第二十八話 鳶職人参上でござる。
以前に行商人に頼んでいた人がやってきました。
『鳶職人参上』
古渡の屋敷で模型を作ってると、職人風の人が姫様を訪ねて来ていると女中さんが伝えにきた。
職人…? あ、鍛冶屋さんかな。と思い、会いますと伝えて待たせてる玄関へ出ていく。
玄関で待っていたのは、如何にも大工、或いは左官職人という格好の四十前後の人物。
職人曰く、
こちらの姫様がわざわざ越後の鳶職人をお探しと小耳に挟みましてね。丁度、今は仕事も無くてフラフラしてたんで、ちょっくらお邪魔してみたんでさぁ。
姫様、見ればまだ齢十五位にお見受けしますが、この鳶職人の加藤を何処でお知りになったんで?
と、終始笑顔で如何にも聞いてきそうなことを聞いてくるが、目が笑ってない。
今玄関には侍女の千代女と今度輿入れの女中さんしか居ないが…。
私は、
これは鳶職人の加藤さん、遠路はるばると本当に来てくれるとは、行商人の顔の広さは本当だったということですね。望外の喜びですよ。
さあ、長旅で喉も乾いたでしょう。お茶でも出しますから、中で話しましょうか。
と、普段使ってる居間に通すように言うと、侍女と女中さんが、『え゛』というような顔をする。
仕方ないので、私が遠方より呼んだ客人なのですから、私のお客なのです。私に恥をかかすのですか?と普段は絶対にしないんだけど、強い口調で言うと、仕方なしという表情で奥に通してくれる。
千代女さんは何処かへ出ていったような?
加藤さんは、姫様よろしいんで?と恐縮しきり。
だけど、私が呼んだのですから、勿論。と、部屋に案内する。
そして、部屋へ通すと、お茶を出させ、部屋払いをさせる。
と言っても、恐らくすぐ隣の部屋には誰かいるでしょう。
ここは父の屋敷ですからね…
それにわざわざ遠路ここまで来た加藤さんが何かするとはとても思えないので。
さて、二人で向かい合うと話しの続きです。
私が何処であなたを知ったかというお話でしたね。
私が知ってるのはあなたの名前だけではありませんよ。
貴方は日ノ本一の鳶職人を自負していて、更には大道芸人としても腕に覚えが有りますよね。違いますか?加藤さん。いや、加藤段蔵さんと呼んだ方が良いかしら。
名前が出た辺りで、途端空気が冷たく感じられる。これが殺気というやつかしらね。
しかし、フッとそんな雰囲気が消えると、加藤さんが笑い出す。
ハッハッハ。姫様、よくご存じですな。まさか拙者の名までご存知とは。
これは、何処で知ったかなど、野暮なこと聞いても無意味かもしれませんな。
一本取られました。
というと、またハッハッハと笑い出す。
そして、ひとしきり笑い終わると、
如何にも、拙者は日ノ本一の鳶職人を自負しておりますし、大道芸についても中々認めてもらえませぬが、それなりの腕を自負しておりますよ。
それで、姫様はこの鳶職人めに何をお望みで?
姫様がお望みとあらば、この段蔵、日ノ本一を自負する鳶の芸を披露することも、家中の皆様の前で大道芸を披露することもやぶさかではございませんぞ。
加藤さんの顔は笑ってるが、目は真剣そのもの。
私は回りくどい話は無しで話をすることにした。
加藤さんを真剣な表情で見据えると、
私に仕えてほしいの。
と、一言。
それを聞いた加藤さんは思わずあんぐり。
そして、ハッと我に返り、佇まいを整えると、姫様、何を仰っておられるのか、分かっておいでですか?と。
私は頷くと、
加藤さんのことだから、ここに来るまでに色々と調べたのでしょう。
私のことは勿論、この古渡のことも、弾正忠の家の事も、ある程度調べがついた上でここに居るのでしょう?
と、確認する。
すると、加藤さんは黙って頷く。
ならば私のことも多少なりとも知ってるはず。
私は加藤さんを召し抱えたくて探させたのですよ。
それを聞き、再度加藤さんは驚く。今度はアングリはしなかったが、もうアルカイックスマイルの仮面は剥がれたままだ。
そして、恐る恐る、いや恐恐というかそんな感じで
何故、拙者なのです。
姫様ご用命のものなら、既に古渡にも弾正忠家にも居るでしょうに。
と、絞るような声で聞いてくる。
それを聞いて私は、ずっと考えていた言葉を掛けた。
あなたほどの優れた能力を持つものは多くは居ない。
特に、今のあなたのような何の後ろ盾もない、身体一つの者ならば、仕事を獲るのも命がけでしょう。
それを聞いて、加藤さんの表情が凍りつく。
そして、生きた心地がしないという様で
何故それを…。
いや、ここまで知っておられるなら、それを予測されても不思議では御座らん…。
姫様の言われるとおりに御座る。
私は重ねて言う。
故に、私に仕えてほしいの。
あなたの能力全てを存分に使えるかどうかはわからないけれど、雇い主に命を狙われるようなことはない事だけは約束する。
そう言うと、加藤さんはやや柔らかい表情となり、
姫にお仕えすると言うことは、弾正忠家に使えるということで御座るか?
私に仕えれば、私が弾正忠家に居る限り、もしかすると父に仕事を依頼される事もあるかもしれない。その場合は、断ることは出来ないけれど、私の側仕えの一人になるのだから、そう多くはないでしょう。
それに…。
私は、嫡男でもなければ男子でもない姫で、いずれ何処かに嫁ぐでしょう。
しかし、私は周りが見えぬまま、ただ流されるままに生きるのは嫌。
だから、私の代わりに周りを見てきてくれる者が必要なのです。
そして、私がいずれ他家に嫁ぐ可能性がある以上、私に仕える者は出来れば柵が無い者の方が良いし、一人でも最高の能力のある者がほしいの。
これが、私があなたに仕えて欲しい理由です。
私はじっと加藤さんを見据え、返事を待つ。
すると、暫し考えていた加藤さんが、佇まいを整え平伏する。
この加藤段蔵。姫様のお役に立てるかはわかりませぬが、お仕えしまする。
と、応えてくれた。
私はつい嬉しくて、加藤さんのそばに寄って肩に手をやり、今日よりあなたは私の目となり耳となり、時には私の代理人として、仕事をしてもらいます。
まずは古渡に屋敷を用意するので、できるだけ早めに父に逢ってもらいます。
ここは父の城で、そのほうが、話が早いので。
それまでは連絡が取れるようにしておいて下さい。
そう言うと加藤さんは、心得ました。
というと、では、本日はこれにて。と言い残すと風のように去っていった。
加藤さんの座っていた辺りが濡れているようなきがするのは何故?
加藤さんが帰って居間に戻ると、千代女さんが冷たい目をしてやってきた。
姫様、何故あのような者をお雇いになられたのですか。と、詰められた。
この人は私の侍女で、一応仕事はちゃんとやってくれてるようなのですが、何故か私を見る目が冷ややかな気がするのは気のせいでしょうか。
千代女さん、私にはああ云う頼れる御仁が一人は必要なのですよ。
と、諭すように話す。どうせ、弟のことなど説明しても理解できないような気がするし。
彦右衛門様や、柴田様、佐久間様が居られるではないですか。と、言い募る。
その三人は、父の家臣であり、滝川殿は私の側仕え役ではありますが、私が嫁ぐ時に一緒には来ません。勿論、権六殿や半介殿もです。
嫁いでも変わらず私に仕えてくれる人は私が自分で雇わなければならないのです。
千代女さんだって、今は私の侍女ですけど、いずれ家中の誰かの元に嫁いで行く事になるでしょう?
そう言うと、千代女さんは何か言いたいが言葉にならないみたいな表情になり。
出過ぎたことを言いました。というと、部屋から下がっていった。
私は内心思った。甲賀出身者が多い今の弾正忠家。東国からフリーの忍びをスカウトしたら心中穏やかじゃないのかな。やっぱり。
とはいえ、千代女さんがどの千代女さんなのかわからないけど、彼女は私の侍女で忍びではないし、薬事奉行の与右衛門殿だって薬剤師だし。滝川殿は側仕えの武士としては完璧だけど、あくまで警護役の武士だし。
誰が私の目や耳をしてくれるんだって話…。
加藤段蔵は諸説ありますが、今回登場の段蔵さんは、長野業正に正式に仕える前にフリーで仕事を受けてた時に、たまたま話をきいて興味を持ってやってきたという設定にしてます。
まあ、あくまでパラレルワールドなんで、ご都合主義ってことでよろしくお願いします。