第百九十一話 義頼殿の帰還
滝川殿こと義頼殿が予定より遅く戻ってきました。
天文十九年二月末、弟の一件も片付き一段落したころ、去年末に帰郷したまま戻りが遅れていた滝川殿こと六角義頼殿が戻ってきました。
勿論、行ったっきり音信不通という訳では無くて、尾張への帰りが遅れる旨の連絡は頂いていたので無事というのはわかっていたのですが、便りの内容が〝実家での諸事情の為、戻るのが遅れる〟と言う何とも素っ気ないものでしたので、何かあったのかなという心配はしていました。
とは言え、定頼公は未だお元気の筈ですし、前世での史実で急死したのは二年後の筈。この頃は確か公方様の代替わりの時期で、定頼公が新しい公方様を支援して色々と忙しくされていた時期だったと記憶しています。
もしかするとお父上である定頼公の頼みで色々と動いていたのかもしれませんね。
この時期は史実でも、公方様は都落ちされて朽木に避難されていた頃でしょうから、案外史実でもこの世界でも、義頼殿はお父上の手足として動いていたのかも知れません。
そう考えると、そろそろ義頼殿は私の警護役を退いてご実家に戻られる可能性もありますね…。もしそうなると、ちょっと寂しくなりますが致し方ありません。
さて、戻って来た義頼殿から話がある、との事でしたので、古渡の屋敷で早速話を聞くことにしました。
「姫様、帰参が遅れ申し訳ござらぬ」
「何かご実家でありましたか?」
義頼殿は私の顔をジッと見つめて一呼吸入れると頷きました。
「我が父は先代の公方であられる義晴様より管領代の役を賜り、また当代の公方であられる義藤様が若年の頃よりお仕えし、今もお支えしております」
その辺りのあらましは私も前世の知識で知って居ます。
私が頷くと義頼殿が話を続けます。
「姫様の耳に届いているかはわかりませぬが、父はこの二十年余りの間、細川家の諍いに巻き込まれた将軍家を何とかお支えしようと腐心しておりました。しかし、事は細川家だけの問題に収まらず、近頃は本来細川家の被官であった三好長慶殿が細川晴元殿に愛想を尽かして離反し、父が支持してきた晴元殿と敵対する細川氏綱殿を擁して敵側に回ったのです」
「確か、去年の六月頃に摂津国江口で氏綱殿側の三好長慶殿と晴元殿側の三好政長殿との間で戦があったと聞き及んでいます」
「如何にも。
父もその戦に軍勢を率いて出陣したのですが結局間に合わず、三宅城に詰めて居られた晴元殿は敗戦の報を聞き急ぎ帰京し、公方様親子を伴われ近江の坂本に落ち延びられました」
「お父上は大丈夫だったのですか?」
「はい。父は戦をする事無く、そのまま軍を引き上げましたから。
しかしながら、公方様が近江に落ち延びられたのに六角家が何もしない、という訳にも行きませんので」
「なるほど…」
「それで…、姫様には誠に申し上げにくいのですが、父より家に戻って手伝うように、と命を受けまして…」
そういうと義頼殿は懐から手紙を取り出し差し出します。
受け取って開いてみると、定頼公からの手紙でした。
早速読んでみます。
内容は四季の挨拶から始まり、玄庵殿の往診の時に一緒に持って行って貰った贈り物のお礼。そして、これ迄は軽くしか触れられていなかったのですが、畿内を含む六角家の諸々の情勢に関して。
来年は三好長慶殿らとの戦になりそうだ、とも書かれて居ました。
最後に、義頼殿の事について書かれて居ました。これから戦続きの可能性があり、腕が立ち信用できる身内である義頼殿を手元に戻したいので悪しからず了承して欲しい、と。
そして、叶うかどうか約束は出来ないが、代わりに良い人材が居れば私の許を訪ねさせるので、それで埋め合わせとしてほしい、と締めくくられて居ました。
一通り手紙を読むと視線を義頼殿に戻します。
「委細承知いたしました。
これまで本当にお世話になりました。
義頼殿が居なくると寂しくなりますが、今生の別れという訳でも無いでしょう。
生きていればまた会う事もあります。
御身息災で。お父上にも吉が宜しく言っていたとお伝えください。
それと私からもお父上に返信を書きますので、それをお持ち帰りください」
「承知いたしました。
この後、備後守様の許に暇乞いを願いに訪ねます故、手紙はその後にでも」
「わかりました。
それでは清洲での用事が済んだら、また訪ねてください」
「はっ」
義頼殿が父の許に向かったので、早速と定頼公への手紙を書きます。
内容的には武運を祈りますという事と、もし必要であるなら盟を結んでいる尾張に援軍を頼んで欲しいという事。それと、前世の記憶だと定頼公は再来年の年明けに卒中で急死しているので、引き続き玄庵殿の往診を受けて、くれぐれも食生活と健康に留意してください、と忠告しておきました。
本人に、あなたはもうすぐ死にますよ、と話すのは非常に気が引けるのですが、折角知り合えた転生者ですから元気に長く生きて貰えれば、いずれ何処かで会って話す機会があるかもしれませんから。
父に暇乞いを無事に済ませた義頼殿に手紙を託し、また餞別にと今や知名度のある刀工にもなった清兵衛さんが打った太刀をプレゼントしました。
義頼殿は武士らしく、見事な太刀を手にするととても喜び、そして私にも暇乞いをすると、観音寺城に向けて馬を走らせ帰っていきました。
元々私の前では〝滝川彦右衛門〟殿だった義頼殿ですが、義頼殿の話だと義頼殿が名乗っていたこの名前は滝川家ではよくある名前らしく、実際にその名を名乗っている者が他にも居るらしいです。
以前義頼殿が実家に居た頃、同じ年頃の滝川家の若者がその名を名乗って六角家に出仕していたそうですが、その後その人は六角家を辞して一族からも離れてどこかへ去っていったそうなのですが、義頼殿はその人の名前を借りていた、という事みたいです。
その去って行った滝川殿の諱が〝一益〟だったら、妙な縁を感じますね。
まあ、そんな偶然はないと思いますけど。
元々ずっとという話では無かったので、信秀の許可もすんなりと下りて滝川殿こと義頼殿は実家に戻っていきました。これで、現時点では吉姫の警護役は小次郎殿と千代女さんの二人になりました。