閑話七 望月千代女
望月千代女の話です。
天文十五年十二月 望月千代女
今年の春頃、以前より交流のあった滝川家から彦右衛門様が今仕えている織田様の所で、薬に詳しい者を探しているという話が、我が望月の家に来ました。
我が望月の家は、甲賀でも行商人に薬を卸すほど、薬に関わりがある家で、以前から甲賀の豊富な薬草などを集めたり、或いは薬草を育てたりしており、一族の者ならば多少なりとも薬の知識がある。そういう家柄なのです。
その中でも、特に薬の知識に長けたのが、今の当主、つまり私の父の弟に当たる与右衛門殿なのです。
与右衛門殿は、幼少より大層頭の良い子だったそうで、我が望月の家に伝わる薬の知識を若い頃より学び、京にも勉強に行ったこともあるのだとか。
しかしながら、与右衛門殿は武芸の方はあまりお強いとは言えず、一族ではもっぱら屋敷で薬の調合を差配するという仕事をしておりました。
そんな与右衛門殿ですが、一族の役に立ちたいという思いを人一倍強く持ち、外に出て稼ぎにも行けぬ自分に鬱々としていた様です。
長引く戦乱の中苦しい生活が続いていた甲賀の里の暮らしに、更なる追い打ちをかけた天文の大飢饉の痛手も癒えず、我が望月の家も例外ではなく、薬の売上だけでは到底食べていくことは出来ず、里にあって地位のあるものであっても、食うために外に稼ぎに行くのが当たり前になっていたのです。
そんな折、滝川家より薬に詳しいものを探しているという話が来たのです。
使いの者に話を聞いてみると、なんでも織田様の所で薬草園を作っているから、それを活用できる薬草など薬に詳しい者を紹介してほしいと依頼されたのだとか。
織田様というと、最近伊勢神宮に巨額の寄進をしたと噂に上った尾張の守護代様です。
その前は都で禁裏の修築費用も出したと聞いたことが有ります。
また、近年は美濃や三河で勝ち戦を続け、飛ぶ鳥を落とす勢いなのだとか。
そんな勢いのある、豊かな家から話が来たというのです。
適任者が行けば、織田様、ひいては尾張にしっかりとした伝手が出来るかもしれない。
そうなれば、困窮する甲賀の里の助けになるかもしれないと、彦右衛門様はそう考え望月の家に話を持ち込んだそうです。
そうして、真っ先に名乗りを上げたのが、薬の知識に長けている与右衛門殿でした。
家より供の者を連れて尾張に行くことになりました。
そして、私も父に呼ばれたのです。
「千代女よ、お前は裳着を早々に済ませ、織田様の長女の侍女に入り込むのだ。
聞けば、どういう理由かまでは解らぬが、未だ侍女が居らぬらしい」
「はい。
しかし、修行が未だ途中ですが宜しいのですか?」
「お前は、織田様の姫に取り入り、出来れば一門、難しくとも家中の然るべき方の元へ嫁に入るのだ。
そうすれば、我が望月の家に、しっかりとした伝手が出来る。
信濃の望月の本家から、誰か正室に迎えたいという話が来ていたが、輿入れ時期は未だ先であるし、お前である必要はない。
大体、わざわざ貧しく困窮している所から、更に困窮しているところへ何故嫁になどくれてやらねばならぬのだ。
つまり、いずれ武家に嫁ぐのだから、今のお前ならばこれ以上の修行は無用。
腕を落とさぬよう鍛錬を心がけておれば問題はない。
わかったな」
「はい。
では、叔父上と共に尾張へ参ります」
私も、甲賀より山深く遠い信濃と尾張と選ばせて貰えるなら、尾張を選びます。
しかし、織田様ほどの大身の息女なのに侍女も居ないとは…。何故?
そして、翌日には裳着の儀式を終え、尾張へ出立することとなったのです。
父は裳着の祝、そして餞別に業物の短刀を持たせてくれました。
望月の里を出て御在所山の麓を抜ける街道を進み、伊勢に出て、そこから更に湊へ出てそこから船に乗り、津島へ。
甲賀の里を出たのも初めてならば、海を見たのも、船に乗ったのも初めての事で、見るもの全てが目新しく、楽しい旅路となりました。
初めて見る津島の港町は大きくとても栄えていて、甲賀の里とは大違いです。
津島で一泊し、翌日の昼頃には目的地である古渡の城へ到着しました。
今回の話を持ってきた滝川の彦右衛門様の所に訪ねていくと、既に到着の知らせは前日に頼んでおいたので、出迎えてくれました。
今は足軽長屋に一人暮らしをしているのだそうです。
彦右衛門様は里でも名の知られた人でしたが、対面すると確かに私などとても敵わないだろうということが分かります。
でも、彦右衛門様はどういう経緯で織田様に仕えることになったのでしょう。
彦右衛門様の家で詳しい話を聞くと、なんでも薬に詳しい者を探しているのは、織田様御本人ではなく、織田様の息女の吉姫だそうです。
そう、私が侍女に入り込めと言われてる織田様の長女なのです。
私と同い年と聞いてますが、そんな歳の姫が何故薬師を探しているのでしょうか。
流石に与右衛門殿も当惑している様でしたが、折角来たのだし兎も角逢ってみようという話になりました。例え姫でも聞けば織田家の当主の備後様と同じお屋敷に住んでる人ですから、話す機会も多いでしょう。
しかし、同じ歳の姫の遊び相手になって仲良く大身の姫の生活を楽しむという私の見込みに嫌な風が吹き出したような気がしたのでした…。
彦右衛門様に吉姫の事を聞くと、一言、変わっておられる。との事。
更には、非常の人にて、年相応の方と思われぬ方がいいと…。
話を聞くにつけ、段々不安になってきます。
そんな私の表情を見て取ったのか、性格は至って温厚で気さくな方故、安心されよと。
気持ちをほぐす、言葉をかけてくれたのです。
そして、彦右衛門様に連れられて吉姫の元を訪ねました。
初めて対面した吉姫は…、なんとも大きい人。
私は年齢相応の身長の筈ですが、吉姫は既に成長しきった女子ほどの身長です。
与右衛門殿と一緒に平伏し、自己紹介の言上をする。
「拙者、近江甲賀の望月与右衛門と申します、これなるは姪の千代女にございます。
拙者たち望月党は甲賀でも薬を得意とする家になりまして、拙者も幼少より薬を学んでまいりました。里に居ても中々薬作りだけでは生活も儘なりませぬ故、滝川殿から、薬に通じた者を尾張の弾正忠様の姫様がお探しだ、という話を聞き、この度参った次第にてこざいます。
薬草集めは勿論のこと、薬草園での栽培、薬草を用いての丸薬作りも出来ます。
これなる千代女は姫様と同い年なれば、弾正忠様に誼を結べればと願いまして、侍女として使っていただけないかと連れてきた次第にございます。
姫様のお眼鏡にかないましたら、何卒お取立て願えればと存じます。」
「千代女に御座います。」
暫しの沈黙の後吉姫は言葉を返した。
「お顔を上げてください。
一度父に会って許可を得てからのお返事となりますが、遠路よく来て下さいました。
私は、お二人をお迎えできればと考えております。」
「よろしくお願い申し上げます」
これが、吉姫との初対面だった。
聞いたとおり変わり者の姫です。
話し方にも威厳など無く、誰彼に変わらず腰が低く気安く話す。そんな人です。
それでも、私はこの姫に取り入らなければなりません。
その後、私達は無事に織田様に仕えることが叶い、私は吉姫の侍女となりました。
与右衛門殿は吉姫や備後様に気に入られたらしく、最初は薬の相談や薬草園の世話の指導から始まり、程なく薬事奉行として備後様に召し抱えられることが決まり、専用の工房や屋敷まで与えられました。
僅かな間に、私達の想像以上の伝手が出来、備後様に土地を与えられ、里から薬に関わっていたものや農民など、多くの者が尾張に移住してきました。
困窮していた望月の里が、そして近隣の里までも救われたのです。
私はといえば、吉姫とは中々打ち解けることが出来ません。
この人は、あまりにも異質なのです。
本当に同い年なのでしょうか?
話すこと成すこと、全て普通の齢十二の姫ではありません。
身長ばかりか、中身の年齢すらもっと歳上と話してるような気がするのです。
それこそ、我が父上と同じくらいの歳の様な…。
そのくらい、裳着を既に済ませたとは言え、子供らしい所が無いのです。
この人は、既に一般的な学問は全て習得しているそうです。
事実、この人の書く字は綺麗で書き慣れており、草書ばかりではなく漢書の読み書きまで出来るのです。
和歌を作ることだって出来るようです。
でも、そういうのにはまるで興味が無いようです…。
この人の興味はもっと別のところにあるようです。
大身の姫なので、既に領地があるのですが、そこで見たことも無い様々な農具を作ったり新しい事業を起こしたり。
とても、普通の姫が考えたりすることではありません。
よく手土産に持参する焼酎という目新しい酒精の強いお酒もこの人が作ったと聞きますし、この前は村で作った産物を元に新しい傷薬を作ってました。
特に驚かされるのは寺で講義をしているという事でした。
それも、子供向けに教えてるのではなく、大人向けに色々な事を講義しているのです。
初めて寺にお供した時にしていた講義は、戦だけのために専業で雇う兵士である常備軍についての話でした。
私の理解を遥かに超えた話で、かなり最初の方で意識を飛ばしてしまったのか、気がついたら講義は終わってましたが、参加していた大人たちが仕切りと頷いたり、論議をしていたのが印象的でした。
一体どんな講義だったのでしょう…。
その後も七日に一度寺にお供して吉姫は講義をしますが、私は懲りたので他の年長の子らに混じって手習いをする事にしたのです…。
修行には励みましたので、里の同い年位の子相手なら、誰にも負けない位の実力があると思うのですが、残念な事に尾張の武家に嫁ぐには学が足りないということに気がついたのです…。
他にも変わったことと言えば、この前領地に行った時は魚を捌いてましたよ。
大身の姫が、自ら魚を捌くのです。それも結構な手際で…。
一体何処で修行したのでしょう。本を読んだだけで、魚が捌けるとはとても思えません。
そもそも、大身の姫はそんなことしないのが普通なのですが…。
でも、醤油という物で食べる海の魚を石の上で焼いた魚はとても美味しかったのです。
新鮮なお魚をあんなにお腹いっぱい食べたのは生まれて初めてのことでした。
この姫と一緒にいると、こんな風に美味しいものが食べれたりするのは、ちょっと変わってますが、流石大身の姫。素晴らしいのです。
吉姫の侍女を始めて、最も大きな驚きだったのは、東国より得体の知れない男を呼び寄せ、家臣としたことです。
あの者は、透破の類に違いありません。しかも、底の知れない相当な実力者でしょう。
驚くべきは、あの男が姫様の前に現れたあの日、彦右衛門様は男が訪れた事に全く気が付かなかったそうです。
吉姫の家臣なので手荒いことは出来ませんし、あの男も吉姫だけに仕えている様で、私達のことは意に介さない様です。
なぜ、私達甲賀衆が既に尾張に居て、伝手もあるのに私達を使わないのでしょう。
吉姫はいずれ嫁ぐときにも変わらぬ家臣でいる者が必要なのだと話してましたが、そもそも何故姫が透破の類を直接雇うのでしょうか?
私には理解できないです。
その後も、中々打ち解けることが出来ませんでしたが、少しだけ打ち解けたような気がするのは、吉姫の趣味だと思われるものの一つに、模型作りと言うものが有ります。
これがまた小刀などを使って木を削り出したり、布の端切れ、糊や砂などを使って作るのですが、とても子供の作ったものとは思えぬほど、精巧なのです。
この前作っていたのは、船でした。津島でも見たことがない形の異国の船です。
しかも、きっちり図面を引いて作り上げ、それを元に本物を作ってしまうのです。
その後、吉姫は塩田の模型だと言ってましたが、その模型の浜辺を作るのを手伝いました。物を作るというのは、案外やってみると楽しいものです。
実際自分の手で砂浜を作り、完成した塩田の模型はとても精巧で良い出来でした。
それからと言うもの、吉姫に頼まれれば模型作りを手伝います。
新しい農具の模型も作りました。
村人たちがそれを元に実物を完成させると、あの時間の掛かる脱穀をあっという間に終わらせてしまう新しい農具でした。
こんなものが甲賀の里にもあれば、空いた時間に別の仕事が出来るので、里の皆の暮らしも良くなるでしょう。
そんな代物を作り出しては領地の者に惜しげもなく与えるのです。
この人の領地の者達はなんと幸せなのでしょう。領民たちのために僅かの間にこれだけの事をやってくれる領主など、日ノ本の何処にも居ないでしょう。
そして、吉姫が領地を得て時間をかけて色々な農具を与え、領民の手を空けて準備を進めていたという、石鹸作りを先日やったのです。
村人総出で集めたという木の実の山。それを吉姫の指示の通りに村人が作業を進めたら、なんと貴重な油が取れたのです。しかも、結構な量です。
そして、それを油として使うのではなく、惜しげもなく石鹸というものを作るのに使うのだといいます。この人は頭がやはり変なのだろうかと少し思いました。
しかし、村人たちは言われたとおりの作業をせっせと進め、後日石鹸の実物が届けられたのです。
それは、身体や衣類を洗うものでした。しかも、ムクロジなどと違い香りもよく、固形でとても使いやすいのです。
私にも一つくれたので、使ってみたのですが確かによく落ちるのです。
身体の汚れも衣類の汚れも、驚くほどに。
それと同時に、貴重な油をあんなに沢山使って作るこの石鹸は、一体一つ幾らなのだろうかと、想像するだけでゾッとするのです…。
そうして気がつけば、半年が過ぎ年の瀬となっていました。
吉姫の薙刀の師が輿入れしたので、新しい師を迎えるにあたって、私も一緒に習うことになりました。
新しい師は、柴田様という吉姫が外出する時に警護に付く備後様の巨漢の家臣が居るのですが、この方の姉君らしいです。
流石教授を頼まれるくらいの強さで、私であっても勝つことは到底難しい相手でした。
そして始めて吉姫と手合わせをしたのですが、残念なほど弱いですね。この姫は。
全く駄目というわけではないですが、同い年で薙刀をやってる者の中では弱い部類でしょう。
始めて、吉姫に勝てましたが、あまり嬉しくはありませんでした。
兎も角、私も強い相手に稽古を付けてもらうのは望むところなので、いい機会でした。
半年を経た今になっても、あまり吉姫と話すことも無いのですが、いえ、私では吉姫の他愛のない雑談相手も務まらないが正しいのですが、外は雪も降り寒いので火鉢の側でのんびりしてる時間も増えました。
先日の農具を最後に、今は模型作りもしていません。
そんなある日、普段なら取り乱すようなことのない柴田様が、心ここにあらずという感じで、吉姫のもとを訪ねてきました。
なんでも、柴田様の奥方様が風の病を拗らせて長く寝込んでるそうです。
風の病は拗らせると死にも至る病、柴田様が狼狽するのもわかります。
それを、相談に来たのです。知恵者である吉姫に助言がほしいと。
吉姫は、症状を聞くとあっさりと病名を言い、対処法を指示しました。
何れも聞いたこともない対処法です。
それでも、藁にもすがる思いだったのでしょう、柴田様は慌ただしく帰っていきました。
吉姫は直ぐに与右衛門殿を呼ぶと、材料等を書いた紙を渡し、薬酒と言うものを作ることを頼みました。
数日後、その薬酒が完成すると、早速とばかりに柴田様に届けさせました。
その薬酒を私も試しに飲んでみたのですが、甘く、変わった味のお酒でした。
しかし、飲んでみてしばらくすると身体が快活になりポカポカしてくるのです。
これならば風の病で床に臥せっているという柴田様の奥方様にも効果がありそうです。
はたして、奥方様は快癒しました。
なんというか、この人は医術までその知識の中にあるのです。
私はこの人に完全に打ちのめされた気分です。
何なのですか、この人は。こんな人がこの世に居て良いものなのでしょうか。
世には神童という幼くして頭のいい人がいるそうですが、この人はそういうのとも違うような気がするのです。
知り様もない知識を何故か知っている。そんな風に感じるのです。
何故なら、私は私自身の事をこの人には殆ど話した事がないにも関わらず、この人は私の素性をとても良く知ってるようなのです…。
千代女さん、流石に感がいいですね。
でも、普通の十二歳の人なので、理解が全く追いつかないのです。
ちなみに、全く吉姫に敬意を払ってません。異質なモノ扱いです。