第百八十六話 那古野城よりの来訪者
勘十郎の居城、那古野城から来訪者です。
天文十九年二月十二日、勘十郎廃嫡から五日程経った昼下がり。最近は手紙でのやり取りはしていましたが、直接私の許を訪れるのは前年以来の柴田権六殿が、若い武士を伴って来訪しました。
権六殿が連れて来た若い武士は、どこかで見た覚えがある目鼻立ちのすっきりとした凛々しい人物で、歳の頃は二十前後ぐらいでしょうか。
髪型は総髪で、現代風に言えばポニーテールみたいな髪型が良くにあってますね。
ちなみに、この時代は月代は戦の際に剃るのが一般的で、戦が無い平時はそのまま伸ばして、後ろにまとめて束ねたり髷にしたりしています。
権六殿もここ暫くは戦に出ていませんから、以前は月代を剃っていましたがすっかり髪が生えてしまい、今ではわからなくなっていますね。
それは兎も角。
「姫様、去年来にござります」
「権六殿、よく来てくれましたね。
弟の勘十郎が廃嫡となった為、那古野は大変でしょう」
権六殿は苦笑いを浮かべると頷きます。
「はい…。
しかし、実質的にずっと城代を務めておられた林様が今も城内をうまく差配されておりまするから、混乱は起きておらぬのですが、勘十郎様が…」
「弟は廃嫡を聞いて随分と憔悴して寝込んでしまったと聞きましたが…」
「はい。
あれ以来、食事など喉を通らぬ、と仰られて殆ど食べておられず、すっかり衰弱してしまわれました」
そこ迄ショックを受ける程思い詰めるなら、何故父の言葉に全く耳を貸さなかったのか、という気がしますが、そこは弟なりに肉親である父を心の底では甘く信じていたのかもしれません。
「そうでしたか…。
弟は寺に入ると聞きましたが、その様子では難しそうですね」
「…このままの状態が続ければ、体が弱り切り身罷る事もあるやも知れませぬ…」
私はまさかそこ迄行くとは想像もして居ませんでしたから、権六殿の言葉に息をのんでしまいました。
沈鬱な空気が漂う中、私は何とか気持ちを落ち着かせると、話題を変えようと権六殿に同伴してきた方の事を聞くことにしました。
「ところで…、そちらのお方は?」
「これは失礼いたした。
これなるは勘十郎様の近習を務める者で、名を都筑蔵人と申す者にござる」
「都筑蔵人にござる」
津々木蔵人というと、前世の史実では信勝のお気に入りで、腹心として知られている人物だったような…。
それは兎も角、やはりどこかで見た事がある気がするんですよね…。少し失礼かなと思いながら津々木殿をじっと見ていると、津々木殿自身が疑問を解消してくれました。
「それがし、勘十郎様の近習に上がる以前は、快川和尚に師事しており申した。
その折には姫様の御講義も拝聴させて頂いており、姫様とお会いするのは実は初めてではござりませぬ」
そう言われて、ハッと思いだしました。確かに私の脳内の、〝講義に来ていた美男子リスト〟の中に彼が居ました。
勿論これは、美男子しか覚えていない、という事ではありませんよ。
「そういえば、お見掛けした事があった様に思います」
私がそう答えると、津々木殿の表情がパッと明るくなります。
挨拶はこの位にして、ご用件を伺いましょうか。
「ところで…」
私は権六殿に視線を送ると、権六殿は私の気持ちを汲んで津々木殿に来訪理由を話すように促します。
「蔵人、勘十郎様から何か言付かって来たのであろう?」
津々木殿は権六殿の声に頷きます。
やはりというか、権六殿が以前私のお供をしていた事は良く知られた事ですから、権六殿は津々木殿が私に会う為の付き添いだったようですね。と言うか、勘十郎の家中で私と親しい人物は権六殿しか居ません。
その位、私と勘十郎の家中とは付き合いがありませんから。
「姫様、勘十郎様よりの手紙にござります」
津々木殿が手紙を取り出すと、私に差し出します。
同席している警護役の小次郎殿が受け取ると、私に渡してくれます。
小次郎殿にお礼を言って受け取ると、早速開いてみます。
手紙の内容自体は、実にシンプルなものでした。
この手紙は、恐らく弟本人ではなく祐筆を務める者が書いたのでしょうけれど、定型部分を除いた内容は、『自分は恐らくもう長くないから、最期に会って話をしたいから那古野城まで来て欲しい』と書かれてありました。
心が折れてしまってそのまま衰弱死、というのは現実にある話ですから、勘十郎がもう長くないという話は事実なのかもしれません。
多分、今会わないと二度と会えない気がします。
私自身、一度勘十郎とはじっくりと話をしたいとは思っていたので…。
「弟は、私と最期に会いたいので那古野まで来て欲しい様ですね」
津々木蔵人は恐らく津々木姓が後にも先にもここでしか出てこない為、尾張、三河地方の豪族である都筑氏の一族であるという説を取っています。
蔵人は信秀が未だ存命の頃に勘十郎に付けられた近習の様ですが、普通、次男とはいえ、嫡流の次男に氏素性もはっきりしない人物を側用人にしたりしませんから、恐らく津々木がこの時代特有の同音の当て字では無いかと思われます。
但し、作中の吉姫は前世知識で都筑蔵人を津々木蔵人と記憶していますので、都筑姓は勝家など吉姫のセリフ以外でのみ登場させています。