第四十一話 権威たる生き方とは・前篇
父の命で清須に出かけました。
『権威たる生き方とは・前篇』
何故か私は清洲城に来ています。
父も勿論知っていて、と言うか父に言われてここに来たのですが…。
清洲城というと、五条川の畔にある尾張守護の斯波氏の城、或いは尾張守護代清洲織田氏の、そして信長の黎明期の本拠地という由緒あるお城です。
厳密には、守護様の守護館が始まりで、およそ二百年くらい前に出来ました。
その後、川を挟んだ隣接した場所に守護代の城が出来、城下町が広がっていき、信長の時代の清洲城と城下町というのが出来たのです。
史実では守護代と信長との争いの時に城下町は焼き払われ、清洲城も損傷したので、信長が居城とした時に、大改修をし、守護屋敷のあった場所付近に水掘を持った所謂清洲城、本丸と、本格的な城下町というのが作られたという訳ですね。
こちらが知られてる清洲城です。
さて、今日の清洲城はと言うと、水掘に囲まれた守護様の館があり、川向うに守護代の清洲城があると、そういうわけですね。
現在は、清洲織田家の信友様が居城とされています。ちなみに、父が昔若かりし頃、先代の達勝様が居られた頃、清洲に詰めていたこともあるのだとか。
今は清洲織田家とも関係は悪くありませんので、私がお供を連れてここに居ても特に何もありません。
何故私が今日ここに来たかというと、眼の前の人が私を呼んだからです。
私は今清洲の守護館の居間に居るのです。
ちなみに、守護館の中は綺麗な日本庭園など有り、格式ある建物です。
眼の前に居るのは、ええ太田殿ではありませんよ。
守護の斯波義統様です。所謂、武衛様ですね。
ちなみに、父より若いのでまだ数えで三五歳の筈です。
武衛様はと言うと、一言で言うと貴人です。勿論、武家ですから威厳ある風貌をされているのですが、こう気品を感じるのですね。
それが、この部屋や調度品、武衛様の装束などが渾然一体となって醸し出されるのか、それとも、ご本人がそうなのかはわかりません。
さて、武衛様と対面した所に戻ります。
「その方が吉か」
「はい、信秀が娘の吉に御座います。ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。
この度は守護様がお呼びと父に言われ、罷り越しました」
「ほう、又助の申すとおりの女子よな。
齢十四にはどう見ても見えぬわ」
というと、扇子で口元を隠して笑う。
「恐縮にございます」
「はは、そんなに恐縮せずとも良い。
しかし、本当に三郎じゃないんじゃな」
というと、思案顔で顎に手をやる。
意味がわからず、そう言えば父の名前は三郎だったと思い出す。
「三郎は父にございますが…」
すると、また笑われる。
「はは、わかっておるわ。
一応念のために聞くが、そちは天文三年の生まれで、母は土田氏の娘で間違いは無いか?」
母の祥は所謂土田御前だから、土田氏の娘ですね…。
しかし、守護様は何がお聞きになりたいのでしょう…。
「はい、我が生母は父の正室、土田氏の出で、生年は天文三年に御座います」
「そうか…。
やはり、三郎は本当に居らぬのだな…」
私は守護様の真意が今ひとつ掴めません。
もう一人の三郎は、信長とかいう、この世界には居ない人ですが…?
「嫡男は弟の勘十郎にて、父三郎の名を継ぐ者はまだ我が家には居りませぬ」
すると、守護様はまた笑われる。
「はは、詰まらぬことを聞いたな。
戯れよ。許せ」
ご冗談でしたか…。
「お戯れを」
と言うと、口元を手で隠して微笑んでみせました。
「詫びに、握り飯を食わしてやろう」
と、唐突に何やらご馳走してくれるそうです。
守護様が、パンパンと手を叩くと、数名の女中さんが膳やおひつを捧げ持って入ってきました。流石守護様の屋敷です。高級旅館みたいで格式が違いますね。
そして、女中さんが手際よく握り飯を握ると、守護様と私の前に二つ置き、下がっていきました。
「さあ、遠慮なく食え」
というや、守護様ががぶり。
私もがぶりと食べてみました。
おおう、この握り飯はハイグレードです。
ご飯はまだ焚いてからそんなに時間が経っておらず、米粒が揃い、炊き加減、塩加減が絶妙、実にレベルの高い握り飯です。
こんな美味しい握り飯を食べたのは前世も併せて初めてではないでしょうか。
守護様は私が美味しそうにおにぎりを食べているのを見て満足気に顔を綻ばせます。
「この米は、この清洲で採れた米でな、熟練の料理人が米粒を選び、そして磨き、手間暇を掛けて焚いたものよ。
この屋敷では一番の贅沢といえば、この御飯であろうな」
なるほど、まるで高級料亭のご飯のようですね…。
「何事も、拘ればそこに技がある。
まあ、儂の拘りのようなものよ」
二つとも握り飯を平らげた、守護様が満足げな顔をして語った。
「馳走になりました。
私、これほど美味しい握り飯を食べたの初めてです」
満面の笑みで、お礼を言う。
ここまで出向いた価値があるというものですね。
しかし、まさか先程の戯れと握り飯の馳走だけに呼んだわけでは無いですよね?
と、少々不安になっていると、守護様が膳を下げさせ、今日の用件を話しだした。
「その方、快川和尚の寺で講義をしておるそうだな。
又助が実際に講義を聞いてきて、書き記したのを儂に見せてくれるのだ。
本当は、儂自ら出向いて直接聞きたいとも思ったのだが、中々に立場が邪魔をして難しくてな。
特に、守護代が代替わりしてからは、館から出かけるにも目が気になる有様よ」
というと、自嘲気味に笑う。
「はい、快川和尚の寺で講義をさせていただいてます。
ご家臣の太田様は寺によく来られますね」
「うむ。
その方、何処で学んだのかは知らぬが、凡そ今の日ノ本では知られていない知識を惜しげもなく講義で披露しておるそうだな。
聞けば、漢書を読めるので漢書に書かれているのだと、又助から聞いたが、漢書なればそのような事も載っておるのかも知れぬな。
確かに、鉄砲も二百年ほど前の中国に南蛮人が持ち込んだものによく似たものがあったとも聞く」
そう話すと、また顎に手をやり思案顔。
私は内心冷や汗モノです。まさか守護様にそこまで伝わってるとは…。
守護様は私の顔色を察したのか、手を顎から放すと話題を変える。
「まあ、それは良い。
今日呼んだのは、知恵者だと噂されるその方に、聞いてみたいことがあってな。
なんでも、その方はまつりごとなど色んな話を講義でしているそうではないか。
ならば、その方の意見を聞いてみたい。そう思って呼んだのよ」
「はい、どのような事でしょうか」
「うむ。
その方なら、今の守護と守護代の関係は知っておろう、或いは公方様。
つまり、我が斯波守護家も、公方様も権威はあるが力がない。
無論、最初から力がなかったわけではないが、武衛家にしても、美濃の土岐にしても、権威はあるが力がない。
聞きたいのは、権威たる生き方についてだ。
武衛家にしても、今は弾正忠家が儂を立ててくれておるから、尊重もしてもらえるが、弾正忠家が無ければ遠からず今の守護代に儂は害されるか追放されて、下克上されるやも知れぬ。
今でこそ弾正忠家に勢いがあり抜きん出た力を持っておるから、信友ら大和守家はおとなしくしておるが、大勝した大戦で負けておったら、兵を出したかも知れぬ。
そんな有様で、儂は館から自由に出ることも叶わぬ。そういうことだ。
だが、力無くとも守護であることには変わりはないのも又事実。
そんな、儂や武衛家が今後どうあるべきか、それを聞きたいのだ。
もはや、武衛家がかつてのように力を持つことは儂は無いと思っておる故な」
後編へ続く
さて、やってきました武衛館。
お米が大好きな武衛様は、不思議なことを話しますね。
長くなったので、今回は話を切りました。