第三十四話 石鹸作り始めました
さて、時間をかけて準備してきた石鹸をいよいよ作ります。
『その後のネジの活用法』
一先ず、実用レベルとなったネジですが、当初予定していたとおり、ネジ締め式の圧搾機を古渡にて作り、屋敷に設置してみました。
料理人に油の圧搾法を教えて、捨てる種とかあれば手順通りに加工して絞ってみていい油が取れたら教えて欲しいと伝えた。
油は実は搾りたてが美味しくて、この時代には未だ無いがカボチャから作るパンプキンシードオイルなど、そのまま野菜にかければ美味しいドレッシングになるのです。
千代女さんには果物と話しましたが、実はこの時代は流通も貧弱で果物というと柿、渋柿位で、フレッシュジュースなんてまず飲めないのでした…。
『煮干しが届く』
領地から、先日頼んでいた煮干しが届きました。
料理人に使用法を教え、半分をしかるべき値段で屋敷で買ってもらいました。
残りは、津島に持っていってもらいます。
料理人に、この煮干しで出汁を取り味噌汁にしたり、醤油と出汁で出汁醤油を作ったり、兎に角、塩分を減らしつつも、美味しい料理を父に出すように頼んでおきました。
初めて会ったあの日はまだ二十代でしたが、父ももう三十半ばを過ぎ、そろそろ身体に気をつけないといけないと思うのです。
父信秀は、流行病で死んだとか、或いは卒中で倒れ寝込んだ末に死んだとか、毒を盛られて暗殺されたとか、諸説あるのですが、卒中なら食べるものやお酒に気をつければある程度罹る確率を減らせると思うのです。
加藤さんを呼ぶと、一緒に煮干しを試食してみました。
平成の頃と変わらぬ味と言うか、素朴で香ばしい煮干しの味です。
このままおやつにポリポリというのも良いですね。
加藤さんも、鰯の干物と聞くと干鰯を思い出したのか、怪訝そうな顔をしたのですが、私が美味しそうにポリポリするのを見て、食べてみたら美味しいとのことで、出かける時にこういうものでも懐にあれば随分良いですなとの事。
煮干しを利用したレシピを書いた紙を付けて、津島の大橋殿の所に持っていってもらいました。
レシピとしては、そのまま食べる、出汁作り、出汁醤油、出汁を取った後の鰯を油で揚げればツマミにも良いと載せておきました。
出汁醤油に蕎麦とか饂飩がとても良く合い美味しいということも書いておきました。
結果としては、煮干しは津島でも評判になり、領地の新しい産物になったのでした。
津島や熱田で出汁醤油や出汁の饂飩も食べれるようになったというおまけ付きです。
『石鹸作り始めます』
領地から木の実が集まったとの連絡が入り、早速お供を連れて領地へ行きました。
少し前までの暑さが嘘のように秋が深まり過ごしやすい季節となりました。
道中目に入る野山はすっかり色めいて、紅葉がきれいです。
前回、権六殿と半介殿に頼まれた口添えですが、一応父には伝えたのですが、暫くは実績や影響を見たいとのことで、まだ時期尚早との事。期待に沿う事は出来ませんでした。
今回は、これまで準備してきた事の総仕上げとも言うべき領地行きで、当初から来てくれてるお供の人たちは、どんなものが出来るのだろうかと、興味津々の道中でした。
ちなみに、今回からは既に輿入れしてしまった女中さんこと師匠は居らず、女性は千代女さん一人だけです。
領地へ着くと、乙名のお出迎え。
最近は、色々と副収入があったりと、前の年とは比較にならないとかで、ご機嫌です。
「姫様、わざわざ我が村へご足労、有難く存じます。
新しい農具で例年とは比較にならない早さで、脱穀作業が終わりました。
予てより、ご依頼の木の実は、村人総出で集めまして、既に天日干しが済んでおります。
こちらの方に」
「骨折り、大儀です。
では、早速見せていただきましょう」
乙名に案内され、保管されている場所へ行くと、大きなたらいに数個分、山盛りの木の実が載っていました。
これでも、拾う段階である程度選定してあるので、この時代の自然の幸というのは中々のものです。
椿が大たらいに山盛り一つ、椎の実が大たらいに山盛り三つの合計4つです。
まずは、石臼で木槌で付いて砕いていきます。
一度にたくさんだと綺麗に砕けないので、適量入れて、どんどんと砕いていきます。
そして、砕いたものを人海戦術で殻をむいていきます。
本当は他にも炒ったり、ミキサーでミジンにしたりと、更に良いプロセスがあるのですが、諸々足りないので、今回はお試しということで省いてます。
全部、実だけの状態になったら、今度はこれを布でくるんで蒸籠で蒸します。
こうすることで酵素の働きが止まり、タンパク質が固まり油が出やすくなるのです。
そうしてある程度冷めたら、布のまま圧搾機の胴へ投入です。
村の男達の一人が滑車のロープを手繰って操作し、二人がかりで石の入った長箱を一つ一つ積んでいきます。
ジワジワとロープを緩めていき、壺には黄色い液体。つまり油が滴りだします。
村の人から歓声が上がります。
そうして、大たらい山盛りの椿の実は瓶一つ分の油になりました。
油は椿のいい香りがします。
同じように、椎の実も潰して剥いて、蒸篭で蒸して、圧搾機で潰すと、こちらの方は椿の様にいい香りはしませんが、ドングリの実の匂いの油が取れました。
こちらの方は、量が多かったので、瓶三つ分の油が取れました。
村人総出で分業してやっていったので、案外と短時間で油まで行くことが出来ました。
村を代表する乙名も、村人たちもこの年にそれこそ圧搾機作りから時間をかけて準備してきて初めてこの村で出来た油に感無量という感じです。
なにしろこの時代、油は貴重品ですから。
さて、次は石鹸作りです。
村人に頼んでおいた海藻を焼いた海藻灰は既に用意されてあります。
今出来上がった椿油を大きな鍋に投入しそこに海藻灰を投入し、沸騰させます。
これを交代で番をしながら三、四刻煮込みます。すると段々と固まってくるので、泡立ってきた頃に火から降ろします。
そして、大工に用意させていた平枠に流し込み、冷めて固まっていくのを待ちます。
完全に固まりきる前に枠を外し、手頃な大きさに切り分けておきます。
何日か日陰干しをしたら完成です。
残りの椎の実油は同様の手順ですが、香りのいい花や葉でアロマオイルを並行して作り、それを香り付けに垂らしておくように頼んでおきました。
時間的に完成まで居るわけには行かないので、残りは村人に任せ、完成したらサンプルを屋敷まで持ってきてくれるように頼みました。
この日はこれで屋敷へ戻ることにしました。
帰路はまた雑談をしながら帰ります。
「姫様、今日村人たちに作らせて居た石鹸という物は、どんなものですかな」
「石鹸と言うのは、解りやすく言えば以前ムクロジで作った液体洗剤の固いものです。
勿論、以前作ったのはムクロジで、今回は椿油で作りましたから、同じものではないのですが、同じ用途に使うものです。
あのムクロジの液体洗剤はどの位日持ちするのかわからないのと、液体なので瓶などに入れておかねばならず、使うのに不便です。
しかし、今回作ったのは固いものですし、日持ちもしますから、とても便利ですよ。
石鹸が出来上がったら一つ上げますから、試しに身体を洗ってみると良いですよ」
「なるほど、ムクロジのようなものですか」
「衣類を洗うのにも使えます。衣類を洗うのに使えば、洗った後よく濯がないとダメですが、洗濯棒で叩く必要もなく、きれいになります」
「衣類にも使えるのですか。
それは幾らくらいで売るのでござるか?」
「それは、父と大橋殿が決めるでしょうね。
使えば無くなるものですから、高すぎても買うものが居ないでしょうし。
いくら位なら買うのかと言うのを見極めて値段を決めると思います。
最初は、都への贈り物などに使うと思いますよ」
「そうで御座るか。
確かに、公卿への贈り物には良いかも知れませぬ」
「姫様、この度の石鹸とやらも漢書に載っていたのですか」と千代女さん。
「そうですね。漢書に詳しい作り方が載ってます。
そもそも、石鹸は大秦国では二千年前から作られてる、一般的な物で、庶民が普通使ってるようなものです。
千代女さんにもあげますから試しに使ってみると良いですよ」
「は、はい…」
本当は中国では石鹸は使われなかったらしく、漢書には載ってないのですけどね…。
カルチャースクール様々なのでした。
そして後日、椿油の石鹸が村から届けられました。
なんちゃってオリーブ石鹸みたいな感じで、香りよく洗い心地も良し。
平成の世が戻ってきた気分です。
後は、これにお風呂があれば…。
贅沢は言えないので、毎日お湯で体拭いてます。
ちなみに石鹸は、椿油の石鹸は全数引取。
椎の実石鹸は村で使う分を除いた全数引取。
どのくらいの値段がつくかわからないので、村への報奨金は後日。
という話になってます。
村での使用感を聞いた所、面白いように汚れが取れるので好評との事。
叶うなら一年通して使いたいから、来年はもっとたくさん作りたいと話してるとか。
さて、父がいる日に石鹸のサンプルを渡します。
父は以前から作ってるムクロジ石鹸を必要に応じて使ってるのですが、香りにしろ使い勝手にしろ、圧倒的にこちらの方がいいとまず一言。
これは贈り物として非常に喜ばれるだろうし、新たな特産品としても有力だと喜んでくれました。
一先ず、今年作った分は父に渡し、価格付けや使い方は父に決めて貰うことにしました。
その上で、後日また報奨金の形で対価を出してくれるそうです。
まあ、嫁入り前の私は実質ニートみたいなもので、父にはお世話になりっぱなしですから、村人達に報奨金を払えて、少しばかり自由になるお金が出来ればそれで良いのです。
日頃頑張ってくれてる鍛冶屋にも一つプレゼントしたら、後日礼に現れた時、鍛冶屋が爽やかイケメンに化けてましたよ…。
どんだけ汚れてたんだよって感じです…。
年齢を聞いたらまだ三十だそうです。
騙された…。
兎も角、石鹸作りは一先ず成功。
これからは毎年作れるといいですね。
多分、村では私が指導しなくてもヨード同様、今後は自分たちで作ることが出来るでしょう。
農具改良も全てこの石鹸作りへと集約されていたのです。
来年は綿花も加わり、益々豊かになるといいですね。
そろそろ、平和な年も終わり、また戦国時代が戻ってきます。