第七話 安祥救援にござる
書庫を一通り目を通した吉姫は、趣味の木工細工をはじめました。
そして、父は安祥救援に向かいます。
『木工細工』
年が明けて天文十一年、吉は八歳になりました。
早いものでこの世界で再び目覚めてもう四年目。
去年の暮れ、父信秀は朝廷への献金などの貢献を評され、三河守を叙任した。
相変わらず忙しくしている父は兎も角、子供の私は相変わらず屋敷で姫としての習い事をこなしつつ、寺通いの日々。
この時代は休みなど無いので、休みなく習い事があるのかというと、そういう訳でもなく、習い事の先生が来ない日で、寺に行かない日は一日暇だったりする。
そういう日は、書庫で読書に勤しんでいたのだけど、流石に地方の領主の書庫では、寺の本山とかならいざしらず、目を通しきれないほど膨大な冊数があるわけじゃない。
多分、平成の世の漫画好きの人のほうが蔵書という意味では遥かに多いかも?
詰まるところ、一通り目を通し内容を把握してしまったので、実用を兼ねた新たな趣味を始めることにしたのでござる。
前世だと、学校や仕事でモックアップ、つまりは木製プロトタイプなんてものも作っていた。勿論、これは趣味というわけじゃないが。
今だと、平成の世の様に汎ゆるものが豊富に揃い、簡単に手に入る訳じゃない。
特に、趣味の世界が花開いたのは太平の世が来た江戸時代以降。
この時代は、身分を問わず生き残るのがまず第一であり、そもそも余暇を活用するための趣味なんて文化は殆ど無いので、歌にせよ、茶にせよ、盛んなものはそれが役に立つから。
例えば、武家だと鷹狩など狩りが趣味の部類かもしれないが、それも修練だったり、地形を覚える側面を持っていたりだ。
つまり平成チックに趣味を始めるにしても簡単ではないのだ。
閑話休題、話を戻すと、この時代で、八歳の子供でも出来そうな事は何かと考えていたら、寺の小僧さんが修行の一環として仏像を彫ってるのを見かけた。
それで、前世では趣味ではなかったが手掛けたことのある木工細工なら良いのではないかと考えたのだ。
ところが、本格的な物になると当然大工道具が必要だが、そんなものは簡単に手に入る代物じゃない。
勿論、父に言えば手に入るだろうが、武家の娘が職人の真似事なんかするのは、あまりいい目では見られない。
そこで、寺の小僧さんが使ってた小さな小刀を父に頼んだところ、程なく何処かから手に入れてくれた。
これを使って、寺の造成などの時に出た小さな木くずを貰ってきて、木彫りの動物などを彫りはじめた。
前世でもそういうものは作ったことがあったので、徐々に上達していき、父に小さな虎をあげたら、とても喜んでいた。
それに気を良くした私は、寺に通っている子供たちや、小僧さん、快川和尚などに次々といろんなものを彫ってプレゼントしたのだ。
随分好評だったので、少しくらいはみんなに近づけたかなと思ってるんだけど…。
快川和尚に手彫りのマリア像をプレゼントした時の表情は見ものだった。
一言で言うと絶句…?
更に気を良くした私は、安祥にいる兄上へのプレゼントの制作に入ることにした。
『安祥救援~小豆坂の戦い』
季節は移り変わり、夏もそろそろ終わりという頃、城内が再び騒がしくなり、父上が慌ただしく出陣準備を始めた。
天文十一年の秋というと、小豆坂七本槍で有名な小豆坂の戦いがあったはず。
私は安祥へ出陣するという父に、かねてから用意していた兄へのプレゼントを託した。
父は木でできた菩薩の彫り物を見て、ほうと感心すると良き出来だと褒めてくれて、必ず信広に渡そうと請け負ってくれた。
ついでに、先日はあまり話もできなかったので、手紙をしたためたのでこれもお願いしますと、父に託した。
父は、三郎五郎殿と宛名書きされた手紙を見て、もう手紙を書けるのだな。とまた感心し、これも必ず渡そう。と、彫り物と一緒に、懐に納めた。
私は戦に行く父上に、御武運をと声を掛けた。
父は頷くと、行ってくると言い残して城の者たちとまた出陣していった。
父は今年で三十二歳、男っぷりを更に磨きをかけ、正に戦国武将なのでござる。
そんな父に見とれながら、城の門からまた見送ったのだった。
『父上の凱旋』
父は、秋がそろそろ終わろうかと言う頃、また威風堂々と凱旋してきた。
以前と同じで、城に戻ってきた者たちも、皆やっと帰ってきたという表情で、また那古野で休養してから戻ってきのだろう。
今回も織田の勝利だったが、史実では厳しい戦いだったはずだ。
誰かは判らないが、恐らく戻ってこなかった人もそれなりにいるだろう。
父を屋敷で迎えると、吉、帰ったぞ。というと、微笑む。
そして、兄への贈り物と手紙を確かに渡したと教えてくれ、懐から手紙を出すと私に渡してくれた。兄からの返書だ。
その夜は、また夕餉が豪華で、終始父は上機嫌だった。
そんな父を見るのは、娘の私からしても嬉しいことで、私は父の留守中の習い事などの話をした。
しかし、以前からそうだったが、父は私に戦の事を話すことは無かった。
歴女の私からすると、イケメンの語る小豆坂七本槍のナマの話しなんて最大のご褒美なのでござるが…。解せぬ…。
『兄よりの手紙』
兄よりの手紙は、まずは菩薩像の礼、時節の話題や、三河安祥での話、そして先日あまり話しが出来なかったことの詫びと、また逢う機会があればその時には話をしようと。
優しい人柄が感じられる手紙だった。
そして、その次。
吉の言葉は、年端の行かぬ妹の言葉とは思えぬが、有難く役立てさせてもらう。
快川和尚によろしく礼を伝えておいてくれ。
そう、私の送った手紙は二枚に渡り、一枚目は普通に妹としての手紙。
二枚目は安祥と西三河を維持する為の献策だったのだ。
父は何も言わなかったので、中身を気にせず兄に渡したようだが、兄は快川和尚の献策だと思ったらしい。
今は寧ろそう思ってくれたほうが、やりやすい。
思わぬところで快川和尚が役に立ったのでござる。
また、和尚にプレゼントしないと。
兄にどんな献策をしたのかは後日のお楽しみ。