第七十三話 仕事始め
正月のイベントも終わり、仕事始めです。
『天文十七年の仕事始め』
天文十七年の正月行事も終わり、古渡も既に平常運転です。
鍛冶屋の清兵衛さんが、一先ず旋盤が見せられる段階に来たと報せてきたので、千代女さんを伴って見に行くことにしました。
鍛冶場に清兵衛さんを訪ねて行くと、作業場の奥の一角に案内されます。
そこには、見習いの佐吉くんがいて、何やら作業中です。
早速旋盤を見せてもらうと、図面や模型通りしっかり出来ています。
弾み車を回し、踏み板を踏むと、旋盤の軸がクルクルと回ります。
清兵衛さんはいつも通り腕組で、佐吉くんはジッと私が何をするのか観察してる感じです。そして、千代女さんは何やら軸が回るのが不思議なようで、しきりとほー、ほーっと感心しながらウロウロしてます。
送り台までしっかり付いていて、それの動作も特に問題なく、固定するための部分もきちんと作られていて、こちらも問題ありません。
そして、肝心の部分につける、ビット、つまり刃はついてません。
「清兵衛さん、相変わらず見事な腕ですね。
私が設計したとおりに仕上がってます。
木工部分も問題ないように見えます。こちらの方も見事ですね」
それを聞き清兵衛さんは一先ず安心したのか顔が綻びます。
「それは良かった。
木工部分は城の大工に頼もうと思ったら、忙しいみたいで、結局熱田の大工に頼んだんでさ。
そしたら、若いのに腕の良いやつが来てくれて、模型通りに作ってくれましたや。
その大工は姫さんの模型や図面がよく出来てると関心してましたぜ。
そして、残りの部分をこの佐吉と二人で作ったんでさ。
この佐吉は見習いと言うことになってますが、どうして若いのに中々の腕前ですぜ。
しかも、飲み込みが早い。
この、はずみ車の部品は俺が作ったんですが、送り台の部分はこの佐吉が作ったんですぜ」
ほほう、若いのに中々有望ですね。
「へえ、佐吉さん、中々見事な腕前ですね。
これだけ出来るなら、見習いに出る必要など無かったのではないですか?」
それを聞き、何故か佐吉さんはギョッとするような表情を一瞬浮かべます。
「い、いえ。
そこそこの腕なのは、親父が鍛冶屋なもので、幼少より鍛冶仕事を手伝ってたからで、野鍛冶の仕事くらいならば出来ますが、清兵衛さんの様に刀鍛冶など無理ですし、清兵衛さんの域に達するにはまだまだ修行中の身です」
それを聞き清兵衛さんはまた腕を組み。
「ふーん、そうかねえ。
言っとくが、俺も刀鍛冶は一流と言うわけじゃないぞ。
一人前の許しは貰ったが、結局一人前の刀鍛冶として働いた期間はそんなに長いわけじゃない。
美濃から逃げてきてからずっと野鍛冶だしな。
確かに、漁村の釣り針なんかを作るのには重宝はしてもらったが」
「俺はまだ一人前の許しも貰ってないし、ここに居れば色んな物を作らせてもらえるんで、清兵衛さんの弟子をやらせてもらえれば、良い修行になるんで…」
「ふむ、まあ俺は腕の良いやつが弟子として仕事を手伝ってくれるのは、寧ろ歓迎なんだ。
ただ、これだけの腕で弟子で満足出来るのかと思っただけさ。
全ての腕前を見せて貰ったわけじゃねえが、野鍛冶としてなら既に許しを出しても良いくらいの腕はある。
それは俺が保証してやるよ。
「あ、ありがとう。親方。
でも、俺は野鍛冶で一生終えるつもりはないから、まだまだ弟子をさせて貰いやす」
「うむ。わかった。まあ好きなだけ居ると良いや」
そういうと、清兵衛さんはまた私の方に向き直って話を続けます。
「そんなわけで、この佐吉は若いのに良い腕をしてるんでさ。
それで、肝心要の部分がこいつにはまだついてないんですがね。
その部分の話をしましょうか」
「そうですね」
私は、刃を付ける部分を指差しながら話をします。
「この部分に刃をつけるのです。
旋盤と言うのは、この軸の部分に削るものを固定して回転させ、そしてこの部分に刃を付け、この送り台の把手を回して少しずつ進め、削りたい部分に当てて、高い精度で削る。
そういう代物なのです。
つまり、例えば筒を作るとすると、先ず孔を開けるのに適した刃で、穴を開け、そして、刃を変えて、内側から少しずつ削るのです。
或いは、この送り台を一定のはやさで送りながら削ることで、ネジを刻むことも出来ます。
こんな感じで」
と、手を使って説明してみせます。
「ほう、なるほど確かに、これまで苦労していた作業がこれならば精度良く楽に作れるかも知れやせんね」
「そうでしょう。去年作ってもらった蒸気釜の蒸気を動力に転化するためのからくりも、これで作れば手で削るよりずっと楽に作れるでしょう。
仕上げは結局手作業になる可能性もありますが…」
「そりゃ、最後は手作業になりますや。
この指先の感覚で、凸凹してる部分を綺麗に削り取るんでさ」
「ええ。
それで、問題はこの刃の材質なのです。
恐らく、今出来るのは、焼入れして硬度を高めることだけだと思います。
これで削れるのは、当然これより柔らかいものですから。
例えば、木とか、或いは銅、真鍮とか。
先ほどの蒸気を動力に変えるカラクリは恐らく強度的に真鍮でも問題ないです。
しかし、この先作るものは鉄で有る方が良いので、この旋盤で削れると良いのですが、焼入れでどの程度硬くなり、そして焼入れしていない鉄をどの位削れるのか。
これは試してみるしかないでしょう。
場合によっては、従来の焼入れとは別の方法を使う必要があるかもしれません」
「別の焼入れ方法なんてのも姫さんはご存知なんですな…。
では、一先ず従来の焼入れで刃を作ってみやす。
また絵図面など頂けるんで?」
「唐国は日本より冶金技術が進んでいるのですよ。
旋盤用の刃は、こちらの図面を参考に作ってください」
そう言うと、図面を渡します。
図面に起こしたのは、ごく初歩的でシンプルな外丸削りと中ぐり用の刃と、穴をくり抜くための刃。
ドリル状のものは恐らく作れないでしょうから、フラットビットと呼ばれる種類のものにしています。
ただ、フラットビットは基本的には木用なので、鉄が行けるかは判りません…。
「へい、確かに。
では、こちらの方、完成にどのくらい掛かるのかわかりやせんが、出来たらまたお報せしやす」
「はい。宜しく頼みましたよ」
そう言うと、旋盤の軸をクルクル回して遊んでる千代女さんを連れて、屋敷に戻ったのでした。
結局の所、最終ゴールは銃身なのですが、木や真鍮が削れるだけでも、大きな前進なのです。
しかしながら、この時代に高炉や反射炉を作るのは、流石に城をもらわないと無理かもしれません。
しかも、肝心の鉱石は美濃か奥三河で、どちらも他所の国なのです。
それに、そこまでは流石に身の振り方が確定して、落ち着いてからの方が良いように思うのです。
技術を持つ職人は全て私の家臣にするつもりですから、私の行く所に一緒に行きますので、それからの方が良いかもしれません。
私のお相手が、父信秀の様に理解力と寛容さを兼ね備えた優れた方だと良いのですが…。
旋盤、ガワだけは取り敢えず完成です。
問題はビットですが、さて実現しますか。
真鍮は面倒なのである事にしてます。
一応、平安時代にはあったそうなので。