第五十話 竹千代君がやって来た
松平の竹千代くんが史実通りやって来ました。
『竹千代君がやって来た』
夏も盛りに達し、八月も初旬という頃、父に呼ばれました。
「吉よ、三河の松平広忠の嫡が東三河の国人衆の人質らと共に送られて参った」
私は、そろそろかなとは思っていたのですが、史実とは随分状況が変わっており、ついこの前も岡崎勢が攻め寄せて来たのを信広兄が撃退したという話しを聞いたところです。
その攻勢には今川勢も後詰に来ていたとの話です。
結局、今川勢は大して戦に関わることもなく、まるで岡崎勢の大敗を見届けに来たように、敗退する岡崎勢を横目に国境に引き上げたのだとか…。
恐らく、史実の通りであれば、またもや大敗した松平宗家は東三河での影響力を更に落とし、仕方なく広忠殿は本格的に今川に助力を申し込んだところ、義元公が助力をしてほしければ人質を出せという話しだったのでしょうが、史実とは随分変わってきているので別の可能性を聞いてみます。
「広忠殿ら東三河が降って参ったと、そういう事ですか?」
そういうと父は苦笑いにも似た笑みを浮かべる。
「ふはは。そうであれば儂としてはこれ以上三河を損ねなくて済むので良かったのだが、そうではない。
実に面倒な話を持ち込まれたと言っても過言ではないな」
「そうでしたか…。
面倒な話とはどのような?」
「うむ。それよ。
実は松平の嫡ら人質らは本来今川に送られるはずの人質だったのだ。
それを、三河で勢力を広げている安祥を見て時勢を読んだのかは解らぬが、質の移送を依頼された戸田康光殿が、熱田に送って参ったのだ。
確かにこれら質が今川に送られれば、実質的に松平宗家は勿論、東三河は今川に降るということになる。
それを由としなかったとも考えられるが…。他にも理由があったのやも知れぬ。
何れにせよ、面子を潰された今川は戸田氏へ出兵しよう」
父は明らかに当惑の様子です。
「仰る通り、今川は戸田氏へ制裁に動くでしょうね。
そして、戸田氏は我らに救援を求めてくるでしょう」
「うむ。そうであろう。
これは東三河の国人に対する織田家の姿勢を示すことにもなる。
故に、信広には既に戦の準備をさせ、今川が動けば直ちに後詰を出す様言ってある」
「それが良いでしょう。
我が家にとっては又とない、好機となりましょう」
父は大きく頷く。
「それでだ、吉に相談したいのは、これら人質たちの扱いよ。
どうすべきか、意見を聞かせてくれ」
彼らを返せば、どちらにせよまた別の手段にて今川に人質として再度送られるだけ。
史実では三河に出兵した父が小豆坂で今川松平勢に大敗して引き上げた後、安祥で信広兄が籠城したが、兵力差は如何ともし難く、善戦するものの生け捕られ、竹千代君らと交換。
結果、父は三河での足場を失い、尾張での名声を落とし、結果、岩倉や清洲と上手く行かなくなり失意のまま再浮上を果たせず亡くなった様に思います。
三河での大敗は恐らく、今生においては起こらないでしょう。
兵力、人材、地元の支持、どれをとっても史実とは明らかに異なりますから。
何れにせよ、竹千代君らは人質として尾張に留めおくのが吉でしょう。
いずれ返すこともあるかもしれませんが、東三河の国人衆の取り込みを考えても、寧ろまだ年少の彼らを教育し、我が織田家に反目してると損しかしないと言うことを教えたほうが、より建設的でしょうね。
「人質らは今の時点で返すという選択肢はありえません。
かと言って押し込んで冷遇ということも得策ではありません。いずれ東三河の国人衆も取り込まねばなりませぬ。将来の家臣に禍根を残す愚は避けねばならぬでしょう。
また、広忠殿の嫡にしても、今でも既に人望を失っている広忠殿の事を考えれば、新たな神輿と考える者も居るでしょう。
言い換えれば、広忠殿の嫡という玉をこちらで握っており、上手く後見という立場に収まれば、松平一族や東三河の国人衆ごと我らに臣従させる事も出来るかもしれません。
広忠殿の嫡は弾正忠家にてしっかりと教育を施し、我が弾正忠家の次代の将足り得る存在に育てるのが良いでしょう。
広忠殿の前妻、確か水野家の娘でしたか、彼の者を父上の側か一族の誰かに娶らせ、広忠殿の嫡を養育させれば、きっと嫡は父上に恩を感じるでしょう。
如何でしょうか」
父は満足げに笑みを浮かべ頷く。
「うむ。
松平一族と東三河の国人衆取り込みの玉に使うか。それは良き策だ。
離縁された広忠の嫡の母を儂の側か、一族の誰かに娶らせるのも良き策であろう。
そうすることで、広忠に何かあった時、血筋はこの嫡だけになる故、我らが粗略に扱わねば、後見役となることも出来よう。
早速、一族で相談し水野殿に話を持っていってみよう。
戦が近い故、急がねばならぬな。
広忠は儂はいずれ下ってくると見てるのだが、それならそれで良いのだ。
そのまま嫡は人質として預かり、我らで養育すればいい。
そして、儂の娘と娶せば、嫡が当主になる頃には、松平は織田一族になろう」
「それはいい話ですね。
かつての三河の英雄、清康殿の孫ならば、私の妹達の相手として相応しいでしょう」
父は我が意を得たりという感じで膝を叩く。
「そうであろう。
それでだ、広忠の嫡と東三河の国人衆の人質らだが、暫くは吉に任す故、差配してみせよ。
吉は寺で講義もしておろう、どう教育し養育するのか、考えてみてくれ。
どうするのかまた儂に話してくれれば、必要があれば儂の方でも手配をしよう
今、人質らは熱田の加藤氏の所に預けてある故、儂からも知らせを出しておく」
「はい、父上。
では、早速明日にでも熱田の加藤氏を訪ねてみます」
「うむ。頼んだぞ」
そういうと、忙しそうに父は行ってしまいました。
唯でさえ、戦の準備で忙しいのにこの事件ですから父が過労死しないか心配ですよ。
そう言えば、お市が今年生まれるはずですが、もう産まれているのかな?
一度見に行きたいのですが、那古野に行くのは憚られるのです。
末森城に移ったら、見に行きましょう。
私の身の振りもそろそろ考えなければなりませんね。
父と一緒に末森城に移り住み、そしてほとんど面識のない今生の母との時間を輿入れまでの間に取り戻し、長女として幼い妹や弟たちと過ごす。
これは人としてあるべき姿な気もします。
このまま輿入れまでの期間とはいえ、古渡の城を貰って、これまで以上にやりたいことを本格的にやる。これもまた魅力があります。
恐らく、輿入れ後は相手次第ですが、今以上に自由があるとは思えません。
寧ろ、余計なことはさせて貰えない気も…。
兎も角、明日、竹千代くん達に会いに行きましょう。
先ずは父との対話会でした。
竹千代くんの登場は次回。