第三十六話 年が明けて候
年が明けて天文十六年です。
『天文十六年正月』
私にとっては平和だった天文十五年は終わり、年が明け天文十六年となりました。
この年は大きな戦が秋にある筈です。
裳着を終え、始めて迎える新年の正月は例年通り古渡の屋敷でお祝いをします。
父は、那古野で家臣や有力者などを迎える大きなお祝いを行うため、元旦は早い時間から出かけており、朝に新年の挨拶を交わしただけです。
その為、古渡では元旦はささやかに祝いをして、二日目に父が戻ってきてから、改めて新年の祝となります。
古渡の屋敷では、私に対して新年の挨拶に来客が来るようになりました。
まず、津島の大橋殿の所の手代さん、つまり大橋殿の代理です。
「吉姫様、昨年は色々な商材で稼がせて頂きまして有難うございます。
こちらの方が、主より預かってきた新年の祝の品となります。
主より本年もよろしくと言い遣っております。」
と、言上を受けまして、祝いの品に塩鮭を頂きました。
この時代では貴重なもののはずです。
次に訪れたのは、領地の乙名でした。
「姫様、旧年は多大なるご厚情を我が村に施して頂き、有難うございます。
今年は村の者も皆息災に良き新年を迎えることが出来ました。
これも偏に姫様のお陰と、村のもの皆感謝をいたしております。
ささやかですが、こちらの方をお祝いの品としてお持ちしましたので、お収めください。
それでは、本年もよろしくお願い申します。
また日柄も良くなった頃に、村においでください」
と、言上を受けまして、祝いの品に魚の干物の詰め合わせを頂きました。
ご飯によし、肴によし、こういうのは有り難いですね。
お土産に、村のもので飲んでくださいと、毎度おなじみのお酒を持たせました。
次に訪れたのは鍛冶の清兵衛一家です。
「姫さん、去年は色々と面白い仕事をさせて貰った上に、召し抱えてまで貰って。
一家三人、感謝してもしきれませんや。
この恩義には仕事で返すのが、職人の流儀だと思っておりやす。
今年も面白い仕事を心待ちにしておりやす。
本年もどうぞよろしくお願いしやす」
と、親子三人に挨拶を受けました。石鹸のお陰か三人共身綺麗でよそ行きの着物を着ています。
私から祝いの品に、焼酎と、餅を持たせました。
次に訪れたのは蘭引や醤油差し、小瓶などでお世話になっている瀬戸の陶工さんです。
「姫様、昨年は一方ならぬお引き立てをいただきまして、私共の工房は大盛況にございました。
今後とも、弾正忠家、並びに姫様とは良いお付き合いをさせて頂ければと願っております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
姫様の新しい品の制作もいつでもお受けいたしますので、遠慮なくお声がけください。
こちらの方が、新年の祝いの品になりますのでお収めください」
と、言上を受けました。お祝いの品は見事な大皿でしたので、早速料理人に渡しました。
お土産に焼酎の瓶を持たせました。
滝川殿など、父の家臣は皆那古野の年始の祝に出向いているので今日はこちらには来ません。
牛さんや弓師さんも多分、守護様の年始の祝に行っているのでしょう。
来客が絶えると、千代女さんと火鉢でのんびり餅を焼いて食べました。
千代女さんに明日は父がこちらに来て新年の祝をしますが、三日は暇を取らせるので好きに過ごしなさいと言いました。
すると喜ぶのかと思ったらオロオロして何か気に触ることをしましたかというので、屋敷に住み込みでずっと詰めているのだから、正月のいち日くらい甲賀から来た人たちと過ごしたらどうかと思ったのだと話すと、やっと真意がわかったのか喜んでくれました。
日もくれた頃、千代女さんも下がらせ一人で部屋にいると、きっちりと武士らしい着物を着た凛々しい加藤さんが年始の挨拶に訪れました。
普通に、昼間に来ればいいと思ったのですが、これが彼の流儀なのでしょうか。
「姫様、昨年は私のようなものを東国より招き、お召し抱え下って有難うございまする。
これまでは命のやり取りは当たり前、雇い主にすら命を狙われるような生き方をしてきましたが、姫様の元に来てからはそういう心配もなく、信頼して仕事をさせて頂き感謝しておりまする。
これからもよろしくお願いいたしまする。
ところで姫様、お耳に入れさせて頂きたい話がござりまする。
姫様はお気づきなのか否かはわかりませぬが、念のために申し上げまする。
害意を持ったものは居らぬようですが、姫様の周りには間者とおぼしきものらがおりまするぞ。
害をなそうものならば、私がなんとしても除いてみせまするが、そういう訳でも無いようで、どのような意図で姫様の周囲におるのかはまだわかりませぬ。
くれぐれもご用心は欠かされぬよう、ご忠告申し上げまする」
「ありがとう。
そういうものがいても不思議ではないでしょう。
今の私はいわば知識という金のなる木。
私を害せば、知識はもう手に入りません。
私が惜しげなく知識を出している間は、私を害するものは居ないでしょう。
それは身内であっても同じこと、私を害そうとするものが居るとしたら、それは知識になんの価値も感じない愚か者だけでしょう。
いざとなれは段蔵殿。あなたが頼りです」
「勿論、心得ておりまする」
というと、平伏した。
お祝いに用意しておいた、焼酎と肴に干物、餅を持たせた。
間者がやはり居ますか。
予想はしていたのですが、一人二人ではないのでしょう。
いずれ何かが起きたとき、それらも明らかとなるでしょうね。
恐らくは私に輿入れの話が出たとき、あるいは私を害そうとする者が現れたとき。
その日まで、気づいた素振りも見せず、今まで通りの暮らしを続けるのがいいのでしょう。
吉姫の周りは波乱含みなのです。
何しろ戦国サバイバルなので。