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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第三章 美濃騒乱(天文十六年1547)
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閑話十 織田信秀 吉田城合戦

織田信秀視点、吉田城での今川との合戦です。

史実ではおきなかった、今川との前哨戦になります。





天文十六年十月 織田信秀


先月の美濃での合戦で勝利を収めた儂は、月の終わり頃、那古野に凱旋した。

ところが、戦後処理もまだ終わらぬ内に、遠江で今川動くとの報。恐らく要衝の吉田城を奪還に来るのだろうと儂は見立てを立てた。

直ちに準備を始めると、月が変わって十月、月初に再び三河へ向けて出陣した。


吉の献策により、万が一斎藤方が動いた場合の手を打っての出陣であるから、これで勝っても負けても更なる出陣は無いであろう。

もし、吉の献策が無ければ、三河より戻って、更に出陣と言うことになっておったわ。そうなれば、将兵の疲弊は相当なものであったろう。

先の戦での供養すらまだ満足に出来ておらぬのだ…。


此度兵を出す吉田城は、遠江との国境に近い位置に渥美に勢力を持つ戸田氏を牽制するための城として今川方によって建てられた城らしいが、その後松平が攻め落とし、清康殿横死の混乱時に戸田氏が攻め落とし、去年再び今川が攻め落としたと聞く。


その際に戸田氏の一族の者が討ち死にしたらしいが、それが松平宗家の人質を攫って儂のもとへ連れてきた事の理由の一つやも知れぬな。

儂としては迷惑千万であるが…。


儂は先の今川の戸田攻めの際、救援要請を受け、戸田氏を救援し勝利した。

その際に、殆ど空城に近かった吉田城を攻め落としたのだ。

吉田城は安祥の信広に引き継ぎ、酒井忠尚殿が守将として入っていると聞いた。


吉田城は堅城故、それなりの兵が詰めておれば短期で落ちると言うことは無いであろうが、当然後詰せぬわけには行かぬ。

それがそもそもの策で、吉田城を餌に安祥の軍勢の釣り出しを図り、安祥勢を誘引している間に、岡崎より安祥城を攻めるということが考えられなくもない。


故に、此度は安祥には岡崎の抑えを命じ、吉田城の救援には儂自らが尾張の兵を率いて行くことになった。


三河へ入ると安祥を経由せず、海沿いの西尾、蒲形を経由し、豊川を渡ると吉田城へ到着した。


この先の遠江には、先の戸田攻めの主将であった飯野乗連殿が城主の曳馬城があり、恐らくそこで三河攻めの軍勢の到着を待っているのであろう。


此度の我が方の策は、先着の利を活かし、まず兵を二つに分け、一方を別働隊として山間部を通し、三ヶ日の村を迂回し井伊谷に出る

もう一方を、四方の山間部、林に兵を分けて伏せ、今川勢を吉田城へ無人の野を行くが如く誘い込む。

しかる後、今川方が吉田城を攻囲し攻めだした所で、井伊谷に向かわせた隊と我らに下る事を約束しておる、井伊衆で曳馬城を攻める。

それで落ちればそれでよし、落ちずとも、吉田城を攻めている今川勢が取って返した所を、伏せた兵で横槍して混乱に陥れる。

曳馬城に向かわした軍勢には、城を抑える兵を残して、今川勢を迎え撃たせる。

更には味方を約束しておる白須賀城より兵を出し、吉田城を攻囲しておる今川勢を背後から討たせ城側と挟撃。個別に、包囲殲滅というのが策だ。


我が方は、一万の兵であるが、既に三千の兵は織田秀敏、飯尾定宗らに任せ、井伊谷に向かわせておる。

そして、本陣を林に伏せると、他を十の隊に分け、それぞれ山や林に伏せさせ、簡単な砦を作らせ滞陣に備えさせた。




五日程度経った後、軍の集まった今川軍一万が曳馬城を出陣、吉田城へまっすぐ寄せてくる旨物見より報告があった。


既に、別働隊は井伊谷にて井伊直宗殿率いる井伊勢と合流し、今川勢に加わっている井伊直盛殿とも連絡がついて居る旨、報告を得ている。


此度も主将は飯尾乗連殿で、太原雪斎殿は来て居らぬらしい。



今川勢は、無人の野を行くがごとく進み、吉田城へ寄せると、千の城兵が篭もる吉田城へ降伏の使者を出す。

守将の酒井殿は示し合わせの通り、それを拒絶。


それを聞いて、今川勢は定石通り、見事な陣を敷いた後、攻城をはじめた。


城攻めそのものは見事なもので、十倍する兵力差を活かし、多方面より同時に攻め上がり、如何な堅牢な城であっても、全ての方面を同じように堅牢に守ることは出来ぬ。

長く攻められれば、これまでも何度となく落城してきた様に、いずれどこかに綻びが出来るであろう。


そして、勢を入れ替えながら、攻城が進むのを遠巻きに見ておったが、今川本陣へ急使の馬が駆け込む。

恐らく、別働隊が曳馬城へ攻めたのだろう。


曳馬城は報告によれば五百程度の兵しか残っておらぬらしい。


主将の飯尾殿は諸将を集めると、予想通り抑えの兵を二千程残し、残る兵を纏めると慌ただしく曳馬城の方へ引き上げていった。


そして、兵を伏せてあるところを通り過ぎると、やや間を置いて陣太鼓を鳴らし合図をすると、横槍の兵が森から矢を雨のように降らせ、敵が混乱した所で横槍を入れた。

敵勢は、思わぬ横槍に忽ち混乱し、将らの怒号が聞こえだす。

兎も角、前に進むしか無く、殿を残して、更に軍を進めると、また矢の雨が降り、横槍が入る。

進発した時は整っていた軍勢も、雑兵が大混乱に陥り、馬上の将らが兵らを落ち着かせようと右往左往して居るのが見えた。

そこへ、誰かは解らぬが馬上の将が射掛けられたのか、幾人も落馬していくのが見え、馬廻りが将らの周りを囲み、兎に角、殿をまた残し、曳馬を目指す。

すると、今度は別の方向から、また矢が降り注ぎ、そして横槍が入り、混迷を深めた雑兵らが逃げ惑い出す。


それでも、流石今川と言うべきか、総崩れとはならず、冷静に殿を残し、兎も角兵を進めていく。


結局、今川は十に届こうかという横槍を入れられ、殿が横槍の兵の追撃を押しとどめ、兵の半数以上を失いつつも、曳馬城が遠くに見える舞阪まで戻ったのだ。


吉田城へ残った抑えの兵らは、我が本陣に残した二千余と、白須賀城より繰り出した五百の兵に背後より攻められ、大混乱に陥った所で、吉田城より繰り出した数百の兵に包囲挟撃され多くを討ち取られ、撤退も叶わず降伏した。


残った今川勢を下すと、直ちに儂は白須賀勢と、吉田勢の一部を纏めると、横槍の兵と尚も戦い踏みとどまっている殿に曳馬城の落城を叫びながら攻め立てた。

結局、撤退することも侭ならぬ殿の将兵は多くが討ち死にし、残りは降伏させたのだ。


曳馬城は内通者を既に仕込んでおったから、簡単に落城した。


曳馬城へ抑えの将兵を残すと、直ちに出陣し、遠くに見えてきた今川勢と激突。

既に、度重なる横槍で疲弊しきった今川勢の旗色は悪く、殿を片付けて追撃してきた軍勢と、舞阪近辺にて挟撃され、ついに崩れだした。

儂は虎の子の騎馬に突撃を命じ蹂躙させると今川は総崩れとなり潰走した。

そのまま我らは追撃し、天竜川で敵を追い詰めた所で、儂は軍を停止させた。


今川方に使者を出したのだ。

これ以上は追撃せぬ故、ゆるゆると戻られよと。


背水となった死に物狂いの兵を攻めて、窮鼠猫を噛むで下手に討ち死になど出しては無駄故な。


今川勢が川向こうへ這々の体で去るのを見届けた後、曳馬城へ一先ず入ると、この城は約定どおり井伊家の物とし、改めて井伊家は武衛様へ臣従を誓った。


此度の戦はまた勝ちに終わったが、今川は侮りがたしと言うことが良くわかったわ。

儂は、崩れるのがもっと早いと見ておったが、なんのなんの、結局総崩れに成ること無く、多くが城まで戻ってきた。

殿は、最後まで役目を果たし、実に立派な武士達であった。


彼らの見込み違いは、我らが彼らの想像以上の兵力で来ていたことと、別働隊が曳馬城を最初から落としに行っていたことであろう。

まさか、調略が遠江まで進んでおるとは思いもしなかったのではないか。


しかし、今後は今川も本腰を入れてくる、次は太原雪斎殿が出て来る可能性が高い。



そして、我々は吉田城へ戻り、城を守り通した酒井殿や将兵らを労った。


戦後処理は岡崎との戦がどうなったか、信広の報告を待つことになろうな。





またしても織田方の勝利となりましたが、今川の強さというのが明らかになってきました。

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