知っている人はおりますよ。
特に、鉄砲撃ちなれば、名ぐらいは知っております。
我が家にも京より呼んだ鉄砲撃ちが居りますので」
「そうでござりましたか。
姫様の事は、大橋殿よりある程度話は聞いております。
なんでも姫の身ながら、様々な物を作ったり、或いは尾張の寺で教えたりもなされているとか聞きました。
中には、鉄砲に関する話もあったとも。
それがし、根来に鉄砲を持ち帰ったのが今より四年前の天文十三年にござります。
姫様は聞けば十五歳、四年前というと十一歳でしょうか。
それがしが鉄砲を持ち帰り、根来の刀鍛冶に鉄砲を作らせたのも、その年の天文十三年にござるが、鉄砲が広まりだしたのはここ最近にござる。
にも関わらず、何故姫様は鉄砲の事を人に教えるほどにご存知なので?
それがし、紀伊より出て参りましたのは、それを聞きたかったからにござります」
まあ、普通そうでしょうねえ…。
尾張での鉄砲撃ちで有名な橋本一巴は、信長が天文十八年、つまり来年に召し抱えたという史料も有あるんですが、それだと父信秀が既に鉄砲を持っていて、三河で使ったという記録に合わないんですよね。
この時代、目の前の津田殿が話されるように、そんなに沢山鉄砲撃ちは居ませんから。
故に、橋本一巴はこの津田の御坊とは別系統で鉄砲を手に入れ学んだはずなんです。
元々、一巴は尾張片原一色城の城主橋本伊賀守の家系です。
恐らく、京に遊学なんかに行っていた折に、鉄砲を手に入れ学んだのでしょう。
そして、上京した平手殿に見つかって連れて戻られたと。
その後、信長に捕まって鉄砲の師にされた。そんな感じでしょうか?
この時代の鉄砲の流れは、倭寇が持ち込んだものが一番早く、その次が有名な種子島でしょう。
実は、尼子氏が大内氏との戦で天文十一年に使用したという記録があるのですね。
つまり、種子島が入る前に、畿内では既に鉄砲は使われていたのです。
更に言えば、明国や東南アジアでは既に鉄砲は使われており、倭寇や中国人、或いは東南アジア迄船を出していた商人らの口から鉄砲の存在は伝わっていたはずなのですね。
そうでなければ、天文十一年の段階で、尼子氏が二十丁もの鉄砲を戦で使えるほど揃えているというのはありえないのです。
とは言え、この根来の御坊が鉄砲の出処の一つだというのは間違いないです。
根来で作られた鉄砲は北条辺りまでも売りに来ていたという記録が残ってますから。
やはり、いかな裕福な根来寺であっても、そのくらいしなければ維持の難しい代物なのでしょうか。
「御坊は、鉄砲と言うものの歴史はご存知でしょうか?」
「いえ、それがしは南蛮人が持ち込んだものという事しか知りません。
恐らく、この日ノ本で鉄砲の歴史など知ってる御仁は殆ど居られぬのでは」
「そうかもしれませんね。
でも、明国ならばどうでしょうか?」
「明国ならば、知って居るものが居ても不思議ではござりませんな。
火薬は唐代に唐国で作られたというのは知っておりますが、その火薬を作った国ならば火薬を使う鉄砲の事を知っていてもおかしくはないと考えますが」
「そうですね。
火薬は唐代に唐国で作られたと、昔唐国で書かれた書物に載っているのです。
その火薬を利用して宋代に作られたのが火槍という武器です。
使い捨てで、当てずっぽうで数を撃ち、運悪く当たれば怪我をしたり火傷をしたり、という虚仮威しの様な武器です。
そして、元の時代に蒙古が今の鉄砲の原型の様な物を青銅で作らせたのです。
それが、蒙古が日ノ本で言われる南蛮、つまりは大秦あたりに攻め込んだ時に、かの地方に持ち込まれ、改良され広く使われる様になったのが、鉄砲という訳です。
大秦の辺りでは鉄の文化が進んでおりますので、そこで鉄砲となったのです。
これが、鉄砲の歴史ですよ」
津田殿はポカーンという感じで話をきいて居ましたが、我に返ります。
「なんと、姫様は何処でその様な話を…。
それがしあまりに雲をつかむ様な話で…。
しかし、姫様が語られる話が鉄砲の歴史なのでしょう。
その様な話、この国では知る者とて居ないでしょうな。
つまり、姫様は漢書などでその様な話をお知りになったと…。
疑ったところで、知り様のない話を知っておられる訳もなく。
それがしの事をご存知なのと同じく、詮無き話にござりますね…。
歴史を知っておられるならば、鉄砲の事を知っておられるのも道理。
なれば、それがしに会われたいという訳をお聞かせいただいても?
同道して頂いた鈴木殿も鉄砲に詳しいお方でござりました。
そして、姫様も鉄砲にお詳しい様子。
確かにそれがしは鉄砲を畿内に持ち込み、畿内にあっては一日の長はあるとは思いますが…。
それがしを紀州より招きたい理由をお聞かせください」
さて、本題ですね。
何故か、大きな理由は一つです。
鉄砲の拡散時期を遅らせるためですよ。
どちらにせよ、いずれは普及します。
何しろ、種子島、つまりは薩摩には既にありますし、将軍家も細川晴元に命じ、有名な国友に作らせています。
恐らく、後の江口の戦いで晴元が使った鉄砲はこれじゃないかと思うのですが。
この戦以降、鉄砲は急速に普及していくわけですが、それをより加速したのが、根来と雑賀の鉄砲傭兵たちなのは間違いないので。
鉄砲傭兵不在の世界で、他より進み洗練された鉄砲隊を持つアドバンテージというのは相当なものだと思うのですね。
私はそこまでは考えていないのですが、いつか父が上洛する羽目になった時、苦労しなければいいなと。
要約するとただそれだけなのです。
そのためには、この眼の前の御坊とその仲間の鉄砲鍛冶を抱え込むのも大事。
タイミングは恐らく今しかないので…。
「私は、確かに鉄砲について多少の知識がありますし、それが近い将来戦を変えるほどのものであると確信をしているのです。
しかしながら、なにぶん姫の身ですから、男子の様に自ら鉄砲隊を編成し研究し、実戦で使うというわけにも行きません。
つまり、私の知見を活かす方法が無く、宝の持ち腐れなのです。
津田殿が言われる通り、日ノ本における鉄砲は緒についたばかりですから、まだ海のものとも山のものともわからない金のかかる代物というのが大凡の評価です。
故に、親しい若手の父の家臣を捕まえて鉄砲大将にするというわけにも行きません。
ですから、既に鉄砲の研究を始めている雑賀荘の鈴木殿を将来の鉄砲大将、鉄砲奉行として招聘したわけです。
鈴木殿には、鉄砲隊の編成と研究をしてもらい、いずれ鉄砲隊を率いて貰います。
そして、津田殿。
御坊には鉄砲の研究と鉄砲術の編纂をお願いしたいのです。
津田殿はご存知ですか?
この日ノ本に入ってきている鉄砲は、大秦国の軍が使っている銃ではないのです。
最新の銃でもない、正に南蛮の地で作られた古い銃なのですよ。
しかし我が家に来れば、その最新の銃を作ることが出来ます。
そして、その銃を作るために、ぜひ芝辻清右衛門殿も一緒に召し抱えたいのです。
如何でしょうか」
「な、なんと…、その様な話が…。
それに、清右衛門の事もご存知でしたか…」
津田殿はうーんと頭を悩ませます。
私は魅力的な話だとは思うのですが。
「もし…、もし根来寺に危機が訪れた時、それがしが戻ることを許して頂けるならば…。
それがし…、姫様の下で鉄砲の研究をしてみたい…。
根来の杉ノ坊にはそれがしの兄弟も居ります故、それがしが尾張に来ることは可能でござります。
しかし、それがし根来寺に帰依した身なれば、根来寺を捨て去ることは出来ませぬ」
やはり、そうでしょうね。
しかし、それは問題ありません。
根来寺を攻めるような不心得者は秀吉くらいですから。
この世界で秀吉は恐らく世には出ないでしょうから、根来寺が攻められることは恐らく無いはず…。
「それで構いません。
もし根来寺に危機が訪れるような事があれば、紀州まで船で送り届けましょう」
それを聞き、津田殿は得心行ったという表情をします。
「それを聞き安心いたしました。
なれば、それがし姫様のもとに参りましょう。
紀州へ一度戻り、準備を整えてまた尾張に参ります」
「津田殿に来て頂けるとは望外の喜びです。
尾張にてまたお会いできる時を、お待ちしておりますよ」
「こちらこそ、楽しみにしております」
そうして、津田殿もまた来てくれることになったのでした。
その日は、津田殿が宿に戻られるまで鉄砲談義に花を咲かせたのでした。
やっと、まともに鉄砲の話ができる人が来た感じですね。
津田殿が無事来てくれることになりました。
本来はこの人は城主の身分なんですが、兄弟に託して来ることになると思います。
この人の鉄砲を持ち帰るまでの人生は不明な点が多いのですが、ご都合主義ってことで(汗




