第四十二話 権威たる生き方・後編
前回の後編になります。
結局長くなったので、繋げずにこのままでいきます。
『権威たる生き方とは』
権威たる生き方ですか…。
また、この人はこんな小娘にド直球な事を聞きますね…。
一般論をお話すべきか、それともケースバイケースでお話すべきか。
悩ましいところですが。
「それでは、私如き若輩の戯言としてお聞き下さい」
武衛様が頷かれる。
「権威たる生き方を一言で言えば、『君臨すれど統治せず』に御座います。
日ノ本で言えば、今の帝がそのお立場にあられます。
昔は帝が親政なされていた時代も有りましたが、今はこの日ノ本の最高権威であらせられますが、この日ノ本を統治なさってるわけではありません。
しかるに、帝と言えば公卿から武家、下々に至るまでもこの日ノ本の最高権威として奉るでょう。
隣の中華は王朝が何度も変わりますし、その都度皇帝もかわりますが、日ノ本の帝は政変が起きようと、常に帝は帝であられる。
帝を廃し奉り、取って代わろうと思う者など殆どおりますまい。
これこそが、正に日ノ本の帝としての権威たる生き方。
しからば、何故帝が権威たりえたかというと、諸族が割拠していたこの国を最初に平らげ、日ノ本の国を建国したからです」
「うむ、そうであるな。
天武天皇の世では親政がされておったが、以降は必ずしも親政がなされたかと言えば、そうではなく、後醍醐天皇の御代が最後であったか」
「はい。その通りです。
では、足利将軍家が何故権威たりえたかといえば、武家の世を開いたからです。
そして、義満公の頃までに今の武家の棟梁としての体制が整えられ、『天下無為』の状態が最も良いとされたのです。
武家の棟梁たる将軍家は守護や国人同士の紛争の調停を図り、帝が代々望まれる『天下の静謐を守ること』がそのお役目です。
しかるに、義教公が性急な改革を行うあまり、大勢を粛清するなどしたため悪御所として弑逆され、将軍の権威は衰え、守護大名が大きな発言力を持つに至りました。
ですが、その改革で今の将軍家と守護大名による日ノ本の統治体制は出来上がりました。
守護を任じるのはその将軍家ですから、守護大名はその正統性を守るため、権威としての将軍家を補佐し、応仁の乱まではそれが保たれていました。
しかるに、応仁の乱以降の将軍家の権威失墜はそのまま守護大名の失墜に繋がり、今の下克上が罷り通る、戦国乱世の世を迎えたのです。
将軍家の権威が衰えるきっかけになった一つに、奉公衆という将軍直属の軍が義材公の代に管領の細川政元様の明応の政変で、解体されてしまったのも大きいでしょう。
これにより、将軍家は自ら守ることすら出来なくなってしまいました。
守護様も、先代様の代に今川で大敗されて力を失われてしまった。
今や、守護代を任じた守護様という権威だけの存在になってしまわれている。
そういうわけでしょうか?」
守護様は苦笑されると頷かれた。
「うむ。斯様なわけ故、どうあるべきかとその方に問うているわけだ。
その方が最初に述べた『君臨すれど統治せず』という言葉をもう少し教えてくれ」
「されば。
『君臨すれど統治せず』というのは、必ずしも成立するわけではありません。
君臨するには権威を権威だと思い、奉じる者がなければなりません。
今の公方様が衰退したとは言えど武家の棟梁足りえるのは、公方様を奉じる武家がまだ多くあるからに他なりません。
しかし、都落ちを何度も繰り返し、新たな権威になりえる強大な力を持つ大名が上洛し秩序を切り開けば、その限りでは有りませぬ。
それでも、かつて武家の世を開いたという功績は消えませぬから、潔く身を引き、後は高家として残る道を選んだならば、その後も粗略には扱われませぬから、その血と名前は五百年後にもかつて武家の世を開いたあの足利家の末だと残っているかも知れません」
「五百年後か…」
そう呟くと、暫し守護様は遠い目をし、頷く。
「左様、そういうこともあるやも知れぬな」
「話は戻りますが、守護様は今我が父、我が弾正忠家が奉じて居ります。
故に、今既に守護様は我が弾正忠家には君臨しておられる。
守護様が統治なされずとも、我が弾正忠の家の統べる地は守護様が君臨なされているのです」
守護様が目を見開かれ、驚かれる。
「おお、そうか。そうなのか…」
「はい。
岩倉織田家が、守護様を奉じておられるなら、同じことがいえます。
また、今の信友殿の清洲織田家も父の影響で守護様を奉じているならば、守護様は既にこの尾張の国に君臨されておられます」
守護様は微笑まれ、何度も頷かれる。
「うんうん、そうか。そうなのだな」
「しかしながら、守護様が今後もこの尾張の国に真に君臨されるには、今のようにご不安を感じられ、外出も憚られる状況はよくありません。
守護様が君臨され、守護代が統治する。今の戦乱の世なれば、戦は守護代に任せて、守護様はただ君臨なされる。
つまり、守護と守護代は一心同体で無くては、この戦国乱世生き残れないでしょう。
また、守護様がお一人なように、守護様を奉じる守護代も一人の方が良いでしょう。
隣国が攻めてきた時、複数の守護代のうち、一つの家が様子見で、一つの家が寝返り、残る一つの家だけがこの尾張の国と守護様を護るために戦うでは、勝てる戦も勝てますまい。
故に、真にこの尾張の国に君臨し、守護大名斯波武衛家として、後の世にも名を残したいのであれば、守護様は守護代家を一つに纏めることが肝要でしょう。
元々は守護様が任じたのですから、守護代家を一つにしても問題ありません。
そして、名実ともに今のこの国で一番勢いと力があり、一番守護様を奉じているのは、我が弾正忠家に他なりませんよ」
話を黙って聞かれていた守護様が笑い出す。
「ははは。流石、信秀の娘よな。その方は三郎では無かったが、三郎以上のやり手やも知れぬ。残念ながら姫だがな」
「恐縮に御座います」
「うむ。そちの考えはわかった。一理あるやも知れぬ。
しかし、まだ権威たる生き方については十分に語っては居らぬな」
「はい。
権威たる生き方とは、正に『君臨すれど統治せず』に御座います。
所領内のまつりごと、戦、国人達とのやり取りなど、統治の全ては守護代の仕事にござります。
下々の仕事は下のものにさせておけばよいのです。
ならば守護様は何もせず居るだけで良いのか、唯の神輿、悪い言い方をすれば傀儡であれば良いのかと言うと、そういう訳ではありません。
それでは、守護様を奉じている事になりませぬ。いずれ、こじれて下克上、或いは誅殺という話になるでしょう。
そうではなくて、仕事と責任範囲をきっちりと切り分けるのです。
例えば、守護様の大きな仕事としては、他国に兵を出す際には、守護様の許しが要ります。今でもそうだと思いますが。
他国の守護や守護代を攻める場合は守護様の名のもとに出兵されるのです。
或いは守護代など下々が纏め上げた各種法度は、守護様の名前で出されます。勿論、守護様は内容を確認し、承認の印を出さねばなりませぬ。
基本的には、下々が考え纏め上げたものですから、突き返さぬのが作法ですが、どうしてもこれだけは認められぬと言うものがあれば、守護様の責任で突き返すのも仕事です。
また、他国の守護様と交わす約定は、当然守護様の名前で交わします。
更には、守護様で無ければ権威が釣り合わぬ相手との折衝は、守護様に出向いて貰わねばならぬ場合もあります。
勿論、大抵の場合は下々が事前の折衝を交渉先の下々と行います。
もし、万が一、我らが軍を率いて上洛し、帝を安ずるなどということがあれば、守護様は京の守護様の屋敷にほぼ在京して頂くことになるでしょう。
それらも、守護様と守護代が同じ方向を向き、一つの目標の元に動いて居なければならないのです。
それは、傀儡では出来ぬ仕事でしょう。
権威はその権威を最大限に活かし、臣下たる下々を輔け、権威として君臨する。
例え、将来守護を返上することがあったとしても、天下に対して功績があれば、その権威は決して無くなることがなく、高家として五百年後にも名を残すのです。
たとえ、かつての下々が何処かで躓いて分裂霧散の結末を迎えたとしてもです。
これが私は権威たる生き方だと思います」
静かに聞いていた守護様が大きく頷く。
「うむ。
実に具体的な部分もあったが、それが権威たる生き方か。
五百年後まで高家として名を残す。
確かに、それは全ての家の一つの目標やもしれぬな。
なれば、儂もまだ三十半ば。
権威として生きてみるとしよう。
いい話を聞かせてくれた。
信秀にもよろしく言っておいてくれ。
下がって良いぞ」
来た時とは違い、瞳に力が感じられます。
「はい。
小娘の戯言に長い時間のお耳汚し、恐悦至極にございました」
平伏する。
すると守護様が大いに笑われる。
「ははは。
又助の言うとおり、妙に奥ゆかしい女子よな。
戯言に耳汚しでは、時間を取って話を聞いた余が滑稽であろう。
もっと、自信を持つが良い。
ではな」
と、言い残すと、武衛様は部屋を後にしたのです。
ふう、どっと疲れが出てきました。
しかし、武衛様、平成の世では、某ゲームなど特に、ひどい扱いですが、中々の名君なのではないでしょうか…。
武衛様のいう三郎という意味は未だ不明ですが、一先ず武衛様は納得したようです。
これで信秀が勝ち続ければ、歴史が更に大きく変わるかもしれません。