第五十八話 古渡産業革命
吉姫は古渡に産業革命をもたらす気のようです。
『父上の出陣』
天文十六年十月、父上は再度軍勢を纏めると慌ただしく三河へ出兵していきました。
正に信長公記にある「去て備後殿は国中憑み勢をなされ、一ケ月は美濃国へ御働き、又翌月は三川の国へ御出勢」なのです。
そして本来であれば更に、三河から戻ると大垣救援。
史実では美濃で大敗し、清洲織田に裏切られて古渡を攻められてと踏んだり蹴ったりなのですが、今生では違います。
そう、信長公記はまあ信長居ないので多分書かれないと思うのですが、もし書かれたとしたら、こう書かれるでしょう。
『天文十六年九月三日、織田備後守殿は武衛様の名のもとに尾張の兵を募ると、美濃へ朝倉殿の手伝い戦に出陣しました。
斎藤山城守殿の居城である稲葉山城下の村の近くに布陣すると、備後様先手衆が城へ攻め掛かりました。
そこに、予てより不仲を噂されていた、織田大和守が軍勢が我慢ならじと勝手に軍を引き出しました。
それを見た山城守、これを好機と三つの間道より兵を繰り出しました。
大和守の軍勢はそれを見て算を乱して逃げ出し、木曽川へ追い詰められ背水の陣にてこれを支えました。
備後殿の軍勢も山城守の軍勢を支え、押し出し、三方より囲み、そこへ伏せていた岩倉勢が横槍を入れ、斎藤勢は総崩れ。
斎藤山城守の舎弟をはじめ、多くの武士が討ち取られ、多くの美濃兵が討ち死にしました』
更には。
『尾張の国から美濃の大垣の城へ、織田播磨守が入っていた。
去る九月二十二日、斎藤山城守は大合戦に大敗したが、「尾張の奴らは大勝して気が緩んでいるのか、更に三河に大勢の兵を連れて出陣して今尾張は空城同然。このすきに大垣城を取り囲み、取り返してしまおう。まさか備後守も我らが攻めて出るとは思わぬだろう」と言って、十一月上旬、大垣城の間近まで攻め寄せた』
なんて…。
その後がどうなるのかは、まだ判りませんが、来月にはわかるでしょう。
なにより、もし本当に山城守が大垣に攻め寄せたとしても、既に手は打ってあり、父上が無理して戻ってきて、更なる出陣をする必要はありません。
しかし史実では、そんな無理を重ねた上に、再度の負け戦で心身ともに疲れ果て、父上は過労で倒れてしまうのです。
今生では、そんな事態にはこの私が絶対にさせないのです。
しかし、父上には暗殺説もあるのですよね…。
こればっかりは史実には居なかった望月党ら甲賀衆の影守に期待するしかありません。
特に、末森城が出来て後、どうするのかはまだ決めてませんが、もし私が父上から独立という話になれば、今ほど頻繁に顔を合わせることも難しいでしょうから…。
『古渡の産業革命』
父上らが出陣した後、入れ替わるように、清兵衛さん一家が戻ってきました。
お伊勢参りや温泉での湯治でリフレッシュしたのか、若夫婦に可愛い娘さんという感じで、こざっぱりした感じで戻ってきました。
そうなんです、清兵衛さんはまだ三十過ぎ、奥さんも二十後半という感じで、平成の感覚だとまだ若夫婦です。
「姫さん、戻ってきやしたぜ。
骨休めに船旅でお伊勢参りを下さるなんて、随分粋なことして下さる。
お陰で、この通り若返った気分でさ。
さて、オレが居ない間に、仕事を作っておくと言われてましたが、何を作りやしょう」
「戻ってきたら、これを作ってもらおうかと、図面をひいておきました。
旅に出る前に数を作った、板金鎧の技術があればそう難しい物ではないと思います」
そう言うと、蒸気釜の図面を渡します。
この蒸気釜は、一番初歩的なもので、単に水を入れ火で熱し、発生した水蒸気を釜で加圧して弁から吹き出すという、そういう代物です。
形的には、お椀的なものを二つ作り、注水口と、蒸気吹き出し口を付けてボルト留めしただけの代物です。
ああ、ちなみに改良したら圧力釜や蒸し器としても使えるでしょう。
これが完成したら、旋盤作ってピストン作れば極めて初歩的なピストン式蒸気機関が出来上がります。
図面をジーっと見ていた清兵衛さんが溜息をつく。
「また姫さんは、変わったものを作れと言われる。
確かに、旅に出る前に沢山作った板金鎧の時に培った技術を使えばそう苦労せずに出来やす。
ネジにしても、以前作ったねじ切りがあれば直ぐです。
問題は、この弁ですかねえ…。
構造はわかるし、何をしたいのかもわかる。
しかし、これを削り出しで作るのは、また苦労しそうでさ。
この部分は高い精度が無いと、弁の役には立たんでしょう?」
「そうですね。
そこで蒸気圧を調整するので、それなりの精度がなければ、蒸気が漏れてしまうでしょう。
それで、幾つか違う方式の物の図面も用意してあるので、実現が楽なものを作ってください。
それぞれが、それぞれに利点と欠点がありますが、先ずは実現することが大事です。
上手く完成したら、この日ノ本で最初に蒸気機関を作った人物として名が残るかもしれませんね」
「そ、そうですかい。
オレみたいな鍛冶屋が名を残すなんてねえ。
苦労するとはいいやしたが、作ることは楽しいんでさ。
生まれてこの方見たこともないような物をこの手で作ると言うのは、職人としてはたまらんものが有りますぜ。
では、この図面のものを作ります。
釜は恐らく十日程度、しかしこの弁は正直作ってみないとわかりやせん」
「そうでしょうね。
でも、完成して動いてるのをみたら、きっと感動すると思いますよ。
では、完成を楽しみにしていますね」
「へい、また知らせに上がりやす」
そう言うと清兵衛さんは長屋に戻っていったのです。
蒸気が勢い良く噴き出すのを見るのが楽しみですね。
清兵衛さんが帰ると、千代女さんが来ました。
「姫様、また新しいものを作られるのですか?」
「ええ、唐国には昔からあるんですが、この日ノ本にはまだ無いので、作ってみようかと思ったのです」
「どんなものを作られるのです?」
「そうですねえ。
火を焚べると水が湯気に変わるでしょう。
その湯気を使って、物を動かすからくり。とでもいいましょうか」
「湯気で動くからくりですか…。
想像がつきませんが、動かすときは私も必ず呼んでくださいね。
最近、面白そうなことに私を呼んでもらえないので寂しく思ってます」
「あらあら。
千代女さん、侍女の仕事が忙しそうだったから、声かけたら悪いと思って」
「姫様!
私は姫様の侍女なのですから、余計な気遣いは無用に願います。
では、きっとですよ」
そう言うと、プリプリ怒りながら千代女さんは行ってしまいました。
そんなに見たいなら、前みたいにずっと一緒に居ればいいのに、最近は別室で控えてることが多いのですね。
さて、蒸気機関、楽しみだなあ。
流石に鉄道は大量の鉄が要るから無理だろうけど、蒸気船なら作れる?
後は、スチームハンマーとか、動力源としてもかなり有力ですね。
問題は、燃料の確保なのですが…。
石炭はなかなか難しそうだから、先ずは竹炭を作る予定なのですが。
製材所を作れば大鋸屑の確保が出来るから、オガ炭を作ることも出来るなあ。
この時代だと、大鋸屑は殆ど有効活用されてないから勿体無いのです。
そう言えば、そろそろコットンボールが届くはずだから、布団作りの準備もしないと。
一度、津島にでも行ってみようかな?
熱田の街も活気はあるのだけど、堺までも船を出してる貿易港としてはやはり津島ですからね。
父上が帰ってくるまでに、お布団完成させないと。
蒸気釜を発注しました。
この後は旋盤作りかな?
布団も作って信秀にプレゼントの予定なのです。