第三十五話 薬酒作りでござる
新しい師匠が来ました。
そして、思いがけない事実が発覚…。
『新しい師匠』
新しい師匠に、権六殿の真ん中の姉が来てくれることになりました。
と言っても、既に父の家臣に嫁いでおり、以前のように毎朝ではなく、何日かに一度見てくれるという話です。
なんでも、権六殿は四人姉弟で、姉が二人、妹が一人の女姉弟だそうです。
しかも、四人揃って武芸に優れ、一番は勿論権六殿らしいですが、末の妹も中々強いらしいです。
後日、権六殿と一緒に姉の楓さんが訪ねてきました。
男前の権六殿と何処と無く顔立ちの似た、心根の強そうな感じの方です。
ちなみに、この人が佐久間の一族の方と結婚していて、後に権六殿の養子になる勝政を産む人の筈です。
「吉姫様、備後様から武芸の師匠を頼まれた姉の楓にございます」
「弾正忠が娘、吉です。これからよろしくお願いします」
「姫様、姉は既に他家に嫁いで居る身なので、いつまでお教え出来るかはわかりませんが、腕は保証します故」
「権六、これから教える人に、例えいつまでか判らなかったとしても、それをそのまま言う人がありますか。
吉姫様、とは言え権六の言うとおり、他家に嫁いでる身なれば、次の子供が出来るまでということになりますが、それで宜しゅうございますか」
「はい、それで構いません。私ももう裳着も済ませて年を越せば十三歳、数年もしたら相手も決まり、何処かへ嫁ぐことになるでしょう。
長くてもそれまでということになると思います」
「わかりました。
ところで、そちらの侍女の方も折角なので一緒にいかがですか。
いざという時、仕える相手を守れなければはじまりませんよ。
それに、いずれ何処かへ嫁ぐにしても、武家の娘なら嗜みですよ」
千代女さんは、声がかかるとは思わなかったらしく、あっけにとられていたけど、私の顔をジーっとみて、ではご一緒します。と答えたのだった。
こうして、新しい師匠が決まり、朝の稽古も千代女さんとやることになった。
予想はしてましたが、千代女さんは私よりずっと年下に見えるのに、私よりずっと強いですね…。
『薬酒作り』
すっかり寒くなり、尾張国とはいえ小氷河期と言われるこの時代、普通に雪が降るのです。
とは言え、流石に何処にも行けなくなるほど、積りはしないのですが、隣の美濃なんかは冬になると雪深くなるところもあるのだとか。
ある寒い日、千代女さんと二人で火鉢の側でのんびりしていた所、権六殿が訪ねてきたのです。
「権六殿、寒い中どうしたのですか」
「吉姫様、実は妻が風の病で臥せっておりまして、中々快癒しませぬ。
元々、身体の強い方では無かったのですが、ここまで寝込むのは初めての事故。
気丈にも起きようとするのですが、日々衰えていく妻の辛そうな姿を見るに忍びなく、知恵者で名高き姫様に相談に上がったのです。
勿論、医者にも診せ、処方の薬も飲ませてはおるのですが、中々に…」
この時代は風邪って普通に死ぬ病気ですからね。
しかも、万病の元、医学の進んだ平成の世ですら拗らせて長期寝込むなんてこともあります。
ところで、権六殿、今当たり前のように、大事なこと言いましたね?
なんだか、ものすごく普通に話したので、そのまま聞いてたのですが、大事なこと言いましたよね。
ええ、父の家臣の元に嫁に行こうと考えてる私にとって、とても大事なこと言いましたよね。
大事なことだから三回言いましたよ。
権六殿、結婚してたんですか…。
まあ、この時代、武家の嫡子なれば遅くとも二十までには普通に結婚しますからね。
十九の権六殿が結婚してても不思議はないですよ。
市姫だって、浅井の前に家臣に嫁に行ってたって説もありますから、晩年に市姫と初婚なんてある訳無いでしょう。
若くして重臣にまでなる知勇兼備のこの人が、しかも男兄弟が居ない嫡子の権六殿が結婚してないわけはない。
多分、実子の記録が残ってないのも女の子の産まれやすい家系とかで娘ばっかりだったんでしょう。
それに、今からだが弱いとか言ってましたから、若くして死に別れた可能性も有りますね…。いくら戦国の世の武家でも、妻と死に別れて後妻を貰わなかったって人いますから。
まあ、多分側室は居たとは思うんですけどねえ…。これも娘ばかりだったのか。
それとも、子供出来ない人だったのか…。
閑話休題、これで権六殿に嫁ぐって話は消えました…。
まあ、父が側仕えではないにしろ、お供の役を安心して頼むのは妻帯者だったからか。
ということは、もしかして半介殿も?
うーん。まあ、今考えても仕方ない。
どうせ、相手は父が決めるでしょうから。
「権六殿、症状を聞かせてもらっても?」
「はい。
妻の症状は、熱が続き、鼻水と咳が中々止まりませぬ。
特に、咳は喉が痛いようで、喋るのも辛い有様。
飲み込むのが辛いのか、食事も進みませぬ」
「それは、多分風邪ですね。
早いうちに治れば、そこまで酷くならないのですが、仕方ないでしょう。
まずは、喉の痛みは、塩でうがいをする事、あとは蜂蜜を飲み込む事で、随分とマシになるでしょう。
しかし、痰が絡むのは病が緩和しなければ治りません。
熱も同じで、手ぬぐいを水で濡らして、こう帯のように丸め、これを枕代わりに首の下に置いてあげて下さい。
この手拭は、ぬるくなったらまた水で濡らし交換する必要があります。
後は、喉が乾いたら水を飲ませてあげて下さい。
直ぐにできることは、ここまでです」
「姫様、ご助言ありがとうございまする。
では急ぎます故、これにて失礼仕る」
「待ちなさい。
私が、薬を用意するので、後で家臣に届けさせますから、それを説明書きの通りに飲ませてあげて下さい」
「姫様自らお手配くださるとは、この上なき幸せ。
この柴田権六、御恩は決して忘れませぬ」
「それは、病が治ったらね。
では気をつけて」
権六殿が急いで帰っていく。
あんなに狼狽した権六殿を見たのは初めてではないだろうか。
なんだか妬けるのだ。
弥之助を呼ぶと、薬事奉行の与右衛門殿を呼んできてもらいました。
半刻ほどすると、与右衛門殿が訪ねてきます。
「吉姫様、如何なされました。
また新しい事ですか?」
「与右衛門殿、忙しい中、足労大儀です。
そうです。
新しい薬を作る必要が出てきたので、頼みたいのです」
「新しい薬ですか、いかなる薬ですか」
「滋養強壮に役に立つ、薬酒を作って下さい。
作り方はこちらの紙に書いておきました。
漢方薬を味醂に漬け込んで作るのです」
某養○酒なのですが…。
前世で冷え性対策に寝る前に飲んでいたのだけど、気になってレシピを調べていたのが役に立ちました。
とはいえ、うろ覚えなので、抜けてたり、別なのが入ってたりするかもしれません。
一応、漢方の漢書の薬酒のレシピも参考にしてるので間違いは無いはず。
「味醂に漬け込むのでございますか。
ここに書かれた漢方薬はおそらく全部揃うと思います」
「それはよかった。
この寒さで体調を崩している者に飲ませたいので、出来るだけ早めにお願いします」
「承知しました。
ではこれにて」
というと、与右衛門殿は戻っていったのです。
そして、二日ほど経った日、与右衛門殿が小振りな瓶を持ってきてくれました。
「姫様、試しに作ってみたものがこちらになります。
私や薬工房の者で試しに飲んでみましたが、中々良いものですな。
体が温まり、快活になります」
「ありがとう。
早速、これを届けさせます。
この薬酒、良いものならば父や他の人にも飲んでもらうと良いでしょう。
可能ならば今少し作って、父に届けて下さい。
父が更に作る許しを出したなら、後は父の命に従って下さい」
「承知しました」
与右衛門殿が帰った後、加藤さんを呼ぶと、まず私が飲んで、加藤さんにも一杯あげました。と言っても、おちょこにですが。
久しぶりに飲んだ養命酒は、五臓六腑に染み渡り、平成の世の養○酒より酒精が強いようです…。
でも、余計に身体がポカポカしてきました。
今生のこの体は未だ薬を飲んだことがないので、よく効きますね。
加藤さんも変わった味だが、身体が暖まってきたと喜んでます。
そして、加藤さんに頼んで権六殿に届けてもらいました。
後日、妻が快癒したと、大喜びの権六殿が屋敷に訪ねてきました。
なんでも、私が訪ねてきた時に話した処置が良かったようで、熱もその後下がりだし、喉の痛いのも收まっていったそうです。
その後、届けた薬酒を飲ませたら、みるみる血色が良くなっていって、すっかり元気になってしまったのだとか。
この時代の人はすぐに薬飲んだりもしませんし、栄養状態も武家だとしても微妙だから、余計に効果絶大だったようです。
権六殿曰く、
「姫様、この御恩、終生忘れませぬ。
今度は姫様に困ったことが起きたなら、この権六必ず助けに参じまする」
そう言うと、涙ながらに平伏したのです。
「権六殿、快癒何よりでした。
昔から中国では医食同源と良い、日々の食生活が病に罹らぬ体を作ると言います。
この度を契機とし、これからはしっかりと精の付くものを心がけて食べるようにすると良いでしょう。
薬酒は、そのまま身体が快活な位元気になるまで、暫く寝る前に飲み続けると良いでしょう。
私は、日頃付き合わせてる権六殿の役に立てたなら、それで幸いです。
しかし、気持ちは有難く受け取っておきます」
それを聞いた権六殿はまた平伏して涙するのでした…。
情に厚い男の人はやっぱりかっこいいです。
既に他の女性のモノですけどね…。
養○酒はその後、単に薬酒と呼ばれ、レシピは秘蔵とされ、都への贈り物として送られたり、家中で父から褒美として渡したり、津島で良い値段で売れたりしたのでした。
製法やレシピはその後薬工房の創意工夫で変化していくのですが、それは私の与り知らないものでした。
今回、本当は閑話挟むか、年越す予定が、書く予定にしてた話をすっかり忘れてたので、結局また内政回です。
そうなんです。権六度も半介殿も既に結婚してるのでした…。
次は閑話で、その次に年明けて新しい年の話になります。