第七十四話 学校の始業と、寺への訪問
年も明けたので学校も再開です。更には年始の挨拶に寺へ行きます。
『熱田の学校』
天文十七年になって初めての学校は一月も半ばとなった日でした。
実質、この日が初めての遠出となり、供回りの者と共に船にて熱田の加藤氏の邸宅へ向かいました。
加藤殿と新年の挨拶を交わすと、教室となっている離れに向かいます。
部屋へ入ると既に子供たちは揃っており、騒いだりせず静かに待っていました。
親の躾が素晴らしいのでしょうか。
去年に続き、算数と、国語の授業をします。
子供たちが皆優秀なのか、既に二桁の足し算引き算は十分にこなし、小学一年で教える範囲が終わってしまいそうです。
国語の方は、そういうわけには行かず、平仮名、カタカナは皆読み書きが出来るようになったので、今はひたすら漢字混じりの文章の読み書きをやってます。
面倒なのは、一応私も手習いで勉強しましたので、習得していることはしている筈なのですが、この時代の漢字は平成の世の漢字と違い、旧漢字なので黒板に文字を書いていると、つい平成の簡易漢字を書いてしまうのです…。
平成の世はじゃあそんなに文字を書いたのかと言うと、殆どワープロでキーボード触ってる時間のほうが確実に長かったのではありますが…。一度覚えてしまった文字は、中々抜けないものです。
私の書く、その簡易漢字は「略字」という風に誤魔化してますが、万千代君に注意されて気がつくこともままあり、彼には助かってます。
そんな感じで、あっという間に時間は過ぎて授業の時間は終わりです。
そろそろ新しい算数の教科書を準備しないといけませんね…。
兄向けの『ポエニ戦争』の執筆もありますし、こうも本ばかり書いてるとなんだか学生時代を思い出しますね…。
『天文十七年版竹千代くん』
さて、年末に親子の対面を果たした竹千代くんも歳を取り七歳となりました。
お父上の広忠殿と再会できる日はやってくるのか。
悪くない条件も出してますし、遠江で今川が大敗し、実質三河から手を引くしかなくなりつつ有るので、和議を言い出しても既に武家の意地は散々に見せてますし、筋目は通ると思うのですが…。
去年も兄の話だと、結果として勝ちは拾ったらしいですが、実質負けも良いところだと言ってましたし、少なくとも安祥は松平宗家を侮ることはないと思います。
学校が終わると、竹千代くんと於大さんが住んでるはなれを訪ねました。
今は他の人質の子達とは分かれて住んでるようです。
いくら主筋とはいえ、目の前で母親に甘えるのを見せられるのは辛いかもしれません。
とは言え、数え七つといえばまだ平成で言えば小学一年生ですからね…。
目の前に母親が居て甘えるなというのも可哀想な気もします。
「竹千代くん、新年おめでとう。今日も勉強頑張ったね」
「吉姫、新年の挨拶、大儀であるぞ」
また若君の様な生意気なことを言います。
於大さんが顔色を変えて、耳元で何かささやきます。
すると、竹千代くんが何やら慌てて言い直します。
「た、たわむれじゃ。
丁寧な挨拶感謝致す。
挨拶が遅れたが、新年おめでとう。
今年も世話になるがよろしく頼むぞ」
うーん、竹千代くんはきっとこれは傅役の躾のせいなのかもしれませんね。
なめられては終わりのこの世界ですから、致し方ないのか…。
勿論、幼児相手に腹が立つ訳もなく、大人の対応をしましょう。
寧ろこのちっこい子が生意気に喋るのって可愛さ爆発というかなんというか。
於大さんが見て無ければぽっぺスリスリするところです。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
返礼をすると竹千代くんにニッコリ微笑んであげました。
すると、竹千代くんは顔を真赤にするのです。
やっぱり、可愛い!
この子が、長じて古狸になるなんて、信じられませんね。
そう言えば、末森城に父が引っ越せば、私も兄弟たちと会えますね。
難点は、末森城は遠いのですよ…。
「於大さん、昨年はろくに挨拶もできず仕舞いでした。
私が、弾正忠が娘、吉に御座います。
以後お見知り置きください」
そう言上すると深々とお辞儀したのです。
「まあ、丁寧な挨拶有難うございます。
水野下野守の娘、於大に御座います。
この度は、備後様に特別なご配慮を頂き、こうやって親子再会する事が出来ました」
「人質に出された先での再会でなければ、尚良かったのですが。
岡崎から来た子らは皆、織田の客人として遇すると父も申しておりますので。
暫くはここ尾張にて暮らしていただきます」
「はい、聞いております。
よしなに、お願い申し上げます。」
そういうと、深々とお辞儀したのでした。
そう言えば、於大さんは結局誰のもとに嫁ぐ事になるのでしょうね。
『快川和尚を訪問』
一月も下旬に差し掛かった頃、今年初めて寺へ行くことにしました。
小氷河期とも言われ、グレゴリオ暦だと三月にも関わらずまだ寒いこの時代、流石に雪はもう無いですが普通に西暦の一月かと思ってしまいます。
お供を連れ、相も変わらず街道をてくてくと歩くと、一刻半位で寺に到着します。
流石に最初来だした頃に比べたら、既に大人の歩幅ですからかかる時間はかなり短くなりました。
実のところ車だったら二十分掛からない距離なのですが、相変わらず遠く感じます。
でも、この時代の人だと感覚的には近所の様です。
このお寺。凌雲寺という寺なのですが、稲葉地城の傍にある元々は信光叔父が勉強する為のこじんまりとした寺だったのです。
私が通いだした時は、確かにそんな感じでした。
それが、快川和尚の名声のお陰なのか、方々より学びに来る人が訪れるようになり、それに比例するかのように、最初は小さな茶店が、そのうち飯屋が出来宿が出来と門前町が形成されていき、そのうち元々あった稲葉地城の城下の小さな街もその一部として呑み込み、結構な大きさの街にまで成長したのです。
寺も最初の頃は父が寄進して建物を増築していたのですが、和尚の話だと今では子供を通わせる商人たちや土豪や国人が進んで寄進して寺を拡大しており、元々小城だった稲葉地城より大きな規模の寺になってます。
正に、どうしてこうなったと言わんばかりの、史実には存在しない街ですよ。
勿論、流石に津島や熱田には比べるべくもないのではありますが。
しかし、他国の国人が子供を寄宿させて通わせると言うのは、平和な世ならわかるんですが、この戦国時代、悪くすれば人質に取られかねない訳ですが、それだけ父が信用されてるという事なのでしょうか。
この寺で私が講義をしてるのも結局は啓蒙活動の様な物ですから、ここで学んだ人たちは、ちょっと違った視点を持てるようになることでしょう。
そんなわけで、和尚様に新年の挨拶をします。
「お師匠様、本年も宜しくお願い申し上げます」
「こちらこそ、本年も宜しく。
今年は弟君が元服だと聞きましたよ」
「はい、弟勘十郎は二月に元服する事になっております」
「それはおめでとう御座います。
弟君は弾正忠家の嫡男と聞きますが、どんな方なのですか?」
「ありがとうございます。
実は、私は一度会っただけで、よく知らないのですよ。
和尚様は何かご存知ありませんか?」
「なんと、そうでしたか。
私も、伝え聞く程度で、あまり存じ上げません。
良い話は聞かないのですが、人伝の話ですし、人は見かけでは判断出来ませんので、決めつけは誤ると思います」
「そうですね。
私も元服には呼ばれてますので、この機会にどんな人物か見てこようと思います」
「また、どんな方か教えてください。
いずれ、弾正忠家を継がれる方ですから、どんな方か知っておくことは必要だと思いますので」
「はい、わかりました」
その後、和尚様と世間話をして古渡に戻りました。
また、以前より回数は減りましたが講義も再開です。
しかし和尚様、初めてお会いした時より、年数を経ているのですが、ますます壮健で筋骨逞しく、いっこうに衰えを感じさせませんね。流石です。
竹千代くんは相変わらずういやつです。
そして、やはり他国出身者の快川和尚は弾正忠家の次代が気になるようです。