閑話九 柴田権六
柴田権六殿の美濃での話です。
天文十六年九月 柴田権六
天文十六年の秋の頃、予てより噂に聞いていた美濃攻めの陣触れがあった。
俺は郎党を引き連れて参陣したのだが…。
この度の戦は前回の美濃攻めとは比較にならぬほど激しかった。
結果として、恐らく吉姫様の献策であろう策は成功し、斎藤方は散々に討ち果たされ、我らはまた大勝した。
だが、事前に取り決めてあったとは言え、陣を乱した状態で、敵を受け止め逸し、回り込み包囲するなどと、馬鹿げた策だとしか思えなかったわ。
俺は郎党は勿論、皆を奮い立たせるため、声を枯らせて叫び続け、我を忘れるが如く戦い続けた。
備後様の命で此度は首を獲ることを禁じられていたが、あの乱戦と激しい動きのさなか首などとっておっては自分の首が危うかったろう。
そうなるだろう、難しい策故に備後様は予めそう命じたのだと、今ならわかる。
この日の為に鍛えに鍛えた矛、半助は風斬りなどと名を付けておったが、この矛のお陰で俺は幾人もの兜首を倒した。
突き倒す、引き倒す、兜ごと叩き割る。槍の使い手もおったが、俺とて槍には自信がある故に筋が読める。上手く交わして鎧を引っ掛けて引き倒す。
引き倒されたら容易には起き上がれぬ故、郎党が串刺しにする。
そうやって幾人もの使い手を討ち取った。
雑兵まで入れれば俺と郎党だけで何人討ち取ったのか数え切れぬ程よ。
更には、吉姫様に頂いた、兜と胴鎧。
この戦に備えて足りぬ部分を追加して形として、戦に出たが、同じく頂いた半介以外にも、備後様や馬廻衆まで同じ鎧を着ていたのは、少々面食らった。
俺と半介だけが着て備後様が着ていない、などと言うことは、ちょっと考えれば有りえぬ話ではあるのだが。
この鎧は素晴らしい、この鎧がなければ、俺はこの度の乱戦で深手を負っておったかもしれぬ。
槍も刀も通さぬこの鎧があったればこそ、あの矛を存分に振り回しての大立ち回りが出来たのだ。
この鎧のお陰で、俺は無傷で無事に帰ることが出来た。
しかし、この日の戦の後で俺についたあだ名が「掛かれ柴田」だ。
俺は意識していなかったが、そんなに掛かれ掛かれと叫んでいたのであろうか?
兎も角、此度の戦で俺は備後様に働きを認められ、足軽大将に任じられた。
半介ももう一隊で目覚ましい働きを見せたらしく、同じく足軽大将に任じられた。
此度の報告に吉姫様の元に行くのが楽しみよ。
戦のシーンが上手く書けなかったので結局事後報告の話になりました。