第三十八話 信広と安祥の城
信広兄と叔父達が安祥三河について語り合います。
『信広兄』
先程の私と父上の年賀の話しが終わり、宴の場が落ち着いた所で、信広兄が静かに立ち上がると、信光叔父の前に行き、話をしだす。
顔だけなら昨日合わせていると思うのだけど、こうやって親類同士で挨拶を交わし、話をするなんて機会は無かったかも。
それに、ここは身内だけなので邪魔が入る事もなく、ゆっくり話ができるのでしょう。
「信光叔父上、信康叔父上、永らくまともな挨拶も出来ず、申し訳ござらん。
三河も先の戦の後は大きな戦もなく、やっと領内も落ち着いてきました故、こうして、年賀にまかり越せるようになり申した。
何れまた岡崎が動き出すでしょうが、その時はまたご助力をお願い申す」
そう言上すると、両叔父に向かって平伏する。
すると、信光叔父が慌てて頭をあげるように言う。
「信広、ここは身内だけの宴席、堅苦しいことは無しだぞ。
心配せずとも、兄者を始め、弾正忠家を陰に日向に支えるのが我らの仕事。
三河にて何かあれば、我らも助力を惜しまぬ故、安心いたせ」
というと、にこやかに笑う。
すると信康叔父も声をかける。
「左様、信広よ、三河侵出は我が家の長くの目標であった。
天文十年の安祥攻めにてそれを成し遂げ、その後五年以上、幾度となくあった岡崎の反撃を尽く退け、しっかりと安祥を保ってる。
その方の功績も立派に誇れるものだぞ」
それを聞き、信広兄は何かを言いたそうだったが、言葉が纏まらなかったのか。お言葉、有難く。と、また平伏した。
それを見て信光叔父は笑い出す。
「ははは、それよ信広。
その堅苦しさは、ぬしの美徳でもあるが、肩の力を抜く所は、力を抜かねば、その内心が参ってしまうぞ」
と言うと、酒坏を差し出し、信広兄がそれを受け取ると、そこに諸白を注ぐ。
信広兄は、それを一気に煽る。
「おう、それよ。その飲みっぷりやよし。
ところで、信広よ。その後安祥は、三河はどうなのだ。
兄者からある程度話は聞いておるが、やはり本人を前に直接聞くのが良かろう」
信広兄はそれを受け、話し出す。
「安祥は、それがしが入った頃、既に戦乱のせいか領内は疲弊してござった。
城は損傷したままで、修築もままならぬ、そんな有様ゆえ、一度の攻めで落とせたのやも知れませぬ。
それがしが安祥に入ってより、三河の者に対しては、武より、心を攻める事を心がけ、それが良かったのか、三河の民の慰撫が上手くいき、西三河の多くの国人、豪族を安祥の傘下とすることが出来申した。
なにより、先程の父の話しにもござったが、山本、服部の両名を早い時期に家臣に出来たのが、某にとって幸運でござった。
山本殿は築城や陣地構築に詳しく、安祥の修築など大いに助かり申した。
また、戦においても知恵者として有能で、某が存分に戦えたのも山本殿の力が大きゅうござる。
更に、服部殿、この方は三河の事情に詳しいばかりではなく、忍び働きや調略に長け、岡崎方の動きを常に把握出来たのは、この御仁のお陰にて。
また、西三河の松平の庶家や豪族らを一つ一つ調略していったのも、この御仁と手のものに御座る。
その後、度重なる岡崎の反撃を退けるたび、我らの傘下に下る者らが増えていき、今や三河は矢作川より西は全て安祥の勢力下に収まり申した」
それを聞き、信康叔父が何度も頷く。
「大体は兄者から聞いたとおりの状況のようだな。
信広、矢作川より東、岡崎についてはどうするつものなのだ。
兄者より切り取り次第の許しは得ておろう」
信広兄は頷く。
「岡崎に関しては、自壊するのを待っておりまする。
消極的に聞こえるやも知れませぬが、これも策にて。
広忠は全くの暗愚とは思いませぬが、あの者はあまり領民の事を考えませぬ。
その為、度重なる戦で、矢作川より東の三河の民はすっかり疲弊しておりまする。
その証拠に、耐えかねて流民と化した三河東の民がこちらの方に何かあるたびに流れてきておりまする。
今や、松平一族のかなりの割合が、我が安祥の傘下に下っているというのも大きいやも知れませぬ。
特に、一昨年の安祥での大戦は大勢の岡崎方を討ち取り、その影響は大でござった。
広忠に対する家臣らの不満がかなり溜まってきておりまする。
これを跳ね返すには、結局広忠は戦で勝つしか法は無く、何れ遠からず、また攻め寄せてまいりましょう。
それをまた打ち払えば、もはや広忠は終わりに違い有りますまい。
広忠の子はまだ小さく、後を継ぐには幼すぎまする。
更には、昔幼君を担いた頃と違い、今や支えるはずの松平の支流の多くは我が安祥の傘下。
もはや、松平宗家を見捨てるものも多いでしょう。
故に、我ら安祥は、万全の体勢を敷き、手ぐすねを引いて待っておるのです。
我らは民や国人らの慰撫に心を砕き、寺社との仲も良好にござる。
大いに国力を伸長させた結果、もはや三河東は敵にござらん。
しかし、恐らく広忠を討ち果たし、岡崎を穫れば、今川が出てくるでしょう。
それだけが懸念故、この度こちらに罷り越した機会に、父上と相談致しまする」
と安祥の情勢を締めくくった。
「信広、確かに今川が一番の懸念よな。
恐らく、本気で兵を起こせば二万は出せるだろう。
勿論、それ全てを出してくることは出来ぬが、それでも脅威であるのは間違いない。
武田、北条の動き次第であろうが、今川とは何れ雌雄を決せねばなるまい。
その為にも、美濃を片付けなければなるまい」
それを聞いて信広兄は頷く。
「山本殿の見立てもそうでござった。
ともかく、それがしは安祥にてやれる限りのことをやるのみでござる」
「うむ。その意気よ」
「我らも助力は惜しまぬ」
そう言い合うと、三人で頷きあい、酒坏を交わした。
話が終わったところで、父が〆に掛かる。
「では、そろそろ切りが良いのでここまでと致す。
みな、本年もよろしく頼むぞ」
そう言い残すと、いい感じに酒の回った父は奥に下がっていった。
私も、叔父達や兄に挨拶をすると奥へ下がろうとするが、兄に呼び止められる。
「吉よ、話がある故、後で部屋へ伺う」
「はい。兄上」
そう言葉をかわすと、一先ず別れた。
なにやら話があるようです。
私も、色々聞きたいことかあったような?
三河に関しては着々と。しかし、その後ろには今川も着々と。
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