第五話 三河へ出陣でござる
父信秀は三河安祥へ出陣していきます。元服したての信広兄も一緒に行きます。
そして、吉は書庫に入り浸りの日々なのでござる。
『信広兄上』
更に年を経て、天文十年。吉は七歳になりました。
新しいお屋敷での暮らしにも慣れ、習い事の日々を送りながら、最近は書庫に出入りして読めそうな本を物色したりもしてる。
春が過ぎ、夏の声を聞こうかという頃に、城内が普段より活気づき始めた。
今年は史実では父上が三河安祥出陣がある年だから、その戦支度なのだろう。
そんなある日、父が呼んでいると女中が連れに来る。
言われるがままに、女中についていくと、戦装束の凛々しい父上が、同じく戦装束の若武者と二人で居た。
普段の父上もイケメンでカッコイイが、戦装束の父は更に男振りが増すというか。
思わず見とれそうになるところを、なんとか抑える。
隣に立つ若武者は歳は15歳位だろうか?どことなく父上に容貌が似ているような気も。
父は私が来たのを見ると、吉よ、儂は戦に行かねばならぬ故暫く戻らぬ。と話す。
私はやっぱりかと思うと、父に駆け寄ってガシッと抱きつくと、上目遣いで、父上御武運を。と言葉を掛けた。
すると、父は頭をなでて、息災でいるのだぞ。と声をかけてくれる。
隣りにいる若武者は先程から私の事を物珍しげに見ているのがちょっと気になるので、視線を向けると目があった。
思わず見つめ合ってしまう。
父は私が若武者をじーっと見つめている様子をみて笑うと、彼の肩をポンポンと叩いて、兄の三郎五郎信広だと紹介してくれた。
すると紹介された兄が、ニコッと微笑むと、吉姫、お初にお目にかかる。
みたいな他人行儀な挨拶をする。
信広は知勇兼備の優れた人物で、これから向かう安祥で活躍する人だ。
次にいつ会えるかわからないので、ここで親しくならないでいつなるの。今でしょ!
とばかりに、今度は兄上にガシッと抱きついて。上目遣いで、兄上も御武運を。と声をかけた。
兄は急なことに驚いていたが、優しげに微笑むと、父と同じように頭を撫で、うん。と、頷いた。
父上が、そろそろ行くか、と、兄に声を掛け、兄は私にまた会おう。と、言葉を残すと、父の後を追った。
その後、城の人達と戦に出ていく人たちを城門のところで見送った。
勇ましい顔、緊張した顔、平常心な顔、色んな表情で戦に赴く人たちの顔を初めて生で見た。
平和に慣れきった、平成の世では戦争に行く人など見たことはなかったが、勝ち戦は分かっていても、この中に帰ってこない人が居ることを想像すると、少ししんみりしたのだった。
『父の書庫』
父の書庫には祖父の遺産である書物が加わり、結構な分量の本が所蔵されている。
新しい屋敷の部屋割りを決める際に、以前は手狭になっていた書庫が大きく取られ、中で本を読むことも出来るようになっている。
この書庫に、用事が無ければ入り浸っているのだが、歴女で無くともここは宝の山でござる。
祖父や父が全て読んだのかは判らないが、有名な中国の古典、論語や孫子などは勿論のこと、農書、漢方薬、草花などの図鑑など、幅広い本が漢書、和書と色々揃っている。
恐らくここには後世に伝わってない本もあるんじゃないかなあと、パラパラめくりながら思うのだ。
しかし、平成の世を生きた私から見れば、なんともファンタジーな話が沢山あったり、民間伝承的なものがさも真実のように真面目に書かれていたりするのは笑ってしまった。
源氏物語や枕草子なんかもあるし、このあたりは前世で読んだことがあるので、興味はやはり漢書に行くのだけど、なんと灰吹法らしき物が載った漢書があったのだ。
いつからあるのか知らないけど、尾張に鉱山って聞かないなあ。
ここを出典に現代技術を活かせば良いかと思ってたら、意外に役立つ本もあったりと、結構、収穫なのでござる。
問題は、いつまでここを利用できるか…。だけど。
まさか花嫁道具に持ち出すことは難しいだろうなあ。
今回は少々短いですが、切りが良いのでここまでです。