閑話十弐 織田信秀 遠江の後始末と信広の婚儀
信広の報告も聞き、遠江の後始末です。
天文十六年十月 織田信秀
今川勢との戦の後、吉田城へ入り将兵らを休息させて居ると、信広より書状が届いた。
広忠はやはり動き、山中城の北にて岡崎勢と合戦し、上和田城より兵を出しこれに挟撃させ勝利したと報告にあった。
山中城について聞くと、岡崎城より南東に一里にある舞木村近くの城山に築かれた山城であるらしい。
清康殿横死までは松平の城であったが、その後今川が入ったとの事。
岡崎城より南東に一里とは、随分東に入り込んだな。
戦があるならば度々岡崎より攻められている上和田城近辺であると思おておったが。
何か事情があったのであろう。
兎も角、勝ち戦であったなら問題はない。
書状を届けてくれた者を労うと下がらせた。
一息ついた所で、降伏したり、捕らえた者を引見することとした。
雑兵は既に解放させ、敵味方問わず、怪我人の収容と手当を命じてある。
故に、ここに居る敵方は、動けぬ者か、降伏した者、捕えた者だ。
先ず肩に矢傷を負った者が連れてこられる。
「飯尾殿。先の戸田攻めの時以来ですな」
「備後殿…。
まさか、別働隊に曳馬城を落とされるとは。
更には彼処に伏せられた伏兵。
我らを待ち構えていたのですな…」
「左様。
まさか美濃より戻って直ぐにまた出陣する羽目になるとは思わなんだが、報せを聞いて大急ぎで来た甲斐があったということですな」
「その美濃でもまた大勝されたと伝え聞く。
備後殿程の戦上手と最期に戦をして負けたならば、冥土の土産話には十分。
この上は、この首を取って手柄とされよ。
何れにせよ、更なる敗戦の上居城まで獲られ、儂はもう戻るところも無い故にな」
「ふむ…。
此度の戦も我らが勝ったが、曳馬城が攻められたとの報を受けてよりの撤退戦は見事であった。
もっと早く崩れるかと思っておったが、度重なる横槍にも大崩れせず、的確に殿を置き、結局半数は失ったが、半数を保ったまま、城まで戻った。
その手際は見事だった」
「ふはは。
敵に褒められるとはなんとも面映いが、悪い気はせぬ。
さあ、後がつかえているだろう。
早く首を刎ねられよ」
「飯尾殿、戻る場所が無いなら儂に仕えぬか。
その方の妻子も保護し、今も曳馬城に無事に居るぞ」
「なっ…」
乗連は儂の言葉に驚き言葉を詰まらせると、視線を落とす。
「妻子は無事でござるか…。忝ない」
そして暫く沈黙した後言葉を返した。
「この様な無様な敗軍の将でも良ければ、備後殿のお役に立ちましょう」
「そうか、仕えてくれるか。
その方が仕えてくれるなら、遠江の者も安心しよう。
では、妻子を後で連れてくる故、先ずは傷を癒やすが良い」
乗連が去り、次に矢楯に載せられた武士が連れられてくる。
既に手当はされておるが、傷は重そうである。
「これ、重傷のものは構わぬと申したであろう」
「儂が、儂が頼んだのだ…」
横たわる武士が声を上げる。
「なんと…。
その方、名はなんと」
「二俣城主、松井宗信。
手当など構わぬ故、早く首を刎ねよ。
儂は殿の勤めを果たし、郎党諸共討ち死にしたと思っておったのに。
なぜゆえか、目を覚ましこの様な所で横たえられて居るのだ。
これでは死んでいった者に申し訳がたたぬ」
地図で城の場所を確認する。天竜川の向こうであるな。
「我が弾正忠家ではな、戦が終わればもう命はとらぬと決めて居るのだ。
敵味方、構わず怪我を負った者は手当をしておる」
「何故そのようなことをするのだ。
生き残れば、また敵として現れるのだぞ?」
「それでも構わぬ。
我が娘に、味方は勿論、敵であれ戦の外では命は疎かにしてはならぬと教わったのだ。
敵方に仕えておっても、同じ日ノ本の民故な」
「…。
なんとも、この乱世でその様な話、初めて聞いた」
「そうであろう、儂も目からウロコが落ちる思いであったわ」
「それでは、儂はこの首を刎ねて貰えぬと言うことか」
「そういうことだ。
そなたら殿を買って出た者達は皆見事であった。
多くは討ち死にしたが、多くの兵を逃がした。
武士の鑑であるな」
「だが、戦には負けた。
儂はそのまま死んでおれば、勤めを果たした武士として死ねたのだ。
こうして生きながらえてしまったことで、殿は無駄であったことを知り、今は無様に虜囚となっておる」
そう言うと天を仰ぐ。
傷は重いはずだが、微塵も感じさせずこの気迫、見事よ。
「そう言うな。
生きておれば、やり直しも効く。
死んでおれば、それまでよ。
そなたほどの者、我が家臣としたいが、そうは行くまい。
動けるようになれば、帰られるが良い。
いずれまた戦場で相見えようぞ」
宗信は儂の顔をじっと見据えた後答えた。
「…忝ない…」
儂は控えておったものに連れて行くように言った。
その次に来たものも、動けはしたが傷だらけであった。
まだ二十すぎであろうか。若いな。
「名はなんと申す」
「堀江城城主、大沢基胤」
地図でまた場所を確認すると、曳馬城の北、浜名のうみの側の城であった。
「大沢殿、臣従すれば安堵致す。
如何か」
「拒否すれば?」
「天竜川より西は全て平らげるつもり故、戦となろうな」
「…臣従致します」
「話が早くて助かる」
「いずれ沙汰致す故、傷が癒えたら城に戻られよ」
「はっ」
大沢殿より後、連れてこられた敵方の武士は天竜川から西の者には、安堵を条件に臣従を求めたところ、皆臣従を受け入れた。
此度の戦に、参加していない者らの、調略にも力を貸してくれ、安堵が条件ならばと程なく平定をみた。
天竜川から東の者は、傷が癒えたら開放する事とした。
降ることを望むものは受け入れ、それ以外は去っていくだろう。
しかし、恩義を受けた事は心に残るはずである。
吉の言うとおり、心を攻める事は大事よ。
儂は遠江の新たに降った者に、遠江の事を聞いたのであるが、今川勢と戦った浜辺。
湖の南側は今切口と呼ばれており、あの時は丁度干潮の時間であったので砂浜であったが、満潮の時は海となり渡れぬそうな。
儂は砂浜が続く地だと思っておったわ…。
敵兵の処遇など、戦後処理を終えた頃、井伊直宗殿が直盛殿を伴い吉田城を訪れた。
「井伊殿、此度は井伊殿が味方してくれたお陰で遠江で勝ちを得、天竜川より此方の平定もなり申した。
改めて礼を言う」
「備後様、もう平定が済みましたか。
見事にござりますな」
「臣従を条件に安堵を約束すれば、国人衆の多くは味方してくれる故。
さて、今後についてであるが…。
曳馬城をお任せする以上、遠江の織田方の旗頭を井伊殿に頼みたい。
遠江の臣従した国人衆には、曳馬城に与力するよう申し伝える。
もし、再び今川が動いた際には、安祥から後詰を必ず出す故、安心くだされ」
「はっ、承知仕りました。
ところで備後様、宜しければ我らと縁を結んで下さりませぬか。
こうして臣従した以上、我らは再び今川に降ることは考えられませぬ。
甘い言葉にのれば、今度こそ断絶させられてしまいまする…」
「実は丁度、此方からもその話をしようと思っておった。
やはり、尾張と遠江では間に三河を挟み遠方故、縁でも無ければお互いに不安故な」
「おお、そうでござりましたか。
この直盛に年頃の娘がおります故、織田殿のご子息に、如何でござろう」
ふむ、直盛殿の娘か。
「それは良き話、年の頃は?」
「歳は、今年で十三にござりますぞ」
となると、信広か。信広はまだ相手を決めて居らなんだからな…。
水野の娘、竹千代の母も考えておったが、信広より年上故、若いほうが良かろう。
古くからの家柄の井伊家なら家柄も問題なく、丁度良いのではないか。
「されば、安祥を任せておる信広にはまだ妻が居らぬ故、如何でござろう」
「なんと、信広殿はまだ結婚されておりませなんだか。
まだ若いながら安祥の城主をしっかりともう何年も努めておられる。
世間では尾張の虎の後継者とも言われておりまする程。
当家としては願ったりのお相手にて。
よろしくお願い致します」
「ははは、まだ後継者とは。
しかし、有力な後継者の一人であるのは確実でござる」
本来ならば嫡流の勘十郎が後継者なのだが…。
最近は祥も愛想を尽かしたとぼやいておるのだ。
はぁ、吉が男であれば。
「なんとも頼もしい限り。
されば、婚姻の件、進めさせていただきます故、備後様もよろしくお願い申し上げます。」
「うむ、末永く宜しく頼みますぞ」
そうして、儂は吉田城にて新たに臣従してきた者らへの書状や指示を認め、遠江の国人らの仲裁や陳情の処理もし、全て済ませた後、酒井殿に後を託し南三河より西尾を経て安祥へと入った。
「父上、遠江での勝ち戦、おめでとう御座います」
「うむ。信広も大儀であったな。
やはり、今川は手強い故、注意して当たらねばならんな」
「はっ、此度の岡崎との戦は勝ち戦ではありまするが、慢心が無かったかと言えば嘘になりまする。
初心に戻り一層励む所存にて」
「その気持が大事であるな。儂も安心して安祥を任せられる。
ところで信広、その方の婚儀が決まったぞ」
「こ、婚儀にござりますか?」
「うむ。良き相手だぞ。
それとも、好きな相手でもおったか?」
「い、いえ、決してその様な。
ただ、この歳になるまで全く話が出ませんでした故、少々動転いたしました」
すまぬな、それは儂のせいかも知れぬ。
有力な後継者の一人であったが故、誰でも良いというわけにはいかなんだのだ。
「うむ。まあよい。
もし好きな相手が居るのなら、側室に迎えれば良い。
その方の相手は、遠江の国人、井伊殿の娘だ」
「遠江の井伊殿の娘ですか…。
遠江の井伊殿はこの度の遠江攻めにてお味方になった家でしたね」
「左様。
以前、先代の武衛様が遠江に戦に行かれた時に味方した国人でもある。
古き家柄で、家格も悪くない」
「井伊家と言えば、三河におれば武勇は伝え聞きます。
恐らく、先の戸田攻めの時にも居たと思いましたが」
「うむ。戸田攻めの時にも参陣して居られたらしいが、これからと言う時に儂の横槍が入り、崩れて撤退となった故何も出来ず引き上げたそうだ」
「なんと、不幸中の幸いなのか、なんとも言えませぬな」
「まぁ…。故に、準備が整い次第、日取りを決めて婚儀と成る故、信広も準備をしておけ。
弾正忠家の後継候補の一人なのだ、信広ならば間違いがないと思うが、恥をかかぬようにな。
頼んだぞ」
「はっ」
そして、儂は尾張へと引き上げていったのだ。
十月の頭に出陣したのだが、月も変わり十一月になっておった。
そう言えば、報は特に無かったが美濃はどうなったのだろうな。
信広の相手が決まりました。井伊の直虎さんです。
この世界では次郎法師も直虎もこの時点では必要性がないので存在しません。
普通の女性の名前で輿入れしてきます。