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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第二章 裳着の年 (天文十五年1546)
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第二十九話 模型作りに勤しむでござる。

加藤さんを父に会わせました。そして、私はせっせと模型作りの日々です。





『父と対面』



父が戻ってきた時に、新しく雇った加藤さんの事を話すと、早速会ってくれる事になった。

呼び出すと先日の職人姿ではなく、武芸者の様な格好でやって来た。


父を前にしっかりした作法で平伏すると、加藤段蔵で御座る。と挨拶をする。


面を上げさせると、じっくり加藤さんを見据える。


そして、ふむ。良き面構えだな。

吉はこう見えてまだ十二歳だから、まだまだ危なかしい所があってな。

よろしく頼むぞ。


と、多くは語らず。加藤さんはまた平伏し、はっと応えた。


父は去り際に、早速住居を用意させる故、おって知らせる。


というと、部屋を後にした。


加藤さんと二人残される。


加藤さんが、それで姫様、拙者は何を致しましょうか。


私は、住居が決まるまでは好きにしていて構いません。

まずは、噂話など耳に入れてきて下さい。と頼んだ。


加藤さんは、心得ました。それではこれにて失礼仕ります。


と、帰っていった。


すると、父にまた呼ばれる。


吉よ、あの者は只者ではなさそうだが、大丈夫なのか?

女の身で忍びが何故必要なのかは問わぬが、今我が家中は甲賀衆と付き合いが深い。

儂に一言言えば、誰か付けたのだが。


私は、


父上、甲賀の方々も優秀ですが、言わば皆繋がった者同士。

甲賀というと六角と昔から関係が深いですが、今畿内では大変な戦乱状態と聞きます。

その為、尾張に新たな伝手が出来る事で、望月ばかりでなく甲賀全体が救われたと与右衛門殿は言ってましたが、六角と手切れしたわけでは無いと思います。

勿論、六角と我家は含むところもなく、関係は悪くありません故、六角の間者を警戒する必要はあまりないとは思いますが。


しかし、一人くらいは柵のない別の者が必要だと私は思います。


と、話をすると、父は腕を組み考え込む。


そして、確かに、吉の言うとおりやも知れぬ。

実のところ我家と甲賀は儂の代どころか、もっと前の代から付き合いはあるのだが、六角と同じかというと、そこまでの付き合いはない。

六角家は甲賀武士の有力者を被官にしているからな。


我家もこの度望月の家の者を家臣としたが、技術者が殆ど故な。六角とは比較できぬ。

また、その内加藤段蔵に頼みたい仕事ができるやも知れぬ。その時は頼むぞ。


はい、父上。


その後は、領地の話や、私の兄弟の話など、色々と話をした。


弟の喜六郎は七つ、三十郎は四つになるらしいが、二人共母の元に居るらしい。

つまり、弟の勘十郎の居る那古野に。


私の事をどんなふうに聞かされてるのか不安ではある。





『模型作りと千代女さん』



ここ最近の私の実益を兼ねた趣味というと模型作りである。

今作ってるのは、ダウの模型と、こちらの方は殆どジオラマなのだが、水流式塩田プラントの模型。


何故並行して作ってるかというと、この時代、平成の世みたいに便利な接着剤が有るわけじゃない。可能な範囲は組みで組んでいき、無理な所は糊で貼るのだが、まあぶっちゃけご飯粒を溶いたものなんですよ。膠とか使えませんからね。


それで、乾かして状態をみて、取れたらまた付け直すか、更に工夫するか考える。

そんな感じです。


大きく生活スケジュールは変わってないのですが、師匠に稽古をつけてもらえるのもあと僅かで、父は新たな稽古役を付けてやるとは言ってるんですが、どんな人が新しい師匠になるのか不安です。


週に一度は寺に行き、二週か月に一度は領地に行き、空いてる時間に模型作ってるわけです。


加藤さんはというと、今は私の代理人として津島に行ってもらったりしてます。

なんでも、醤油がよく売れてるらしいのですが、船を仕立ててわざわざ田辺湊の湯浅に仕入れに行ってたら関銭だけでも馬鹿にならないとか。


それで、私が前に尾張でも作れればって話しをしてたのを思い出して、父と大橋殿で資金を出すから、尾張でも醤油を作ってくれって頼んだところ、需要見込みがかなり多かったり、畿内は戦続きというのもあって、醤油屋さん本人が来ることになったのだとか。


勿論、湯浅の醤油蔵も閉めるわけじゃなくて、子が後をついで職人達とやってくそうなのですが。


それで、尾張で醤油の醸造を始めるそうです。という話とかを加藤さんが聞いてきました。


ちなみに、醤油点しは醤油を買ってる人に結構売れてるようで、それも含めてアイディア料として、結構な金額を私にもくれたので、加藤さんに支度金ということで、お金を出すことが出来ました。


加藤さんはろくな働きもしてないのにと恐縮しきりでしたが、代理人としてこの先武家にも出入りすることが有るから、しっかりした服装など揃えて下さい。と話をすると、喜んでました。


さて、話は模型に戻りますが、ダウ船は作るのが楽しいですね。


殆ど実物のダウと同じような作り方で作ってるのですが、まあ、ぶっちゃけ最初に竜骨を削り出して、後は実物と同じように切り出した船体の板を一枚一枚張っていくのです。

膠が使えたらもう少し楽になるのかなあ?なんて考えてたら、牛さん来訪。

そう言えば牛さんは弓を作れるとか言ってたし、膠も使えるのかな?


早速部屋に招き入れると、部屋の真ん中の机の上にデンと置かれてる船の模型にすぐ気づき、いつもみたいに好奇心旺盛に色んな方向から見てます。


ちなみに、模型は机の上に作ってて、片付ける時は机ごと動かします。

そのほうが楽なので。


で、牛さんにこの板貼るの大変だから、膠を使った貼り方を教えて、と頼んだら。そんなことなら、この前の弓師を連れてきますよ。

奴はああ見えて新しいこと好きですからな。すぐ来ますよ。と請け合って。


その日は、牛さん交えて船の構造などを教えてあげると、ほほう~とか、へえ~とか、こんな形の船は初めて見ますな。唐国の船ですか?と聞いてくるので、この船は天竺の更に向こうの国々で二千年前位から作られてる古い船ですよ。


という話をすると、え゛っみたいな顔をするので思わず吹き出してしまった。




後日早速とばかりに弓師の人と、牛さんがやってきました。


部屋に上がって貰って、製作中のダウの模型を見せると、弓師さんは関心を持ったみたいで、牛さんが先日私が話した薀蓄を語る中、しきりに模型の周りを移動しては顔を近づけて見てましたが、一区切り着くと、図面があるなら見せてもらえますか。

というので、図面を渡すと、ふむふむ、これが完成図ですか。


といい、これ、私が預かって持って帰ってもいいですか?

ちょっと時間掛かるかもしれませんが、船体部分完成させて持ってきますよ。


というので、あまり他の人に見せないでくださいよ。と頼んだ上で、預けたのだった。


さて、模型が一つ減ったので、プラント模型の制作に専念しましょう。


笹を模した草を乾燥させて吊るして、アルキメディアンスクリューを必要な数だけ削り出して作り出して、糊を混ぜた砂をコネコネと。


普段は離れたところで冷ややかな目で見てたり、別の部屋にいる事が多い千代女さんが最近模型を作ってる時、遠目に見てるんですよ。


まだ十二歳だから好奇心からか、それとも?


そこで、声を掛けて模型作りを手伝ってもらうことにしました。


千代女さん、このコネ終わった砂、盛るの手伝ってくれない?


声をかけると、驚いた顔をして、そんなの私には出来ません。と、断られた。


童子にも出来ることだから大丈夫よ。ほら、ここに立ってと強引に立たせると、コテを渡し、まずやってみせる。こんな感じで載せてくの。やってみて。と。


おっかなびっくりやってみると、案外うまく載せれたので、二人でせっせと載せていくと、すぐに終わった。


上手いじゃないのと褒めると、そんなこと、と恥ずかしがる。

なんだか初いやつじゃのう。と思ったりした。


それから、模型作りを手伝ってくれるようになったのだった。


二人の力作の流水型塩田プラントは、完成すると父に見せて、その後先日の綿花の礼として兄に送った。


どう活かすかは兄次第。


とは言え、子供の玩具にされて早々と粉砕される可能性はあるんだけど…。


父はと言えば、この模型はよく出来とるな。と関心しきりなのは良いんだけど、塩田プラントそのものにはあんまり興味を示してない??


何故だ…。


とはいえ、一応父が見える場所にそれなりの日数置いてはおいたので、私の知らないところでプラントが完成したりする事もあるかもしれない…。





『ダウの模型完成』



二週間程経った頃、牛さんが弓師さんと二人でやってきた。

勿論、ダウの船体が完成した模型をもって。


机の上に、前のように据え付けてびっくり、船体が私が下手な糊付けをしてた部分まで膠で板を綺麗に貼られ、完成してましたよ。これなら、池に浮かべても大丈夫そうです。


早速と、こちらで作ってあった甲板とか、上に載せるものを取り付け、最後に帆を挿して完成。



オオゥと声が皆から上がります。

いや、立派にダウが完成しました。


日本ではあまり見慣れない三角マストがカッコイイですね。

平成の世で作った五十分の一スケールのダウの模型が、目の前に実現しました。


牛さんと弓師さんにお礼を言うと、弓師さんが折角こんな精密な模型作ったのなら、実物も作ってはいかがですか? もし作るなら、私もお手伝いしますよ。との申し出。


流石に、船を勝手に作るのは憚られるので、父に聞いてみることにする。


牛さんはこの日の感動をせっせとまた帳面に書きつけて居たのです。


いつも変わらないなあ。


千代女さんも前のように冷ややかな目で見たりせず、目新しい船をほーっという感じで、物珍しいそうにずっと眺めていたのでした。




そして、後日父に見せると、おお。また模型を作ったのか。どれどれ。と、もうなんか平成の世に居る模型好きの人みたいにワクワクした表情で好奇心旺盛に模型の周りをぐるぐる回りながら見るんですよ。


父にもこんなところがあったんだなあと、再発見です。


この時代だと、模型自体が珍しいのも有りますけどね。


そして、ひとしきり見ると、手をポンと叩き。よし、作ろう。これの実物を。

と、ニッといい笑顔で私に言うのです。

どうせ、これを作らせて欲しいというのだろう?


バレてますね…。


私は、おとなしく、はい。と。



後日、私は領地の船大工に約束通り、ダウの建造を依頼し、模型で船体を作った弓師と相談しながら、浜辺に作った簡易ドックにて、それなりの日数をかけて完成したのです。

二十メートル近い大きさのその船は、尾張初の三角マスト船として完成したのですが、それはまた別のお話…。






ダウの模型が完成しました。そして実物も。


厳密には和船の技術で作成したダウの形をした何かです。

性能的には大差ないはず。

この船で三角マストの試験をするのでしょう。

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