第百九十四話 薨去
義頼の置き土産のその後の話です。
天文十九年も五月半ばに差し掛かり、すっかり春も深まってきました。
平成の御代と異なり緑溢れるこの時代、新緑が身近に感じられます。
そんな春の夜も更け、千代女さんにも下がって貰って一人部屋で趣味と実用を兼ねた模型作りをして居ると、障子の向こうから声がします。
「姫様」
どうやら加藤さんが訪ねて来た様です。
私は模型を隣の部屋へと片づけると、加藤さんに入って貰います。
「お入りなさい」
「はっ」
すると、障子が静かに開き素襖姿の加藤さんが入ってきます。
そう言えば、以前は武芸者の様な恰好をして訪ねてくる事が多かったのですが、最近は素襖姿が殆どですね。
加藤さんが私の前に座ったので来意を尋ねます。
「何かありましたか?」
「はっ。
公方様が身罷られた由にござります」
公方様とは足利義晴様の事。
前世の史実でもこの位の時期に薨去されたと思いますが、この世界でも史実通りとなりました。
予期していた出来事ではありますが、現実に亡くなったと聞けばその時代に生きている事を改めて実感しますね。
「そうですか…」
「身罷られた地は、療養の為に坂本より移られた穴太にござりまする。
また、快癒が見込ぬ程の病の悪化により、ご自害なされた可能性もあるとの事」
たしか、前世で読んだ文献にもそんな一説があった気がします。
平成の御代の医学水準ならいざ知らず、この時代では運良く症状にあった薬が見つかれば良いのですが、大抵は自然治癒に身を任せるしかありません。
症状が重い病気であれば自ら命を絶つ事もあったと聞きますが、癌の闘病話などを聞けばそれも止むを得ないのかと思います。
それにしても、義晴様はまだ四十くらいだった筈です。父信秀より若いのです。
平成の御代なら働き盛りじゃないですか…。
「さぞや心残りがあったでしょう。
それで、ご嫡男の義藤様は無事将軍宣下を受けられたのでしょうか」
「いえ…。
義晴様、義藤様親子は度々都を離れており、都を護るという務めを果たせていなかったため、主上の不興を買っているとの事にござります。
それ故か、年若い義藤様に公方様の役目は勤まらぬ、と宣下を拒まれたとの事にござりまする」
こういう話は公家か公家に繋がりのある人でも無ければ、今の時点では耳に入れる事すら困難な筈。つまり、加藤殿の耳は都の公家周辺にまで届いている、という事なのでしょう。
しかし、義藤様、つまりは義輝様に将軍宣下がされないなどという事態、想像もしませんでした。足利幕府はどうなってしまうのでしょう…。
「では、今公方様は不在という事なのですか?」
「はっ、主上は、自らのひざ元である筈の京の都を治める事も出来ない今の公方様のあり方を快く思われておられぬ由、殿上の方々に度々不満を洩らしている、と伝え聞きます」
帝の宸襟を聞く事が出来るのは、公家の中でも摂家の方々の筈。人の口に戸は立てられぬとは言いますが、加藤さんには摂家の家中に有力な情報ソースがある様ですね。
「それで、義藤様は将軍宣下を受けられなかったと…」
加藤さんが頷きます。
「では、次の公方様はどなたが…?」
「確かな話ではござりませぬが、今都を事実上掌握しているのは三好家。そしてその三好家が擁立しているのが、平島公方であられる足利義維様。
三好家を率いる長慶様は、義維様が将軍宣下を受けられるよう動いている由にござりまするが、まだ宣下を受けたという知らせは来ておりませぬ」
「義維様…」
足利義維様は、前世の史実だと義晴様のライバルとして将軍職就任に並々ならぬ意欲を持たれていたと記録が残っていましたが、御自身ではそれは果たせず、願いを託した息子の義栄様が遂に第十四代将軍となりましたが、在任僅か半年で信長に追われて直後に病死してしまい、失意の義維様は阿波に戻ったのですが以降の記録は残っていない、と読んだことがありますね。
「わかりました。
では、また動きがあれば教えてください」
「はっ。
では、失礼いたします」
そういうと、加藤殿は静かに退出していきました。
史実通りに義晴様存命の間に義藤様に将軍職を譲ることが出来なかった時点で、既に史実とは大きく異なっているのですが、まさか義晴様が亡くなってもなお跡を継げないとは想像もしませんでした。
六角定頼公は、史実だと義藤様の後ろ盾として支えていたと記録に残っていましたが、この世界の定頼公はどうされるのでしょう…。
恐らく定頼公は、今日私が聞いた話を先に聞いて居るでしょうからね。
結局は軍事力を持ち都を掌握している三好家が義維様への将軍宣下を実現するのか、それとも義晴様の部下だった幕臣たちが義藤様への将軍宣下を実現させるのか、或いは…。
ここまで来るとただの歴女に過ぎない私には、どう推移するのか予想もつきません。
史実通り義晴は薨去し、本来ならば義藤が宣下を受ける筈が、義晴、義藤親子に不甲斐なさを感じていた帝が宣下を拒否するという事態に出ました。
果たして次の公方には誰がなるのでしょうか。