第七十五話 弓師が訪ねてきました
前年に牛さんが話をしていた弓師が訪ねてきました。
『弓師訪問』
一月も早下旬の頃、暫く会ってなかった弓師さんが牛さんと訪ねてきました。
去年、牛さんが話してましたが、結局年が変わりましたね。
ちなみに彼は弓師と紹介されましたが、確かに弓師ではあるそうなのですが、牛さんの話だと同じく守護様の家臣筋の人で、弓衆の一人でもあるそうです。
つまり、去年は戦やらその準備やら後始末やらでずっと忙しかったようですね。
「太田殿、弓師さん、今年もよろしくお願いしますね。
弓師さんは随分暫くぶりですが、お元気でしたか?」
「吉姫、本年もよろしくですぞ」
「吉姫様、すっかりご無沙汰しております。
お陰様で息災にございますよ。
本年もよろしくお願いします」
「去年は太田殿が滑車弓で随分活躍されたそうですね」
「何と言っても、総大将を射落としましたからな。
その総大将は落馬の後生け捕りにされて、結局備後殿に仕える事になったと聞きましたぞ」
「なんとそうでしたか。
去年の戦は顛末は聞きましたが、結果はそういえば聞いてませんでしたね」
「いずれにせよ、守護様は遠江を奪還できてお喜びです」
「ですな。
それがしが書き記した戦記を喜んで読んでおられた」
「それは良かったです。
父の活躍により、武衛様の名声が高まれば、武衛様に従う国人衆も増えましょう」
「そうですな。
ところで、今日は新年の挨拶も兼ねておるのですが、この御仁が吉姫のところを訪ねるというので付いてきたのですぞ。
なんぞ話があったのではないのか?」
促され、弓師が話し出します。
「それがし、太田殿の使う滑車弓を見て、自分も何か新しい弓を作ってみたくなりましてな。
それで、何か良き案がないかと、今や賢姫と名高い吉姫を訪ねて参ったのです。
何か、良きものはないものでしょうか」
「弓ですか…。
うーん、その太田殿が改良して使ってる滑車弓は良いものだと思うのですが。
それ以外となると、弩とかどうですか?
あまり、今の日ノ本では使われてはいませんが」
「弩ですか。
確かに、文献に残るばかりで、今の日ノ本では使われておりませぬな。
吉姫が弩を出されたということは、旧来の弩とは違ったものをご存知なので?」
一応、ありますが、今出して良いのかなあ…。
「あるにはありますよ、弓の部分に鉄を使い、滑車を使った強力な弩が」
弓師さんはそれを聞き目を輝かせます。
「おお、それを教えて下さい。
私の弓師としてこれまで培った技術を使い、必ず実現してみせましょう」
既に滑車の仕組みを理解してる牛さんと二人でなら作れるかもしれません。
いずれにせよ、私や鍛冶屋さん達だけでは作れないでしょうから。
実は以前途中まで作って放置していた物があるのです。
千代女さんに弥之助を呼んできてもらい、私が使わせてもらってる物置にある箱の一つを持ってきてもらいます。
牛さんと弓師さんの前で箱を開けると、まず出てきたのは木で削り出して作ったクロスボウのストックです。
それも、平成の世に売られてる様な、未来的デザインの代物です。
そして、図面を取り出して広げてみせます。
弓師と牛さんは図面を見ると、絶句し、そして溜息を。その後、私の顔をジイっと見る…。
弓師がまず疑問をぶつけて来ます。
「吉姫様、この弩は弓が逆に付いておりますが…」
そして牛さんは顎に手をやりながら図面の滑車とそれを通る弓弦を目を追ってます。
弓師の疑問に対し、ストックを手に持ち答えていきます。
「一先ず一般的な弓の常識は置いておきましょう。
この弩は弓が逆に、しかも極めて狭く付いています。
鉄を弓に使う上、引き絞る幅はたったこれだけ。
普通の弓の常識ならこんなもの作れるのかという感じでしょう。
しかし、この弓は滑車を使い、弓弦はこの様に通り、こう引き絞られるわけです」
そう言いながら、弩の弦の方を指でなぞり、滑車をクルリと回すと、ストック方向に指を進めます。
「つまり、この弓の部分と言うのは、これを通常の弓の様に取り付けた場合、弦はここに来ますから、この弩はここからこの位置までしか引き絞ることが出来ません」
ストックに指で弓を描いて見せながら、弦の位置に垂直に線を引く。そして、そこから留め金のところまで指でなぞる。
「どうでしょう?
滑車を使うことで実質引き絞る方向はどちらも本体に対して垂直方向なのですから、引き絞る距離が長ければその分強力な弓が引けますよね」
そう言って、ストックの先端から最後までと、真ん中あたりから最後までをなぞってみせる。
じっと図面上の滑車と弓弦を目で追っていた牛さんが何か得心がいったのか手をポンと打ち鳴らす。
「吉姫、この弩はずるいですぞ。
理屈はわかるが、この仕組みは普通の弓ではいかな滑車が付いていようが真似出来ない。
何故なら、弓はここを手で持ち引き絞る以上、逆さ弓は引けませぬ。
しかるに、この弩は弓がこのように固定されておるため、簡単に引き絞ることが出来る。
この幅でどの程度の力が出るのかは流石に分からぬが、この長さを引き絞れば相当な力で矢が撃てることは間違いない事くらいわかりますぞ」
やっと理解の行った弓師も複雑な表情を浮かべながら牛さんの話したことを肯定します。
「確かに、ずるいですな。これは弓では実現できない。
しかし、この逆の発想から生まれた強力な弩を見せられては、実現せずには居られません。
実際に撃ってみて、どれほどの威力があるのか。
見ずには居れないですよ」
「そうでしょう。
しかも、この弩は強力であるが故に鋼の矢が飛ばせるのです。
つまり、この威力は鉄砲並みで、音は普通の弓と大差ないでしょう」
それを聞き、牛さんと弓師さんの目がキラリと光ります。
そうでしょう、彼らの商売敵が正に鉄砲なのですから。
鉄砲の弱点は牛さんがこの前話していたとおりですから、この弩ならばその弱点も無く威力は恐らく鉄砲並み。
「これを作りたいですが、流石にこれは私だけでは作れませんね。
腕のいい鍛冶の手助けが必要です。
どのように作ればいいかは解ります。
滑車のカラクリならばこの太田殿に教えを請えばなんとかなるでしょう」
それを聞き牛さんが非難がましい声を上げる。
「こんな面白い話にカラクリの説明だけで終わらせるつもりなのか?
当然それがしも一枚噛むに決まってるだろう。
それがしが使うかどうかは別の話。
しかし、それがしもどの程度のものに成るのかは非常に気になる」
「そういう意味では。
太田殿にご助力頂けるなら心強い。
吉姫様、どなたか腕のいい鍛冶屋をご紹介頂けませぬか。
この太田殿の話では、色々と面白いカラクリを作らせたりしておるとか」
「ええ、構いませんよ。
むしろ、太田殿の滑車弓もそうですが、この弩もまだあまり広めたくはないのです。
ですから、こちらで指定する鍛冶屋を使うことが作ることを許可する条件にしようかと思ってましたよ」
「そうでしたか。
それは勿論そうでしょうね。
この、太田殿も滑車弓を手に入れてからは弓衆とは別行動で、弓も普段は布に覆って大事にしております。
鍛冶屋の件は、むしろ渡りに船とはこの事、吉姫と付き合いの深い方なれば仕事がし易いでしょう」
「あの弓はあまり人目に触れたくないのもあるが、精密なカラクリ故に壊れやすいのですぞ。
それゆえ、あのようにしておるのです」
「わかりました。
その鍛冶屋は私の家臣なのですが、良い仕事をしてくれるでしょう。
後でご紹介しましょう」
「おお、吉姫様は鍛冶屋を家臣としてお抱えなのですな。
勿論、姫様であっても側仕えが居るものですが、鍛冶屋を家臣で召し抱えておられるお方は珍しい。
吉姫様に召し抱えられるとはその鍛冶屋も運のいいお方だ」
そういうと弓師さんは笑います。
それを聞いて牛さんも笑いながら話します。
「それはどうかわからぬぞ。何しろこの姫はかなりの変わり者。
まあそのお陰でそれがしも助かっておるのですが」
私に嫌な視線を飛ばすと牛さんは更に笑います。
弓師さんは複雑な表情を浮かべ、もうどう答えたものかという感じです。
と、ともかくさっさと鍛冶屋を紹介して、清兵衛さんに押し付けておきましょう。
変な噂が立つのも困りますので。
「で、では早速鍛冶屋のところに行きましょうか。
この古渡の鍛冶場に居ますので」
「おお、そんな近くに。
忝ない」
皆で連れ立って鍛冶場へ行きます。
鍛冶場へ行くと清兵衛さんはちょうど休憩してるところでした。
「清兵衛さん、今度弩を作ろうという話になってるのですが、この弓師さんが中心になって作るので、弩に必要な部品を作ってあげてください」
「へい。承りやした。
清兵衛です。お聞きかもしれやせんが、吉姫様のお抱え鍛冶でございやす」
「こちらこそ、よろしくお願いします。
では、早速打ち合わせをしましょうか」
「では、私は屋敷に戻りますね。
後はよろしくお願いします。
また何かあれば遠慮なく言ってきてください」
「へい」
「ありがとうございました」
「吉姫、ではまた」
鍛冶場を後にすると部屋に下がりました。
すると、千代女さんがやって来て、先程の面白そうなのはなんですか、と聞いてきたので、唐国で使われてる弩という武器ですよ。と教えてあげました。
ちょっと興味を持ったみたいです。
そういえば、連弩的な物もあれば少しは違うのでしょうか。
また図面を引いて試しに作ってみましょうか。
いわゆるリバースドロウクロスボウと言うやつです。
次回は、いよいよ鈴木殿らがやって来ます。
そして、近々大きなイベントとなる勘十郎の元服があります。