第四話 やあやあ、熱血教師がやってきた。
待望の御坊がやってきたでござる。でも、ちょっと思ってたのと違うー。
『熱血教師到来』
年が明けて、春の訪れを聞く頃、前年から手を入れていた凌雲寺の改修が終わり、人を迎え入れられるようになったので、美濃から快川紹喜一行を招き入れたと聞かされた。
そして、それから二つほど週を経た頃、手習い初めということで快川和尚が屋敷にやってきた。
三十半ばの筈だが、若々しくその風貌はいかにも高い知性が感じられ弁舌爽やか。
そういう印象のお坊さんであった。
しかし、想像と違っていた点が一つ…。
この人ガチの体育会系ですよ。そんなの聞いてないでござるよ…。
手習いの前に、まず手習いを受ける心構えから熱く語る。それも爽やかに。
しかも頭がいいから聞くものを魅了する魅了する。
同席の女中さん達の表情をみたら、すっかり引き込まれてしまっていて。
うわぁ…。って感じです。
勿論、言うことは一々理にかなっていて、いかに学ぶことが大事かと言うことが、改めてよくわかりましたでござるよ。
そして、やっと手習いの勉強が始まるのかと思ったら、次は姿勢、座り方、本の読み方、筆の持ち方、全てに指導が入ります。
それも熱血指導で。
そして、初日は、心構えと、姿勢。その二つで終わったのです。
この御坊到来以前の、まったりした屋敷の雰囲気など消し飛ぶほどに、御坊が帰られてからも暫くはピリピリした雰囲気でしたよ。
どうしてこうなった!
『習い事の日々』
快川和尚の手習いに並行して、まずは礼法を本格的に習い出す。
それまでにも、多少の躾は有ったようだが、その頃の記憶は漠然としか無く、基本的にはお約束事の様なものなので、そんなに難しくはない。
しかし、それまでは割りとなあなあで済まされていた様なことも、きっちりやるべきところはきっちりと、食事の食べ方から、扉の開け閉めまで、色々と年長の女中さんがついて回り、その都度指導が入る。
ずっとではないだろうが、正直息が詰まるのでござる。
とはいえ、この時代は寝る時間が早い。
起きるのも早いが、寝る時間が早いと、どうも一日が早く終わる気がするのが不思議だった。
平成に生きていた頃には、毎日日付が変わるまで起きてたから余計にそう感じるのか。
『そして手習い』
快川和尚の手習いは週に一度。
二度目の手習いからは、だいたい想像していた内容ではあった。
まずは平仮名の読み書き。書き写し、声に出して読む。
そして、平仮名を覚えたらその次は漢字なのだがここはただひたすら書写を続ける。
和尚が持参した書物を、今は意味がわからなくてもいいからとただひたすら書き写す。
勿論、意味が知りたければその都度聞けば教えてもらえる。
和尚が横で書き写すのを見ていて、気がつくことがあればすぐに指導がはいる。
手の角度、力の入れ方、筆の運び方、墨の付け方、全てにだ。
熱血指導の和尚は教育の妙を心得ているのか、時に厳しく、時に優しく、褒めるべき時に褒め、心が折れそうな時は大いに励まし、それを成し遂げた時の自分を想像させる。
すると、不思議と上手いようにのせられ、苦しくとも後味爽快な手習いになっているのだから大したものだ。
そのせいなのかどうかは知らないが、何故か一緒に習うことを希望する女中が幾人も出てきて、仕事に差し支えなければの条件で一緒に手習いを習い始めたのだ。
快川和尚と二人で手習いのはずが、解せぬ…。
閑話休題、和尚が来ない日は大体半刻位、居ない間分のノルマを渡されそれをひたすら一人で書写する。
その結果、前世では精々なんとか読める程度だったこの時代の文章が、一年、二年と続けるうちに随分と読み書きできるようになったのでござる。
その過程で知ったのは、この時代の文章のなんといい加減なこと。
誤字は当たり前、当て字が平気でまかり通り、それを見ても誰も何も言わない。
おおらかというかなんというか。
まあ、文部省的な物がないんだから当たり前といえば当たり前なのだが、そこに思い至るのに同じくらいの時間がかかったでござるよ。
女中たちに聞いた話では、快川和尚の元には弾正忠家の家臣の子供が多く集まり、大変好評とのことだ。
まあ、あの快川紹喜なのだから、当然といえば当然。
この事が、歴史にどう影響を与えるのかは、今のところはまだわからない…。
『古渡城』
父が普請を進めていた古渡城が完成し、父と私は古渡城へ引っ越すことになった。
那古野城へは嫡男勘十郎とその家臣達、そして母上土田御前が、勝幡城には信光叔父がそれぞれ入るらしい。
そして、やってきました古渡城。
西南に川が流れ、四方をお掘りに囲まれた平城で、その中にある大きなお屋敷が、新しいお家です。
出来たばかりで、木の香りが漂い、綺麗ですね。
こんな新築の城を見られるのも戦国時代ならではでしょう。
さて、史実では吉法師こと信長はこの古渡城で元服するのですが、私もここで裳着をする事になるのかどうかは不明です。
何分嫡男ではないので。
古渡城までやってきました。
次の年、親父殿は三河安祥へ出陣ですね。吉姫がやらかすにはまだ少々時期尚早でしょうか?