第六十四話 父の凱旋
父信秀が予想より早く帰ってきました。
『父の凱旋』
天文十六年十一月中旬、父が古渡衆を率いて凱旋してきました。
いつもの様に威風堂々と、鎧具足を着込んだ父を先頭に、揃いの板金鎧を着た馬廻衆が続き、そして将兵らが出ていったときと同じように意気揚々と城門を抜け、城の者達が沿道で声援をもって出迎えます。
いつもながらの光景ですがこれは一種のセレモニーなのだと思います。
那古野での凱旋は盛大でしょうが、やはり身近な者達に誇らしく無事な姿を見せたい。
勝ち戦であれば特にそうですが、戻れなかった人もやはり居るので、残された人達に犠牲は無駄ではなかったと、追悼の意味もあるのかなと。
何となくそう思ったのです。
戦後処理で帰城には未だかかるだろうと思っていたのですが、先に城のものだけ戻らせるのではなく、いつもと同じように凱旋する事は率いた者の義務なのでしょう。
城のものには那古野の凱旋など関係ないですからね。
将兵らを労うと、軍を解散し屋敷に戻ってきました。
きつかったと話していた、先の美濃の戦から戻ったときに比べても、お疲れのご様子です。
「吉、勝ってきたぞ」
「父上、勝ち戦、そして無事のご帰還、何よりでした」
「うむ。遠江はやはりちと遠かったわ。
では、後ほどな」
「はい」
父はそう言い残すと、家のものに具足を脱がしてもらいながら、屋敷の奥へ行きました。
「長旅、お疲れ様でした」
私は父の背中にそう声をかけたのでした。
『父との対話』
夕餉を終え自室に下がった頃、父が部屋を訪れました。
「さて、吉よ留守中如何であった。
息災であったか?」
「はい、皆恙無く過ごしておりましたよ。
そうですね…。
まずは、こちらが以前頼まれていた戦での怪我の対処法になります」
そういうと、ここ暫く空いてる時間にせっせと書いていた本を渡します。
モノがモノなので、寺に写本を頼んだ複製を渡しました。
快川和尚が良く書けていて勉強になるので、寺にも残したいと言って下さいましたが、父のお眼鏡にかないますかどうか。
「ほう。
『野戦衛生看護之手引』…、であるか」
そういうながら、ページをめくって中を読んでいきます。
「ふむふむ…、ほう…」
「…如何でしょうか…?」
「うむ。
よく書けておるな。
絵図面もあり分かりやすい。
足軽雑兵では難しいものもあるが、すぐに取り入れられる内容が多い。
特に、この血を止める方法などは経験的に知っておる部分もあるが、このようにわかりやすく書かれてあれば、より効果的に血を止められよう。
更には、寝かせ方と言うものまであるというのは、目からウロコが落ちるようだ」
「はい、絵図面にある止血帯というのを持たせれば、更に容易に止血できましょう。
人は血が流れ出ることで活力を失っていき、死に至りますから、早期に止血できればそれだけ復帰も早くなります」
「止血帯であるな。これは早速作らせてみよう。
しかし、簡単な傷の手当、寝かせ方の工夫は教えれば出来るようになるであろうが、戦になると駆り出される雑兵らはずっと居るわけではないから難しかろうな」
「でしょうね。
ですから、城に詰めてる足軽衆から才能や意欲あるものを集めて、まず教えねばならないでしょう
そして、その者らは戦の折には手当に専従させたほうがいいでしょうね。
傷の手当は早ければ早いほうが良いのです。
それに、その者らから更に才あるものは、医者に学ばせれば新たな金瘡医となりましょう」
「…そうであるな。
望月の者に金瘡に詳しい者がおるから、まずその者に読ませて足軽らに教えるとしよう」
「はい。それが良いと思います。
それと、こちらの方を」
そう言うと、とら姫から送られてきた越後上布の包を渡します。
「ん、九曜巴?
これは、越後上布ではないか。
この様なもの、如何した」
「越後の長尾家より贈り物に頂きました」
「越後の長尾家と言うと…、確か守護代家だな。
その長尾家がなぜ贈り物を?
これは反物であるが、高価なものだ」
「はい。
私が越後の姫君と文のやり取りをしているのですが、贈り物を送ったのです。
それの返礼がその贈り物なのです。
越後上布といえば天下の名品、私の贈り物には釣り合わない品です。
越後の姫君の兄上が今の守護代様ですから、我が家とよしみを結びたいのでしょう。
焼酎など、定期的に購入したいと書き添えもありました」
「なんと、そうであったか。
しかし、なぜ越後の姫君と文のやり取りを?」
「私が使ってる近江商人が越後まで行商に行くのですが、越後に大きな城の模型を作っている姫君が居ると聞きまして、どんな方なのか興味があったので文を届けて頂いたのです」
本当は、謙信公の性別が前世から気になってたからなのですが、この世界が平行世界で私がいた世界と違ってる事をすっかり忘れてました。
まあ、姫君だったのですが、文の感じからすると普通に姫君のようですが…。
「なるほどのう。
確かに、越後上布ほどの逸品を姫が勝手に送れるとも思えぬから、兄の守護代殿の心づくしなのであろうな。
わかった、確かに贈り物を頂いた。
こちらの返礼は儂の方から正式にしておく」
「はい。
他には、美濃で動きがありましたが、こちらの方はお聞きになりましたか?」
「うむ。
信光から報告を受けた。
此度は策が功を奏し、さながら十面埋伏の計の如く伏兵に叩かれ、長良川の河原に伏せていた吉左衛門の横槍で総崩れになったそうだな。
これも吉の献策があればこそ。
あの時に話してもらわねば今頃大垣は落ちておるか、三河から大急ぎで戻り更に美濃に攻めねばならなんだ。
感謝するぞ」
「お役に立てて何よりです」
「ふはは。相変わらず奥ゆかしいことを言いよる。
褒美をねだっても良いのだぞ?」
「私は十分に父上に日頃より良くして頂いてますから、褒美など頂いては。
それはそうと、三河での戦は如何でしたか」
「うむ。
三河の吉田城への救援は、今川が大軍で来るであろうと思われたのでな、吉の話をしていた井伊家に調略を掛け、軍を分けて今川の軍勢が吉田城を攻めておる間に別働隊で曳馬城を落とし、恐らく引き返すであろう今川勢を本隊で挟撃する策を取ったのだ。
その際に、吉から美濃の策として聞いた埋伏の計を取り入れ、今川軍の引き上げ経路に兵を伏せておいたのだが、うまくいったことはいったのだが、敵もさるもの、混乱はしたものの冷静に殿をおいて引いていき、別働隊との挟撃でやっと総崩れになったわ。
後は、天竜川まで追い払い、天竜川より西を平定して参った」
「そうでしたか。
井伊家の調略がうまくいってよかったですね。
それがなければ挟撃策は難しかったでしょう」
「そうであるな。
井伊殿が味方についてくれたお陰で勝てたようなものだ。
挟撃するには井伊谷を通る故、敵であれば無理であった。
その井伊家であるが、今後遠江で重要になる家故、縁を結ぶことにした」
「まあ、縁ですか。
それは良いお話ですね。
お相手はどなたと?」
「うむ。直盛殿の息女が年頃との事ゆえ、結婚がまだであった信広に嫁がせることにした」
直盛殿の息女というと、直虎さんですね。
遠江の有力国人ですし、信広兄上にもいい話ではないでしょうか。
「信広兄上に輿入れされるのですか。
父上の子では初めての結婚になりますね」
「そうなのじゃ。儂も斯様な年になったと言うことだな。
縁といえば、津島の大橋殿の嫡男にも儂の娘を嫁がせるという話が出ておる」
おや、私にも相手が決まりましたか?
そういえば、ご子息はまだ顔を見てませんでしたね。
「というと、私が輿入れするのですか?」
そう聞くと、何故か父上は一瞬渋い顔をします。
「いや、一族の者の娘を儂の養女として輿入れさせるつもりだ。
年齢的には吉の姉になるか」
そうですか…。
まあ、そうでしょうね。
「そ、そうでしたか…。
娘と仰ったので、少々驚きました」
「ふはは。
すまぬすまぬ。
吉には直接関わらぬ事ゆえ、うっかりしておったわ」
「大橋殿には良いお付き合いをして頂いているので、縁が出来ることは良き事ですね」
「うむ。
そうであろう、我が家は我が父の代より、銭の力でここ迄の力をつけられたのだ。
故に、商人らとの付き合いは疎かにしてはならぬのよ。
吉もその事がわかっておるから、新たな産物作りをしておるのであろう?」
「はい父上。
産物といえば、試しに栽培させていた綿花の収穫に成功しましたよ。
こちらが、今年収穫された綿花です」
綿花の一つを取り出すと父上に渡します。
「おお、まさに綿花であるな。
三河では寺社領などで栽培されておると聞くが、座の力が強く高価な代物よ。
どのくらい収穫したのだ」
「この度は、まだ試しですから、出荷できるほど多くはありません。
それに、そのまま綿花として売るより、付加価値をつけたほうが良いでしょう」
「ほう、付加価値とな。
何を作るのだ」
「完成したら尾張初の綿花で作った品として、父上に贈りますので楽しみにしておいて下さい」
「それは楽しみであるな。
ふむ、では今日は少々つかれた故、これで休むと致す」
「はい、ゆっくりお休み下さい」
そう言うと、父の背中を見送ったのです。
本当にお疲れ様でした。
織田家に衛生兵の誕生です。
信秀は戦後処理でこれから忙しいのですが、このまま何もなく年が暮れるほど甘くはない?