第六十二話 大垣攻め 穂積合戦
とら姫の贈り物、そして斎藤方の大垣城攻めの話です。
『とら姫からの贈り物』
昨日、とら姫からの手紙にあった悩みについて考えているところに、加藤さんがやって来たので、とら姫からの贈り物の事をすっかり忘れてしまっていたのです。
翌日に、見慣れない物があるのに気がついて、贈り物を貰ったことを思い出したのです…。
では、とら姫からの贈り物を見てみるとしましょう。
長尾家の印のある包を開けてみると…。
おおぅ、これはもしかして越後上布…。
これはまた高価な物を…。
送ってきたのは一反ですが、これを一つ作るのに一年がかりとか。
特に、この時代の物は間違いなく手間暇かかった上物。
京の都でのフォーマルな服に必需品の筈で、権力者などへのご進物の定番とも。
私如きには過ぎたる逸品ですね…。
何しろ絹の反物より高いのですから。
これは、越後の長尾家からの贈り物と言うことで、父上に渡しましょう。
良きに計らってくれるでしょう。
千代女さんを呼んで越後上布を見せてあげます。
私も前世で見たきりなので、今生では初めてですし、本当の意味で本物の越後上布を見るのは初めてかもしれません。
「これが越後上布ですか…」
「そうです。これが越後上布です」
「家が一軒建つという…」
「建つかもしれませんね…」
何しろこの時代の家はピンきりですし、平成の世から比べれば安いですから。
「これは、越後の友人の贈り物なのですが、私には勿体無いので父上に渡すことにします」
「え?折角ご友人に頂いたのに良いのですか?」
「世の中には分相応という言葉があるのです。
私如きちんちくりんの小娘には過ぎたる品なのです。
家を着て歩けますか?」
千代女さんが少し考えます。
「…、歩けませんね…」
「ええ、ですから父上に渡すことにします」
「吉姫って、取り敢えず備後様に渡してますよね…。
もしかして、面倒がないからですか?」
「…。
色んな意味でそうですね…。
千代女さんももう少し歳を取ればわかります」
「姫様…、私、姫様と同い年なのですが…」
そうでした…。最近自分の歳を忘れてしまうのです。
「も、勿論ですよ。
言葉のあやと言うやつですよ」
「…そうですか。
結構なものを見せていただいて有難うございます。
勉強になりました。
我が父も言ってました、本物を見なければ本物の良さはわからないと。
この先、越後上布を見る機会があるか判りませんが、これで本物の越後上布がわかったと思います」
そう言うと、また控えの間に戻っていったのでした。
ちなみに、千代女さんが最近何をしてるのかと言うと、針仕事をしてるのです。
勿論、私が頼んだ仕事ではないですよ。
なんでも、半介殿に褒めてもらったのが嬉しかったそうで、目覚めたみたいです。
多分、半介殿が帰ってきたら渡す物を作ってるのではないでしょうか?
『大垣攻め 穂積合戦』
天文十六年十一月上旬、美濃の戦を見てきた加藤さんが戻ってきました。
加藤さんにどうだったのか聞いたところ、戦は斎藤方が散々に打ち破られ、最後は長良川に伏せておいた伏兵に総崩れとなり、溺死者がかなり出るほどの潰走をしたそうです。
勝幡の城に詰めていたのは信光叔父なのですが、信光叔父から策の詳細が欲しいという書状を頂いたので、地図を添えて送ったのです。
美濃というと盆地で、平成の世ですと見渡す限りの田んぼという感じなのですが、この時代の美濃はと言うと、街道沿いに宿場町などはありますが、未開地も多く、村が点在する他は林と草原が広がっているのです。
つまりは、伏兵を伏せるのには結構うってつけなのです。
美濃は斎藤方のホームグランドですから、利便性など考えて進行経路を予測したところ、穂積の地を通るだろうと見立てました。
長良川を渡ると、軍を分け、一隊は、長良川にそって進むと、穂積の河原に達し、そこに最初の兵を伏せ、その後大垣方向に向かいながら、幾つもの伏兵を配置していきます。
もう一隊は、大垣城を攻めている斎藤方を背後から叩く。
ちなみに、勝幡から大垣までは大体五里ほどの距離です。
斎藤方が撤退をはじめたら、一先ず見送って、後に追撃を開始します。
斎藤方が安心して撤退しているところに伏兵が噛み付くわけです。
それも、何度も。
伏兵自体はそれほど多く居るわけでもないですから、食いついた後引き上げるのですが、伴走コースを通って、斎藤方を追跡します。
最初は踏みとどまれても、何度も伏兵を食らうとそのうち崩れだします。
逃げ出す兵も出てくるでしょう。
そして、最後長良川の伏兵で残った斎藤方に奇襲を掛け、それに当たろうとした斎藤方を全ての伏兵と、後ろから追跡した来た救援軍の全軍で包囲殲滅というのが策の詳細。
地図を見た上での机上の作ですから、全てがハマるとは限りませんが。
勝幡より出した援兵は三千、大垣に詰めていた兵は五百。
斎藤方は三千の兵で大垣を攻めたようです。
大垣城は平城で五百の守備兵しか居ませんでしたから、三千なら十分すぎる位の兵力です。
何の対策もしていなければ、長くはもたず陥落したでしょう。
父の軍勢が三河より戻ってくる前に落とすつもりで、力押しで落とすつもりで三千もの兵力を投入したのかもしれません。
兎も角、斎藤方は陣を整えると、早朝より城攻めをはじめました。
大垣城が懸命の籠城をしている最中に、早朝勝幡を出発した援軍が大垣に到着し、陣形を整えると一気呵成に攻撃を開始しました。
斎藤方は、急の奇襲に混乱に陥りますが、直ちに撤退を始めました。
恐らく、万が一の場合は撤退を命じられていたのでしょう。
勝幡の援兵は流石にここに至るまでで疲れているので、一先ず斎藤方を見送り、休憩した後追撃を開始します。
ここまでは必至に撤退してきましたが、追撃にも遭わず揖斐川を渡った辺りで、斎藤方は気を緩めました。
勿論、斎藤方の位置は甲賀衆によって逐一追跡中の本隊に知らされています。
気を緩めたところでの最初の伏兵に斎藤方は混乱に陥りますが、殿を残すと再び懸命の撤退を始めます。
伏兵は殿を適当にあしらうと逃げたふりをして引き上げました。
殿も逃げたいですから、本隊を再び追いかけます。
すると、次々に伏兵が。
弓だけだったり、草原を抜ける時に槍で突かれたり。もろにゲリラ戦です。
そのうち斎藤方は疲弊し、隊は伸び、そこに騎馬が蹂躙して更に大混乱。
そして、やって来たのが長良川。
この穂積の端にある河原は川が浅く、徒歩で渡れる場所がいくつもあるのです。
斎藤方はここを通って来てますから、勿論それを知ってます。
川さえ渡れば加納口、金華山まであと少しです、殿を残して渡っていこうとします。
そこへ出てくるのがこの締めとなる場所に伏せていた、吉左衛門殿と彼が鍛えに鍛えた精鋭衆です。
結局、ここで更に伏兵が来るとは思わなかった、斎藤方は総崩れ。前方は川で、気がつけば三方を包囲されていて、川に逃げるか戦うしかありません。
踏みとどまり戦う者も居ましたが、多くが川に逃げ出し、運良く渡れ逃げ切れた者も多く居ましたが、そのまま溺れた者も居ました。
何人か名のある武将が討たれたところで、信光叔父が降伏勧告をし、士気喪失状態の敵は降伏。それで戦は終わりです。
後は、父より命じられてる通り、その場の負傷者全員に傷の手当を施すと、雑兵はその場で解放。名のある武将は、勝幡に連れて行かれ、今は父の裁定を待ってるのだとか。
味方の損害は微々たるもので、将で討ち死にしたものは無し、大垣もそれなりの死傷者が出ましたが、攻めた斎藤方の人数を考えれば少ない方だとの事でした。
今回はなんとか策の通り進み、勝ったようです。
これで、斎藤利政殿から和議の使者が来ると良いのですが。
斎藤方はまたしても敗北です。
これで和議となりそうですが、その前にまた何かありそううな?