第五十三話 学校の始まり
天文十六年八月、吉姫は三河からの珍客の教育を頼まれたのでした。
先ずは聞き取りです。
『学校始めるよー』
父との対話から二日後、竹千代くん達に会いに熱田の加藤氏の屋敷に行きます。
既に今日行くことは知らせてありますので、屋敷に尋ねていくとみな揃っていました。
皆、特に体調を崩したりもせず、元気そうに見えます。
今回は、竹千代くんを始め皆の習い事の程度などを調べるのが第一です。
その上で、どのように教えるのか決めようかと思ったのです。
一人ひとり別室に呼んで、どの程度の習い事を経験してるのか聞いて行きます。
年長の天野又五郎君は、史実では天野康景という名だったはず。
公平無私な性格で、民生家として優秀。武勇が際立つ訳ではないけど、三河時代の家康を支え、危機的状況を迎えた一向一揆の時も改宗してまで忠誠を尽くした譜代の家臣と。
そんな感じの人ですが、今見ると真面目そうな感じの子ですかね。
一番最後は領内での揉め事で配下をかばって本多正純と口論して逐電。
この人は能吏に育てればきっと役立つでしょう。
「又五郎くん、君は十歳なのだけど、習い事はどの位進んでるのかな?」
「七つより手習いを始め、四書五経を学び簡単な読み書きなら出来ます」
「計算とかはどうかな?」
「簡単なものなら出来ます」
「ある子供に飴玉を六つあげました。今手元には四つ残っています。元々は幾つ有ったでしょうか」
「十…、でしょうか?」
「はい、その通り。
では、五十貫目の価値のある村から税を集めます。税率は五公五民です。集まるはずの税は幾らでしょうか」
「二十五貫です」
「合ってます。又五郎くんは算術が得意みたいだね」
そう言い、にっこり微笑んで見せる。
「決してそのようなことは…」
と、恥ずかしがる。
「又五郎くんは他の子達より年齢が上で、一緒に習い事をしても退屈だと思うの。
だから、快川和尚の寺に入れてあげましょうか。
寺に行けばもっといろんなことを学ぶことができるわ。
あの寺には尾張だけではなく、西三河や北伊勢など色々な所から色んな子供たちが学びに来ているの。
勿論、あなたは客人の扱いだけど、人質でもあるから何処かに行かれては困るのだけど。
でも、他の子達を置いて一人何処かへ行くことは絶対しない。
又五郎くんはそういう男の子。
私はそう思うのだけど、どうだろう?」
又五郎くんは毅然とした態度で断言する。
「私は、私一人だけ助かろうなどと考えたりはしません」
「だから、そんな良い心根の又五郎くんに勉強の機会をあげようかと、話をしているのだけど。どうかな?
返事は今でなくても構いません」
「勉強は好きですが、直ぐには答えられません」
「ならば、また今度来た時に聞きます。
勿論、断ったからと言って、何か変わることはありません。
その場合は、他の子達と同じく、竹千代くん向けの勉強を一緒にやるだけです。
優秀な又五郎くんには随分退屈なことだとは思うのだけど」
又五郎くんは悩んでいるようです。
この時代、勉強というのは武家であってもしたくとも簡単にできるものではないですからね。
「では、話はこれで終わりです。次の子に来るように言ってね。
誰でも構いません」
そうやって、他の子達とも面談をしたのですが…。
予想通りというか、皆習い事を始める前で、一から教えなければならない様です。
とはいえ、私がこの時代の習い事の師をできるかと言うと、ちょっと微妙です。
かと言って、多忙な和尚に来てもらうわけにも行きません。
習い事の師の妙は、恐らく教科書作りだと思うのです。
この時代、師となる人は、皆、自分でテキストを用意します。
勿論、素読に漢書を使ったりする場合もありますが、それすら注釈を入れた先生オリジナルの教科書である場合もあるのです。
そういう意味では、私の師である快川和尚の教科書もまた優れたものだったと思います。
私が教えられるとしたら、それは私が前世で学んだ平成の一年生教育でしょうか。
試しにそれがどの程度役に立つのか教えてみるのもいいかもしれません。
どちらにせよ、教えるのは国語と算数ですから。
ちなみに、私が手習いで学んだのはもっぱら文系範囲で、算術などは習わなかったので、この時代の算術がどの程度のレベルなのかはわかりません。
城持ちなどにもなればそういうのが得意な人とも話す機会が出るのでしょうが、今の私の立場では自分で見つけ出して訪ねていくでもなければ、あまりにも付き合いの範囲が狭すぎるのです。
そんなわけで、教科書をまず作りましょう。
そして、戦国時代での平成小学校の始まり…ですね。
ちなみに、竹千代くんは会うのが二回目でしたが随分と懐いてくれました。
母上に早く会いたいそうです。
何れにせよ、於大の方が来たとしても年末か来年じゃないのかなあ。
ここ暫く戦が続きそうですしね。
主には竹千代くんの遊び相手ですから、一人を除き皆年が近いのです。
一人は退屈だろうから寺行きの切符を提示してあげました。