第六十三話 父の凱旋の筈が牛さんがやって来た
父信秀が凱旋してくると思いきや、牛さんがやってきました
『父の凱旋の筈が牛さんがやって来た』
天文十六年十一月中旬、三河より父が凱旋してきました。
那古野での戦勝の祝宴も今回はささやかに、軍を解くことを優先したようです。
そのくらい、連続の出陣、遠江まで遠路の出陣は堪えたようです。
しかし、先代以来、もはや完全に意識の外にあった、遠江を一部とは言え奪還したことは、武衛家には正に面目を躍如する慶事だったようで、守護様は戦勝の報告の際には終始上機嫌であったようです。
という話を、目の前の太田殿から聞きましたよ。
「それで、太田殿、ずいぶん早いお越しですね。
まだ父上は戻ってませんよ?」
それを聞いて太田殿はニンマリ微笑みます。
「それがし、吉殿の顔が見たくて飛んできたのですよ」
「はあ、それは私を口説いているのですか?
奥様居られますよね?」
太田殿はがっかりした顔をします。
「何故それがしが吉姫を口説かねばならぬのです。
それがし、こう見えて妻一筋な男ですよ」
「…そうですか。
それでは、その妻一筋な太田殿は何故私の顔を見たくて飛んできたのですか?」
「吉姫も察しが悪いですな。
それがしがここに来る用事は、多くはありませんよ」
そう言いながら見慣れた帳面を出します。
そうですね。この人は戦国時代のジャーナリストですから。
何か面白いネタがありましたっけ。
越後上布の話はしてませんしね。
「…うーん、なにかおもしろい話がありましたっけ…」
「はぐらかすのもこの辺りで。
吉姫はご存知なのでしょう?
それがし達が三河に行ってる間に起きた斎藤方の大垣攻めの詳細ですよ」
何故この人は私が知ってることを知ってるのでしょうね…。
「何故、私が知ってると?」
「それはもう、此度の美濃での勝利は吉姫の策だと噂になってますからな」
まあ話して拙いことは特に無いし、どうせまた守護様が聞きたがってるのでしょう。
私はため息をつくと、話してあげました。
「ほうほう、まるで三国志の十面埋伏の計の様な策ですな。
最後の吉左衛門殿が出て来るくだり、斎藤方の驚いた顔が目に浮かぶようです。
なにしろ吉左衛門殿というと、先の美濃の戦でも相当な活躍でしたからな」
帳面に話したことを書き記しながら、太田殿は感嘆の声を上げる。
そして余さず帳面に記すと、帳面を閉じしまい込む。
「はい。ありがとうございました。
これで守護様に美濃での戦の話をすることが出来ます」
例によって、太田殿が帰り支度を始めたので、一応聞いてみる。
「太田殿。
それで先程の話、吉田城の救援は遠江まで行って勝ち戦で、遠江を一部奪還したと聞きましたが、どこを獲ったのですか?」
「遠江を天竜川まで切り取りましたぞ」
なんと、吉田城を救援するどころか天竜川まで切り取るとは。
天竜川ということは曳馬城も落としたと…。
ということは、例の直虎さんのお家の調略に成功したのかな…?
詳細は父が話してくれるでしょう。多分。
「太田殿は今回はどんな活躍をなさったのです?」
太田殿はニヤリと微笑むと、ドヤ顔して語りだしました。
「それがしは今回も活躍しましたぞ。
何しろ、敵方の総大将を射落としましたからな」
「す、凄いじゃないですか…。
それって、かなりの手柄では?」
「ええ、守護様にお褒めの言葉を賜りましたぞ。
他にも兜首を幾つも射ましたな。
ただ、ひどい乱戦だった故、射た相手がどうなったかまでは判りませんが」
「そうなのですか、弓衆って首取れないですけど、どうやって手柄の判定するのですか?」
「弓衆は、矢に印がしてあるのですよ。
戦のあとに、軍奉行らが遺体を改めるのですが、その時に手柄の吟味もやるのです」
「そうなのですね。
そこまでは知りませんでした」
「ええ。
多分、後日遺体の吟味をした者達から知らせてもらえるでしょう。
此度は、先の美濃での戦の論功行賞もまだですから、時間がかかりそうですな。
おっと、長居をしてしまいました。
用は済みましたので、それがしはこれにて失礼」
そう言うと、太田さんはいつもの調子で風のように去っていったのでした。
太田さんが帰ると千代女さんが出て来ました。
「三河では勝ち戦だったみたいですね。
備後様の軍勢には甲賀衆からも参陣してますから、勝ち戦で良かったです」
「そうなのですね。
太田殿の話だと、父上はいつ帰ってくるかは判りませんねえ…。
でも、甲賀の皆さんは多分帰ってくると思いますよ」
「そうでしょうか。
皆無事で帰ってくると良いです」
「そうですね」
果たして、父上はいつ戻ってくるのでしょうか…。
論功行賞は大事ですからねえ…。
『コットンボールがやって来た』
太田殿が訪ねてきた翌日、領地からコットンボールが届けられました。
筵で作った袋いっぱいに詰められたコットンボールは、ふわふわとしてきちんと乾燥され、種も取られた物でした。
これがあれば布団が作れますね。
届けた者達の労を労うと、褒美に焼酎の瓶を持たせました。
その者によると、今年も石鹸作りの準備が着々と進んでていて、今年は去年よりずっと数が多いそうです。
また近々領地を訪れる旨を乙名に伝えてほしいと頼みました。
さて、これを持って津島に行きましょう。
綿花が届いた旨を手紙に書くと、屋敷の者に届けてもらいました。
相変わらずマイペースな牛さんです。
そして待望の綿花到着。布団に大きく近づきましたね。




